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婚約者は、私の妹に恋をする 作者:はなぶさ

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―――――シルビアが病に倒れた。

そんな知らせが入ったのは、秋の終わりだった。
まだ半年も経過していないというのに、あの夏の日がやけに遠く感じられるようになった頃、生家から早馬が飛んできたのだ。
駆け込んできた従僕の顔を見て、良くない知らせだというのは簡単に想像がついた。けれど、まさかシルビアのことだとは思いもよらなかった。
あの子は、悲劇を回避したはずだ。
だから、まさか未だに死の影があの子を取り込もうとしているだなんて思いも寄らなかったのだ。

その日はソレイルも久方ぶりの休暇をとっていて、部屋でゆっくりと朝食をとっていた。
久々の休みだからたまには二人で遠出でもしようか、なんて話をしていて。
前の晩から浮かれていたからこそ、かつてのあの日が蘇る。
こんな、普通の、何でもない穏やかな日に悪夢はもたらされた。

私の実家の印が刻まれた手紙には、既にシルビアは重篤であると書かれていた。
それを呼んだソレイルの顔が、分かりやすく、さっと青冷める。

「様子を、見てくる」

憮然とした顔付きで、いつもと同じ声音で、何気ない風を装ってそんなことを口にする。
それでも、ガタンと音を立てて立ち上がった彼の動揺は見てとれた。
妹が今にも死にそうだという知らせが入ったにも関わらず、ソレイルのそんな様子に、かっと血が上る。
「何で貴方が?」と思わず口を動かしそうになって、ひゅっと息を飲んで耐えた。
震えた唇を内側に巻き込んで、失言が飛び出さないように只管に堪える。口の中に血の味が広がった頃、やっと一言だけを搾り出した。

「・・私も参ります」

普段よりも意識してゆっくりと言葉を落とした。
ソレイルは執事に外出する旨を伝えながらコートに袖を通し、泊り込むつもりなのか荷物をまとめさせている。

「私も、一緒に参ります」

噛み砕くようにしてもう一度、同じ言葉を繰り返す。
そうしなければソレイルに掴みかかってでも問い詰めていた。
なぜ私の妹のことなのに、私は蚊帳の外なの?と。
『様子を、見てくる』なんて、まるで、一人で行くことが当たり前のようにそう口にした。
妹を失いそうな姉にかける言葉はないのかと叫びたくなる。

「いや、私は馬で行くから、君は馬車で来るといい」
「私も、馬には乗れます・・!」
「そんなに動揺していては手綱もうまく握れないだろう。頼むから言うことを聞いてくれ」

その足が、つま先が、屋敷を出ようと急いている。
行く手を阻むように身を乗り出した私の肩を押さえるようにして、自分の視界から追い出すソレイル。
「待ってください、」「私も一緒に、」「待って、」「待って、お願い、」「ソレイル様、」
足早に玄関ホールを抜けるソレイルに縋りつくようにしては言葉や態度で制される。
一緒に連れて行く気はないのだと。
最終的に、いつまでもソレイルにまとわり付いている私に焦れたのか、ソレイルの専属執事が私たちの間に割り込んで静かに告げた。

「奥様、すぐに馬車をご用意致します」

かつてのあの日、妹の死を告げたのと同じ声音で、静かに、だけどはっきりと。
まざまざと蘇るあの日の風景と、有無を言わせない彼の態度に微かに怯んでいる間にソレイルの後ろ姿を見失った。

「どうして、」

ぽつりと落ちた言葉が静寂を取り戻した玄関ホールの大理石の上に転がった。
執事がほんの一瞬だけこちらに視線を寄こしたけれど元々そんなに興味はなかったのだろう。
「馬車の準備ができましたらお迎えに上がりますので自室でお待ちください」と用件だけを口にして早々にその場から離れていく。

「どうしてなの、」

沸き上がった疑念が口をついて出る。
死にかけているのは私の妹なのに、なぜ、ソレイル宛に手紙が届くのだ。
生家からの手紙であれば当然、私宛だと思っていた。
けれど、従僕は初めからソレイルに直接手渡すつもりでここへ来た。
例え、私の実家であろうとも、格上の侯爵家嫡子に直接手紙をしたためるなど不躾にも程がある。ソレイルに用件があるのだとしても、血の繋がった娘がその妻であれば、ひとまず娘を通すのが筋なのだ。どれ程の緊急事態であろうとも手順を踏むのが貴族というものである。
それなのに、そんなもの無用の長物だと言わんばかりに、ソレイルは当たり前に手紙を受け取った。
私の目の前で、自分が受け取るのが当然とばかりに。
執事もそれを諌めなかった。
まるで、ソレイルがそれを受け取るのが分かっていたみたいに。

嫌な予感が頭を掠める。

もしかして、手紙が届くのは初めてではないのだろうか。
これまでも、私の実家から届けられた手紙は、ソレイルの手に渡っていたのだろうか。
そして、ソレイルが私にそれを告げないということは、私宛の手紙ではないということだ。
つまり、それはつまり、両親からの手紙ではない。
私の両親こそ、爵位というものを重んじる人間だからだ。
だとすれば、両親以外で、伯爵家の名を使い手紙を出すことのできる人間はシルビア以外にはない。

足から力が抜けて大理石の床に膝を付く。
慌てて侍女たちが駆け寄るのが見えた。

気分が、悪い。
世界がぐるぐると回転している。
咄嗟に手の平を床に向けたけれど、ぶるぶると震える腕は自分の体を支えることができずにあっけないほど簡単に倒れこんだ。

早く、行かなければ。妹のところへ見舞いに行かないと。

そうは思ったけれど、急く気持ちに反して視界はゆっくりと暗くなっていく。
重篤だと言っていた。もう起き上がることさえできないのだと。
それなのに私は、妹を心配するどころか、自分の知らないところで文を交わしていた二人に嫉妬さえ覚えている。
シルビアのところへ一刻も早く行かなければと思うのも、彼女を案じているからではない。
「何てこと、何て、浅ましい」
頭から引いていく血の気と共にかつての人生が蘇る。
妹の死に一瞬でも歓喜を覚えた自分の姿がまざまざと再現される。
そうしてかつての私は、ソレイルを失ったのだ。

今度もきっと、ソレイルはシルビアを選ぶ。
それは予感ではなく、もはや確信に近かった。

現に私は独り、屋敷に留め置かれた。
後から追いかけて来いと、まるで従者にでも言うように背中を向けた。
私の実家までは然程遠い距離ではない。私だって馬に乗れるし、ソレイルが言うようにそれが危険だというのであれば、私を自分の馬に乗せて走るという手段もあったはずだ。
それなのに、一緒には行きたくないのだとそんな素振りを見せるのは、何か隠したいことがあるからに過ぎない。
いや、そもそも隠す気さえあったのかどうか疑わしい。
あの目は、あの眼差しは、はっきりと告げていたではないか。

邪魔されたくないと。
シルビアとの時間を、私に、奪われたくないと。



結局、玄関ホールで倒れた私は、妹の元へ行くことが叶わず自室のベッドへ運ばれた。
数分もしない内に侯爵家の専属医師が呼ばれ、難しい顔で診察をした後、人払いをしてそっと告げる。

「ご懐妊でございます」

「何?、」

予想外のセリフに思わずベッドの上で身じろぎした。
それを見た老医師が、どうぞ安静に、と肩を優しく押して枕の上に引き戻す。

「何を、言っているの?」

は、は、と短い息が漏れる。
それは待ちわびていた報告だった。
今生では元より、前回の生でも祈るほど待ち望んでいた。
でも、喜びよりも戸惑いのほうがずっと大きい。

「何で、どうして、今なの・・?」

この瞬間をずっと夢見ていた。
私はこの為に生まれたも同然だから。
侯爵家の嫡男を産み落とすことが、私に課せられた最大の義務だったから。
そうなったときはきっと、誰からも祝福されるだろうと思っていた。
ソレイルも、今度ばかりはきっと、手離しで喜んでくれるだろうと期待していた。
だけど、きっと、そうはならない。

医師せんせい、間違いないのですか?」
「・・恐らく」
医師せんせい、今、私の妹が死の淵にいるのです」
「・・聞き及んでおります」
医師せんせい、私は、私は、一体、」

どうすれば、そう口にしようとしたけれど唇が震えただけでうまく言葉にならなかった。
医師は、私の手を優しく握って励ますように、きっと大丈夫ですよと無責任な微笑を浮かべる。
きっと全てうまくいきますよ、と。
だけど、そう言いながらも本当は気づいているのだろう。
今ここに、ソレイルの姿がない不自然さに。
シルビアが病に倒れたということを知っているのであれば、ソレイルがそちらに出向いているということも聞いているのだろう。
普通に考えるなら、夫婦一緒にシルビアの元へ向かうべきなのだ。
動揺しているという私の身を案じるなら、尚一層。
一緒に馬車に乗る選択肢だってあったのだから。

「ソレイル様には私から告げましょう」
「いいえ、いいえ、言わないでください。今、大変なときなのです」

呟いた声が擦れた。

「妹君の事は確かにお気の毒ではありますが、貴女のことだって一大事です。大切なお世継ぎを宿しているのですから」

安定期に入るまでは油断できないものですよ、だから、旦那様に支えていただかないと。
優しい言葉で促されて肯きそうになる。
だけど、私は知っている。
ソレイルはきっと、悔いるに違いない。
何でこんなときにと、何で今なのかとそう思いながら、私と子供を作ろうと思った自分を否定するだろう。
そして、私がたった今、そう思ったよりももっと強い気持ちで自分の子を否定するのだ。

「・・奥様・・」

瞼の奥が焼けるように熱い。

「安定期に入ったら、私が、自分で伝えます」
「奥様、」
「だから、どうか、後生ですから、今だけは口を噤んでくださいませ医師」

胸の奥が潰れそうなほどに痛む。

「だって、妹は今、病床で苦しんでいるのです」

夫は、今、その妹の元で一緒に闘っているはずなのです。
だから、だから、一緒に居て欲しいなんて、とてもじゃないけど口にはできないのです。

「奥様、」
「私は大丈夫です。今までだって、大丈夫だったのですから」

老医師の皺だらけの手が戸惑うように私の額を撫でる。
目を閉じるとぼろりと剥がれるように、瞳から涙が落ちた。

なぜ、ここにいるのがソレイルではないのだろう。
決まっている。それは、シルビアが死にそうになっているからだ。
なぜ、私はここにいるのだろう。
決まっている。それは、ソレイルに置いていかれたからだ。

あの夏の日を経て、私はソレイルに子供が欲しいと言った。
彼は冷たく微笑んで、跡継ぎは必要だと、それが義務だからとまるで一つの仕事をこなすかのように同意した。

だけどそれでも良かったのだ。
あの時は、それで良いと思っていた。
家族が、欲しかったから。
ただ、ソレイルともっと繋がっていたかったから。
だから、彼が、結婚や子供を持つことを業務のように淡々とこなすのを甘んじて受け入れた。

時間があると思ったから。
私は、また性懲りもなく、有りもしない未来を信じた。

―――――シルビアは、死ぬ。

頭の中で誰かが呟く。

ソレイルは今回もまた、私を選ばない。




















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