第二話 奇怪なる世界
「…何か俺、こんなんばっか」
稲刈り前の状態の田んぼに落ちたため、ほとんど衝撃がなかった。水が抜いてあるようで、服もあまり汚れていない。
春陽は立ち上がって、畦道まで上がると呆然とした。
「何だここ…」
目の前には、小さな集落が広がっていた。建っている建物は、茅葺きや板を張った木造ばかりだ。集落の人々は皆が皆、着物を着ている。“江戸時代の農民"という言葉がピッタリの人々だ。
「…?」
春陽は困惑した。
目の前から女子供がいなくなり、かわりに男たちが春陽を取り囲みだす。
手にはそれぞれクワや鉈、刀を持っている者までいる。その目は、尋常ではなかった。
「………あのー?」
「…何故、人間がいる」
村人の一人、帯刀した男が呟いた。
自分に向けられた言葉ではないと、春陽は察する。
「…どうします?野放しにするのはアレですが、始末するのはもっと…」
──何か物騒なこと言ってるー!?
「ならば、俺が殺る」
帯刀した男が刀を抜き、振り上げた。
止めようとする者は誰もいない。
「わっ!」
春陽は、自分を庇うように手を目の前に出す。
思わず目を閉じた。
─ガシィ!
何かがぶつかる音。
痛みは、やってこなかった。
「それくらいにしておけ」
驚いて、春陽が目を開く。
そこには、先ほどの少女が春陽を庇うようにして立っていた。
両手で持つ男の刀を、少女は刀を鞘におさめたまま左手で受け止めている。
「…この者は、まだ何も知らない子供。この場は私に免じて治めてくれないか?」
少女が男を見据える。幼い声だが、凄みがあった。
「正気か!?そいつは人間なんだぞ!!」
──…“人間”?
男と少女の視線がぶつかる。
男は、今にも少女に斬りかかりそうだ。
「…えっ!?」
少女が突然叫んだ。男のやや右を指差す。
男や他の村人たちも、用心しながら少女の差した方を見た。
次の瞬間──。
「走れっ!!」
少女が春陽の手を掴み、走り出した。
春陽は半ば引っ張られる形で走る。
陸上部の春陽と人間離れした少女に、誰も追い付くことはできなかった。
「……ッハ…ハァ…ッ」
木の根本に、春陽はペタリと座り込む。
春陽が辺りを見回した。
あるのは木ばかり。
どうやら、相当森の奥深くまで走ったようだ。
呼吸を落ち着けようと深呼吸を繰り返しながら、春陽は少女を見る。
疲れを微塵も感じさせない。呼吸も乱れていない。
長距離走者の春陽でも、あれだけのスピードと距離をはしって疲労しているのだが、少女は汗一つ浮かべていない。
「…ありがとう、助けてくれて。君、名前は?」
春陽が少女にそう聞くと、少女は少し顔を歪める。
「……伊世だ」
春陽の礼には応えず、自分の名を少女──伊世は名乗る。
「伊世か。俺は春陽。春でいいよ」
自分も名乗り、春陽はしばらく伊世を見ていたが、伊世はそれ以上何も言わない。
さすがに、春陽も居心地が悪くなる。
「──…えっと。アレって何だったのかな。俺、何か悪いことしちゃった?」
もしかして、田んぼに突っ込んじゃたの怒ってたのかな。
そう言う春陽に、伊世は小さく溜め息をついた。
「……“した”わけじゃない。お前は私たちにとって、存在していること自体有害なんだ」
「……え」
伊世のあまりの言い様に、春陽が唖然とする。
「──…それって」
「私たちは、お前たちを“厄疫”と呼んでいるくらいだからな」
ボソリと伊世が呟く。
「……やくえき?」
「厄は“禍”、疫は“疫病”のことだ。穢れ…つまり邪気を、人間は持ち込むからな」
「…え。人間て……」
「私たちは人間じゃない。お前と私たちは似て非なる存在、妖だ」
春陽の反応を待たずに、伊世が歩き出した。
「あ…あやかし?」
慌てて春陽も立ち上がり追いかける。
「妖怪…は知っているな?その類いだ。人間は私たちを妖と呼んでいる。私たちは私たちの定義を持たない。それで十分だろう」
──妖怪って…。
春陽は伊世の後ろを歩きながら首をひねる。
──おちょくられてるのか?
だが、そんな人物には見えない。
「………つまり、人間じゃないんだ?」
「そうなるな」
歩きながら、春陽は目眩を感じる。
状況をきちんと把握できていなかった。
突然伊世が振り返る。
「行き先を言っていなかった。稲荷の社へ行く」
「は?」
「拾いモノを連れてこいと言われたんでな」
伊世のその言葉に、春陽の足が止まった。
先ほどの話から考えて、自分は歓迎されていない。あの村人も、自分を殺そうとした。
──…だったら、このまま彼女についていっていいのか?
「安心しろ。お前をどうこうする気はない」
春陽の不安を察したのか、伊世が振り返り微かに微笑む。
そこに、敵意は感じられなかった。 |