ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
前回の数分後のお話です。
2章 ピンクの悪魔
20
 
 ◆ ◆

 「なあ、桜見なかったか?」

 勢いよく部屋のドアが開かれ、突然の小さくて最強な来訪者に速星楓は驚いていた。彼女は番長と呼ばれている。彼女は頬を桜色に上気させ、息も切れ切れだった。こんなに慌てている番長を見るのは、初めてかもしれない。

「どうして俺に聞くかなぁ、そういうこと。俺は桜の保護者じゃないんだけど?」
 肩で大きく息をし、呼吸を整えてから彼女は速星を睨みつけた。
「……こんなに荒れた天気なのに、あいつ、まだ寮に帰ってきてないんだよ? もう今日は授業もないし、部活もない……おかしいだろ、インドア派のあいつがどこにもいないなんて」

 一瞬の閃光が空を裂き、その直後に割れるような轟音がとどろいた。
 なぜだかわからないが、速星の鼓動が一つ大きくなった。

「あのねえ……桜だって子供じゃないんだから、そこまで心配しなくたって大丈夫だろ? 図書館とか、掃除当番とか、色々考えられるじゃないか。大体、なんで俺のところにくるんだ? 俺、めちゃくちゃ桜に嫌われてるでしょ? おかしくない?」
「……お前なら、桜を拉致監禁くらいしかねないだろ。馬鹿だなあ」
「馬鹿って番長……なんで俺が罵倒されなきゃならないの?」
 そんな速星のつぶやきを無視し、紫は窓の外に映る南校舎を眺めた。窓に打ちつけられる雨粒は、滝のように流れていく。

「……今日さ、桜、桃耶と話をしに行ったんだよ。一人で行くって言うから、桜の決意を邪魔しちゃだめだと思って。なあ、これって絶対おかしいよな? お前が仕組んだんじゃないの? 本当に。――蘇芳も今、学校の外まで探しに行ってるけど、でももしかしたらまだ学校のどこかにいるかもしれない……」
「……なんだよそれ」
「……なあ、速星。桃耶に電話なりなんなりしてみてくれよ! 桜に何かあったらどうするんだよお前! ってどこ行くんだ!」
 傘を片手に部屋を飛び出す速星の後ろ姿に向かって叫んでも、速星が振り返ることはなかった。



 雨は激しさを増し、一向にやむ気配はなかった。灰色の雲で厚く覆われた空から大きな雨粒が降り注ぎ続ける。暗い色に包まれた景色の中で、桃色の髪をした少女の後ろ姿は異様なくらい目立っていた。傘を傾け、まだ夕方なのに夜のように暗くなった空を、少女は一人眺めていた。
 桃耶は、速星の姿が視界に入るなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。
 速星は絡みつく桃耶の腕をさりげなくどかして、一ノ瀬桜の所在を知らないか尋ねた。すると桃耶は忍び笑いを漏らし、耳元で囁くように答えた。
「乱交パーティーだよぉ? 一ノ瀬ちゃんが喜びそうでしょ? きゃははっ」
「は……?」
 桃耶は速星から一歩離れると、傘を片手にくるっと一回転し、眩しいくらいの笑みを浮かべた。桃耶の声はあまりに明るく、とても不穏なことをいう。
 乱交、その言葉が速星には引っかかった。嫌な予感しかしない。

「一ノ瀬ちゃんてさー、男の子が苦手なんだってぇ。桃はそんな一ノ瀬ちゃんのために、男の子ともっと仲良くなれるようにしてあげたのぉ。ほら、近くの高校の友達とか呼んでー……」

 泥水のしぶきを上げてその場に落ちた傘。速星は全身の力が抜けたように、呆然と前を見すえた。

――なんだよそれ。

 濡れた両手を握りしめ、唇が白ばむくらいかみしめる。激しさを増した雨粒がメガネに当たり、視界がぼやけた。 
 桃耶は無邪気に笑い、雨の飛沫で濡れる速星の顔を覗き込む。
「ねえ、桃、楓が喜ぶことがしたかったの。一ノ瀬ちゃんのこと、気に入らなかったでしょ? ほめてほめてー。ああ、見せてあげたかったなぁ。一ノ瀬ちゃんのあの顔ッ。体育館倉庫に閉じ込めてやったんだけどー。なんかぁ、この世の終わりみたいなぁ、絶望的な顔でねぇ……」

 桃耶は、言葉を失った。
 黒縁めがねの奥にある瞳孔が大きく開かれ、激しい怒りにもにた感情がくすぶっているようだった。
 桃耶のことは、視界に入っているのかいないのか、目があっても、そこに速星の意識はない。 
 
 
「……なんでそんな顔するの………?」
 雨の中をずぶ濡れのまま走る金髪の少年の、小さくなった背中を見つめながら桃耶は呟いた。彼の姿は、南棟の体育館の中へ消えていった。
「桃は、桃は……ただ……」  
 
 
 ◆

 急な静寂の訪れ。
 さっきまで聞こえていた忍び笑いとか、私を殴る音とか、私の体がどこかにぶつかる音とか……。全部嘘のような静けさ。

 私は暗闇の中で溶け込んで、体の形を失ってしまったような、変な感じを味わっていました。体重の重みも感じないし、ふわふわ浮いてるような、不思議な感覚です。今なら空が飛べる気がする。
 ああ、これは夢なんだ、なんとなくだけどわかります。白い影がぼんやり浮かんでいて、不思議に思って闇の向こう側に手を伸ばしてみると、堅くて冷たい壁にぶつかりました。
 鏡です。顔と、手、膝だけが青白くて、不気味すぎる。
 鏡の向こうに映る私の体は何故か昔のようにとても細くなっていて、紺色の生地でえんじ色の線が三本入ったセーラー服を着ていました。これは……中学の時の制服です。
 懐かしいなあ。この頃は親に反抗していて、一言も口をきかないなんてこともよくありました。
 それにしても。昔は細かったんだなぁと改めて感じます。試しにお腹の肉を掴んでみたところ、掴めたのは皮でした。今の脂肪ばかりの体からは想像もしがたいことです。まあ、都合上細くないとできないようなことをしていたから、仕方ないんですが。

 
「僕も好きだよ、桜ちゃん……」

 ――誰だろう……。どこからともなく声が聞こえる。怖くなって後ろを振り返ると、背の高い男の人が立っていました。
 左耳に銀色のピアス。漆黒の癖のある髪に見え隠れする紫のつり目。彫の深い整った顔立ち。俗に言う、美形という分類に入る容姿だと思います。

「だから――他の奴なんて見ないで」
 背後から伸ばされた氷のように冷たい手が、私の両目を覆い隠しました。
 私の胸は、かつてないほど高鳴っていました。不安と、恐れが胸にあふれているのに、言葉が喉に詰まって、出てきません。心に広がっていく冷たい感情。だけど……どうすることもできない。
 この手を振り払えないのは……どうして?

 どうして……どうして、私を縛るんですか……? 



――ひゃあ。
 
 冷たい……。
 頬に、水のようなものが垂れてきた……?
 違う……、もっとぬるぬるして、生温かいもの……?
 

「何してるの?」
 
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。
 許して、許して……もうやめてください。

「何、泣かせてるの?」

 お兄ちゃんが来る、お兄ちゃんが……。
 お兄ちゃん怒らないで。ごめんなさい。 
 痛い、痛いよ……。
 近づかないで、それ以上こっちに来ないでください。

「げ、お前は……ッ」
「桜から離れろよ……!」

 いや、そんなに強く手首を掴まないで。痛い。
 ごめんなさい、どこにも行かないから、離して。

 殴ったりしたら、だめですよ……。痛いから。
 人の上に馬乗りになったり、ぼこぼこに顔を殴ったり……本当に暴力的な人ですね、お兄ちゃん……。
 お兄ちゃんの白いシャツが、血だらけですよ……。困りましたね、本当に。

「おい大丈夫か!?」
「歯が、歯がッ」
「お、覚えてろよ!」

 私の肩を抱いて、私の顔を覗き込んで、私の名前を繰り返し呼ぶあなたは、誰ですか……。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」 
「……桜」
「謝るから、もう痛いことしないでください……」 
「……唇、切れてる。それにこんなところに痣までつけられて……。もう大丈夫だから」

 冷たい指が私の顔に伸ばされて、壊れそうなモノでも扱うかのように唇をなぞる。おそるおそる触るその手は冷たくて、どうしようもなく私を不安にさせる。
 
 視界が揺れる。

 ぽたぽた垂れる水滴。
 冷たくなった手……。
 蜂蜜色の髪、黒縁のメガネ……。

「あなたは、誰? 柊お兄ちゃんじゃない……」
「……え、ちょっと。大丈夫か?」
「いや……こっちに来ないで……!」
 
 怖い、怖いよ……。ごめんなさい、ごめんなさい……。もう痛いことしないで――。
 早くここから逃げなきゃ。

「えーと……とりあえず落ち着こう、な? ほら、俺の上着貸してあげるから……そんな格好でずっといられると目のやり場に……じゃなかった、風邪引くよ? っておい、そんな格好で外に出るなってば!」
「何で怒鳴るんですか? 何で……私の手首掴むんですか? 痛い、やめて! 離してください!」

 体を床に押し付けられ、私は四肢の自由を奪われました。振りほどこうともがいてみても、男の人の力には敵わず、簡単にねじ伏せられてしまいます。
 冷たい床に組み敷かれ、蜂蜜色の髪の青年の顔を目を見開いたまま見上げると、彼はとても困惑した顔をしていました。

「別に桜のことをいじめようとか、今そんなこと考えてないから。大丈夫だからいうこと聞いてくれよ……頭痛くなってくる……」

「…………速星ッ!」



 ……あり、さわ……くん?


 ◆ ◆

 
「有沢、いいところに……桜をなんとかして――って、何でそんなにキてる顔……」
 いきなり飛んできた拳。そして鈍い痛みが左頬に走った。次の瞬間、速星の体は体育館の方へ吹っ飛んでいた。
 速星の下で暴れた挙句、いつの間にか力尽きて意識を失っていた桜は、本当に目も当てられないようなひどい格好をしていた。白いシャツのボタンが外され、乱れた服から垣間見える白い肌には、無数の赤い痕が残されていた。しかも桜の頬を伝う涙の跡。
 有沢は速星を睨みつけ、その胸倉を掴んで揺さぶった。

「一ノ瀬に何をしたんだ……! 返答次第では――」
 有沢の顔は、ひどく赤黒くなっていた。怒り心頭、もう周りなんて見えていない。濡れたアッシュブラウンの髪から水滴が垂れてくる。よく見ると、肩も胸のへんも、透けるくらい濡れていた。外まで探しに行っていたというから、こんなに濡れるまで探しまわったんだろう。

 自分より冷静さを欠いている人間がいると、不思議と落ち着いてくるものらしい。先ほどまで速星もそれはもう周りなんて見えないくらいキレていたわけだが、今かつてないほど目が血走っている有沢を見ていると、段々冷静さを取り戻してきた。

 それにしても戻ってくるの早くないか。さすが陸上部、あなどれない。

 こんなに激昂する有沢を、速星は今まで見たことがなかった。有沢が怒るのも無理はないだろうと思うが、話も聞かずにいきなり殴り飛ばすのはひどい。
 口の中に溜まった血の混じった唾を吐き出し、速星はいまだ激情を抑えられない様子の有沢を見上げた。

「ちょっと待った! 確かに桜の服が破られて、胸が丸見えであられもない姿で俺の下敷きになってればそりゃ誰でも勘違いするだろうが、断じて俺ではありません、この野郎、本気で殴りやがって……口切ったじゃねーか」 

 有沢は、無言で速星と桜の姿を交互に見つめて小さく、「え」とか言った。
 
「……悪かった、殴ったりして」
「うん、そうだね。お前の目がマジで今でもちょっと怖いんだけどね。何で俺が殴られなきゃなんないんだよ三十字以内で説明してみろよ」
 速星は、痛みが引かず、むしろ段々腫れてきた左頬を抑えて有沢に食ってかかった。
 理不尽だ、助けたのは俺なのに――その言葉を飲み込む。
 有沢は小さく舌打ちをし、眉根を寄せ速星から顔をそむけた。

「…………理由を言わなきゃわかんないのか」 

 低い唸り声で、はっきりとは聞き取れなかったが、今なんか有沢が小声ですごいことを言った気がした。そう思ったが、なんか怖かった速星は、あまり深く追求しなかった。
 有沢の場合、普段あまり多くを語らず思いを表出することが少ないだけに、こうはっきりと感情を露わにして、それをぶつけられるとさすがにこたえる。
 ――まあ、それだけ桜のことが心配だったということか。
 
 同じように番長の話を最後まで聞かず部屋を飛び出してきたんだから、速星も人のことは言えない。

 有沢は、肺がつぶれるのではないかと思うくらい深く息を吐き出し、少し間をおいてから口を開いた。
「…………口、切ったんだろ」
「ああ、歯くいしばる余裕がなかったから……」
「…………わかった、よく洗って、冷やしておけばいい。次に殴るときはちゃんと前もって歯をくいしばれって言うから」
 
 ……それなんか違う。

「俺さ……桜のこときいたとき、いてもたってもいられなかったんだ。胸がむかむかするっていうか、もやもやするっていうか……」
「…………」
 有沢が無言で頷く。
「本当に、嫌な女だよな、桜って……俺のことは忘れてる、俺に言ったことも忘れてる。昔とは様変わりしてて、すごくとろくて皆からいじめられてても気づかなくて……。言動がおかしくて、反応みてると癖になりそうで、どう考えてもドSホイホイです」
「…………速星は、一ノ瀬をどうしたいんだよ」
「………自分でも、よくわかんないんだよなあ。でも放っておきたくない。俺って頭おかしいと思う?」
「おかしいんじゃないか?」
 どこか棘のある言い方で、有沢は即答した。言葉を失う速星を放置したまま、有沢は桜の体を横に抱えあげ、そのまま足早に歩き出した。   
桜の救出は成功しました。この後、桜は【メンタル】病院【クリニック】にいきます。そして、ご家族の方が呼ばれる…かも。

今回もお読みいただきありがとうございました。

cont_access.php?citi_cont_id=383007143&size=135
小説家になろう 勝手にランキング←登録してみました。応援していただけると嬉しいです。
拍手を送る
※12/25 拍手お礼小話更新


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。