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来たんだと思います。やつの時代が。
3章 変か恋か
22
「いよー! さーくら。元気かぁ? 遊びにきてあげましたよーっと」
 明るい声が病室に響きました。私はノートに落してた顔を上げ、眩しい笑顔の紫を見上げました。
「ゆーさん!」
「もしかして、また痩せた……? 前より小さくなった気がするなあ」
 少し寂しそうな笑いを浮かべ、紫は大きなアーモンドみたいな目で私の顔を覗き込みました。しかし来るたびに同じことを皆言います。前より小さくなった、前より痩せたって。自分でもそう思いますけど。あーあ、私の努力のたまものが、こんなところでぱーになるなんて……一体誰が想像したでしょう。
「多分、病院食は質素だから……じゃないですかね。それに私、先生からこれ以上太ると病気になっちゃうよって注意されちゃって……。だから今減量中です。その結果少し小さくなったかもしれませんね」
 紫は手にぶら下げていたスーパーの袋を白いテーブルの上に置いて、椅子に腰かけました。
「えー、そうなの? なんだ、せっかくお土産に桜の好きそうな甘いお菓子を買ってきてあげたんだけどなーこれもお預けかな。お前の弟食べる?」
「はい、柳は甘いお菓子好きですよ」
 甘いものが好き……か。
 そういえば、入院してから一度も有沢くんの顔をみていません。そりゃ入院してるんだからあたりまえなんですけど、なんていうかこう……。今まで毎日顔を合わせていた人がいないって思うと、なんかちょっと寂しいなとか、よくわかんない感傷に浸ってしまいます。うん、別にいいんじゃないですかね。有沢くんもきっと私のような巨体が部屋にいなくて以前と同じような状態になって清々していることでしょう。
「あ、あと蘇芳だけどね、あいつ風邪ひいて動けないから、代わりにこれくれたよ」
 そういって、紫は私に一枚の紙切れを渡してきました。
「…………っ」
 私は、言葉がすぐ出てきませんでした。

 ――はやく元気になって、戻ってきて。待ってる。

 たったそれだけだったけど、それだけなんだけど……すごく、嬉しくて。有沢くんらしいといえばらしいですね、たったこれだけの文とか。本当に有沢くんは……――優しい。
 でもこれ、本心なのか、それがいまいちわからないところですけど。あれか、もしかして色紙みたいなものなんですか。不登校の同級生に皆で書くあれみたいなものでしょうか。早く学校に戻ってきてね、待ってるからね、みたいな。
 ……ですよねー。
「よかったね、桜」
「え……?」
「なんか嬉しいこと書いてあったんでしょ? 顔に書いてある」
「え、ええ!?」
 そう言われると、なんだか急に一瞬でも喜んでたことが恥ずかしく思えてきて、湯気がでそうなくらい顔が赤くなってるのが自分でもわかりました。いやだ、どうしよう。すごくはずかしい。
「あははっ。桜は多分一生懸命隠そうとしてるんだろうけど……全部顔に出てるよ」
「う……はう……。ち、違います。なんていうか、小学生の色紙みたいな文章だったから……その……でもあの……嬉しかったというか……つまるところよくわかりません」
 私の顔を見て面白そうににやにやする紫は何故かいつもより意地悪に見えました。


 紫は何かを言おうと口を開いてはためらうように閉じ、そして溜息をつき。すごく言いにくそうに、私の顔を伺って、また溜息をつき。そんなことを繰り返すこと数回。ついに決意したように紫が言葉を発しました。
「あのさ……今日は私の他にも連れがいるんだけど……ここに入れても大丈夫?」
「?」
 何でわざわざそんなことを言うんでしょう。不思議ですね。首を傾げていたら、私が頷く前に紫は病室のドアを開け、二つの影を招き入れました。

 それを見た瞬間鼓動と呼吸が停止するかと思いました。

「……え……あ……」
 蜂蜜色の髪から覗くのは、私を気遣う目。今日は黒縁めがねをしていませんが、これが誰なのか一瞬の間をおいてようやくわかりました。
「桜……」
 全身硬直し、動けなくなった私を見て困ったような、なんとも言えない顔の速星。それから……。
「……放してったらッ痛いよぉ楓!」
 私の瞳孔は、桃色の影を映しだし、ロックオンして開いたまま閉じなくなりました。
 桃耶さんは、乱暴に速星の手を振りほどき、私を憎しみのあふれる目で睨みつけてきました。
「何でこんなところにつれてきたの!? 楓が今日は一緒に遊んでくれるっていうからついてきたのに! なんでこんな、頭のいかれたような奴が入院してるとこにこなきゃいけないわけ!? 意味わかんない! 全部こいつの被害妄想じゃん! 桃には関係ないじゃん!」
「…………!」
 いきなり甲高く大声でわめかれ、私は条件反射のように、亀のように首をすくめ、ベッドの端へ逃げ隠れました。実際のところ、全然隠れられていません。頭隠して尻隠さずというやつですね。私の口からは、自然と出るべき疑問が言葉としてでてきていました。
「どうして……?」
「あ、桜……ごめんな。速星が桃耶も連れてきたいってい……」
「どこまで私のことをいじめれば気が済むんですか!? わ、私……まだ桃耶さんに会いたくないのに……! 出てってください! あ、あなたの顔を見たくなんてありません!」
 自分でも驚きました。こんな大きな声、出せたんですね。紫が何か言っていたけど、私の声にかぶってほとんど何も聞こえませんでした。だけどそれくらい、すごくショックでした。どうしてこう、私の嫌がるようなことばっかりこの人はするんでしょう。わたしはあなたの恨みを買うようなことを何かしたんですか。前世で何か因縁でもあるんですか。それとも何か私が忘れてるようなことで、あなたになにかひどいことでもしたんですか。
 速星は一瞬言葉に詰まったようで、それから頬を赤く染め、顔を歪め私たちに背を向けました。
「ああ、もう来ないよ……」
 そう言い捨てると、速星はすごい勢いで部屋を飛び出し、どこかに走り去ってしまいました。桃耶さんも後を追うように部屋を出ていき、残された私と紫は、呆然と開かれたままの扉の外を眺めていました。

 なんかもう、開いた口がふさがりません。
 怖かった……。速星は本気で怒っていたように見えました。私が泣き出さなかったのが不思議なくらいです。
 でも大丈夫、もう恐怖の大魔王も、恐怖をばらまき散らす女王もここにはいません。やっと元の平和がこの部屋に訪れたんですね、森のくまさん的な意味で。
 部屋に取り残された私と紫は、お互い黙ったまま、ベッドに腰かけました。
 恐怖から解放された安心感で、私は胸を撫でおろしました。そんな私を、紫は複雑そうな顔で何か言いたそうにじっと見つめてきました。
 く、くぁああかわいい。
 そんな綺麗な一点の曇りもない瞳で見つめてこられると、なんだかとても自分が汚いもののように感じます。これが最強とうたわれた伝説の森の子リスの最終兵器ですね、わかります。こんな目で見つめられた日には、戦う本能も失せるというものでしょう。
「あのさ……桜には言ってないことなんだけどさ……」
 私は首を傾げ、紫のことば促しました。
「はい……」

「桜を最初に助けてくれたのって、速星なんだよ」

「え……」
 そんなの、初めて聞きました。思わず絶句。その場に固まって動けなくなりました。手足がコンクリートで沈められたみたいに動かなくて、口が異様に渇いて、何度も唾を飲み込んで渇きをうるおしても、渇いた口は潤いません。舌がしびれて、言葉が出てこない。
「あのときの桜は精神状態が不安定で、何を言っても多分受け入れられなかっただろう……ごめんね、黙ってて」

 速星が、私を助ける……そんな超常現象、この世に存在するんですか。魔王がレベル1の雑魚を助けるとか……何それあり得ないでしょう。今のわたしは、ただのすっぴんで、ただの雑魚で、ラスボスが、え……。

「あいつさ……桜が桃耶とどこかに行ったまま帰ってこないって聞いて、私の言葉を最後まで聞かずになりふり構わず雨の中飛び出して……本当にいてもたってもいられないって感じだったよ? それで……桃耶から桜にしたこと聞いた後は、まっすぐ桜のところに向かって……。ずぶ濡れでさー……。一番最初に駆けつけてくれたのに、蘇芳には本気で殴られるし、私もあの後殴ってやったけど……あいつも悪いんだ、だからしょうがない」
「え……」
 さっきから私、「え」しか言えてない。もうこの先「え」しか言えなかったらどうしましょう。
「このことさ、速星から桜にだけは絶対秘密にしてくれって言われてたんだけど……桜、速星のこと嫌いでしょ。だから、こんなこと言って混乱させたくなかったんだって。バカだよねー。何かっこつけて助けておいて秘密にしろとか。お前はなんですか、特撮ヒーローにでもなるつもりですか」
 それにしてもそんなに簡単に秘密を暴露してもよかったんですか……。なんか、すごくかわいそうじゃないですか……。
「わたし……速星にひどいこと言っちゃった……んでしょうか。よく考えてみたら、わざわざすっごく嫌いな人のところにお見舞いに来る人なんて常識的に考えていませんよね……私の常識なんてたかがしれていますけど。それなのに、私……出てってとか、汚い寄るなとか……ひどいことばっかり言って……それは速星だって怒るはずですよね……」
「うん、汚い寄るなは言ってないと思うけど、そうだね」
 もしかして、わたしすごく速星を傷つけた……?
 せっかく心配して来てくれた人を……。こんな私を、ひとかけらでも心配してくれた速星を……。私の胸に広がった罪悪感。こんな嫌な気持ち、引きずっていたくありません。
「わた、わ、わたし……あ、あの……」
 動揺のあまり、紫の腕にしがみついて支離滅裂な言葉を発していますが、私本当にどうしたらいいのか全然わかりません。思考が止まりそうです。思考が止まったら本当に「え」しか言えなくなるかもしれません。
「どうしよう、どうしよう……」
「とりあえず落ち着こう。ほら、私の目を見て。深呼吸して。はい吸って、はいてー」
 私は紫に促されるまま、深呼吸し、胸の動悸をなんとか落ちつけようとしました。
 まさか、速星はこれを狙って……だとしたらあなたの計画は完ぺきです。私の負けでもういいじゃないですか。
「大丈夫、そのうち速星も帰ってくるよ……。そんなことでいちいち動揺してどうするよ。桜は優しすぎる……。何で自分があんな状況に追い込まれたか、わかってないでしょ?」
 
 そう言って待つこと数十分。どんなに待っても、逆立ちしても体育座りをしても、速星は私たちの元へ戻っては来ませんでした。空に陰りが出てきて、雲行きがなんだか怪しくなりそうな気配です。
「やっぱりもう帰っちゃったんでしょうか……」
「なんか、しゅんとなって可愛いな……」
 私がバカだから……お礼の一言も言わずに追い返したから……。私のこと、嫌いだから……もう、帰ってこないんでしょうか……。
 もう、二度と来ないんでしょうか。私にあやまる機会も与えず、お礼を言う機会も与えず……。胸糞悪い。

 ――胸糞悪い。

 わたしは気付くとベッドの下に転がったスリッパをひっかけて、廊下に飛び出していました。


 ◆ ◆


 夕方になって、ちょうど涼しい風も吹いてきていた。東の空には薄らと月が浮かび始めていた。夜が徐々に近づいてくる……。
 屋上から見える街は夕暮れに染まって、金色に輝いて美しい。街を包む金色とは対照的に、空は群青色に染まって、夜と夕が混ざり合っているような……街はまだ昼の名残で明るいのに、空はもう夜だ。不思議な感じで、無駄に感動した。沈んでいく夕陽は、今までのどんな夕陽よりも丸くて、オレンジ色をしていた。
 空はみているだけで飽きない……。

 ――で、こんなところで自分は何をしているんだろう。

 速星は瞼を閉じて大の字に屋上で寝そべっていた。
 出て行ってと言われただけで、正直こんなにショックだと思わなかった。大体、もう来ないとか言ったのは、売り言葉に買い言葉で、自分でも収集が付けられなくなって……。
 別に桜と口喧嘩するためにきたわけじゃない……。
 だけど今更、どんな顔をしてあそこに戻れと……。さんざんかっこつけてもう来ないとか言っておいて、戻るとかカッコ悪いだろう。そんなことできないだろ普通。

「……こんなところで寝てると、風邪引きますよ」
 そんなことを悶々と考えて不貞寝していると、頭上から柔らかい声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声だけど、彼女は決して自分の前でこんな柔らかい声を出さない。
「…………」 
 目を開けなくても、彼女が困っているのが、手に取るようにわかった。本当に寝ていると思っているのだろう。放っておけ、お前は非道な女なんだろう。男を弄んでぽいするような女だっただろう。放っておけ。そしてそのまま部屋に帰ってくれ。
「あの……」
 速星は、自分の隣に人のぬくもりを感じた。こともあろうか、桜が自分の隣にねっ転がってきたのだ。
 ――お前男性恐怖症のくせに……何やってるの、バカなの。こんな不貞寝してるような奴のことなんて放っておけばいいのに。
「……空、綺麗ですよね……。半分から下は金色で、半分から上が深いあい色で……」
 しかもどうでもいい話しを始めた。風が少し冷たくなってきた。早く戻らないと、桜の方が風邪をひく。速星も戻りたいと思い始めたが、桜がここにいては起きることもできない。 
「なんか勢いで、病室飛び出して、気付いたらここに来てました……もしかして、ここにいるんじゃないかなって思って……。まあぶっちゃけるとあちこち歩き回ってここにたどり着いたんですけど」
 ――そこはぶっちゃけない方がよかったんじゃないか、桜は正直すぎる。
 桜は、速星のことを無視し、話し続けた。
「ごめんなさい」
はっきりと、桜はそういった。いつものどもったようにではない。
 速星の鼓動はどんどん早くなっていった。胸が締め付けられるようで、内臓が捻り出されるような、全身痒くてしょうがなかった。
「私、せっかく速星が来てくれたのに……ひどいこといっぱい言って……。後ですごく嫌な気持ちになったんです。それに……」

 まだ続くのか。胸の苦しみを抑えては速星はぎゅっと目を瞑った。
 
「あの……その……たすけてくれて……あ、ありがとうございました」
「……!?」
 がんばって眠っているふりを続けていたは速星は、思わず飛び起きてしまった。鼓動がどんどん早くなり、このままでは心臓が吐き出されるかもしれない。そうなったらグロテスクだなとか、どうでもいいことを考えつつ、速星は桜の肩を揺すった。
「ちょっと待て、何でその話を知ってるんだ、桜」
「え、えええ……!? ど、どういうことなんですか……!? 眠ってたんじゃ……」
動揺して顔をあかくしたりあおくしたり、目を白黒させる桜につられて速星も気が動転した。
「ええ、どういうことなの……?」
「あの、あの……えっとあの……だからごめんなさい、ありがとうございました。紫から聞いたんです。あの、あの……わ、私……それ聞いてすごく感動したっていうか、うれしかったというか……」
 桜は、何故自分がこんな目に逢わなければならなかったのか、わかってないのだろうか。それとも、わかっていて自分に礼を述べているのか……どっちにしても、桜の今の言葉は、速星の胸に妙に音を立てて響いた。

 桜は顔を真っ赤にして、恥ずかしい、死にたいとか連呼して、その場から疾風のごとく消え去った。
 
「え……。なんだったんだ今の……すっごーい、可愛い……」

 動悸がした。息切れもした。動いてないのに。

 なんか、一ノ瀬桜が妙に可愛いと思える自分がいる。そして今、すごくこいつを抱きしめて、できることならキスしたいという煩悩を持った自分もいる。

 そして、速星は気付いた。
 
 俺、速星楓は……一ノ瀬桜のことが今も昔もすごく好きなのかもしれないと。
ここまでくるのにどんだけ時間かかってるんだよって話しですね。速星のターン。
今回も読んでくださりありがとうございました。スイーツってなんだろう。

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