第一話:予感
話は一年前に戻る。
白く光る眩しい日光が、窓から差し込む簡素な部屋。
少々肌寒い風が吹き込み、ベッドから身体を起こしている人物の背中まで伸びる下の位置で髪ゴムで結われた黒く長い美髪を凪ぐ。
「ドクターストップだってさ、ははは…」
ベッドから身体を起こしている人物──セイロン・フローレンスは、力無い笑みを浮かべながら自分の目の前にいる息子・ジルフォードに『降参』を表すように両手を上げた。
右手と右腕は健康的な肌色をしているが、左手首から左肘そして頭部に巻かれている白い包帯が痛々しい。
ジルフォードの父親であるセイロンは女性と見紛う程艶やかな容姿に加え、息子と変わらないほど若い容姿をしている。
これはセイロンが風の大精霊と契約した際に『時』を代価として差し出したため体内年齢が止まっている、つまり老化現象が止まっているためである。
そのためセイロンの実年齢は五十二歳になるが、外見の年齢はジルフォードと同じ年齢である二十二歳と変わりない。
「頼むから病院を抜け出さないでくれよ。」
「大丈夫!大丈夫!」
屈託の見当たらない笑顔を見せる父親を信用できずにいるジルフォード。溜め息を吐かずにはいられない。
「心配しなさんな、ジル。」
ジルフォードに話しかけた美人女医──アリオーシュ・アリーは、白衣を身にまとい黒曜石を溶かしこんだような黒色の長い髪をシニヨンにまとめていた。
彼女は銀色に縁取られた眼鏡の位置を片手で上へ動かした後、もう片方の手で持っている人参程の太さと大きさの注射器をジルフォードとセイロンに見せた。
「あっあああああアリオーシュそれはまままままままさか…!」
「そう!あんたが考えてる通りだよ、セイロン。病院を抜け出したらあんたに打つ!どこまでも追いかけるから覚悟しな。」
アリオーシュは眼鏡の奥に光る翠玉の瞳を楽しそうに細めた。
「嫌だあああああっ!打たないでええええっ!お願いいいいいっ!」
セイロンは両手を合わせてアリオーシュに懸命に懇願した。
それぐらいセイロンは注射が大の苦手なのだ。
「あまりにうるさく騒いでも注射して下さい、アリー先生。」
そうアリオーシュにお願いをすると、ジルフォードは踵を返した。
アリオーシュはにやりと笑って同意した。
『嫌だあああっ。』と叫ぶセイロンを病室に残し、ジルフォードは病院を後にした。
彼が目指すは、ミュステリオン王国郊外にある田舎町・ゲインズブール。
ゲインズブールに、一人の美しい娘が住んでいた。
彼女の名前はシルヴィ・エラクレア。
蒼穹のごとく青い瞳に、金髪の豊かな巻き毛の美しい娘。
シルヴィは母と二人で小さな花屋を営んでいたが、その母も二年前に病で亡くなった。
今は一人で細々と花屋を経営している。
二十一歳になるシルヴィは、町の青年達から何度も求婚を受けるが、いつも頑なに断っていた。
シルヴィは、両親が開いた花屋を閉めたくはなかった。
それに……もし自分と血を分けた双子の兄・ユベールが帰って来た時、家がなくなっていては困ると考えたからだ。
シルヴィは左手首のブレスレットを見つめる。
淡い桃色の小さな石のブレスレット。
決して高級な品ではないが、シルヴィにとっては宝物だった。
朝露に濡れた色とりどりの花々を、シルヴィは一つ一つ丁寧に摘み取っていく。
愛情を込めて育てた花達は、スクスクと大きくなり美しい花を咲かせ始めいている。
両親が作った広い花畑。 一人で花の管理をするのは大変だが、シルヴィは毎日花の世話を怠らなかった。
ひとりぼっちになったシルヴィにとって、花達は家族のようなものだ。
シルヴィにとっても大切な存在だ。
大きな籠にその日摘んだ花を詰め込み、両手で抱え上げた。
これからお店に持って帰り、飾らなければならない。花屋の仕事は体力がいるのだ。
「シルヴィ、シルヴィ!」
店に戻る途中で、隣りに住む中年の女性に声をかけられた。
「おはようございます。」
シルヴィは笑顔を向ける。母の友人だったその女性は一人になったシルヴィを気遣い、いつも優しくしてくれていた。
「後でお花を届けに行くわ。」
「いつもありがと。シルヴィ、さっき聞いたんだけどね。どうやら、戦争が終わったようだよ」
「戦争……?」
海の向こうにあるフィアールカ王国で戦争が行われていることは知っていたが、戦争に無縁のゲインズブールでは別世界の出来事だ。
シルヴィは特に気にも留めていなかった。
「あぁ、港の方には戦場からひきあげた兵士達がたくさん入って来ているようだ。」
「そうなの? 戦争が終わって良かったわね。」
「いいもんか。隣国じゃ食糧不足、飢えた野蛮人達がうようよしてるんだよ。あんたのような若い娘は特に気をつけた方がいい」
「でも、みんなが悪い人って訳じゃないでしょ? 戦争で傷ついた人達を助けてあげたいわ」
「ダメダメ! 何言ってんの。港には絶対近づいちゃダメだよ。あんたも狼の餌食になっちまう」
お人好しなシルヴィに、女はあきれ顔で強く言った。
「分かった」
シルヴィは素直に答える。
しかし、いつもより賑わっている港で花を売れないのは少し残念な気もした。
「あっ!」
思わず手が滑り、シルヴィは花瓶を床に落とした。
大きな音とともに、花瓶が砕ける。
「あーあ、お気に入りの花瓶だったのに……」
いつもテーブルに花を生けているガラスの花瓶だ。
シルヴィはガラスの破片を素手で拾おうとする。
「痛っ……」
鋭いガラスの断面で、左手を切ってしまった。
じわじわっと血が流れ左手首に伝って流れる。
手首にしているブレスレットに赤い血は流れ、淡い桃色のブレスレッドを赤く染めた。
──やだ。ブレスレットが。
手の痛みより大切なブレスレットが気になり、シルヴィは慌ててブレスレットをはずした。
その瞬間、ブレスレットが切れて、桃色の小さな石の粒が床に散らばった。
「……」
床に落ちたガラスの破片、ブレスレットの小さな石、手首から流れた血がポタリと落ちて赤い染みを作る。
胸騒ぎがする。
シルヴィは床にしゃがみ込み、散らばる石の粒を黙って見つめた。
薄い桃色の小さな粒たち。
シルヴィは床に散らばる石の粒を一つ一つ拾い集め、そっと手のひらに置いていった。
シルヴィの手の中で、石の粒は柔らかな桃色に輝いている。
「ユベール……」
優しく手を閉じて、石の粒を握る。
──今どこにいるの?早く帰ってきて……もうすぐ私たちの二十二回目の誕生日が来るわ。 また一緒に誕生日を祝おうって言ったじゃない。
シルヴィは目を閉じ、ブレスレットの粒に話し掛けるように心で語った。
シルヴィには双子の兄がいる。
名前をユベールという。
シルヴィと同じ金色の髪に青い瞳の綺麗な子供。
シルヴィとユベールは花屋の夫婦の元で、慎ましくも幸せな日々を送っていた。
しかし、シルヴィとユベールが五才の時から、その幸せは暗い陰を落とし始めてくる。
その年町を大嵐が襲い、シルヴィ達の花畑も大きな被害を被った。両親は、花のなくなった畑を一から耕し、元のような畑になるよう努力した。
その甲斐あって、どうにか花畑は復旧し、以前のような美しい花々を咲かせられるようになった。
だがその直後、更なる不幸が一家を襲う。元々持病のあったシルヴィの父が病に倒れ、あっけなくこの世を去ってしまったのだ。
悲しみに打ちひしがれる間もなく、母親は生活のため、畑仕事と花屋の仕事に専念する。
六歳になっていたシルヴィとユベールも、出来る限りの手伝いをしようと努力はしたが、まだ幼い双子のことあまり労力にはならない。
被害を受けた町の人々も、花を買う余裕がなくなり、シルヴィ一家の生活は益々苦しくなっていった。
今日食べるパンさえない日が続いたある日。シルヴィの家に一人の男が訪ねてきた。
大事な話があるからと、シルヴィとユベールを外にやり、
長い間話し合っていた。
その日はちょうど、シルヴィとユベールの七歳の誕生日だった。
「あのおじさんは、わたしとユベールのお誕生日を祝いに来たのかな?」
窓の外から家の中を覗き見ていたシルヴィは、隣りのユベールに尋ねる。
「そうかもね。ほら、おじさんがお母さんにお金を渡してるよ。」
「本当だ! でも、お母さんは何で泣いてるの……?」
シルヴィとユベールは顔を見合わせ首を傾げる。 それからしばらくして、泣き濡れ目を腫らした母親が、二人の元に現れた。
「今夜、みんなで港に行きましょう……」
母親は静かな口調で二人に言う。
「わあ、嬉しいな! 港はお店やお船がいっぱいだよ。」
「お母さん、わたしたちの誕生日のお祝いに、港に連れて行ってくれるの?」
シルヴィもユベールも、目を輝かせて母親を見上げる。
「……そうね。」
母親は笑顔を作ろうとするが、うまく笑えなかった。
そして、いきなりユーベルを抱きしめた。
「ユベールはお船が大好きよね?」
「うん」
きょとんとしながらも、ユベールは母の胸に抱かれて頷く。
「今夜、おじさんと一緒にお船に乗れるわよ……」
「えっ! ほんと!」
嬉しがるユベールを母親はきつく抱きしめる。
もうそれ以上言葉が続かなくて、ユーベルを抱きしめたまま泣いていた。
「いいなぁ、ユベール……」
シルヴィはユベールだけが船に乗れることが羨ましくて、指をくわえてその様子を見ていた。何故母親が泣いているのかは分からない。ただ、みんなで賑やかな港に行けることが、嬉しくてしかたなかった。
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