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婚約者は、私の妹に恋をする 作者:はなぶさ

これが、本当の最後なら。

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3

白銀の髪に紫瞳を持つ、私の妹。
シルビアは、生まれたそのときから両親にとっての特別であった。
口さがない若い侍女は、望みもしないのに様々な情報を与えてくれたので誰かに聞くまでもなかった。
両親が持たないその色は、彼女の実の母親に由来しているらしい。

「……こんなところで昼食かい?」

学院の裏庭に、忘れ去れたようにぽつりと放置されたベンチに腰掛けて、屋敷の料理人が持たせてくれた軽食を広げていると、ふと静かな声が落ちた。
見上げれば、その制服から騎士科の生徒であることが分かる。
ネクタイの色は上級生であることを示していたので、立ち上がって挨拶をしようとすれば片手で制された。
その仕草から、身分の高い人間であることが察せられる。
隣に座っても良いかと聞かれたが、咄嗟に首を振った。
婚約者のいる者が異性と二人きりになるのは褒められたことではない。
侍従や侍女がいればそれはまた別の話だが、さっと見渡した限りではここには他に誰もいない。
学院内においては生徒同士とは言え、貴族ばかりなので慎重すぎるほどがちょうど良いのだ。
貴族ばかりということは、すなわち、その誰もが幼少期から決められた相手がいる可能性が高い。
首を振っただけではうまく伝わらなかったかもしれないと、やんわりと断りの文句を口にしていれば、騎士科の男は訝しげな顔をして首を傾いだ。
それは、まさか断られるとは思ってもみなかったという表情だ。
その顔を眺めていると、何となく見覚えがあることに気付く。
社交界にいれば、大抵の人間とは顔見知りになるものだ。
話したことはないけれど、遠目で、ソレイルと談笑しているのと見かけたことがあるかもしれない。
誰かに否やを口にされることがないほどの高い身分、その身のこなし。
数週間前に噂された、隣国からの留学生というのが恐らく彼のことだろう。

確か、高位貴族だったはずだ。

そうであれば、彼の申し出を断るのは得策ではない。
しかし、彼が本当にそうなのかという自信はなく、確証が得られない限り迂闊なことはするべきではないだろうとも思う。
ただでさえ、私とソレイルが不仲であるという噂が広がりつつあるのだ。
私が異性と二人きりで一緒に居たことが知れれば、恐らく責められるのは私の方だろう。
ソレイルがどんな振る舞いをしていようと、彼が糾弾されることはまず、無いと言って良い。
侯爵家の子息というのはそういうものだから。

目と目が合うのを避けるように顔を伏せたまま、手にしていた果物をバスケットにしまう。
褒められた態度でないことは重々承知しているが、この国の礼節に従うなら彼の機嫌を伺っている場合ではない。一刻も早くこの場から離れなければ、誰に目撃されるか分からないのだから。
彼が本当に隣国からの留学生だった場合、私のこの無礼な振る舞いが問題になるかもしれないと思ったが、そこはもう知らぬ存ぜぬで通すしかないだろう。

「……君、その無表情の下で何か色々考えているでしょう」

どうやら、ずっと観察されていたらしい。
声音に混じる、ふっと吐き出すような息で明らかに笑われたと分かるのに、馬鹿にしたような物言いではなかったので思わず顔を上げてしまう。
すると、こちらを覗きこむようにして立っていた彼と思い切り目が合ってしまった。
軽く息を飲んで僅かに上半身を反らせれば、

「そんなに怯えないでよ」と苦笑いで返される。

その親しげで優しげな雰囲気は、逆に警戒心を強める。
幾度となく繰り返す人生で、私を陥れようとする人間はいつだって優しい顔をしていた。
これまでに積み重ねた数多の経験が危険を回避するのに一役買ってきたわけであるが、それがいつだって役に立つとは限らない。
慎重に慎重を期しても、落ちるときは、落ちる。
そして、そうなってしまえば、自分で止めることができないのだ。

「不足ながら……私も貴族の子女でございますので、婚約者以外の男性と二人きりになるのは……」

よくないことなのだと、声には出さなかったけれど表情で伝える。
己に婚約者がいることと、この場に留まられては困るのだということは伝わるように言葉を選んだつもりだ。よほどの鈍感でなければ悟ることができるだろう。
しかし、その男は「……そうなんだ」と返事をしたきり黙りこんでしまう。

なぜか、ここから立ち去る素振りを見せないので、ここは自分が場所を譲るべきなのかもしれないと思い立つ。
広げていた軽食を片付けて立ち上がれば、

「……何だか、邪魔をしてしまったみたいだね」と、今度は断りもなくベンチに腰を下ろした。

いえ、と首を振りながら「もうそろそろ教室に戻ろうかと思っていたところですので」と男に向き合う。
立っている私を見上げる格好になった男の藍色の瞳がこちらを見上げた。
その明るいとは言えない色あいが懐かしさを呼び起こす。
陽の翳った場所で見れば、きっと黒に近い色をしているのだろう。

「だけど、君。全然食べていなかったじゃない」

思わぬ追及に、別れの挨拶の為に折りかけていた膝を伸ばした。

「そんなに急ぐことはないと思うよ。まだ時間もあるじゃない。
だから、もう少し僕に時間をくれないかな。
―――――イリア=イル=マチス嬢」

さらりと自分の名前を口に出されて、少なからず動揺しながら『やっぱり知っていたんだ』という思いも過ぎった。
彼が隣国の高位貴族であるのなら、留学先の仕来りくらいは一通り学んできているはずだ。
だから、彼は、婚約者のいる異性と二人きりになることは望ましくないと知っていて、あえてそれを無視していたことになる。
伯爵家第三位という由緒正しい家柄でありながら、毒にも薬にもならない家系である私の名前を知っているのには違和感が伴うが、それも「ソレイルの婚約者」として知っているのであれば納得がいく。
ソレイルの実家は、言わずと知れた侯爵家であるのだから。
他国の高位貴族と親交があってもおかしくない。

「……あれ、驚かないんだねぇ」

のんびりとした声音が静まり返った裏庭に響いた。
ここは、そもそも裏庭でも奥の奥に位置しているので、めったに人が立ち入らない場所でもある。
だからこそ、ここで昼食をとっていたのだ。
誰の目も気にせずに、誰の言葉にも惑わされずに、一人きりになる時間が必要だと思ったから。

「十分、驚いていますが、」

驚きのあまりに言葉も出ないのだという素振りで小さく息を吐く。
そんな些細な動きさえ見逃すまいとしているように、藍色の目がじっとこちらを見据えている。
何か用事があるのなら早く言えば良いのにと思う。

「顔に出ない性質なんだね。僕と同じだ」

ふふ、と笑うその顔は、人好きのする幼さが際立つものだったけれど、たった数分の会話でも、彼が額面通りの人間ではないことが分かる。
本音の見えない相手と対峙するのは初めてではないけれど、赤の他人とも言うべき彼と駆け引きをするつもりなどは毛頭ない。
つまり、彼がどういう人間だろうと興味がないのだ。

しかし、一度機会を逃してしまうと、立ち去るきっかけを掴むのが難しい。

あえて、私を観察しているかのような眼差しを向けているのは、その行動を気取らせることによって、私がどういう反応を示すのかを見てみたいからだろう。
人間というものは、咄嗟の行動にその本質が表れるものだから。

「……ところで、君がこんなところに一人きりで居るのは、ソレイル殿が食堂で妹君と一緒にいるからかな?」

至極、何でもないことのようにそう言った男の双眸は探るような目つきをしていた。
不意を突いたつもりなのか、意図的に作られた妙な緊張感に思わず眉を顰めそうになって、反射的に笑みを浮かべる。
すると、相手の男は明らかに驚嘆の色を浮かべて数回瞬きを繰り返した。
ただの小娘だと、侮っていたのだろう。
確かに、あの茶会の前までの私であれば、狼狽して声を荒げていたかもしれない。
それどころか、ソレイルとシルビアが一緒にいることさえ否定していただろう。
事実と分かっていても受け入れられないことがある。
何ヶ月か前の私であれば、きっとそうしていたに違いない。

「ソレイル様は、妹をとても大切にしてくださいますので。私もつい、甘えてしまいました」
「……甘える?」
「私もたまには一人きりになって生き抜きをしたいと思うことがあるのです。
けれど、妹は最近この学院に入ったばかりでございます。
不安そうにしておりますので誰かが傍についていなければなりません。
本来なら私が面倒を見るのが道理なのですが…あの子もソレイル様を兄と慕っておりますし、つい、ソレイル様にお任せしてしまったのです」

考える必要もなく言葉がすらすらと出てくる。
ソレイルとシルビアの仲を勘ぐって、事もあろうに婚約者である私に探りを入れてくる人間は少なくない。
それは、単純にソレイルの不実を暴こうという正義感だったり、もしくは私を嘲笑しようとするものだったり、あるいは、ソレイルとシルビアの恋を成就させようというお節介からくるものだったりと様々な理由からだったけれど。
その度に私は、適当な言い訳を口にしたものだった。
そして、今が、まさしくそのときだ。
すっかり慣れきった「作業」である。

「……そう『兄』ね。それは、それは、」

私の発言にぐっと息を詰めた、他国の優美な高位貴族は、苦笑とも落胆とも言えない微妙な顔をした。
一体、何を引き出そうとしていたのかは分からないが、期待していた返事とは違っていたのだろう。
しかし、少しの沈黙の後に吐き出されるのは、

「だけど、周囲はそう見ていないんじゃない?」

想像通りの言葉だった。

「……さあ、どうでしょう。私には分かりかねます」

心底、不思議そうな顔をしてみれば、相手は腹の底から息を吐き出した。
大仰なほどのため息は、彼ほどの立場であれば相手を萎縮させるのに効果的だろう。
狙ってやっているのかは分からないが。

「何だか、君……。僕の想像とは違ってる……」

すっかり困りきった様子で私を見上げるその双眸は、学院の噂になるくらいには整っている。
貴族というのは元来、容姿の優れた者同士で婚姻関係を結ぶことが多いので見目麗しいものだが、彼はその中でも際立っていると言って良かった。
こういう人間が居るからこそ、私のような地味な容姿が目につくのかもしれない。
『悪目立ちする』とは、まさしく私のことだった。

「どのような想像をされていたのかは存じませんが……そろそろよろしいでしょうか?」

用事がないのであればすぐにでもここを立ち去りたい。それを素直に口にする。
すると男は両肩を竦めて「僕はまだ話し足りないんだけど」と悪びれもなく言い放った。
何だか無意味な応酬をしているような気がしてならないのだ。

「……一体、どのようなご用件で?」

このまま開放されることはなさそうだったので仕方なしに、話を聞く体勢に入る。

「まぁ、まず。自己紹介させてよ。君、僕のこと知らないみたいだからさ」

ふふふ、と笑みを深めたその顔に、私にとって良くない方向へ話しが進んでいることに気付く。
ここで彼の言葉を遮るのは相応しくない。だけど、できれば名前など知らないままでいたかった。
お互いに名前を知ってしまえば、私たちはその瞬間から「知り合い」に類することになってしまう。
そうなれば今後、彼と顔を合わせたときに知らない振りなどできなくなる。
彼はそれをよく知っているのだろう。だから、嫌味なほどに清清しい笑みを浮かべているのだ。

「改めて、お壌さま。僕の名前は、サイオン=トピアーシュ。ちょっと近くの国からお勉強に来てるんだ」
「ちょっと、近くの国……?」

正式な場ではないからか、あきらかに略名を口にしている。
これが舞踏会などの公式な場であれば、自分の名前を省略するのはご法度だ。
相手を侮っているととられる。
その表情を見ていれば私を見下しているわけではないようだが、正式名を口にしなかったのには何か意味があるのかもしれない。
それに、出身国を言わないのはなぜなのだろうか。
彼が、噂の留学生であれば調べるまでもなく簡単に判明するというのに。

何より、その「サイオン」という名前。
聞き間違いでなければ、数日前の昼食会でソレイルとシルビアがいかにも親しげにその名を口にしていた。
だとすれば、彼は確実に二人の知り合いだということになる。
その彼が、ソレイルの婚約者たる私にわざわざ接触してきたのだ。
たまたまこの場に居合わせたとも考えられるが、その可能性は低いだろう。
ソレイルを介して近づいてきたほうがまだ自然である。

「ああ、良いね。その顔。その顔が見たかったんだよ」

怪訝な表情でも浮かべていたのだろう。
サイオンは愉快そうに半身をベンチの背もたれに預けて笑った。
……あの不可思議な名乗りは、ただ単に挑発したかっただけなのだろうか。
今更、取り繕う気もないのでただその様子を眺めていれば、

「我が国ではね、政略結婚は古き時代の悪習となりつつあるんだ」

ふ、と、こちらに向けている双眸を細めた。
第三者からすれば、いきなり何を語りだすのだろうと思うところではあるが、私を取り巻く現状を鑑みれば自ずと着地点が見えてくる。

「もちろん、貴族社会はその限りではないよ。
政略結婚によってもたらされる利益の方が大きいし、貴族としての義務を果たすにはそれを選んだほうが良い場合もある。
だからまぁ、あくまでも一般民衆の話だね」
「……」
「だけど、この国よりはつまり、恋愛結婚についての理解があるということだよ」

軽やかな声音に反して真剣な顔をしたサイオンは、ぐっと身を起こして伺うようにこちらを見据えた。
「何を仰りたいのか分かりません」と言った私の声が、さしたる動揺も見せず白々しく響く。
自分の声とは思えないほど、機械的で感情の伴っていないものだ。
それを聞いたサイオンは、ここで初めて、いかにも階級の高い貴族然とした嘲笑を浮かべた。
鼻を鳴らして「そうだろうね」と私に同意を示す。

「僕の言っていることが分かっていれば、こうして、そんな風に平然とした顔をしていられるわけがない」

僅かに、侮蔑のようなものが混じっているのは気のせいではないだろう。
この男が、ソレイルとシルビアを知っているのなら。
あの、一対の人形のように仕上がった二人を見たことがあるのなら。
こう思うに違いない。

『ソレイルは、イリアよりもシルビアと結ばれるべきだ』と。
この学院の、大半がそう思っているように。

「君はソレイルのことが好きなの?」
「……それに答える義務はないと思いますが、」
「まぁ、そうだけどね。でも、誰もが疑っているんじゃないかな。君はある時期から、ソレイルや周囲に対する態度が変わったらしいから」
「……」

ある時期から、というのは茶会の後を差しているに違いない。
それまでも、学院内においてソレイルと直接言葉を交わしたり、特別親しくしていた記憶はないが、いつだってこの目は彼の姿を追っていた。
彼に近づく女性皆に牽制していたくらいだし、私のソレイルに対する想いは明け透けなほどに分かりやすかっただろう。
だけど、茶会を終えて、シルビアが学院に通うようになり、ソレイルとシルビアの距離が縮まるにつれ、私は、意図的に二人を避けるようになった。
ソレイルは私の婚約者であり、シルビアは私の妹だ。
だから、二人が昼食を共にするのであれば、私もそこに混じれば良い。
それは不自然なことではないし、シルビアの為には、むしろそうするべきだったかもしれない。

だけど、私はそうしなかった。
二人を見ているのが辛い。二人の傍に居るのは苦しい。
一緒に居れば、思い出したくない過去が蘇ってくる。
だからこそ、距離を置こうとする。
だけど、捨て去ることのできない想いのせいで、完全に離れることもできない。

「ねぇ、想い合う二人を引き裂くのはどんな気分?」

おもむろにベンチから立ち上がったサイオンが、私の横に並び立ち、秘め事でも口にするかのように囁いた。
耳の奥に、重しのように沈んでいくその言葉。
立場が変われば見方も変わる。それは当然のことだ。
私から見れば、私とソレイルの仲を引き裂くのはシルビアで。
シルビアから見れば、シルビアとソレイルの仲を引き裂くのは私だ。
周囲の人間は、自分が味方につきたいと思う側からその関係性を見出す。
つまり、サイオンは、私の味方ではない。

「解放してあげなよ」

ね?と、何でもないことのように言って、サイオンは踵を返した。
来た道を戻っていくその姿に、掛ける言葉は無い。
よほど私の存在が目障りだったのだろうか。
解放して欲しいのはむしろ、私のほうだというのに。
何をどうすべきなのか判断できずにいる。

一つ前の人生で、ソレイルとシルビアが結婚することができたのは、そうしなければならない事情があったからだ。
結婚式を中止することができないようにあえて、式の二日前に出奔した。
代役をたてる必要があったからこそ止むを得ずシルビアが務めを果たすことになったのだ。
あれほどに逼迫した状況でなければ、両親は、シルビアを手放さなかっただろう。
だとすれば、今この状況で私とソレイルが婚約を解消したところで、シルビアが彼の相手に選ばれるとは思えない。
そもそも、次代の侯爵家夫人になれるだけの教養が今現在のシルビアには備わっていないのだから、いくらソレイルが彼女を望んだとしても、侯爵家は認めないだろう。

そういう様々な事情を、サイオンは知らない。
知らないからこそ、理想と願望を追及し、希望を求める。

友人と、その愛する人が一緒になる未来を夢見ても不思議ではない。

「……ねぇ!君は、いつまでそんなところにいるつもり?」

少し離れたところで、こちらに振り向いたサイオンが大きな声で言った。
ただ単に、昼休みが終わることを知らせているのかもしれないし、私の現状を知らしめようとしているのかもしれない。
だけど、本当に、

―――――私は、いつまで、こんなところにいるのだろう。















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