第八話:兄と妹
「ふっ!ははははははははっ!やったぞ!黒妖精狩人を殺したぞ!ははははははははっ!」
ユベールは声高らかに嘲笑う。
その声を聞いたシルヴィは、正気に戻った。
自分の手には銀色に光る短剣が握られている。
──私は一体何を………
傍らには木の枝に拘束され首を前に垂れてるジルフォードがいた。
「ま…さか、私が。」
「そうだよ!シルヴィ!よくやった!悪い奴をこの手でやっつけたんだよ!」
興奮気味にシルヴィに駆け寄るユベール。
シルヴィの身体が、震え出した。
言い知れぬ恐怖と罪悪感が、シルヴィを支配する。
自分を助けてくれた人物をこの手で殺してしまった。
「いや……いやあああああああっ!」
シルヴィは絶叫した。
ユベールはシルヴィの絶叫を聞くと更に嬉々として自分の妹を抱き締めた。
がっくりとした様子のシルヴィは、笑顔のユベールに答えることなく抱き返そうとはしなかった。
──私の兄は何をそんなに喜んでいるのだろう……?
シルヴィはぼんやりと心に浮かんだ疑問を誰にも投げ掛けることができずにいたまま、兄に抱き締められていた。
どすっ
鈍い音と共にユベールに異変が起こった。
見るとユベールは白目を剥き、口角から透明な液体をだらしなく垂れ流している。
シルヴィは兄が怖くなり、彼から身体を素早く離し後ろに退いた。
ぐらぐらと壊れた振り子時計のように揺れるユベール。
次の瞬間、彼は既に亡き者であるはずの人物の足によって後ろにあった木の幹に叩き付けられていた。
幹に後頭部を叩き付けられてしまったユベールは意識を取り戻し、苦い顔で自分に攻撃した人物を睨みつけた。
「高潔なる金…確か死んだはず。」
「ばぁか!よく見て見ろ。」
高潔なる金…ジルフォードが顎で指した先を見ると、木の枝に拘束されているのはジルフォードではなく丸太だったのだ。
こうなったら俺の手で、と剣を振りかざしたユベールをジルフォードは軽やかに躱した。
まるでダンスのステップでも踏んでいるかのような鮮やかで洗練された動きだった。
ユベールの剣を躱したジルフォードは、自身の剣を鞘から抜くとユベールの懐に飛び込んだ。
ユベールの剣よりも早く、ジルフォードの剣がユベールの腹を切り裂いた。
「ぐああ………っ」
ユベールの手から剣が滑り落ちた。
再び白目を剥いたユベール後ろに反って倒れた。
ユベールの切り裂かれた腹の傷から黒煙が上がった。
「うっ………」
何かを発酵させたような濃厚かつ胃がおかしくなりそうな強烈な匂いにシルヴィは両手で鼻と口を塞いだ。
黒煙が薄れ、何者かが姿を現す。
目は猫のようで鼻と耳がとがっており、小麦色の肌をした者が現れたのだ。
うんと美しいわけではないが特別醜いわけでもない、どことなく半端な容姿をしたその者は大きく裂けた口と牙のような鋭い歯を見せ今にも噛み付きそうだ。
それは紛いもなく黒妖精だったのだ。
「ヒャハハハハハっ!バレちゃあ仕方ね…」
きゃあとシルヴィが声を上げた。
当然である。
ジルフォードはその者の首を撥ねたのだから。
首を撥ねられた黒妖精は、あっという間に粒子と化して消えた。
瞬く間の出来事。
ジルフォードは剣に付着した青くどろりとした血を、布で拭き取った。
後に残ったのは、動かなくなったユベールだった。
「ユベール。」
シルヴィは動かないユベールにゆっくりと歩み寄った。
腰を落し、ユベールの青白い頬を手で触ってみた。
「…冷たい。」
体温が無いのを改めて実感させられたシルヴィは、涙が溜まった瞳を拭って立ち上がった。
「ここでユベールは死んだんじゃない、ユベールはフィアールカから引き揚げてきた時に亡くなった……ってことにしなきゃね。」
ジルフォードは一瞬驚いた表情を見せたがすぐに呪文を唱え風属性の妖精を召喚した。
風属性の妖精は、腰まで伸びている蜂蜜色の髪をした女性の姿をしていた。
ジルフォードは妖精に、ユベールの遺体を波打ち際まで運ぶことと遺体の傍らに適当な小舟を一艘浮かべておくことを命令した。
了解した、と風の妖精は言うとユベールの遺体を抱き上げて消えた。
「あなたも適当な理由を付けて後から来て。」
足早にその場を後にするシルヴィの腕をジルフォードが掴んだ。
「大丈夫か?シルヴィ。」
「平気よ、明日は思い切り泣けるもの。」
「…死ぬなよ。」
「死んだらユベールに怒られちゃう。」
振り向いたシルヴィの笑顔は今にも泣き出しそうだった。
見ているのが辛くなったジルフォードは、視線を月のない夜の空へ移した。
「また明日ね、騎士様。」
「……ああ、また明日。」
ジルフォードはシルヴィの腕を自由にした。
シルヴィは家路を急ぐため、走っていった。
ジルフォードはシルヴィの姿が見えなくなるまで彼女を見送った。
シルヴィの脳裏は、元気だったころのユベールで埋め尽くされていた。
一緒にかくれんぼをするユベール。
一緒にかけっこをするユベール。
好きなおかずを取り合いになるユベール。
迷子になって泣くユベール。
ユベールの生き生きしていた表情が脳裏に浮かぶ度に、シルヴィの瞳から涙があとからあとから零れて頬を濡らした。
決して裕福ではなかったけれどユベールや父母と共に過ごした日は、シルヴィにとってかけがえのない宝物だった。
ばんっ
家のドアを勢いよく開け放ったシルヴィはよろよろとベッドに歩み寄ると、顔を伏せたまま嗚咽した。
泣いたまま一睡もせずシルヴィは朝を迎えた。
どんどんどん!
家のドアを叩く音でシルヴィは意識を覚醒させた。
急いで顔を洗ったシルヴィを隣に住む中年女性が出迎えた。
「シルヴィ!大変だよ!大変だよ!お、落ち着いて聞くんだよ!今港で死体が揚がったんだ!発見したのは王国の騎士様だってさ!その死体なんだけどね……あんたのお兄さんかもしれないんだよ!すぐに確かめに行きな!一緒に行ってあげるから早く!」
大きな声で泣きたい気持ちを落ち着かせながら、シルヴィは中年女性と共に港へ向かった。
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