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ワークマンセイ……
作:森本エリ



 悪いことばかり、そう続かない。
 明日にはきっといいことがあるよ。

 街の中の大型テレビジョンから、まだ、中学生か高校生くらいの少女が歌うのが聞こえた。
 見向きもしない人々の群れと、渋滞した車道は、なにか殺伐としたものを感じさせた。
 行き交う人と肩をぶつけて、一瞬の憎悪を吐き捨てる。
 ミリオンセラーの少女の歌声が、また街に轟いた。
 耳どころか、俺も含めた、大半の人々の心には届いていない。
 つまらない悪いことばかり重なって、小さな嫌な事ばかり重なって、退屈な繰返しの毎日が、日常ってヤツで、何一つ、うまい話なんかなくて、頭を下げてばかりで、学生時代に漠然と感じていた“俺は特別な人間”という自意識はどんどん削られて行った人々には、浮ついた歌声など、届くはずもないのだ。
 俺は所詮、一億数千万人のなんてことない、一人。 音楽の才能があるわけでもない、芸術を創るわけでもない、なんてことない一般人の一人。
 駅の改札で、プラットホームで、どこか高いところから見れば、蟻か歯車の一かけらに過ぎない。
 日本の一番高いところからみて底辺かもしれない労働者で、スポットライトを当てられない“エキストラ”。
なんて自覚した人間を笑っている奴等に励まされたいなんて思っちゃいない。

 好きな女一人。
彼女のまえで、ありふれた陳腐な甘いはなしをして。何人かの、ありふれた友人と酒を飲んで、一時の酔いどれ、偉大な哲学者か思想家の模倣をし、世の中について語るつまらない大人になってしまった。

 何処かの国の誰かを救うほどの器量もなく、同じ国にいる可哀相な子供たちを救う事も出来ない。
 自分の代わりはいくらでもいる。
 そんな自覚をしてしまった俺は、ありきたりな歌詞を鼻で笑った。

 英雄になるのも恐れている小さな人間で、うまい話はないかと、いつもキョロキョロしている。
 事の運ばない仕事で上司に睨まれ、賢い同僚に仕事を横取りされたり、飛び込みの営業で門前払いされたりしながら、まずまずの給料でなんとか暮らしている。

 些細な苛立ちに疲れ果てて、煙草に火を点ければ、白目が俺を睨む。
夢は枯れ果て、疲れ果て、単調な仕事の後で、険しい顔の殺伐とした満員電車に揺られて、外灯の乏しい家路を辿る。

 美しい月に見とれ、ふと視線を落とすと、そんなに新しくもない、洒落てもないアパートが、視界に入る。

 好きになって一緒にいる女が、待っている。
 そんなアパートに向かって歩き出す。
 いつか、もっと広くて洒落たマンションを、ゆくゆくは平屋建てを、中古の軽自動車なんかじゃなくて、セダン車をなんて、廃れかけたマイホーム幻想やらを抱きながら、一歩一歩、歩く。

 なんの取り柄もない俺を待つ女がいる。
 部屋の明かりが、俺を動かす。
 玄関が近づくにつれて、夕飯の匂いがする。
 醤油の香ばしい匂いが鼻をかすめる。

 特別なこともないのに、なんとなくチャイムを押して、近づいて来る足音を聞いていると、苛立ちや不甲斐なさや憤りに凝り固まっていた心がほぐれていくのが分かる。 ミリオンセラーの少女のありきたりな励ましよりも、彼女の笑顔が、“おかえり”と言えば、俺の心は明かるくなる。

 よく冷えた発泡酒が、生ビールより、美味い夜がある。

 ミリオンセラーの美少女より、人並みの彼女が特別な毎日がある。

 俺は労働者で良かったと思える瞬間がある。

 上を目指したい。

そう思わせる人が側にいる。

 安物のソファの上で、柔らかな体温を再確認しながら、俺は明日も頑張ろうと思う。

 特別でもない、何気ない瞬間が、唯一の幸せだったりする。

 身体は疲れ果てても、まだまだ動く。

 単調な毎日でも、小さな幸せを寄せ集める。

 好きな女が笑っている。

 俺のために作られた手料理がある。

 頑張ってやろうじゃないか。

 ロマンティックな甘いセリフを吐けなくなった。
 夢見がちな甘い幻想を抱けなくなった。

 幸せにしたい女が出来た。

「一杯、飲んだら……二人で散歩にでも行かないか?」

 彼女は、照れくさそうな笑顔を浮かべて、俺をからかった。

 まんざらでもない、照れ屋な彼女を見ていたら愛しくて、疲れも忘れて、久しぶりに、口説き落としたくなった。

 いつもの発泡酒、いつもの彼女、帰りたい家には、なんでもある。

 山積みになった嫌な事を忘れさせる、小さな幸せに、ありがとう。 














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