第三話 出でしは狐
「行き止まり?」
しばらく森を歩くと、春陽たちは壁にぶち当たった。
「…もしかして、迷ったとか?」
春陽の言葉に伊世は少しムッとし、懐から鉤縄を取り出した。
春陽はギョッとする。
何せ鉤縄など、忍者漫画でしか見たことがない。
「正面からお前を連れて堂々と入るわけにはいかないからな」
しばしの沈黙。
「…え!?この壁登んの!?」
鉤縄をグルグル回し、壁に引っ掛けようとする伊世を見て、春陽が焦る。
壁の高さは三メートルを優に超えている。
普通の人間である春陽にこれを登れと言うのは、至難の業である。
「…だらしがないな。こんなのも登れないのか?」
「伊世と一緒にしないでよ!!」
「だから鉤縄を用意してやっただろう」
それとも私がお前を抱えて登るか?
伊世がそう言うと、とんでもない!と、春陽は首を振る。
いくら伊世が人間離れしていても(人間ではないが)、それは春陽のプライドが許さない。
「登らせていただきます!!」
その言葉に、伊世は満足そうに頷いた。
─カチャン。
鉤が壁に引っ掛かる。
強く引いても外れないのを確認し、まず伊世が登った。
壁から中を伺い、誰もいないのを確かめるのと、そのまま登りきり、降りずに春陽に合図をする。
「登ってこい」
伊世の言葉に春陽は頷き、縄を持ち、壁に足をかける。
──が。
どうしてもずり落ちてしまう。
「……何をやっている」
呆れた伊世の表情。
羞恥に顔を赤くした春陽は、困ったように伊世を見上げた。
難無く登った伊世の後なだけに、情けなさ倍増である。
「体を壁に寄せるな。突っ張れ」
伊世の助言を元に登ると、今度はさっきよりも楽に登れた。
やっとのことで壁を登りきる。
「…うぇ!?」
春陽が登りきったのを見ると、伊世は音もなく中に飛び降りた。
「お前も早く降りてこい」
先ほども言ったが、高さは約三メートル。
高所恐怖症でなくても、この高さから降りるのは怖い。
できれば飛び降りたくなどない。
──ないが、
「うぉりゃ!」
春陽は汚名返上のために潔く飛び降りた。
ジーンという足の痺れを堪えて、春陽が顔を上げる。
一瞬呆然とした後、
「…デカっ!!」
目の前の建物の大きさに驚く。
「大声を出すな」
「あっ…ゴメン。って…でも、デカイって!京都にありそう!」
目の前には、赤を基調とした神社建築の巨大な建物があった。
伊世が呆れたように溜め息をつく。
「稲荷の社は、この国で二番目に尊い場所だ」
「…なんか、凄いとこなんだね」
少し腰が引けてしまった春陽を尻目に、伊世が歩き出す。
春陽は慌ててそれを追った。
─スパンッ!
次々と勢いよく襖を開けていく伊世。
──さっき五月蝿くするなって言ってなかったっけ!?
溜め息をつく春陽。
「稲荷。連れてきたぞ」
だだっ広い部屋の奥にいたのは、銀髪の青年。
──…“稲荷”の社って言ったよな?この人、国で二番目に偉い人なんじゃ?
「…来たか」
銀髪の青年が立ち上がり、春陽に近付く。
「人は俺を稲荷と呼ぶ。妖には空狐と言われているが…稲荷で頼む」
銀髪の青年──稲荷はニカッと笑った。
「あ。俺は芹沢──」
「知ってる。芹沢春陽だろ?」
自分の言葉を遮り、何故か言ってもいない名前を言った稲荷に、春陽は驚く。
その様子を見て、稲荷は自慢気に笑った。
──…見た目クールそうなのに。
意外と開けっ広げな稲荷に、春陽は少しポカンとする。
「おーい。こいつ何か失礼なこと考えてるよー」
「…アンタがそんなだからだろう」
「…俺一応この国で二番目に偉い人なんだけど」
「だから、アンタがそんなのには見えないって言ってるんだ」
「…………あの」
「あぁ、悪い」
兄妹のような掛け合いを始めた二人に、遠慮気味に春陽が話しかける。
稲荷は愉快そうに笑った。
その様子から、本当に自分をどうこうする気はないらしいと悟り、春陽は安堵する。
「…そうだ。それで、何でアンタこいつをここに招いたんだ?いつもだったら野放しにするクセに」
伊世が口を開く。
春陽がギョッとして伊世を見た。
「んー。気分」
あっけらかんと言う稲荷に、春陽は恐怖を覚える。
──この人、気分が俺を助ける方向に行かなかったら、俺あの時死んでたのか…。
伊世をあの場に遣わしたのは、稲荷。
つまり、春陽の生死は稲荷にかかっていたのである。
「…しっかし。行く途中で会った人間は向こうに帰せって言ったのに…やっぱり来ちゃったか…」
呆れたように元の座に座る稲荷。
春陽は何故か居たたまれなくなった。
「…仕方ないだろう。こいつが来た“道”は、戻るのが不可能だったんだ」
たしかに、春陽が落ちてきたのは崖。
戻ろうと思って戻れる道ではない。
「…それより、こいつにこの世界を教えてやれ」
伊世がそう言いながら床に座る。
春陽も同じように座った。
「…何から言ったらいいかなぁ。ここがお前のいた世界とは違うって気付いたろ?」
「……まぁ、なんとなくは」
稲荷が腕を組みながら考える。
「…この世界を、俺たちは“とうげん”と呼んでいる。ま、俺たちの桃源郷っとことだな。……ネーミングセンス疑う」
「………」
春陽は最後の呟きは一人言として受け止めた。
「ここには妖しかいない。……ここは、人から迫害された妖の逃げ場なんだ」
「……迫害?」
迫害。
普通の生活では聞き慣れない言葉だ。
「…俺たちは人に忌み嫌われ、結果突然現れたこの世界に逃げ込んだ。お前はどういう経緯かは知らないが、とうげんとお前の世界を繋ぐ“道”を通ってきたん──」
話の途中で、稲荷の言葉が途切れた。
訝しげに春陽を見る。
「……お前、邪気がない」
稲荷の呟きに、春陽は首をかしげる。
「…普通人間は、そっちの世界に溢れてる邪気を溜め込んでるもんだ。だが、お前はそれがない」
「え…あの、それってマズイんですか?」
春陽は慌てた。
それだけ稲荷が難しい顔をしたのだ。
「いや、ないに越したことはないが…珍しいな」
「人間でも、霊能者は大抵邪気を溜め込まない」
稲荷と伊世の言葉に、春陽は安堵する。
そして、フと思い出したように胸元に手を当てた。
「……もしかして、これが原因かも」
服の中をまさぐり、春陽は首飾りを二人に見せる。
「俺の母親がくれたんです。御守りだって…」
水晶のような石がぶら下がった、何の変哲もない首飾りだ。
だが、春陽はとても大切そうにそれを服の中に再びしまう。
そして、春陽は伊世が固まっていることに気が付いた。
「…伊世?」
春陽が呼び掛けると、伊世はハッとしたように瞬く。
「…あ。いや、何でもない。昔それに似たものを見た気がしただげだ」
伊世の言葉に、春陽は小首をかしげた。
「…まぁ、多分それのお陰だろうな。清いものを感じる」
お前の母親は、良いものをくれたな。
稲荷の言葉に、春陽は嬉しそうに笑う。
そして、すぐに真剣そのものの表情に変わった。
「…あの、。話変わるんですけど俺、どうなるんですか?」
春陽は恐々聞く。
稲荷は微かに笑った。
「どうする気もないさ。帰るのを手伝ってやる」
「…ほ、ホントですか!?」
春陽が身を乗り出した。
右も左もわからない春陽にとって、その言葉はかなりの救いだ。
「……だが、道は繋がる場所も時間も不定期だぞ。どうする気だ?」
伊世の問いに、稲荷は自慢気に笑った。
「…策って何だろう」
現在春陽は、稲荷の社の一室にいる。
道を目指して旅立つのは、明日になった。
「稲荷はアレで力だけはある。何らかの策があるんだろう」
「伊世っ!?」
突然部屋に入ってきた伊世に、春陽は驚く。
足音が一切なかった。
「……ゴメン、伊世。俺のせいで伊世まで巻き込まれた…」
春陽が申し訳なさそうに謝る。
伊世も稲荷の命令で、春陽についていくことになった。
春陽はそのことに反省している。
元々自分が勝手にコチラに来たのだ。
本来なら自力で帰らねばならないが、そういうわけにもいかない。
結局、彼女の力を借りる他なかった。
「心配するな。アイツに遣いに出された時から何らかの覚悟はしていた」
「………でも」
「……私は昔、人間に助けられたことがある。今回のことは、その恩返しでもあるんだ」
春陽は釈然としていなかったが、いつまでもそう言っているわけにもいかない。
「………ありがとう」
「最初から謝らずにそう言え」
伊世の言葉に、春陽は思わず笑った。
次の日、社の外に出た春陽と伊世と稲荷。
春陽は稲荷から目立たないよう、コチラの服を貸してもらっている。
とはいっても、着物の中にはTシャツを着て、はしょった褄からは、短パンが覗いているが。
「えー。まずはこの地図をやる。次に道が繋がる場所が書いてある」
稲荷に渡された地図を見て、伊世が顔をしかめる。
「西の国まで行かなくちゃいけないのか…」
「仕方がないだろう」
道が繋がる場所は選べない。
伊世は渋々頷いた。
「それと、“佐ノ助”も連れていけ」
「佐ノ助?……あの山犬か」
佐ノ助と聞いて、伊世が微かに溜め息をつく。
「……別に奴は嫌いじゃないけど」
いる場所がな……。
小さく呟いて、伊世は再び溜め息をつく。
「それじゃあ二人とも、無事に行ってこい」
稲荷がニカリと笑う。
それに、春陽と伊世は頷き、歩き出した。
稲荷は二人を見送る。
「………この旅で、彼らの絆がより深まることを」
小さく呟いたその言葉は、誰にも聞かれず風に紛れて消えた。
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