「好き?」
はっきりと告げられたけど(それも二回も)、どういうことですか。今ここにいるのは私と有沢くんのみ。一ノ瀬桜という人物が、有沢くんの知り合いに一人しかいないというのなら、それは間違いなく私のことなのでしょうか。
呟くように有沢くんの言葉を反芻し、しばし呆然とその秀麗な容貌を眺めてみます。この数カ月で、少しはまともにみられるようになったはずなのに、どうでしょうか、動悸が止まらない。冗談でも好きだなんて言われると、顔には瞬時に熱が籠り、舞い上がる自分が恥ずかしくなってきます。自惚れてやがりますよ、この女は。
しかし、真剣な眼差しには冗談の色は見えません。
いやでも、一寸待ってください。
思わず首を傾げます。
私は有沢くんのタイプに全くといっていいほど当てはまらない気がするのです。先ほどの限定的な好きなタイプからも外れてませんか?
まず『可愛い』という絶対条件をクリアしていない。それに、そこまで突出して面白味のある人物でもなく、笑いを誘うとしても失笑レベルのもの。有沢くんが仮に私を好きだとして……一体どこに私のことを好きになる要因があったというのでしょう? 私のことが好きとかちょっと……趣味が悪いと申しますか。頭がどうかしているとしか思えないと――。
有沢くんは誰かに洗脳でもされているのですか。まさか、決して実らない姉の恋を憂うあまりの柳の暴挙……あ、あり得る! それかこれはどっきり大作戦で、私が有沢くんにイエスと答えた瞬間に、どっきり大成功という看板を担いだ誰かが登場する……とか。
ここは、慎重に答えるべきです。
そこまで考えが及ぶまで約十秒。私は引き攣った顔のまま訊ねました。
「え、あ……また、からかって……楽しいですか?」
「本気で言った」
「だって、友達としては接しないってこの間……」
「言った。『友達』としては、接しない。一緒にいて辛すぎるから。友達のままだと全くといっていいほど意識されないし、露骨にアピールしても発言は全部スルーされるし。このままだと、一生いいお友達止まり決定だと思って。一ノ瀬は俺も引くくらい好意に鈍感だからな。でもさ、俺は……ただのお友達なんて嫌だ。
俺だって……一応、男なんだけど。ちょっとは意識しろよ。切なくなってくるから」
「そ、そうですか? ちゃんと分かってますよ、有沢くんは男の子だって」
「そうか?」
鬼気迫る(?)有沢くんを目の前にして、私は一歩後退しましたが、背後は冷たい壁です。
どうやって逃げようか……と、馬鹿な悩みを抱える私。つい数十分前の気概はどこへやら。すっかり、自分が何を有沢くんへ伝えようとしていたかを忘れていました。本当にこの人に、『好きだ』とか言おうと思っていたのですか。無謀すぎでしょう。
普通の感性で言えば、両想いなんだから喜べ、と言われそうですが、私は何分捻くれているようなので、素直に喜ぶことができないわけですよ。
自分が可愛いと思ったことなど、一度もありません。可愛いと言われて、いい思いをしたことも一度もありません。
周囲に好かれるのはいつも、私ではなくて柳でした。柳の周りには人が沢山集まるけれど、何かに秀でたところがあるわけではない私のところに集まるのは……変態ばかりです、本当にありがとうございました。
有沢くんは容姿はいいけど普段は無表情を貫いているし、無口なことが多いし。面倒見が良くて、私を憐れんでくれて。
そうです、きっと誰にも見向きされない私を憐れんで、同情して『好きだ』などと血迷った言を吐いたに違いないです。全く、いらぬ同情ですね!
「ど、同情なら間に合ってます……」
小さな声でそう伝えると、有沢くんは呆れたように溜息をつき、馬鹿を見るような目で返してきました。
「同情じゃない」
「じゃあ、新しい遊びですか? 私のような心身の醜い者を上げて落とすための……」
「俺は軽々しく好きとか言わない」
「……っ」
それはですね。確かに有沢くんともなれば、好きの大安売りをしてしまえば、修羅場が勃発するでしょうよ、それくらい想像できますよ。
「というか、同情でこんなこと言ってると思ってる一ノ瀬は、呆れるのを通り越して感心する」
「…………にわかに信じがたいと言いますか」
「信じられない? 俺、そんなに信用なかったのか……」
「そ、そんなことありませんが、何と言うか、突飛な告白で……!」
「突飛……か」
何故かがっくりと肩を落とし、眉をひそめて哀愁帯びた表情を浮かべる有沢くん。
え、何。私そんなにおかしなことを言いましたか。
だってそうでしょう。唐突でしょう。誰でもいきなりこんな美人から好きだと言われたら、動揺するに決まっています。
とにかく何と返していいか分かりませんでした。これまで好意をもたれること自体、あまりなくて。私はあまりに平凡で価値のない人間だからと母に言われ続けてきたせいなのか。今まで誰からも振り返られなかったせいなのか。誰か、家族以外の人から好きと伝えられるのがどういう感覚なのか、私には分からなかったのです。
……違う。
多分、無意識に。誰かから好意をもたれることが、怖くて、不安で、痛くて……耐えられないと思っていたから。
どうしてそう考えるようになったのか、忘れてしまったけれど……。
忘れたいほどに、嫌なことが昔あったのだと、柳は教えてくれた。私はそれを思い出したいとは思いませんが、多分それが原因で、恋をするのが怖い――その思いが根付いてしまったのだと思うのです。
有沢くんを見上げてみると、優しい瞳とぶつかります。この人は、私がこの場所にやってきて以来、いつもこうやって、母親のように(?)側で私のことを見守り続けてくれたのだと思うと、胸が熱くなりました。
とりあえず、何かを言わなければ……。
唇を噛み締め、悩んでいると、広い胸に身体を引き寄せられ、ふわっと包み込まれます。訳も分からず固まっていると再び有沢くんが口を開きました。
「好きだ、一ノ瀬。可愛いな本当に」
「あ、あの……隙を作っているつもりはありません! 私に死角なんてなかった!」
「……よく、分からないんだけど」
「わ、私もよくわかりません!」
涙目で応じると、今度は有沢くんの方が溜息をつき、目を逸らしてきました。
「…………潤んだ目を向けるな」
「そ、そんなこと言われても――」
私が潤んだ目を向ける相手なんて、有沢くんを置いてほかにいませんよ。と、そんなことが言えるわけないでしょうに。この私が。
言葉に詰まって目を白黒させていると、有沢くんはふっと艶やかに口の端を釣り上げ、私の耳元で甘い吐息をかけてきました。
「俺の理性を試しているのか?」
「……いいいいいえ、私にはまだそんな試す試さないの次元では戦えません」
「……何と戦うつもり?」
「有沢くんの色気です」
「勝てるのか?」
「っ勝てる勝てないの話をしているわけではありません……」
誘惑されているのかと勘違いしたくなるほど、艶やかな声音と耳に掛かる吐息にお腹がきゅっと引き絞られます。下腹にあまい疼きがはしります。有沢くんに覆いかぶさられ、さぞや私の醜態が際立っていることでしょう。
恥ずかしくて死にたい。
思えば何故、ひと気がないとはいえ、公衆の場で私は有沢くんに拐されているのでしょうか。冷静になって考えてみれば変な話です。私、やっぱりからかわれているのですか?
そうだ、場所と時を選ばない方が悪い。最初から、そういうことを言われるって分かっていれば、私だって少しは心の準備ができたはずです。物事には順序というものがありましてね。その……正気に戻れば分かるかと思いますが。例えば……話があるからと手紙で呼び出してくれれば、何事かと察することもできようというもの。そりゃあ、呼出しともなれば、罵られるか苦情を訴えられるかのどちらかだろうと想像できますよ。
「好きだ」
「あの、わ、分かりましたので……! だから、そのっ」
「誰にも、渡したくない。誰にも触れさせたくない。誰の目にも映したくない……」
ね、熱烈な告白、本当にありがとうございました! そんな切々と求めるような声で私に語らないでください。無駄な甘い囁きに、私の心臓はもうもちません。
「欲しい」
何が、と問うまでもなく。
彼の欲望の眼差しが、私を捕えていました。
真っ直ぐなその視線を浴びて、頬に熱が集中していきます。私は蛇に睨まれた蛙の如く、その場に固まるしかありません。
本気で言ってるの?
「……――っ」
「一ノ瀬が、欲しい。でも……無理強いはしないよ」
それまで私を包んでいた温い体温が、急速に離れていきます。
いや。
どうして? 私が素直に、受け止められなかったから? 先ほどまでは、自分の気持ちを伝えるんだと意気込んでいたにも関わらず、明後日の方向に思考を飛ばしていたから?
お願いします、いかないで。
そんな、彼を引き止める言葉は、動揺している私の口から飛び出すはずもありません。
馬鹿。私の大馬鹿者。
こんなに真摯にきもちを伝えてくれた人を、どうして信じられないのですか。いつもは額面通りに言葉を受け取るくせに、こう言う時だけ及び腰になって……。有沢くんの言うとおり、いざとなると逃げる自分が、嫌い。
素直に好意を受け取れない自分も、情けない。
自己嫌悪に陥っているのに、私の喉は何かが閊えているようで、一息たりとて洩らすことはありません。
有沢くんの背中が、また小さくなる――そう感じたその時。
私の身体は、心に正直でした。
背を向け離れる有沢くんの袖をきつく掴み、酷い手汗で彼のシャツに濃い染みを広げます。爆音で鳴り続ける心臓は、距離を置いた有沢くんに筒抜けではないかと不安になるほどです。そんな動揺しまくりの私とは対照的に、有沢くんは振り返らずに、その場で静かに足を止めました。
「あ……あのっ」
何やってるんだろう、私。
言いたかったことが、あるのでしょう?
私を不安にさせないように、辛抱強く関わってくれた。
男の人で、初めて普通に話せるようになって、安心して隣に居られるようになった。
気付いたら、いつも有沢くんのことを考えていて……居るのが当たり前のように考えていて。私だけが、有沢くんの特別かもしれないと思いあがっていた。
私は、有沢くんの何でもないのに、彼が他の子と楽しそうにしているのが悔しくて、悲しくて。
その事実からも目を背けたくなって、何も知らないふりをしていた。
もう、逃げ続けるのは、やめるって、柊先生にも、速星にも……紫にも。約束したでしょうに。
言わなきゃ。ちゃんと、私の気持ち。
答えなきゃ……。有沢くんは、真剣に、伝えてくれたんだから。
「わ、私……。有沢くんだから、いいんですよ……?」
「……」
答えは、ありません。
「な、何で何も答えてくれないんですか?」
向けられた広い背中に拒絶されているようで恐ろしい。
やっぱり、からかわれていたとか?
肩を小刻みに震わせて、手のひらをきつく握りしめている有沢くんを見て、私は途端に不安になりました。
どうしよう、どうしよう。優柔不断な女だと呆れられたでしょうか。とにかく、何とかしなければ。
「他の人……だと、やっぱりまだ怖いし、不安。でも、有沢くんは……違う意味で、私のことを不安にさせたり、どきどきさせます……。
後輩さんと親しげにしてるのをみるたびに、有沢くんの中に私の存在を見つけられなくて。名前で呼ぶたびに、私との距離を感じて。私はどうあっても、その距離を埋められないんだと思って……。距離が近づくことなんてない。遠く及ばない人なんだと、私が私を嘲笑っていた。周りが言うように、私如きが有沢くんの隣にいることなんて、あり得ないことだと、ずっと思っていました」
私の言葉が伝わっているのか分からない。沈黙を押し通す有沢くんに向かって、私はたどたどしい声で語りました。
「私、自分が嫌いでした……。何をやっても駄目で。平凡で。……私のせいで、周りは迷惑してるって思ってました。
でもね……有沢くんが、私のこと冗談でも可愛いって言ってくれたり、何も言わずに側にいてくれたり、側にいて欲しいって求めてくれたり――私も、一応……そこにいても、いいんだなって思えてきて。有沢くんの側にいると、自分が少しだけ好きになれました。
だから……私にとって、有沢くんは特別です」
伝えるたびに、胸が締め付けられるけれど。ずっと胸に引っ掛かっていたものが、綺麗に抜けていく感覚が私を攫っていました。
相手がどう思っているかよりも、私がどう思っているのか伝えることの方が、ずっと怖かった。
でも、私の気持ちを伝えることこそが、一番大切なこと……。
そんなことに、何故今まで気付けなかったのか、自分でも不思議です。
私は、有沢くんが好き。側にいたい。ただそれだけです。
きゅっと首にかかる銀のリングを握り、私は有沢くんを見上げました。
「……これからも、側に、いてください」
「……それは、友達として?」
驚くほど、平坦な声でした。感情を殺したようなその声音に怯みそうになりながらも、私は腹に力を込めて何とかその場に立っていました。
滲む冷や汗が、一筋私の背筋を伝います。
「ち、――違います」
「……違うんだ」
「好き、です……」
「……」
「好きです、誰よりも」
答えの代わりに、有沢くんはゆっくりと振り返り、熱を帯びた瞳で私を見つめていました。その目に浮かぶ、煽情的な光を見つけて、私の心臓は高鳴りました。
伝えたのはいいけど、この後どうすればいいのかさっぱり分かりません。
はいさようなら、と逃げたい気持ちでいっぱいですが、目の前の彼はそんな私の思いなどお見通しなのでしょう。素早く手を取られ、くいっと引き寄せられます。
逃げられないように、両腕で私を閉じ込めた有沢くんは、何がそんなにおかしいのか、肩を揺すって笑い始めました。ですがそれどころではない私は、昂ぶる感情を抑えきれず、涙が出てくるのです。
泣き顔を見られるのが恥ずかしく、有沢くんの胸に顔を寄せると、優しく背中を叩いて答えてくれました。
「泣くな」
「――……っ」
身体から引き離され、優しい目で覗きこまれます。私の涙の痕を辿るように、瞼、頬に唇が落ちて、最後に啄ばむように唇を奪われました。
「んっ……」
頭は、真っ白です。
何をされているのか、頭が追いつかない。軽く、音を鳴らして。柔らかく、食むようなキスを浴びている。
けれど有沢くんは何だか満足そうで、形のよい唇を釣り上げているし。
さりげなく、頭を撫でられているのにも気付かないほど、私は気が動転していました。その手が首元まで滑ってきたところで、意識を取り戻した私は、恥ずかしさからあたふたと頼りない抵抗を始めます。首は駄目です。有沢くんからもらった、ピンキーリングが光っているのですから。ふるふると首を振り、身を引こうと身体を縮めますが、有沢くんの大きな手は私の身体を包んで放しません。これまでにないほど身を寄せられ、私の心臓は活動限界を超えていました。
顔をそむければ顎をくいっと掴まれて上を向かせられ、舐めまわすように見つめられる。恥ずかしさから頬に熱が集中していきます。
「ななな、何ですか?」
私が耐性ゼロだからといって、試しているのですか?
「俺から、逃げないように」
「……!」
妖艶な笑みを浮かべた有沢くんにたじろぎ、息を呑みます。貴方は、ど な た さ ま で す か。
有沢くんは目敏く私の首に光るリングを見つけると、指でそれを絡めるようにして弄び、苦笑を浮かべて低く囁きました。
「これ……付けててくれたんだ。……リングは首に掛けるものじゃないけどな。指に嵌めるのは、嫌だった?」
「うっ……」
言葉に詰まり俯く私を見下ろし、有沢くんは再び苦笑します。
けれど言えるはずもありません――指に嵌めるのが恥ずかしかったなどとは。それでも常に肌に身につけていたくて、私には首から下げる方法しか思いつかなかったのです。
火照った顔を俯かせていると、有沢くんの吐息が耳に掛かり、
「顔、赤いけど……大丈夫?」
と、甘い声で囁かれるという奇襲を受けたのです。
――逃げの桜、攻めの有沢……私達はそんな風に、紫と速星達から揶揄されていたという話は、後で聞いたことです。
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