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婚約者は、私の妹に恋をする 作者:はなぶさ

二度目は。

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1

カシャン、と耳に残る陶器がぶつかる音。
二回目の人生はそうやって始まった。

「どうした?イリア」

ソレイルがこちらを覗き込んでくる。
頭の中を駆け巡る、既に終えてしまった前の人生。
卒倒してしまいそうだ。
目の前にはあのときと同じ白いテーブル。
この日の為にと用意した茶器は、白磁に小花が散る愛らしいデザインのものだ。
妹が好みそうなものをわざわざ出入りの業者に取り寄せてもらったのだ。
紅茶の茶葉はソレイルが昔から好んでいる香りのものを用意して、焼きたてのお菓子は、甘いものを好まないソレイルの為のものと、甘いものが大好きなシルビアの為のものを別々に数種類用意した。
侍女に任せておけば良いのだという母の言葉を無視して、自らが手配した。
そうしなければ気がすまなかった。

この茶会の、あの瞬間まで、妹は「私の可愛いシルビア」だった。
ソレイルは紛れもない、私の婚約者で、私を大切にしてくれる唯一の人だった。

彼らの為に、この茶会を楽しいものにしようと策を練って、事前の準備をして、手順を組んで、二人が気分良く過ごせるように計画をたてた。
だから、何もかも順調だと思いこんでいた。
二人を引き合わせるその瞬間まで。

品種改良した薔薇が美しく咲き誇る庭は、母の自慢で、客人を招く度、そこで茶会を開いている。
だから今回も、そこを利用することにした。
そうすれば間違いないと知っていたから。
テーブルセットを並べてクロスを引いて、侍女にお茶とお菓子の用意をさせる。
私はそこで、妹と婚約者を待つのだ。
一足先に現れた婚約者と談笑しながら、妹が来るのを待つ。
あの子は、今日は朝から気分が良いのだと笑っていた。
だからきっと、この茶会にも参加できるだろう。
良かった。
一刻も早く会わせたいと思っていた。
可愛い妹に、私の、自慢の婚約者を。

そうして、婚約者と何気ない会話をしているときに、さくりと芝を踏む音が聞こえた。
ああ、妹が来たのだと顔を上げる。
ふと、横に座っていた婚約者に視線を向けると、彼は、どこか呆けたような顔をしていた。
普段は一部の隙もない、引き締まった横顔をしているのに、どこか間抜けにも思えるような奇妙な顔をしていた。
それを見て、心臓が、ひくりと引きつる。

――――――ああ、まただ。

頭の中で、誰かがそう囁いた。
一瞬、呼吸が止まって、

――――――今度も、そうなのね。

はっきりと、私の知っている声が、そう言った。

母が丹精込めて育てた淡いピンクの薔薇を背負うようにしてシルビアがこちらへとゆっくり歩いてくる。
白に近いベージュのドレスは、抜けるように肌の白い彼女によく似合っている。
緩く纏めた銀色の髪が零れて風になびいて、彼女の姿は、教会で目にする天使の絵画に似通っていた。
血の気が引いていくのが分かる。
視界を塞ぐように、見開いていた目を閉じれば、頭の中を流れる一回目の人生。
震えていた手が、持っていたカップをソーサーにがちゃりと落とした。

「どうした?イリア」

気づけば、隣に座っていたはずのソレイルが立ち上がっている。
その横には、妹のシルビアが。
その姿がダブって見える。前に一度、こうやって立ち並ぶ二人の姿を見た。
そう、前の人生で、一度。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すたび、蘇る、既に失った人生の記憶。
叫びだしそうになる唇を両手で抑えた。

それでも何とか自分を失わずにいたのは、ソレイルへの執着があったからだと思う。

一回目の茶会での失態を忘れていなかったのだ。
だから、混乱する頭のどこかで、今回は絶対に失敗してはならないと前回の私が警告してくる。
微笑まなければ。
とっさに思ったのはそれだった。
笑って、受け流さなければ。
見詰め合う二人を、許さなければ。

慌てて立ち上がれば、テーブルに足をぶつけて、その上の食器が面白いほどに激しい音を上げた。
「どうしたの、君らしくないね」とソレイルが苦笑している。
自分の足が、ドレスの下でがくがくと震えているのが分かった。
「ごめんなさい」と笑えば、ソレイルも笑みを返して、するりと背中を撫でてくれる。
その慰めるような仕草に、不覚にも、泣き出しそうになった。
私を人殺しと罵り、一生許さないと憎しみの言葉を吐いたその姿は、今は、ここにない。

チャンスを、与えられたのだと思った。
人生をやり直すチャンスを、神様が与えてくれたのだと。
冤罪によって不幸な結末を終えた私に、神様が味方してくれたのだと。

「ソレイル様、私の妹のシルビアですわ」

にこりと、ごく自然な笑顔が浮かんだ。
貴族として生まれれば、その表情を簡単に顔の上に貼り付けることができた。
そんな私を見て、ソレイルもまた笑みを浮かべる。
私を見つめるその目には、やはり何の感情も浮かんでいない。
だけど、少なくとも、侮蔑の色はなかった。

「初めまして、お兄様」

私から、シルビアへ視線を移すソレイル。
ほんの一瞬、二人の視線が交錯する。
それを見つめながら、どくどくと脈打つ心臓を服の上から押さえ込む。
薄氷に似た彼の目に、いつもと違う色が浮かんで消えた。それを、確かに見た。

「初めまして、妹君。『お兄様』はまだ早いんじゃないかな」

ああ、そうか。
私がこんな風に、ごく冷静に茶会のホストを勤めたなら、この時間はこんなに何事もなく進んでいくのか。
前回のときのような騒乱にも似た騒がしさは皆無で、ただひたすらに、穏やかで柔らかな風が吹いている。

大丈夫、大丈夫、私はうまくやれている。
前回と同じ轍は踏まない。そんなことにはならないし、決して、そんなことは起こさない。

体があまり丈夫ではないのです、と控えめに表現して目を伏せるシルビアの顔を、ソレイルがじっと見つめている。
その指先がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
妹に、触れたいと思っているに違いない。
その儚い存在に、焦がれているに違いない。
ほんの躊躇いもなく私に触れるその指が、妹に触れることを恐れている。
触れたくて、でも、触れてはならないと、自分に言い聞かせている声が耳に響くようだった。

駄目よ、と、取り乱しては駄目よ、と前回の私が忠告してくる。
ソレイルとシルビアの何でもない会話に相打ちを入れながら、分かっている、大丈夫だと、何度も何度も心と頭に言い聞かせる。
ソレイルに嫌われたくはない。憎まれたくは無い。
今日までの自分の素行のせいで、もう、どうしようもないところに来ていたとしても、それならばせめて憎まれることだけは避けなければいけない。
今回なら、きっとやれる気がするのだ。
だって、私はこれから起こるはずの出来事を全て知っているのだから。
間違いを正していけば良いだけだ。私が犯したありとあらゆるしくじりを、訂正していけばいいだけだ。
簡単なことではないか。
今、私が、この茶会でそうしているように、きっとうまくやれる。

―――――二度目の私の人生は、そうやって、一度目の人生を踏み直す為のものとして始まった。

何を言えばソレイルが不快に思うのか、何をやれば失敗するのか、前回の私には見えなかったことが恐ろしいほどにはっきりと見えた。
それは、前の人生を鮮明に覚えているというよりは、これから起こることが明確に分かるといったほうが正しい。
何かが起こるよりも前に、これから起こるだろう出来事が、目の前に再現される。
だから私は、自分が前回よりも幸せに生きられるだろう選択肢を選んだ。
簡単だ。
前の人生の、正反対の道を行けば良いのだから。

だけど、それでも、どうしても私が思った通りの道を選べないこともあった。
それは例えば、私の知らないところで彼らが街でばったりと出くわしてしまったり、病で臥せったシルビアをソレイルが見舞いに訪れたり。いつの間にか、ソレイルの友人とシルビアが知り合いになっていたり。そんな風に、自分自身が関与できないところでは、思うとおりに道を正せなかった。
そういうとき、私は、逆らうことのできない大きな流れ、すなわち運命というものの力を信じざるを得なかった。

つまり、私には、どうしても、想い合う二人の心を止めることができなかったのだ。

できることと言えば、せめて、ソレイルに悪感情を抱かせないことくらい。
私ができるのはそれだけだった。
それだけなのに。

本当は、それさえも、私が思っていたよりずっと、ずっと、苦痛を伴うものだった。

うまくやれると思っていたのだ。
正直に言えば、人生を舐めていたとも言える。
一度、経験したことなのだからとまるで神にでもなった気分で、正しいと思う道を選んだ。
いや、実際には、一つの道しか選べなかっただけなのに、選んだつもりでいたのだ。

選択肢のない人生とは、一体、どれほどの価値があるのだろう。

そんなものに、意味などあるのだろうか。
想いを伝える言葉を封印し、やりたいことをしなかった。正直さとは無縁で、本音を胸の奥で潰した。
口に出す言葉には想いが伴わず、まるで、誰かが書いたセリフを諳んじているような錯覚で。
時々、呼吸をしているのかさえ分からなくなった。

私は、自分の人生を生きているのだろうか。

日を重ねるごとに、年をとる度に、そんなことを思うようになった。

そして、そんな風に日々を追って、私とソレイルはやはり結婚することになった。
一度目の人生と同じだ。
決定的に違ったのは、私とシルビアが姉妹として良い関係を築けていたこと。
そして、私とソレイルも、前の人生よりもずっとお互いに向き合うことができていたこと。

一度目よりも、うまく運んでいる人生。

だけど、どうしようもなく虚しい人生。

それは、牢獄の中で祈りを捧げていた日々によく似ていた。
出口がない。自由が無い。想いを伝える術もない。

言葉にも行動にも、何一つ、意味を見出せなかった。











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