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婚約者は、私の妹に恋をする 作者:はなぶさ

今生のソレイルが見る夢は。

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くすんだ鉄の色だと、彼女は視線を落とした。
老婆の髪だと。

そんなことはない、と言おうとして口を開くが言葉が出てこない。
自分の意思に反して「そうだな」と嗤う。
それを聞いて、彼女は視線を落としたまま口元にだけ小さく笑みを浮かべた。
もちろん喜んでいるわけではない。
しかし、悲しんでいるわけでもない気がした。
そう、それは例えるなら、諦念だ。
もう全てを、何もかもを諦めた者がする顔だ。
訂正すべきだと分かっているのにやはり気のきいた言葉が出てこない。

―――――これは、何だ。
これは、こんなのは、俺ではない。
彼女を傷つけるなんて。
彼女にそんな顔をさせるなんて。
これが、俺のはずがない。

褪せた緑色の瞳は枯れる直前の葉に似ていると、両親も好ましく思っていないようなのです。とまた一つ笑った。貴方もお好きではないでしょうと彼女は小さく息を吐く。
聞く人によれば、ただ単に愚痴を零しているかのような呟きである。ともすれば聞き流してしまいそうな。
しかし、否定されることを期待しているわけではないとすぐに分かった。
そんなものを求めているわけではないのだ。
俺に問いかけているようにみせかけて、実は答えなど必要としていない。
肯定されて当然だと、そう思っているかのような素振りだった。
なぜそれ程に己を卑下する必要があるのかと、そんなことを口にしようとして、結局出てきたのはため息だけだった。意識してやったわけではないが、吐き出す息を飲み込むことができなかった。
まずい、と確かに思ったのに吐き出したものを元に戻すことはできない。
それをしっかりと聞いていたらしい彼女は、驚きもせずに一度だけ強く瞼を閉じて、今度は逸らすことなく真っ直ぐにこちらを見据えてきた。

その余すことなく光を取り込むその瞳は、彼女自身の評価を覆すに足りる。

褪せた緑なんて、そんなことを思ったことは一度もない。
確かに淡い色彩ではあるが、角度を変えると僅かに琥珀が混じっていることに気づく。
それは、他の何にも例えることのできない、この世に只一つの色だと思っていた。
彼女のその目に捉えられたとき、なぜか満ち足りた気分になる。どうしようもなく気分が良い。
そんな不思議な色を宿した瞳だとずっとそう思っていたのだ。
しかし、それをはっきりと言葉にして伝えたことはなく、今がそのときだと思うのに、唇は空気を食むだけで声が出ない。

何か、自分に思いも寄らない力が作用している。
言わなければ。早く言葉にしなければ。
そうしなければ、彼女の心を失う。
それが分かっているのに縫い付けられたように舌が動かない。

「ああ、もうこんな時間ですわ。私、礼儀作法の授業がありますの。ソレイル様はどうぞゆっくりしてらして。ほら、あの子も参りますし」

彼女の視線を追えば白銀の髪を揺らした小柄な少女が微笑みを浮かべながら近づいてくるのが見えた。
伯爵家の庭に用意された茶会の席は、向かい合わせの席が二つだけだ。
もしかしたら、イリアは初めからこの席に着くつもりがなかったのかもしれない。
実際、彼女は挨拶も早々にたった数分言葉を交わしただけで立ち去ろうとしている。

―――――なぜだ。
この茶会は、君と婚約者たる俺のために用意された席だろう。

そう言おうとして、『あの子』と称された少女がすぐ傍まで来ていることに気づく。
少女の視線は自身の姉ではなく、その婚約者である俺の顔に固定されていた。
その視線を受けても心は動かない。…はずなのに、なぜか口元に笑みが浮かぶ。
嬉しくない。可笑しくもない。しかし、嬉しくてしょうがない。可笑しくてしょうがない。
まるで酩酊しているかのような感覚だ。

「……久しぶりだね。体調はどうだい?」

到底自分のものとは思えない唇が少女を気遣う言葉を吐く。
その間にもイリアとの距離は広がるばかりなのに、追いかけることさえできない。
地面に固定されたかのように足の指一つさえ動かすことができないのだ。

「今日はだいぶ気分が良いんです。熱もありませんし」

頬を染めた少女が恥らうように瞳を伏せて、その稀有な紫眼を隠すように長い睫が影を落とした。
ああ、もったいない。
なぜかそんなことを思ってしまう自分が居て、その瞳を覗き込もうと腰を落とす。
不思議そうに瞬いた澄んだ瞳に自分の間抜けな顔が映り込んで、弾かれるように身を引いた。

―――――違う。この目じゃない。
この目に映りたいのではない。

「……お兄様……?」
「……言っただろう?お兄様はまだ早いんじゃないかって。だから、さぁ」

名前を呼んで。
甘く囁くような声がどこか遠くから響いているような気がして頭の芯が痛む。

これは、何だ。
俺は一体、何を言っている。

気分が悪い。
吐きそうだ。

「……ソレイル様?」

ちらりとこちらを見上げる熱のこもった目差し。
いつかどこかで確かにその目を見たような気がして、だけど、そんな目を向けられる理由も分からず呆然とただ立ち尽くす。
いや、そう思ったのは一瞬で、俺は躊躇いを覚えながらも少女の薄い肩にそっと触れる。

「また具合が悪くなるといけないからね。座ったほうがいい」

己の口から、自分のものとは思えない囁くような声が零れる。
「ありがとうございます」と何の躊躇いもなく引いた椅子に腰を落とすその動きを見つめながら、本来ならイリアが座るはずだったのにと、そんなしょうもないことを思った。
追いかけることさえできなかったのに、何を考えているのかと。
その間も、イリアの妹だというその少女がさも嬉しそうに笑いながら語りかけてくる。

―――――シルビア。ああ、そうだ。彼女は、俺の……俺の、俺の……?

「……ソレイル様、いつもありがとうございます」

触れれば大気に溶けてしまいそうな細い髪が宙に舞う。
誰もが美しいと誉めそやすその髪。侍女が念入りに手入れしてくれるので、と大したことでもないかのように微笑を浮かべる。
私も自慢に思っているんです、と。

「何に対するお礼なのか聞いても良いかい?」
「……私に、優しくして下さって…本当に、感謝しているんです。ソレイル様がいらっしゃらなければ、こうやってお庭でお茶を飲むことさえ許してもらえなかったでしょうから。
両親も姉も過保護なんです。私が風に当たるだけで病気になると思ってる……」
「……残念ながら、そう思っているのは君のご両親やイリアだけではないよ」
「ソレイル様も?」
「ああ、そうだね」
「そう、なんですか……」
「だが、気分転換も必要だと思っているよ。君はもっと外に出たほうが良い。
空の色も土の感触も空気の臭いも、誰かと目線を合わせて言葉を交わすことも、想像するよりもずっと素晴らしいものだから。それは少なくとも、生きる希望になる」

俺の言葉を真摯な眼差しで聞いていたシルビアが「生きる、希望」と単語をなぞるように呟く。
そして少しの間を置いてから、その揺らめく瞳で俺の顔をじっと見つめた。

「……なってくださいますか?生きる希望に」
「ん?」
「『誰か』ではなく、貴方が良いです」

夢見るような顔で少女が言う。
その背景を飾るように、彼女たちの母親が育てたという大輪の薔薇が咲き誇っている。
向こう側が透けてしまいそうなほどに白い肌をうっすらと朱色に染めて、少女が返事を待っていた。
再び、自分の意思とは関係なく言葉が勝手に紡がれていく。

「……もちろんだよ、シルビア」

私は、君の兄になるのだから。
つい先ほどは「お兄様」なんてまだ早いと否定しておきながら、白々しくもそう言った自分の声が僅かに高揚している。一刻も早く、それが事実になれば良いと思った。
自分がシルビアの生きる希望になれるなんて、それ以上の幸福があるだろうかと、そんなことさえ思っている。
心底嬉しそうに破顔するシルビアと、それを受けて口元を緩める自分。
どんな茶番なんだと思いながら、この穏やかな時間がいつまでも続けば良いと思う。
自分はどう足掻いても彼女の「義兄」にしかなれない。
だが、彼女の、シルビアの傍に居られるのであればそれで十分だとさえ思える。

―――――いや、違う。なぜだ。そんな馬鹿なことを思うはずがない。
だって、俺は。
俺は、イリアの婚約者なのに。

*
*

「なぁソレイル。君の婚約者さん、最近良くないよ」

剣術の稽古中に友人が話しかけてくる。
爵位が高いせいで敬遠されがちな自分にも気さくに話しかけてくる友人だ。
幼少期から知っているということもあり気心が知れている。

「……良くないというのは?」
「君に近づくありとあらゆる女性を牽制して回っているって噂」
「……何?」
「あれ?知らなかったんだ。学院中の噂になってるけど。婚約者の悋気が怖いから、君には近づかないほうが良いって」

友人が肩を竦めて苦笑する。女の嫉妬は怖いね、と。
それを聞くとも無しに聞きながら、噂になっているというのが到底、自分の婚約者だとは思えない違和感に首を傾いだ。
噂を否定する要素はない。それほどにイリアの一挙手一投足を知っているわけではないから。
だが、自分の知っているイリアは、大人しく前向きで努力を惜しまず、その一方で何事にも執着しない人間だったはずだ。

「信じられないって顔してる」

友人がにやにやと嫌な笑みを浮かべ「だけど、僕もその現場見ちゃったんだよね」と双眸を鋭くした。
「あれは、醜悪だったよ」と、イリアを貶めるような発言をする。
カッとしたのはほんの一瞬で、やがて彼に同意するかのように口元が奇妙に歪んだ。
恐らく、嘲笑と言った類のものだ。

―――――なぜ、そんな顔をする?
己のことなのに感情を制御することができない。
彼女はそんなことをする人間ではないと否定すべきなのに、他の誰が彼女を疑っても、自分だけは彼女を信じるべきなのに、そうできない。

「そういえば、君の婚約者さんには妹君が居るらしいじゃないか。伯爵家の秘匿された姫君が、とうとう社交界に顔を出したって話題になってたよ」

思い通りにならない肉体と相反する想いを抱えて歯噛みしていると、その間にも話題が転換していく。

「妖精のように愛らしいんだって?病弱だって言うのが惜しいけど、控えめで人柄も良いって僕の両親は誉めそやしていたよ」

「僕もぜひお目にかかりたかったんだけど、挨拶も早々に、体調を崩したとかで姿を隠してしまったとか」

実際にシルビアを見たわけではないようなのに、友人はどこか夢見心地で語った。
銀色の髪に紫の瞳なんて妖精じゃなくて女神様かもしれないね!と声高に叫ぶ友人に鷹揚に肯きながらも、それと知られないように眉を顰める。

「何なに、何の話だい?」

友人の声に引きづられるようにして、いつの間にか周囲の視線が集まっていた。同じ騎士課の生徒だ。
それに気分を良くしたのか、他の生徒にまでシルビアの話をしている。
社交界に唐突に現れた美貌の少女がイリアの妹だということも包み隠さず。
彼女たち姉妹の外見が、全く異なっていることも大仰に語って聞かせている。
イリアについては己が見たそのままの印象を。シルビアについては、彼の両親が語って聞かせたらしい社交界での彼女の印象を。両方とも僅かばかりの誇張と夢想が含まれているばかりに、実際の彼女たちとは異なる姿となっている。
訂正すべきかと口を開くも、こちらに向かってくる抑えきることのできない好奇の目が、否定しても無駄だろうということを語っている。それに、口を開いたは良いが何をどう否定すれば良いのかも分からない。
そんな心情に気づきもしない彼らは、社交界の話題をさらっている噂の少女の話を聞きたいらしく距離を詰めようとしてくる。
結局、仕方なくその視線を避ける為に目を伏せた。

友人の言っていることは、正しくはないが間違いでもない。
シルビアは確かに美しい。
その輝かんばかりの髪は特に目を引き、華奢な体は言うまでもなく庇護欲を誘う。
宝石に例えられる瞳は、この国ではほとんどお目にかかることはない稀有な紫だ。
それを言葉にすることは容易い。
友人に語って聞かせることもできただろう。
だが、イリアの婚約者という立場はそれを許さない。
そんなことをすれば、まるで、俺が婚約者の妹に懸想しているように思われる。それは良くない。

それに、この中で唯一シルビアと接触しているであろう俺がそれを語ってしまえば、彼女は途端に、想像の産物から血の通った人間へと姿を変える。
それは非常に危険なことだと思えた。
いたいけな少女に、良くない輩が接近して来ないとは言えない。

そうだ。俺はいずれ彼女の兄となるのだから。
シルビアを守らなければ。

つい先日、誰かが『ソレイル様はお優しくていらっしゃる』と口にするのを聞いた。
『シルビア様が仰ってましたよ。夜会のドレスを用意してくださったのはソレイル様だと。婚約者の妹君にまでドレスを用意するなんてなかなかできたことではないでしょう。シルビア様もご両親もはそれはそれは喜んでいらっしゃいましたよ』と。
その含み笑いの意味を知らなかったわけではない。
やりすぎなのではないかという非難の意味が込められていたのも分かっている。
だが、それで良いと思った。
シルビアが喜ぶのであれば。
俺を、生きる希望にしたいと懇願するように言った少女が笑ってくれるのであれば。
それで良いのだと、本気で。

―――――いや、違う。何を言っているのだ。
そんなはずはない。まさか、そんなことを思うなど。
どうかしているとしか思えない。
俺は、一体、どうしてしまったんだ。

「ほらほら止めないか皆。ソレイルを困らせるんじゃないよ」

明らかに拒絶しているというのに、それでも尚、シルビアについての情報を聞き出そうとする同級生に友人が声を掛ける。先ほどまで、自身もその輪の中に入っていたというのに現金なものだ。

「ソレイルだって、可愛い可愛い妹君を隠しておきたいに決まっているんだから」

その言葉が、すっと胸の底に落ちてくる。
ああ、そうだ。俺は彼女を誰にも見せたくない。


―――――久方ぶりに顔を合わせたイリアが視線を下げて笑みを灯す。

「……シルビアに、優しくしてくださってありがとうございます」

歪な笑みは、今にも泣き顔に変わりそうだった。

月に数回、特別な用事がなければ、どちらかの屋敷を訪れて親睦を深めるというのが両家の取り決めだった。たった数時間、顔を合わせるだけの単調な時間だが、退屈だったわけではない。
上辺だけのお洒落な会話を楽しもうとする他の女性とは違い、頭の良い彼女と言葉を交わすのは面白く実りある時間だった。
だから、今回もそういう時間を期待していた。

「シルビアにドレスをご用意してくださったとか……私、知らずにおりましたので……」

ところが、顔を合わせたその瞬間、彼女は頭をすっと下げる。
初めて会ったときにそうだったように、不安で揺れる心情を悟らせまいとするかのように。
それに気づいていながら彼女を気遣うこともせずに「いいんだよ」と首を振る。
いずれは家族になるのだからと。
そう言えば、イリアはじっと俺の顔を見上げてまた一つ笑みを落とす。

「ソレイル様が婚約者で、私は、本当に幸せ者ですね」と、笑っているにも関わらず、ほんの少しも幸せそうではない顔で言った。

それを見て「一体、何が不満なんだ」と、そんな理不尽な言葉が口から滑り落ちそうになって寸でのところで留まる。
己が今しがた何を口にしようとしていたかさえきちんと理解できない。
ふとこちらを見上げたイリアは、大きな目を更に大きくして、自ら褪せた緑と評した見つめ返してくる。
「……不満など、何も、ありません」その声が不自然に震えた。
留まらせたはずの言葉を知らずうちに発していたのだと気づいて息を飲むが、もう遅い。
「本当に、不満など、」
黙っている俺の機嫌を損ねたのかと思ったのか、イリアは重ねて訂正する。
懺悔するかのように、胸の前で組んだ彼女の指先が白く染まっている。
どれほどの力で握り締めればそんな色になるのだろう。
爪の先が肉に食い込んでいるのに気づいて思わずその手を掴みそうになるのに両腕が麻痺してしまったかのようにぴくりとも動かない。
己の失言を悔いているのに、それを訂正する言葉さえ浮かばない。
「誤解を招いてしまったのであれば、申し訳ありません」

下を向いてしまった彼女がどんな顔をしているか分からない。
だが、顔を上げるように促すことさえできない。

イリアは悪くない。何も悪くないのに。
彼女に酷いことをしていると分かっているのに、何一つ思い通りにならない。

これは何だ、一体、何を見ているんだ。
俺は、俺は、一体。

いや、お前は一体、誰なんだ。













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