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「それにしても……様子を見てくるとか言って行っちゃったけど……大丈夫なのでしょうか」
「ああ、速星?」
残された料理を柳と二人で片付けながら、私は何となく不安な気持ちでいっぱいでした。あの時やっぱり速星を引き留めておくべきだったと、今更ながら後悔しています。
「大丈夫なんじゃない? 桜が何を心配してるのか知らないけど」
相変わらずクールな弟ですね……どうしてこのクールさが私には微塵もないんでしょうか。
「いや……その……何が心配ってわけじゃないんですけど……有沢くんと紫の邪魔になってないかなって……」
だってきっと、速星は有沢くん大好きだから、紫と仲良くしてるところ突撃していって……全部ぶち壊しとか恐ろしいことが起こりそうな……嫌な予感しかしません。
「……桜ってさ、有沢くんと紫ちゃんにどうなってほしい? てか、有沢くんにどうなってほしいの?」
突然、心臓に冷たいものを当てられたような気分でした。まさか柳がそんなこと聞いてくるなんて思わなかった。
「あ……えーと。うーんと……付き合えばいいと思いますよ」
「へえ……。そう。なんとも思わないのかー。桜って本当に鈍感だよね、まあ面白いけど」
え。私って鈍感なのでしょうか。そりゃ確かに機敏ではありませんけど……。
「有沢くんと紫ちゃんが仲良くしてるのを見ても、何にも思わないの?」
柳の涼しげな切れ長の瞳が私を捕らえて離しません。私はその場に固まって動けなくなってしまいました。
「あ、えと……そうですね。ちょっと、寂しい……かもしれません。あと、胸が、苦しくなるかも……しれないです」
散々困ってやっと出した私の言葉に、柳は口の端を釣り上げてにやっと笑いました。小悪魔です。目の前に小悪魔がいる。私をいじる時の柳は……何ていうか、いつもに増して輝いています。
「それって……嫉妬? 誰に対しての嫉妬なの?」
誰に対して……? それは――今答えを出さないといけないことなのでしょうか。真っ直ぐ見てくる柳の澄んだ瞳が怖くて、私は視線を泳がせていました。なんでこんなに心臓が早鐘を打っているのか、何でこんなに緊張するのかよくわかりません。
何だろう、そう、まるで誘導尋問されているような気分です。柳って、柳って……怖い。私が今まで触れないように、考えたくないって思ってたことをわざわざ聞いてくるなんて……。
「わ、私ちょっと様子を見てこようかな!」
「おい――」
柳が何か言う前に、逃げ出すように私は走り出しました。
――怖かったんです。自分の気持ちをはっきりさせるのが。
速星の姿は、すぐに私の目に留まりました。私の思っていたような展開にはまだなっていないようで、ひとまず胸をなでおろし、そのまま私は速星のもとへ駆け寄ろうとしました。
「おーい」
「え、……桜? ちょ、待った。今こっちくんな!」
何か言ってるみたいですが、声が私の方まで届かなかったからよくわかりません。
「え? 聞こえませんけどー」
聞き直そうと思って再び走り出した時、どれだけアホなのか……私は自分の浴衣の裾を踏んでそのまま前につんのめりました。やばい、前には速星がいるのにこのまま転んだら……。
「あ……!」
転んだら、痛そう。
「馬鹿! ドジ!」
何故か罵る声だけはよく聞こえたけど、言い返す余裕が私にはありません。そして、景色がゆっくり流れていき、ドスっという鈍い音が廊下に響きました。
「あ……ごめんなさい! だ、大丈夫ですか?」
「いやあの、その大丈夫だけど……お、おっ」
どうしてこうなったのか、気付いたら私は速星を下敷きにしていました。これじゃあまるで、私が速星を押し倒したみたいで……傍からみたらこれなんて痴女じゃないですか。
「ごめんなさい、お、重いですよね、すぐどきますから!」
速星の顔は真っ赤になっていました。顔を赤くするくらい私の重さに耐えきれなかったんですね、圧死させる前にどきますからね。床に手をついて、私は腕に力を入れました。
……え。何故か起き上がれないんですが。
「あの……速星くん。手が……」
「手がどうかしたの? 自分が被害者だとか思ってるわけ? 勘違いもいいところだよね!」
速星の腕がしっかり私の腰のあたりに回っているため、抜け出せません。それなのに勘違いとか罵られた私って。
「それになんか硬いものが太ももに……」
「は? 何言ってるの? だから勘違いだってこの淫乱女!」
いきなり罵られました。事実を述べただけなのに。
「いやあの……すみません。でもこのままだと、私たち完全に浮いてますから、とりあえず離れましょうよ」
「あ、ああ……ごめん」
私がどいても、まだ速星の顔は赤いままでした。もしかして、熱でもあるんでしょうか。魔王に触るのなんて恐れ多いけど、そんなこと言ってられません。私は迷わず、速星の頬に手を当ててみました。
やっぱり、なんか熱い。
それに、さっきから速星の心臓の音が異様に早いというか……結構激しい動悸がしてるんですよね。熱もあるし、脈も速いみたいだし、風邪ひいたのかもしれません。
私はじっと速星の目を覗き込みました。目は……赤くないけど。
「なっ、何……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だからっ! 馬鹿! 近寄るな!」
怒られました。私は本当に心配してただけなのに。でもこれで風邪だったらいけません。
「息苦しくないですか?」
「はあ……? 何でそんなこと……」
「速星くんのことが、気になるからです」
あ、この言い方、おかしかったかもしれないですね。正しくは、速星のことが心配だからって言いたかったんですけど……。
「? どうしたんですか? 私の顔に何かついてます?」
いつになく速星の表情は真剣で、どことなく緊張していました。
「それってさ、それって……」
つられて私も緊張して、顔の筋肉が強張っていきます。
「あらあら、うふふ」
そんなよくわからないシリアスな場の空気をぶったぎったのは、聞きなれた優しい声でした。
「二人とも、こんな往来のど真ん中で何やってんの?」
「ゆーさぁん」
「はぁい?」
私の情けない声に、紫は笑って答えてくれました。やっぱり紫は私の天使です。その後ろから、有沢くんが目線を泳がせて突っ立っていました。話は……もう終わったんでしょうか。
「で、何してたの?」
速星に詰め寄る紫の目は、いつになく輝いて……ってこれ、さっきの柳と同じような感じじゃないですか。
速星は、生唾を飲み込み、紫の大きな瞳から逃れるように視線を泳がせています。はた目から見ても、こいつ動揺してるんだなってわかります。
「いや、別に何もしてないし。誓って本当だよ。俺はただのラッキー……じゃなかった、被害者だ。桜が俺を押し倒して、危うく桜のおっぱ……いやいや重さで悶……圧死するところだった」
速星のしどろもどろの言葉に、紫は口の端を釣り上げて生温かい笑みを浮かべました。
有沢くんなんて、信じられないって顔で私のこと見てるし。今の話じゃ私が完璧ただの痴女じゃないですか。有沢くんにも私が痴女だって思われたかもしれない。そんなの嫌です。私は速星がもっと事実を歪める前に、弁解しようと紫に泣いてすがりつきました。
「お、押し倒してなんてないです。ただ裾踏んで転んじゃった先にたまたま速星くんがいただけなんですよ! 速星も、ご、誤解を招くようなことを言わないでください! 私は自分の不注意で転んだだけですからね! 勘違いしないでくださいね!」
紫は私の話を適当に相槌を打ちながら聞いてくれ、生温かい視線で私を見下ろしてくれました。なんだろう、すっごく適当にあしらわれた気分。有沢くんなんて、憐れみの籠った目で私を見下しているような……あ、私の被害妄想ですかそうですか。
「はあ。そうなんだ。ラッキーすけべの速星くんは、桜のおっぱいで悶死するところだったんだね、よかったね、通報されなくて」
「何でそうなるの! 番長俺の話全然聞いてなかったの!?」
「だって、私にはそう聞こえたし。蘇芳もそう思ったよね?」
「もう死ねよお前」
滅多に人を罵ったり、悪口を言わない有沢くんが、死ねと言いました。これには、私も驚きを隠せません。
「え、何で俺は有沢に死ねとか言われなきゃなんないの? もしかして、妬いてるの?」
「…………」
私にはついていけない目に見えない争いが、速星と有沢くんの間で勃発しているようです。しばらく無言で睨みあったまま、二人とも動きませんでした。……ていうか、私を間に挟んでそういう争いをするのはやめてほしいんですけど。空気が痛くて、身動きがとれません。目で紫に助けを求めると、紫は苦笑して頷いてくれました。
「はいはい、やめようねー二人とも。桜が困ってるよ」
速星は強張っていた表情を和らげて苦笑し、私の肩を軽く叩きました。
「ああ、悪いな桜。俺ちょっと、頭冷やしてくるわ。有沢、お前も来いよ」
「……いいけど」
不敵な笑みを浮かべ、有沢くんは速星の誘いに乗じて二人で夜の闇の中に消えていきました。
「ゆーさん……」
「何だよ」
私の声は、いつになく不安感がにじみ出ていました。
「痴情のもつれって……怖いですね」
「……そうだね」
◆
紫と部屋で二人きりになってから、紫は有沢くんと何を話していたのかを教えてくれました。
「私さ……ちゃんと言ってきたよ」
「え?」
「ちゃんと、蘇芳が好きだって言ってきたよ。振られちゃったけどね」
紫は笑ってさらっと言ったけど、私はその言葉を理解するのにちょっと時間がかかりました。好きって言ってきた……。で、振られた?
呆然とする私の顔をつままれて、私はぶっ飛びッけていた意識を取り戻し、思わず叫んでしまいました。
「何ですかそれ!!」
両耳をふさいで苦笑する紫。え、どういうことなの。紫を振るなんて、有沢くんてもしかしてすっごく馬鹿なのかもしれません。
「嘘でしょ!?」
「嘘じゃないって。あいつは、好きな子がいるんだって」
「す、好きな子……」
誰ですかそんな好きな子とか。どう考えても紫なんて有沢くんの好みドストライクじゃないですか。紫以上に可愛い子なんて……いるかもしれないけど、紫は有沢くんとの波長も絶対合うし、見ててお似合いなのに。あー私の心臓がなんか爆発しそうです。
好きな子……か。奴に好きな子とかいるって事実が、一番衝撃的でした。何その新事実。私には何にも言ってくれないのに。やっぱり、ただのルームメイトだから……有沢くんの友達ってわけじゃないのかもしれません。ただ私が一方的に好意を持ってるだけで、向こうはきっと何も思ってないんですね、わかりますよそれくらい。
好きな子……いるのか。
「そう、好きな子。で、その子もね、きっと蘇芳のこと好きだと私は思うんだけど、桜どう思う?」
「……うーんどう思うって言われても……」
紫は澄んだ目で私を見上げてきます。
「もし、有沢蘇芳がその子に好きだって言ったら……桜、どう思う?」
「わ、私は……別に」
有沢くんが、誰か女の子に告白したら? 別に……いいんじゃないですか。付き合えばいいんじゃないですか。有沢くんのことを嫌いになる女の子なんて、きっといないと思うし……。
何か、生ぬるいものが頬を伝って落ちてきました。
「――別に? そうやって、泣いちゃうの?」
「へ? あ……私何で泣いてるんですか?」
気付いたら、悲しくて、でもなんで悲しいのかよくわからなくて、ただ胸の奥が、むずむずしました。
「何で、泣いてるんだろうね……私も」
はっと顔を上げたら、紫も涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、笑っていました。
「ごめん、誰かの前で泣くつもりなかったんだけどね……。特に、桜の前では、泣きたくなかった……。泣いてたって、蘇芳には言わないでね」
涙を一生懸命抑えようとして、嗚咽を漏らして話す紫。
「私、結局何の力にもなれませんでした。ごめんなさい」
「あ、謝らないでよ! 桜が謝ることじゃないし」
紫と背中合わせに座って、私は思っていたことを吐き出しました。多分、顔が見えない今だから、言えたことだと思います。
「謝らせてください。私、有沢くんと関わっていくうちに、時々紫と有沢くんに嫉妬したりしてました。二人の仲を羨んで、うまくいかなければいいのにって思ったこともあります。最低ですよね……」
「……最低だなっ」
そう言う紫の声は、何故かとても明るくて、笑っているようにも聞こえました。
「でも、お互いさまだな。私もそう思ったことあるし。今更って感じだよ、全部さ」
「そうですか……」
私は小さく笑いました。
「私、先生に言おうと思うんです。部屋を変えてくださいって。だってほら、紫が有沢くんに告白した今、私が無理して有沢くんと一緒にいる必要ないと思うんですよね。有沢くんだって、今までずっと一人部屋だったんだし、そのほうが、いいと思うんです」
そう、有沢くんと私と紫をつないでたものはもう、切れてしまいました。だからもう、一緒にいる必要はありません。そう思って言った言葉でしたが、自分のなかでも納得がいかないというか、それでいいのかなと思うところもありました。
紫は深いため息をついて、呆れた、と小さく呟きました。
「桜って、何考えてんのか未だに謎だわ。桜の頭の構造を解明することができた奴は天才」
「え? ええ??」
「桜は、有沢蘇芳のこと……どう思う? 何でもいいよ。一緒にいたいとか、気持ち悪いとか、離れていたいとか……ほら、色々あるでしょ?」
「うーんと……最初はそりゃあ怖かったし、離れていたいと思ってましたけど……今は、違う気がします」
紫は鼻で笑いました。
「それで?」
「でもほら、生活環境を共にするって、あっちも私もストレスっていうか、私は一緒にいてもあの、緊張ばっかりしちゃって、この学校に転校してきてから心拍数ずっと上がりっぱなしだし……。でも、近くにいても、別に……嫌じゃ、ないです」
そうか……私、別に有沢くんのこと嫌じゃないから、別に部屋変えてもらわなくてもいいのか。
「あ……私って、馬鹿ですね」
自嘲する私に、紫はただ笑って答えただけでした。
「じゃあ、温泉行こうか!」
たぶん、胸は当たっていたんだと思う。ラッキースケベ速星。
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