遠く彼方の方からどん、どん、と何度も打ちあがる花火の音。窓から眺めればきっと漆黒を照らす遠くの花火が見られることだろう。
けど、敢えて俺はそうしなかった。一人ぼんやりと耳にしながら、蘭が先日買って冷蔵庫に入れておいてくれたスイカをサクリと齧りつつ、上の空でテレビを見る。
「あ〜、ちっくしょう!」
一昨年はただの幼馴染として、去年はただの居候として、そして今年はようやく「恋人」の立場で東京でも有名な杯戸花火大会に行くことを約束していたのに。
「ごめん、関東大会の強化合宿が重なっちゃっていけなくなっちゃった」
そう言われたときには少なからずショックを受けた。
毎年恒例、隣県のはずれのとある施設で行われる夏季合宿。都内十数校の高校が参加するのだが、各校2,3人の有望選手しか参加できない。
蘭は高1のときから選ばれてはいたけれど、だからといって、今年は参加しないということは許されないこともわかる。彼女がどれほど試合にかけていて、どれほど次の全国大会への意欲を燃やしているか。しかも今年は高校3年。彼女にとって最後の大会だ。是が非でも抜けられない合宿だろう。頭ではわかっている。けど、心ではどうしても騒いでしまう。寂しいと思ってしまう。
「あ〜あ、つっまんねぇな」
食べかけのスイカを皿に戻し、ソファの上でごろりと横になる。
せっかくの花火大会なのに何もしないでこうやってゴロゴロするなんて。・・・一人で行くにはつまらない。博士に電話でも入れようか。確か彼もまた子供たちを連れて、その会場にいるはずだ。母さんが先日子供たちのためにと4着、色違いの浴衣と甚平をNYから送ってきてくれた。NY在住の日本をこよなく愛する著名な芸術家がいるそうで。藍染や絞り染めなど日本の染め方で丁寧に仕上げられていて。子供たちはそんな色の浴衣を初めて着るからとても喜んでいたことを思い出し、口が綻んだ。
・・・けれど既に会場は沢山の見物客。今からじゃ携帯電話を持っていたって落ち合うことは難しいだろう。
ならば服部に電話を入れようか。
しかしそう思った後で、確か今日は寝屋川の方でも花火大会があるって言っていたことを急に思い出した。
甚平姿で、隣に勿論和葉ちゃんを連れて、花火見物をを楽しんでいるに違いない。自分の都合で2人のデートを邪魔するわけにはいかなかった。それにあとで何か報復されても困る。
かといって、事件がありさえすれば飛んでいく気でいたのに、それもなく。どうやら犯罪も一時休戦のようで。きっと警視庁のメンバーもロマンチックにこの空を見上げていることだろう。
「見たかったな、あいつの浴衣姿」
今年のの浴衣は絶対あいつに似合っていたのに。
・・・今年は2人でデパートに出向き、新しい浴衣を買ったりして、「楽しみだね」なんて話したりしてたのに。去年とは違い、同じ目線で、そして「恋人」の立場で彼女に触れ、同じものを見て感動したかったのに。金魚すくいもしたかったし、わたあめも食べたかった。射的もしたかったし、ラムネを飲んだり、カキ氷も2人で食べたかった。
夏祭りを彼女と一緒に楽しみたかった。彼女じゃなきゃ、きっと誰とでも楽しむことはできなかった。
なのに。
「あー・・・あ」
さっきからこればっかりしか言ってない気がする。
ごろり、狭いソファの上でまた寝返りを打つ。先日、浴衣を受け取りにきた灰原にそのことを愚痴ると、我関せずという顔で、「去年の彼女の辛さをようやく味わうことができてよかったじゃない。実際横で見ているのと自分が体験するのじゃ全然違うでしょ?」なんてさらりと言われたけど。・・・わかっちゃいるけど。だけど。
「・・・・・・・なんかかっこわりーな、俺」
デートがおじゃんになったぐらいでこんなにショックを受けるなんて思ってもみなかった。こんなじめじめ弱っている姿を誰にも見てほしくない。逆に誰にも電話しないでよかったんじゃないか、なんて思ったりした。
時刻は8時00分を少しまわっていて。
遠い空に輝く赤や青の色とりどりの花火の音を聞きながら、その下で手を繋いで綺麗だねと笑う彼女の姿を思い浮かべながら、
俺は不貞腐れた気持ちのまま、ゆっくりと目を閉じた。そんなとき。
ズズズ、とテーブルの上の携帯電話がバイブレーションを鳴らし、俺は寝転んだままその音の主を手探りで探した。
それから「はい・・・」と間延びした声を発する。事件だとしても、行ったところでこのテンションが変わるとは思えなかったけれど。
「・・・新一?」
「っ!?」
突然聞こえたその声に驚いた。
・・・蘭だ。
思わずがばっと飛び起きて、ソファに座り直すと、しっかりと携帯を握って耳に当てる。
「・・・びっくりした、どうしたんだよ?」
「何、突然電話しちゃったら、いけなかった?」
クスクスと含み笑いをして電話の向こうで蘭が訊ねる。
「そうじゃねーけど・・・。ただ、突然だったから・・・」
「・・・・・あ、ごめん。もしかして寝てたとか?」
申し訳なさそうに蘭は声を小さくさせた。
「・・・ん、大丈夫だよ」
「・・・そう?」
「ああ」
いじけた気持ちで寝ようとしていたのが事実だけど、そんなことは言えるはずもなく。
「そうだ、合宿おつかれさ」
『ま』まで言い終わらないうちに、どん、と大きな花火が電話の向こうで鳴り、俺は僅かに顔を上げた。
「そっか・・・」
小さく呟く。
「そっちも、今日なんだ」
「え?」
「花火だろ、後ろの」
「・・・あ、あぁ、うん・・・。・・・聞こえた?」
声のトーンから少しだけ驚いたような様子でいる感じを受けた。
どん、とまた一つ大きな音がする。
遠くの空に目をやれば、そこでも一つの大きな花火が空に咲き誇り、ゆっくりと花弁を散らしていく。あっちでも同じように綺麗な花火が咲いていて、それをきっと合宿にきている仲間と眺めているのだろう。それで俺のことを思って電話をかけてくれたのだ。これほどまで弱っているなんてまさか予想だにしていないだろうけど−−−
本人さえ自分の気持ちに驚いているのだから−−−。
だから彼女の戸惑ったようなその返事も、きっと自分だけが友達と花火見物をしていることに罪悪感を抱えてのことだったのだろう。そう思ったからわざと声のトーンを高くする。
「あんま気にすんなよ。別に花火なんてまた見れるんだし。・・・そっちで花火見物楽しんでこいよ」
「違うの!違うのっ!!」
突然甲高い声を上げるから俺は思わず耳を携帯から遠ざけ、片目を瞑った。
「んだよ、いきなり。・・・何が違うんだよ」
まさか仲間じゃなくて男の子と2人だなんて言うんじゃないだろうな?そうなれば話も別だけれど。・・・そんなことはあるはずないけれど、万一のこともあり得るから。
園子のような性格の持ち主があの合宿のメンバーにいたとすれば?
彼氏がいると言ってもその地元の高校生と試合の後のアフタータイム・・・なんてこともありえなくはないのだ。
「それがね」
言葉に詰まる蘭に対して、妄想ばかりが頭を支配する。
「・・・だから何?」
「それが・・」
どん、・・・どん、と花火が電話の向こうで続けざまに上がった。
そして、聞こえるのは駅の乗降の際に流れる聞き覚えのある音楽と、それに到着駅を告げる駅員のアナウンス。
『杯戸町〜・・・杯戸町〜・・・』
「・・・ハイ・・・ド?」
「うん」
思わず耳を疑ったが、蘭が困ったような声で肯定した。
蘭が合宿している場所は『ハイド』という町だったっけ?
いや、そんなことはないはずだ。じゃあ、今のこの音楽は何だ?
頭にクエスチョンマークを何個も抱え、俺は目を白黒させながらもう一度訊ねた。
「・・・どういう、ことだ?」
「・・・うん、だから、その・・・。帰って、きちゃった」
「帰ってきちゃった、って・・・」
驚きで乾いた喉を潤すため、携帯電話を耳に当てたままキッチンまで行き、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出すと、コップになみなみと注ぐ。
「その・・・園子がね、電話入れてくれたみたいで」
「園子?電話?」
意味がわからない。なんで園子が?一体何のために・・・とそこまで考えなくても大体予想はつくが。麦茶を一口、口に含む。
「・・・祖母危篤。すぐに帰って来い、って伝言を頼まれた、ですって」
最後まで話を聞く前に、あまりの衝撃に思わず口に含んだ麦茶をぶふっと吐き出し、激しく咽こんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・その・・・こ」
何やってんだ、あいつ。
大丈夫?なんて心配してくれる蘭の言葉を上の空で聞きながら、俺はあいつに電話を入れることを考えていなかったことを思い出した。もし事前に何かを聞いておけばすぐに気づくことができたのに。いや、彼女に電話したとろでそんなに大きく変わっていなかったかもしれないけれど。
「園子に合宿に行く前、ちょっと話しててさ。そしたらいい考えがあるってあの子言ってたのよ。・・・私に任せて、って。だから今日電話を貰って驚いたわよ。
慌ててお母さんに電話をかけたらおばあちゃん元気にしているって聞いて・・・。それで初めて思い出したの。後でメールももらったし」
「・・・で、帰ってきたのか」
俺はにやにやと大口を開けて笑っている園子の姿を思い浮かべながら、頭を抱えるような気持ちでこう訊ねた。
「さ、サボったわけじゃないのよ?ちゃんと練習もしてきたのよ?明日で最後だったし、みんなも帰ったほうがいいよ、って言ってくれたし。ていうか帰らなきゃいけない雰囲気だったし。その・・・・・・ね?わかるでしょ」
「わかんねーよ」
「っっっ!!」
俺は笑いを堪えるのに必死だった。
何やってんだ、園子のやつ。深刻な声色で合宿所の職員に電話をかける園子の姿、そして彼女の嘘に気づいた後、ドキドキしながら帰りの
荷支度を始める蘭の様子を想像して思わず笑えた。
「ねぇ、・・・笑ってるでしょ?」
どうやら俺のくっくっく、と忍び笑いが聞こえたらしい。拗ねたような声で彼女がそう訊ねた。
「笑ってねぇよ」
「嘘っ、笑ってるっ。もう、新一のバカバカ!・・・大変だったんだからね!」
「あぁ、そうらしいな」
でもそうやって彼女は帰ってきてくれて。
「・・・あぁ、おつかれさん」
いつのまにか元気を貰っていた。彼女が近くに来ているということで、もうすぐ逢えるということで今までで沈んでいた気持ちが急浮上していた。
「ホントになさけねぇな、俺」
思わず蘭に気づかれないように、ぽつり、呟いた。
これがあのときの俺と蘭のときみたいに、俺がコナンになったときみたいにあいつが俺の前から突然いなくなったとしたら、一体自分はどうなってしまったのだろう。
デートが出来ないってことは2週間前からわかっていたのに、こんなにしょげ返って。
コナンになって、蘭のいいところを沢山間近で見て、余計に惚れてしまったからかもしれないけど、それでもこれは非常に情けない。
こんなこと、絶対蘭の前で言えるわけがないけれど。
そんなことを思いながら、俺は腕時計で時間を確かめた。現在8時08分。ここから米花駅までの徒歩も入れて、杯戸町まで電車で20分弱。ギリギリだけれど、なんとか終了には間に合いそうだ。
「・・・じゃあ、今からそっち行くから・・・。待ってろ」
「うん、勿論っ。急がなくて大丈夫だからね、気をつけてきてね」
俺の言葉に、彼女の表情がぱあっと明るくなったような感じが電話ごしから見えた。
「ああ・・・動くんじゃねーぞ?また後で連絡すっけど。そこら辺、お祭り騒ぎでテンション高くなった変な野郎が多いんだから。待ってる間、退屈かもしれねーけど・・・」
浴衣姿はお預けだけれど、今年の夏はまだまだ始まったばかりで。もし今年の夏がダメならば来年の夏も再来年の夏もある。
だからそれまでの楽しみにしておけばいいじゃないか。そう思うことにしたのだ。だって今は彼女が近くにいるというそれだけで嬉しいんだから。
「ありがと。だいじょぶ、浴衣着て待ってるから。そんなに時間待たないよ」
「・・・・・・・・・・・・・・え?」
思わず耳を疑った。彼女の言葉に今日は何だか驚かされてばかりだ。
「園子が持ってきたのか?」
「ううん・・・そうじゃなくて・・・・・・・・。『おなか壊せば行けるかなぁ』とか、『熱出せば行けるかなぁ』とか・・・そんなことを考えて。万一のためにバッグに入れておいたんだよ」
「・・・っ!!・・・万一って・・・」
そんなこと、めったにあるわけないのに・・・。俺は思わずぷっと噴出した。
「まさか仮病でも使おうとか思ってたとか?」
「そ、そんな不真面目なことするわけないじゃない、新一じゃないんだから!」
そう必死に否定する彼女の声は僅かながらに震えていて。それがほんの僅かでもそう思っていたというサインであるわけで、俺は思わず口元を綻ばせた。
真面目で他のメンバーを思いやる蘭にはそれをすることはなかなか勇気がいること。
バッグを開けて、奥底にきちんと畳まれた浴衣セットを見てはきっと溜息をついていたのだろう。そういうやつだったとはわかっていたけれど。自分を想っていてくれていることはとうにわかっていたことだけれど。
でも体全体でそれが伝わったから、嬉しくて嬉しくて仕方なくて。・・・思わず本音が零れた。
「早く、会いたいな・・・オメーに」
「うん・・・私も」
一週間ぶりの彼女との再会。
逢ったらまず最初に何をしよう。浴衣姿の蘭に『可愛い』と素直な気持ちを差し出すか。『おかえり』と言うか。それとも、細い彼女を力強く抱きしめるか。
可愛らしい唇に、唇を重ねるか。沢山したいことがありすぎて、どうしていいかわからなくなってしまうけれど。
けれども何はなくとも、早く彼女の顔が見たくて。彼女の生の声を聞きたくて。
俺は準備も間々ならず髪の毛を手櫛で軽く梳かすと、食べかけのスイカもそのままに、携帯電話を握ったまま、部屋を急いで飛び出した。
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