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半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
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第11話 記憶の葉脈に埋もれた観覧車


 美紀が短大1年生のころ。
 ある晴れた日に、修一と電車に乗って海に出かけたことがあった。

 15分前に着いてしまった美紀は、スマホをいじりながら修一が来るのを駅の改札前で待っていた。
 修一はスマホを持っていないのでLINEで様子を知ることもできない。
 唯一の連絡手段であるガラケーもアパートに置き忘れてくることがほとんどだ。

 だが問題ない。
 いつも待ち合わせのきっちり1分前になると修一は必ず姿を現す。

「あ、修……ちゃん?」

 もっとも探すまでもないのだが。

「待った?」

 地味なジャケットのくせに内側が白シャツとジレなど、地中海以外では無理。
 これを普段着にできるのは修一ぐらいだ。
 目つきが悪くて物憂げな無愛想も、これで一気に吹き飛ばされる。

「ねぇ、その――」

「ん?」

 きょとんとした修一の顔を見ていると、美紀はつい現実と虚像が境界を失っていく。

「ううん、なんでもない。行こ、電車が出ちゃう」
「次、17分後にもあるけど」
「だって早く行きたいじゃない」
「急いでる?」

 美紀は立ち止まって少し深呼吸した。

 修一との会話はいつもこうだった。
 なんとなくピントがずれていて、それでいて比較的核心をついている。

「ウキウキしてんの」

「……」

「もう、いいから行こ」

「走ればまだ間に合うな」

 修一は真顔で反対側の駅のプラットホームを見据えている。

「いや、そんなに急いではないけど」

「どっちだよ」

 修一の困惑した顔を見て、美紀は思わず笑ってしまう。
 それにつられて修一も笑った。

 こんな修一との会話が美紀にはとても不思議だった。
 みんなが言うほど、修一の笑顔は天然記念物には思えない。
 もしかすると自分が特別な存在ではないかと勘違いしてしまう理由はそれだ。

 そうこうしているうちに海へと向かう列車が到着したので、ふたりは客車の端に並んで座った。

 わずかに触れた肩越しに修一の体温が伝わる。

 美紀は今まで修一と、これほど近い距離でふたりきりになったことがない。
 流れゆく車窓を背に吐息すら届く距離。
 修一のとてつもなくいい匂いに、別の意味で酔わないよう気をつけなければならない。

「ねぇ修ちゃん」

「ん?」

 修一はわずかに視線を床に逃がし、どこか当惑しているように見えた。

「海の近くに観覧車があるんだって。乗ろうよ」

「いいけど」

 修一はそのまま黙り込んでしまった。
 美紀は不安になり修一をのぞき込んでみる。

「ねぇ、聞いてる?」
「乗るか……」
「どうしたの?」
「いや、別に」

「高いところ、苦手?」

「……乗り物酔いするかと」

「しないから。観覧車ってどんなのか知ってる?」

「大きな鉄骨の円形フレームの周りに2人から6人ぐらい乗れるゴンドラをたくさん付けてるヤツ。極低速で回転して次第に高いところからの眺望が楽しめるようになる大型機械」

「うん。修ちゃん、正解」

 つらつらと並べたてる修一に、美紀はぷっと吹き出してしまった。


▽ ▽ ▽ 


 降り立った駅は海に面していた。

 海水浴場でもサーフスポットでもない、人もまばらな遊園地。
 そこには大きな観覧車が場違いな輪を広げている。

 顔色を変えずそれを見あげていた修一は、美紀が持っていたトートを取り上げてゴンドラに向かう。

「あ、いいよ。自分で持つから」

 修一は聞く耳持たず、さっさと乗り込んで手を差し伸べる。

「ほら」

「え?」

 不慣れな対応に美紀が硬直した。
 これを意識せずにやられるのは困る。

「転んで挟まるぞ」

「だ、大丈夫だよ」

 引かれた手に伝わる修一の温もりに美紀はどっと汗ばむ。
 このままでは修一に飲み込まれてしまうと慌てた美紀は、ごまかすように会話を続けた。

「ねぇ、修ちゃん。もしかして観覧車、初めてだったりして」

 しかし修一は黙ったままポケットからハンカチを取り出し、ゴンドラのシートに広げた。

「……なにしてんの?」
「え? こっちに座りたかった?」
「いや、じゃなくこのハンカチは」
「座んないの?」

「あ、この上に……ね。うん、ありがと」

 手慣れた感を越えすぎた紳士的仕草に、美紀はどう応えていいか分からなくなっていた。

 それでも観覧車は高密度な空間を維持したまま、ゆっくりだが確実に回る。
 外の景色ばかり見ているのもおかしいと思いながら、美紀は目のやり場に困った。

 ゴンドラ内は膝の触れあう距離。
 戻した視線は必然的に修一と絡み合う。
 密閉された空間で、美紀は修一の瞳と漂ういい匂に抗わなければならないのだ。

 特に修一の、その澄んだ瞳。

「眼も、きれいなんだね」
「眼?」
「心の色は眼に映るっていうもんね」
「オレ、何色?」

 修一は相変わらず真顔だ。

「うーん。澄んだきれいな色、かな」

「へー」

 今度は美紀が、修一に穴が開くほど見つめ返される。

「……なに」

「確かにキレイだな」

 その言葉に訳もなく美紀の鼓動は高鳴った。

「あ、ありがと。ほ、ほら。修ちゃん、一番上に着いたよ」

 眼下には緩やかな弧を描いて西に延びる砂浜が広がり、その端には灯台が見えていた。

「おー、すげー」

 言葉ほど驚いた表情を修一は浮かべない。

「ねぇ修ちゃん。後であの灯台まで行ってみない?」

「なにしに?」

 きっと修一に悪意はない。

「別に、目的はないけど……」
「……やっぱ、行くか」
「いいよ、ムリしなくて」

「……」

 無言の修一から溜め息が漏れた。

「な、なんで溜め息かな」

「つまんねーな」

 天国から地獄とはこのことだ。

 美紀は吐き気を催した。
 やはり修一は退屈しきっている。

 よく考えてみれば簡単なことだ。
 こんな寂れた遊園地に来て喜ぶイケメンなどいるはずがない。
 もっと読モ的なスポットにするべきだったのだ。

 そもそも「どこでもいいんだけど」と言われた時に気づくべきだった。
 あれは誰が聞いても明らかに、わりとどうでもいいというサインだ。

「……ごめん。つまんないよね」
「は?」
「下に着いたら、帰ろ」
「なんでそうなんの」

「あたし、そういうこと気づくの遅すぎ」

 それを聞いた修一は、勝手にひとりでうなずいていた。

「難しいな……もっと簡単にできてたはずなのに」
「ともかく、今日はあたしのワガママに付き合わせてごめん」
「そういう意味じゃねんだ」
「いいから気を使わないで。泣きそうなんだから」

 修一は肺の空気をすべて吐き出す勢いで溜め息をついた。

「つまんねーな、ってのはオレのこと」

「やっぱ、つまんないんじゃん」

 美紀には意味がわからない。

 永遠に続くかに思われた沈黙。

 修一は真顔で考え続けた挙げ句、重い口を開いた。

「オレ、よくわかんねんだ」

「なにが」

「灯台行こうとか言われたら、なんて返せばいいのよ」

 意外すぎて美紀は言葉を失った。

 ケタ違いに女慣れしてるはずの修一が、そんなことで戸惑うなどあり得ない。

「まさか」

 修一の目は真剣そのものだ。

「なにしに、だってヨ。もっと気の利いたこと言えよってハナシ」

 取り繕った言葉でないことだけは美紀にもわかった。

「いつもは、どうしてんの?」
「テキトーに答えてる」
「行きたくなくても?」
「用が済めば帰れるし」

 美紀は勇気を振り絞って聞いてみた。

「さっき……どう思ってた?」

 修一は髪をかき上げ視線を逸らす。

「……いいな、って」

「そう言ってくれれば良かったじゃん」
「でもオレ、なんもプランないので」
「プランとかいらないよ。ぶらぶら歩くだけでも楽しいから」

「そういうのでいいワケ?」

 修一には本当に友達がいないのだと美紀は確信した。
 少なくとも、バカ話をしながら無駄に時間を過ごしてくれる男友達はいなかったのだ。

「あたしは楽しいけど……修ちゃんは?」

 修一に微かな笑みが浮かんだ。

「いいね」

 その言葉が決定的に美紀の心を揺さぶった。


▽ ▽ ▽ 


 ゆっくりと波打ち際で風に吹かれながら。
 灯台を目指すというだけの目的で、ふたりは砂浜の果てまで歩き出した。

「オレ、なんの話すればいい?」
「そんな深く考えなくても、なんでもいいじゃん。あ、あ、でも女子絡みの話はちょっと……」
「あ、そう」

 不思議そうに首を傾げると、修一は思うままに話し始めた。

 案の定、修一は高校生の頃から突き抜けた存在だった。
 いくら必死に勉強したところで、すんなり入れる高校ではない。
 バスケの未経験者が1年からスタメン入りで二つ名を付けられるのもあり得ない。
 河原で釣りをする老人とぼんやり座って日がな1日過ごし、急に思い立って勉強すればあの大学の工学部に現役合格できる。

 大学に入った目的はとても曖昧だがとても真面目で、その老人と夢のある物を作る約束をしたからだと言う。
 ついでのように父親が脳外科医であることも話してくれた。

 なにから突っ込んでいいのか美紀にはわからない。
 1つはっきりしているのは、これほど長く修一と話したのは初めてということだけだ。

「お父さん外科医なんだ。かっこいー」
「そう?」
「なんで医学部行かなかったの?」
「あの仕事、マジで家に帰れねんだよ」
「そうなんだ……」

 美紀は少しためらいながらも、修一になら自分のことを話してもいいような気がした。

「ねぇ、修ちゃん。あたしの父さんってね――」

 美紀が小学校5年生のころ、父親は失業した。
 上司との折り合いが悪いというのが言い訳だった。
 しかし実際には父親が会社の金を競馬に使い込んだことが直接の理由だったが、それは高校生になった時に母親から聞かされた話。

 週末の地方競馬は時に大きく負け、時に大きく勝ち、勝った金はすべてキャバクラに消えていたことも後から知った。
 口が達者な父親らしく、キャバ嬢からは人気があったらしい。
 もちろん金遣いが派手だということもあるだろう。

 母親が気づいた時には、使い込んだその額は300万円ほどに膨れあがっていた。
 親戚や親兄弟から借金をして、足りない分は消費者金融から借りて会社に返済した。
 刑事告訴も民事訴訟もなかった代わりに、父親は無職になった。

 その後はずっと、なにをするでもなく家に居続けた。
 美紀が学校に出かける頃は寝ている。
 家に帰ると必ず、灰色のスウェット姿でテレビを見ていた。
 そして帰りが遅いとか、髪型がどうとか、口うるさく言って不快にさせるのがお決まりだった。

 そのくせこれからどうするつもりだと真剣に聞くと、父親はあれこれと大口を叩いた。
 資格を取るとか景気の回復を待っているとか、だいたい非現実的なことだった。
 時には農業をしたい、漁師になりたいなどと言い出す始末。
 だいたいそんな時は、テレビのドキュメンタリー番組を見た後だった。

 結局、家計を支えていたのは2つのパートを掛け持ちしていた母親だ。

 その場しのぎの適当な言葉を並べて、平然と母親のパート代を食いつぶしていた父親。
 男に対する見方を決定づけているのは、もしかするとあの男なのかもしれないと美紀は思っていた。

「へぇ」

 修一の感想はそれだけだった。

「ごめんね。あたしこそ、こんなつまんない話して」
「安心しなよ」
「なにを?」

「昔の出来事はただの記憶。今を傷つけることはできないから」

 修一は珍しく満面の笑みを浮かべていた。


▽ ▽ ▽ 


 灯台の立つ防波堤に着く頃。
 あたりはすっかり暗くなっていた。

 まばらな街路灯の下、ふたりは防波堤の端にある灯台まで辿り着いた。
 夕闇の景色は曖昧になり、次第に波の音が全身を包み込む。

「ほら」

 防波堤の上から修一が手を差し伸べる。
 この手を取り続ける限り、後戻り出来なくなることに美紀は気づいていた。

 それでも、灯台に照らされてぼんやりと闇に浮かぶ海を眺めるのは格別だった。
 もちろん、隣りにいるのが修一だということが一番の理由だ。

「夜の海って、きれい」

 風に乱された髪を押さえながら、美紀は修一を見つめた。

「波が輝いてんな」

 修一はそのまま黙って海を眺めている。

 夕闇を過ぎ、満月の夜空に灯台の明かりが輝いている。
 夜の海は静かに波の音を響かせ続ける。
 満天の星空の下、ただそこに海と満月とふたりがいる。

 なにかを告白するには、うってつけの夜だった。

 夜風に吹かれている男は、日本人離れした仕草が似合う無愛想なイケメン。
 女には困らないはずなのに、友達がひとりもいない変わり者。

 友人は声を揃えて、イケメンでもコミュ障はやめろと言う。
 それが嫉妬と羨望の入り交じった女のどす黒い感情だとしても、修一と一緒にいると不安になるのも事実。
 隣に並んで立つには、あまりにも普通で地味な自分。

 それでも美紀は修一に惹かれる。
 これは修一のことが好きという感情なのだろうか。
 他の女のように、いい男を連れて歩いている自分に酔いしれたいだけではないか。
 そうすることで、みすぼらしい自分が輝けると勘違いしているのではないか。

 美紀はそんな思いに、あの合コンの日からずっと揺られ続けていた。

 今夜その答えのひとかけらでも知ることができれば、この不安は和らぐはず。
 そのきっかけとして、この月夜は最適な一瞬になっているはずだ。

「あのさ」

 修一の声が、波の音に消されることなく響く。
 それに続く言葉がなにか、美紀の胸は高鳴った。

「な、なに?」

 都合のいい自分がいることに美紀は気づいている。
 修一なりの言葉で気持ちが聞けると期待している自分。

 この月夜にふさわしい言葉など選ばなくていい。
 自分に対する気持ちが少しでも知りたい。
 ただそれだけ。

 きっと修一も同じ気持ちだと願っている自分を、今夜だけは赦したい。

「月って遠くからだと、きれーだな」

「そう、だね」

 美紀の体を廻る血液のスピードが増す。
 そして胸の真ん中は甘美な言葉を待っている。

「本当の月は乾燥した土と岩の、水もない荒れた大地」

 美紀はただ黙って修一の言葉を待ち続ける。

「自分で輝くことはなく、遠くから太陽に照らされて夜だけ輝く――」

 修一の表情は寂しく悲しい。

「――月って、どんな気分だと思う?」

 満月を背に修一が囁いたのは、それだけだった。

 手を伸ばしてくれれば肩を抱ける距離に美紀はいる。
 だがそれは、あまりにも遠い距離だった。

「……月は嫌でも知ってるよ。自分がどんなに惨めか」

 今この満天の星空の下、修一はあまりにも遠い。

「さみーな」

 修一はおもむろにジャケットを脱ぎ、美紀の肩にかけた。

「え? あ、あり……がと」

「帰るか」

「そうだね」


 美紀にはどうやっても、修一の気持ちが理解できなかった。

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