第二話:記憶
夜の港は、大勢の人々で賑わっていた。
船を乗り降りする人々。
船から積み荷を運んで、せわしく働く人々。
船着き場までの道には、様々な露店が並び人々が行き来している。
シルヴィとユベールはしっかりと手を繋ぎ、はぐれないよう母親と男についていった。
ひげ面の大きな男は、無口で無愛想だったが、船に乗る前に食事を奢ってくれた。
外で食事をするのも、ちゃんとした料理を食べるのも、シルヴィには久しぶりのことだ。 シルヴィもユベールも嬉しくて、はしゃぎながらたくさん食べた。
大声で笑っても喋っても、母親は何も言わなかった。
いつもなら行儀が悪いと叱るのに、その日は優しく微笑んでいるだけだった。
──今日はユベールと私の誕生日だからね。
シルヴィはそう思ったが、時々母親が見せる悲しげな表情と、ひげ面の男がユベールとシルヴィに向ける恐いような鋭い眼差しが気がかりだった。
しかし、そんな一抹の不安も、賑やかな露店の道を歩いていると忘れてしまう。
果物や野菜、お菓子、色鮮やかな装飾品。シルヴィは店の品々に目を奪われていた。
「シルヴィ、ユベール。」
途中まで進んで、母親はふと立ち止まり後をふり返った。
「あなた達に何か買ってあげるわ。好きな物を選びなさい。」
「えっ? いいの?」
ユベールは、母親を見上げて目を輝かせる。
「今日はあなた達の誕生日だもの。何でも買ってあげるわ。」
シルヴィも喜んだ。去年の誕生日は何も買ってもらえなかった。
家にお金がないことは分かっていたから、シルヴィもユベールも我慢した。
──でも、今年はおじさんにお金をもらったものね。
シルヴィは笑顔で男に視線を移す。男は相変わらず無表情で、その場に突っ立っていた。
──親切なおじさん。何故おじさんはわたしたちにお金をくれたのかな?
「シルヴィ、何が欲しい?」
ぼんやりとしていたシルヴィに、ユベールが声をかける。
「え……?うーん、何にしようかなぁ。」
シルヴィはキョロキョロと店を見回した。美味しそうなお菓子も魅力的だけれど、何か誕生日の記念になるような物の方が良い。
「あ、あれ、綺麗!」
シルヴィの目に、キラキラと輝く光が映る。その店には、様々なアクセサリーが所狭しと並んでいた。首飾り、指輪、髪飾り。
子供向きではなく、どれも大人の女性向きの品々ばかりだった。シルヴィは店先まで走り寄る。
特に目を引いたのは、色とりどりの石の粒で出来たブレスレット。シルヴィは食い入るようにブレスレットを見つめた。
「シルヴィ、それは大人用よ。あなたには大きすぎるわ。」
後から来た母親はシルヴィに言った。走って来たユベールも、シルヴィと並んでブレスレットを見つめる。
「わあ、綺麗だなぁ。お母さん、僕もこれがいい。シルヴィ、お揃いのブレスレッドを買おうよ。」
「うん! わたし、この桃色にする。ユベールはねぇ、この水色のがいいんじゃない?」
シルヴィは飾り棚の上から、桃色と水色のブレスレットを取り上げた。
「ユベールにつけてあげる。」
シルヴィはそう言うと、薄い水色の石のブレスレットを、ユベールの細い腕に通す。大人用のブレスレットは大きすぎて、ユベールの腕をクルクルと回る。
「こうして、二重にすれば良いんだよ。」
ユベールはブレスレットを二重に巻いてみた。
「シルヴィにもつけてあげるね。」
ユベールはシルヴィから桃色のブレスレットを受け取ると、同じように二つに巻いて腕につけた。二つの小さな腕でブレスレットが輝く。
「大人になっても持っていようよ。誕生日にはこのブレスレットをつけて一緒にお祝いするんだ。」
「うん! ずっと大切に持っていようね!」
シルヴィとユベールは笑い合い、ブレスレットをつけた手首と手首をくっつけ合った。その姿を見て、母親は涙をこらえきれず、ハンカチで目頭を押さえた。
「最後の良いプレゼントになったな。あれなら一生大切に出来るだろう……」
震える母親の背に向かって、ひげ面の男は低い声で呟いた。
その後、ユベールは男とともに、外国行きの大きな船に乗り込んだ。デッキで嬉しそうに手を振るユベール。
「お母さん、ユベールはどこに行くの? いつ帰って来る?」
桟橋で、シルヴィは母親に尋ねる。ユベールは船に乗るということしか聞いていない。行き先も帰りも分からない。
「……」
母親は何も言わなかった。ただ黙ってユベールを見つめ、手を振っている。
シルヴィも仕方なくユベールに手を振った。
暗い夜の海。
空には宝石を散りばめたような星が瞬いていた。
やがて、船の出港を告げる警笛が静かな海に響き渡り、
船がゆっくりと桟橋を離れていこうとする時。
母親は突然シルヴィを抱きしめると、声をあげて泣き出した。
「……お母さん?」
苦しいくらいシルヴィを強く抱きしめる母親。
「……許して、許して、ユベール……」
そう言って、母親は子供のように泣きじゃくった。次第にシルヴィにもその悲しみが伝わり、いつしか母親の胸の中で泣いていた。
──ユベールは外国に行ってしまう。もう二度とここへは帰って来ない。
幼いながら、シルヴィはそう感じ取った。幸せな誕生日が、悲しみの誕生日へと変わる。ブレスレットは、最後の誕生日プレゼント。シルヴィの腕の石の粒は、夜空の星のように悲しく光っていた。
ユベールは人買いに売られてしまった。
母親には聞けなかったが、時が経ちシルヴィも悲しい現実を知った。
母親一人では、とても二人の子供を育てていく余裕はなかった。
あのままでは、いずれ三人とも飢え死にしていたかもしれない。
ユベールの犠牲で、母親とシルヴィは救われたのだと、シルヴィは思った。
母親を攻めることは出来ない。
だが、ユベールがいなくなってから、シルヴィは毎日ユベールのことを思い、ユベールのいなくなった寂しさは増していくばかりだった。
──ユベールは外国で幸せに暮らしているわ。
シルヴィはユベールとお揃いのブレスレットを見つめては、いつも心の中で願っていた。誕生日を迎えるたびに、シルヴィは思う。いつの日か、ユベールと一緒に誕生日を祝える日が来ることを。別れの日、ユベールと交わした約束をシルヴィは忘れない。
──今年の誕生日、私はユベールと過ごせるかな?
籠いっぱいの色とりどりの花を抱え、シルヴィは港へと向かった。外国から流れてきた兵士達がいる港へは近づかないようにと忠告されていたが、花を売りに行かないわけにはいかない。今なら、いつも以上に人々で賑わっていることだろう。
──花を売るだけだもの、気をつけていれば大丈夫よ。
足取り軽く、シルヴィは港への道を急ぐ。外国から来た兵士達に、シルヴィは少しばかり興味もあった。
予想通り、港は大勢の人々でごった返していた。
物売りの数もいつもの数倍は多くなっている。見慣れぬ外国の兵士達も、たくさん行き来していた。
疲れ切った顔でフラフラ歩いている若い兵士もいるが、中にはほろ酔い気分で若い女を引き連れて歩いている兵士もいる。
派手な服に派手な化粧の町の女達。彼女たちは愛想をふりまき、めぼしい兵士を見つけては声をかけ、べったりと寄り添ってついていく。
彼女たちの目的が何なのかは、シルヴィにも分かるが、彼女たちも生きていくために必死なのだ。シルヴィと同じように……。
「お花はいかがですか? とても綺麗で良い香りですよ。」
シルヴィは腕を組んで歩くカップル達に、笑顔で声をかける。
「セクシィな彼女には、この赤いバラはいかがですか?」
シルヴィは兵士にバラを差し出す。横の女はニヤリと笑うと、上目遣いに兵士を見上げた。
「おぉ、いいな。彼女にピッタリだ。」
ほろ酔い加減の兵士は、機嫌良くバラを買う。
「君も花に劣らず美しいよ。」
金を渡しながら、兵士はシルヴィに軽口をたたき、隣りの女に睨まれる。
「あの子はまだ子供よ。早く二人きりになりましょう。」
女は兵士に腕を絡ませ、その腕をグイグイ引っ張る。酔って顔を火照らせながらも嬉しそうな兵士。
去っていく二人の姿を眺めながら、シルヴィはお金を袋へと入れた。見渡せば、至る所に同じようなカップルの姿がある。女好きの兵士達と金目当ての女達。
──今日は全部売れそうね。
シルヴィはクスッと笑うと、次のカップルを目指し歩いて行った。 |