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半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
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第2話 老人とイケメン


 来月には大学を卒業する千葉(ちば)修一(しゅういち)は、自宅の1つ手前のバス停で降りた。

 ここからの方が河原のある土手には近い。
 昼下がりの午後、あたりには駈けていく子供たちの甲高い声が響き渡っている。

 無造作な黒い短髪に、ファーのついたダッフルコート。
 裾上げ不要のデニムはどこにでも売っているものだったが、修一が穿けば安っぽいイメージも消し飛ぶのは不思議だ。
 ポケットに手を入れたままでも、冬の冷たい風を切って歩く姿は様になる。

 だが修一は大学の研究室にも実験室にも戻れない。
 ましてやアパートに戻っても誰もいない。

 突然、修一の脳裏にフラッシュが焚かれた。
 響き渡る声が何度も繰り返される。

 ――正直、営業職に興味ありませんか?

 ――製造部門ですか? あるにはありますが、もっと上を目指してはどうですか。

「興味ねぇよ」

 ため息をつきながら緩やかな土手を上り切ると橋が見えた。
 それを目指し、ただぼんやりと修一は河原に降りていった。

「あ……」

 河原の端で釣り糸を垂れている人がいる。
 釣る気があるのかないのか、竿をあげる気配もない。
 それは懐かしい、紺色の作業つなぎを着た白髪の老人。
 白いあごひげが腹の出た体格によく似合い、その袖から伸びる手は節くれ立った働く男の証。

「慎さん」

 修一が声をかけると、老人はゆっくりと振り返った。
 それはあの頃となにも変わらない、高木(たかぎ)慎之介(しんのすけ)の顔だった。

「ん?」

 慎之介はまだ、誰が声をかけたのか理解できていない。

「オレだよ、修一」
「おや、修ちゃんかい?」
「久しぶり」
「なんだ、ちょっと見ない間に大きくなったなぁ」

 慎之介は隣に座るよう、気軽に手招いてくれる。

「高校以来だし」
「飲むかい?」

 慎之介は笑いながらオレンジ・ジュースを差し出す。

「さんきゅー」

 にこにこしながら川面を眺める慎之介は、なにも聞こうとしない。
 まるで昨日もここで会っていたように、そばに座らせてくれるだけ。

 流れる川面の音だけが響く中、ようやく慎之介は口を開いた。

「修ちゃん、何年生になった?」
「今年卒業」
「そうか。歳取るわけだ」

 また慎之介は黙り込む。

 いつもそうだった。
 学校に行きたくなかった頃も、慎之介は黙って側に座らせてくれた。
 学校に行けとも、家に帰れとも言わない。
 小言も言わない。
 それはとても心安らぐ空間だった。

「大学では彼女、できたかい?」
「いきなりかよ」
「高校の頃からモテモテじゃったくせに。なんとかならんか、その無愛想は」

 強烈な閃光に修一の目がくらむ。
 ストロボを連続で焚かれるごとに、心臓を締め上げるような光景が繰り返された。


 高校の頃。
 修一は背が高いこともあって、入学早々からバスケ部やバレー部につきまとわれた。
 強く誘ってきたのは、すべて女子マネ。
 断っても勧誘は朝から下校するまで続き、そのおかげで大切な男友達ができる機会を失っていく。
 断る理由が見つからなかったので、このままつきまとわれて男の敵視が激しくなる前にとバスケ部に入部した。

 なんでも器用にこなす修一だが、チームプレイは苦手だった。
 しかし気づけばスリーポイント・スナイパーとか最後の切り札エース・イン・ザ・ホールなどと呼ばれ、顧問に気に入られたこともあって1年のうちからスタメンに入れられた。

 ところが、素敵な青春の汗もなければチームの友情もない。
 修一自身は無愛想で目つきが悪いことが原因だと思っていた。
 いつまでたっても男友達ができなかった理由はそれだけではなかった。
 修一の周囲には、どうやっても取り巻きの女子しかいないのだ。

 勝手に盛り上がり、勝手に競い合う女子の群れ。
 人の気持ちは関係なしに寄せては退いていく。
 告白されては連れ歩かれ、見せびらかされては去って行く。
 そして最後の言葉はいつも決まっていた。

 ――千葉くんと並んで歩くと、なんだか自分が恥ずかしくなってくる。

 いくら考えても修一には理解できない。
 並んで歩くこともままならない関係とはなんなのか。
 楽しそうにしている周囲のカップルはなんなのか。
 どう考えても自分が異質だった。

 そのうち学校に通うのが苦痛になり、修一は相談する友達もいないまま河原でぼんやりするようになっていた。


 修一は我に返った。

「どした?」
「いや、別に」

 慎之介は気にすることもなく、釣り糸を垂れたまま。

「まだやっとるのかい、銀細工は」
「ぼちぼち」
「手先も運動も器用じゃったからなぁ」

 人との付き合いが嫌になり、修一はなんとなく工芸を始めたことがある。
 特に興味があったわけではない。
 ただの素材から形になっていく過程が、なんとなく心地良さそうだったというだけ。
 強いて言うなら慎之介が町工場でやっている「物作り」に憧れていたのかもしれない。

 当時、男子の間で人気の高かったシルバーアクセ。
 銀粘土をこねて形成し、つなぎを焼き切って銀だけ残すという大胆な行程にも興味を引かれた。
 デザインを考えたり革細工との組み合わせを考えたりしていると、不思議と嫌なことが忘れられた。
 だがいまだに納得できないのは、どうしても作って欲しいとねだられた力作のスカル・リングが女子に不人気だったことだ。
 だから誰かのためでなく、修一は自分のために作り続けている。

「で、どこに?」
「え?」
「就職じゃよ」

 修一はこの淡々とした会話と時間が好きだった。

「未定」
「ちゃんと活動したのかい? 面接官が修ちゃん採らないのはおかしいぞ」
「したけど」
「どこ受けた」
「雷通とか朝日化成とか」
「まぁ、人気企業じゃからな」
「いや、内定もらった」

「……蹴ったのか」

 修一があの話をしても面接官は誰も耳を傾けない。
 就職先など、どこでもいい。
 修一はただ、あの設計図を「まぁ、それはそれとして」の一言で片付けない場所を探していた。

 やりたいことをやれる場所を探す。
 それが修一にとっての就職活動だったのだが。

「慎さん憶えてる? 昔、オレに言ったこと」
「年寄りは物覚えが悪くての」
「なにか夢のあるものを作ってよ、っての」

「そうじゃったかね」

「オレ、大学で3Dホログラフィー動画の研究してたのよ」

「なんだい? そのホロなんとかって」
「聞きたい?」
「決まっとろう……が、誰にでもそういう目でじらすのは良くないぞ正直」

 昔から慎之介は何にでも興味を持ってくれた。
 そしてそれが突飛な話であっても、必ず最後まで聞いてくれる。

「特殊な反射鏡を使わず、そのへんの空間に立体ホログラフィーを浮かび上がらせる技術。それの動画版、つまり動く立体ホログラフィー」

「へぇ。それで何を映し出すんじゃ?」
「人間が考えてるイメージ、頭の中のイメージ」
「イメージ?」
「そ。頭で思い描いた物をリアルタイムで空間に映し出すワケ」
「ほぉ。おもしろそうじゃな」
「もっと聞きたい?」
「だから、やめなさいって。その上目遣いは」

 なにかを忘れるため修一は夢中で話し続けた。
 詳細な設計図を端から語っても、慎之介は相づちを打ちながら聞いてくれる。
 それは心地よいほどに、苦痛なフラッシュバックを消し去ってくれた。

「なるほど……なんとなくじゃが想像できた。しかし、すごいな今の時代は。そんな漫画みたいな道具に手が届いとるとはなぁ」
「どう? 夢のある物作りじゃね?」
「老人の戯言に付き合って、わざわざ大学で勉強してくれたんか」
「なんとなく」

 今はそれしか修一に残されていないというだけだが。

「相変わらず一途じゃなぁ」
「……一途とか言うなって」
「なぜそこで照れるかのぅ。しかしそれ、自宅じゃ作れんぞ?」

 慎之介の言うことは現実的だ。
 それは机上の理論で、自室のアパートで作れるような代物ではない。
 理論的に設計図が頭の中にあっても子供の空想と同じ。
 科学と理論に裏打ちされた大人の空想だ。

「だね」
「なんも考えとらんかったな」
「じゃあさぁ、慎さん」

 不意に修一は慎之介の顔を覗き込んだ。

「オレの人生、買ってくんね?」

「はぁ?」

 さすがの慎之介も顔色を変える。

「ドレイでもゲボクでも、なんでもいいから」
「な、なにを言い出すか」

 物憂げに川面に小石を投げる修一は、いたって真面目だった。

「ヤらせてくんないかな」

「ヤらっ――うぇい?」

 慎之介の混迷は続く。

「慎さんとこでアレ作るのって、ムリ?」
「修ちゃん……そんな顔で女性に頼みごとしちゃイカンぞ絶対」


 その春。
 高木慎之介が会長を務める地元の町工場『株式会社タカギ製作所』に入社が決まった。

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