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婚約者は、私の妹に恋をする 作者:はなぶさ

三度目と、それからは。

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2

凶兆を知らせる?
いいえ、そんなのは意味なんてないわ。
だってもう既に、凶事なら起こっているのだから。

そう言った私を見てカラスははっと目を見開くと、ゆっくりと微笑んだ。…ように見えた。
表情なんてないはずのカラスの嘴が、確かにゆったりと笑って見えたのは、そこにいる黒い鳥が幻だからだろう。

「…腕に抱えているのは君の子かな?」

見えるはずもないのに、カラスはなぜかそう聞いてきた。
私が抱えているモノをなぜ知っているのかと首を傾げば、

「もちろん知ってるよ。だってずっと見ていたからね」

と、やっぱり笑みを浮かべる。

「君がその子をあやすのをずっと見ていたよ」
「……そうなの?」
「きっと可愛いのだろうね」
「……ええ、そうよ。とっても…可愛いわ」

不吉な言葉で接触を図ってきたにしては、何とも穏やかな会話だった。
カラスと名乗ったソレから視線を移せば、暗闇の中に胸の前で円を描いた自分の白い両腕が浮かび上がる。
この腕には確かにずっしりと重みを感じるのに、それが幻だと分かるのは、抱いているはずの赤ん坊のその顔が見えないからだ。
明かりを落とした室内は何もかもの輪郭が曖昧で、そこに何があるかなんてはっきりとは分からない。
だから、腕の中のその子の顔も見えない。そう信じ込もうとする。

可愛いと知っている。どうしようもなく可愛いと。
だって私の子供なのだから。
彼と私の子供なのだから。
だけど、私の腕の中に居るその子には顔が、ない。
見ることさえ叶わなかった子供の顔は、想像することさえできなかった。

「あなた、一体何をしに来たの?ここには何もないわよ」

腕に、闇よりも一層暗い幻を抱いたまま問えば、カラスは室内を飛び回りながらくすくすと意味ありげに笑った。鳥だというのにおかしな笑い方をする。

「何もないからこそここに来たのだと思わないの?」

鏡台の上にふわりと飛び降りて、くるりと首を回して愛らしく首を傾ぐ。

「どういう意味かしら」
「とにかく、僕は退屈しているってことさ!」

カラスはバサリとその大きな羽根を広げると一つその身を回転させた。と、思った瞬間、

「ニャア」

鏡台の上には一匹の黒猫がいた。
何かを払うようにぶるりと身を震わせて、観察するようにこちらを見据えた後、

「……あれ、お気に召さなかった?」

女性はだいたいこれでイチコロなのになぁと、長いひげを前足で整えながら首を傾ぐ。

「…可愛いとは、思うけれど」

そんなに好きではないの。と言えば「そっかぁ残念残念」と全く気にしていない様子で笑い声を上げた。
その姿をぼんやりと眺めていると、黒猫はおもむろに鏡台から飛び降りた。
床に着地した途端に元の黒い鳥に姿を変える。

「それで?お姫様。君は一体どうしてこんなところに閉じ込められてるの?」
「……私はお姫様じゃないわ」
「まぁまぁ。お姫様と言っても過言ではない程に愛らしいってことさ」
「……愛らしくもないわ」
「えー、そうかな。うーん、困ったな。困った困った」

カラスはうんうん首を傾げながら床の上をちょんちょん飛び回る。
羽があるというのに飛ばないとは難儀なことだ。

「まぁいいや。で、何でこんなところに居るのか聞いてもいいかな」

最終的に高く高く自分の足で飛び上がったカラスは、私が腰掛けているベッドに降り立った。

「こんなところとは言うけれど、ここは私の部屋よ」
「うん、それは知っているよ」

表情なんてないはずなのに、愉しげに顔を歪めているような気がするのはなぜなのだろう。

「聞きたいのはさ、君のような貴族のお姫様が何でこんな部屋に居るのかってこと」
「だから、こんな部屋ってどういうこと……?そんな風に言われるほど酷い部屋ではないわ」
「……え?それ、本気で言ってるの?」
「……?」

首を傾ぐとカラスはキョロキョロと世話しなく室内を見渡した。

「よく見てみなよ、お姫様。あの窓」

言われて、その黄色い目が向けるカーテンの引かれた窓に視線を移す。
けれど、そこにはいつもと何ら変わりない薄い水色のカーテンがあるだけだ。
首を傾げば、隣からバサリと羽音が響いた。

「ほら、これ」

バサバサと宙を泳いで窓辺に辿り着いたカラスは、カーテンを嘴で摘むと器用に避けた。
隙間に現れた窓ガラスが闇夜を鮮明に描写している。

「……これは、鉄格子じゃない?」

問われて目を凝らせば、ガラスに格子状の影が映っているのが分かる。
確かにそうだ。それは、窓の外側に張られた鉄格子に違いない。

「こんな牢屋みたいな部屋にどうして閉じ込められているの……?」

カラスの小さな頭がこちらを再びこちらを向いた。

「……貴方、カラスと言ったわね」
「え?ああ、うん」
「貴方、その窓から入ってこなかった?どうやって入って来たのかしら」
「……。え?!今気にすることはソレなの?!」

だって、そこに鉄格子が嵌っていること知っていたもの。
私がそう言えば、カラスはないはずの眉間に皺を寄せた。

「さっきはああ言ったけれど、君はやっぱりどこか狂っているんじゃないの」

ため息なんていう人間くさいものを吐き出すと、カラスは喉の奥でクックッと笑う。

「……気に入った。気に入ったよ。うん、良いね。君はとっても良い」

だから、協力してあげようか?

少年みたいだった声が一変して大人の男性のものになる。
低くて甘い、油断すれば絡み取られてしまいそうな粘着質な声だった。

「何を協力してくれるというの?」
「君に関することなら何でも」
「……何でも?」

「人を殺してくれというなら、そうしても良いよ。僕にはそんなの簡単だよ」

戯言だ。ただの、戯言。
そうと分かっていても思わず「はい」と肯いてしまういそうな気分にさせる。
思わず黙り込んでしまえば、

「何だ、純粋無垢なお姫様かと思えばそうでもないのか」

がっかりしているというよりもどこか愉しげな様子で言った。

「……やっぱり冗談なのね?」
「さあ、どうだろう。君が本当に望めば手を貸すのはやぶさかではないよ」

そして、そう答えたかと思えば黒い鳥が何の予兆もなく、文字通りポンと弾けた。
四方に散った黒い羽から身を守るように目を塞いでいると、

「……ふふふふ」とさざめくように誰かが笑う。

薄く目を開ければ、部屋中に舞っている羽の向こう側に人影が見えた。
視界を遮る羽を手で払いながらしっかりと目を開ければ、いつの間にか、すぐ傍に一人の男が立っている。
長身ではないが小柄でもなく、しいて言えば痩身だ。けれど軟弱には見えない。
纏っている黒いローブが、うまくその体形を隠しているのかもしれなかった。
まるで、手品でも見ているような気分で、ただぼんやりと男の体格をなぞるように眺めていた。
すると、浅く被ったフードの奥で男は小さく首を傾いで、茶化すように両肩をひょいと竦めた。
「驚かないんだねぇ」と小さく笑う。

「改めまして、お姫様。僕はカラス。……家名はないよ」

どうぞよしなに。そう笑った白皙の顔は、しなやかで麗しい。
その姿が開け放たれたカーテンの向こうから差し込む月明かりを浴びてきらきら揺らめいた。
眩しくて思わず目を眇めれば、彼は一層笑みを深める。

「それで?君に起こっている凶事というのは何なのかな?」

伸ばされた細い指先が私の頬に触れた。
温度のない手だ。まるで死人のような。
無意識にもびくりと震えた私を見て、彼は満足気に笑った。

「その腕の中に居る、その子?」

「それともあの窓に嵌っている鉄格子?」

「もしくは……僕には予想もできない出来事なのかな……?」

彼のソレイルよりももっと濃い色の黒髪が肩の上でさらりと揺れて、その髪よりも尚深い闇色の目が私を見つめる。
その目に映った私は両目を瞠って間抜けな顔をしていた。

「……鳥の時とは目の色が違うのね」

思わず呟けば、男は愉快そうに声を上げて笑った。

「……ねぇ、お姫様。君を助けてあげるよ?」

距離を詰めてきた男が、いや、カラスが、息のかかるほどの距離で囁く。
その静かな声音には悪事を唆すような響きも混じっている。

「……貴方は…何が目的なの?」
「この期に及んでそんなことを聞くなんてね。僕はさっき言ったのに」

ふふふと笑って吐き出された呼気さえ、ひんやりと冷たい。
思わず身を引けば、一瞬、もっと深い笑みを湛えたカラスが言い放った。

「僕はね、とっても、退屈なんだ……!」

「この退屈な人生に飽き飽きしてるんだよ」

「だから、君を助けてあげても良い。特別に無償で助けてあげるよ?」

「ね?イリア、」




―――――それが、彼との出会いだ。

厳密に言えば、もっと前から私の部屋を訪れていたわけだからその日に知り合ったというわけではないのだけれど。
彼が本来の姿で現れたのはあの日が初めてだった。

前の二つの人生では出会わなかったその存在。

夢か幻かさえ定かではない。
そもそも、いくら喋るからと言って動物と当たり前のように言葉を交わしていた時点で普通の状態ではない。
だから三度目の私は、最期の最期まで彼の存在を疑っていたように思う。

だけど、幾度も人生を繰り返す内に知ることになるのだ。

―――――彼は、確かに実在していた。
彼は確かに、そこに居て私を見ていたのだ。


*
*

「お嬢様は、それで、本当によろしいのですか?」

屋敷の書庫で歴史の本を眺めていると、背後からおずおずと声が掛かった。
振り返れば私の護衛が眉間に皺を寄せて立っている。
窓から差し込む光を反射して、その金色の髪が小さく光を含んだ。
眩しさに目を細めれば、さり気無く立ち位置を変えてくれる。
本当に気の利く男だ。

本を閉じて護衛と向き合い、
「それで良いのか、というのはどういうこと?」と首を傾げる。

「ソレイル様は今日もシルビア様の見舞いに……」

屋敷を訪れている、というのは言葉にならなかったようで言い淀んだまま視線を下げた。

「知っているわ。さっき見かけたもの」

そう。この書庫に来る前、シルビアの部屋の前で逡巡しているソレイルを確かに見た。
私の前では何かに迷う素振りなど見せたことなどない彼が、シルビアの部屋に入ろうかどうかを決断しきれずに視線を彷徨わせていた。
部屋まで案内して来ただろうシルビアの侍女が何とも言えない顔をしていたのが可笑しかった。

婚約者への挨拶さえせずに、その妹を見舞う。
その無神経さに呆れながら、それでも、見舞ってもらえる妹が羨ましいと感じる。
そんな私の思考回路はまともではない。どこかが焼き切れているとしか思えない。
そう思ったら、目と鼻の先に居るというのに、声を掛けることさえできなかった。

「……だから、それでよろしいのですかと聞いているのです」

静かだけれど、苛立ちの混じった声だ。
この護衛にしては珍しいと思う。

「良くないわね。ちっとも良くないわ」
「だったらなぜ、何も言わずこんなところで本なんか読んでいるんです……!」
「…本なんかとは、酷い言い草ね」

苦笑すれば、途端に「申し訳ありません」と全くそう思っていなさそう顔をして律儀にも頭を下げる。
そして頭を下げたまま焦燥の募る声で聞いてきた。

「お嬢様は、本当にこのままで良いのですか?」
「……良くは、ないでしょうね」
「っだったら……!」

弾かれるようにして顔を上げた護衛が今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。
不思議なことだ。当の本人であるはずの私が、もう既に涙なんて枯らしてしまっているというのに。

「ねぇ、アル」
「……はい」
「私の部屋の窓を見た?」
「……っ、はい……」
「あの鉄格子を嵌めたのはね、お父様なのよ」
「……」
「ふふ、もちろん知っているわよね」

あの狂乱とも呼べる大失態を演じたあの日以降、私はあくまでも普通を演じていたけれど、両親までは誤魔化すことができなかった。
というより、正気に戻ったのだという私を、両親は信じ切れなかったのだ。
―――――実際、その懸念は正しかった。
だって、私自身が自分のことを信じることができないのだから。

だから、万が一にも窓から飛び降りないようにと父が鉄格子を嵌めたとき、私はほっとしたのだ。
その鉄格子を見て辛酸を舐めるような顔をしていたアルの横で、私は安堵の息を吐いていた。
あれが、かつて閉じ込められていた牢屋を思い出すものだとしても、それがそこに有るほうが良いと思ったのだ。

「しかし、お嬢様は、自ら死を選ぶような方ではありません」
「あら、それは……どうかしらね。分からないわ」
「お嬢様がどう思っていようとも、そうなのです」

やけに自信たっぷりに言うものだから思わず笑ってしまう。

「……お嬢様」
「ふふ、いいえ、いいの。ごめんなさい。アル、貴方は良い人ね」
「……」

憮然とした顔つきのアルに睨まれて、それでもこの男の眼差しが決して不快ではないことを知る。

「……お父様はね、私が自害するかもしれないことを懸念したわけじゃないのよ」
「……と、いうと……?」

「私があの窓から飛び降りて、万が一にも逃げ出さないようにしたの」

「……それは、どういう、意味ですか……?」
「言葉の通りの意味だけれど」

アルは訝しげな顔をして、何を考えているのか黙り込んだ。

「ねぇ、アル。貴族の家に生まれれば、しかもそれが女児であれば政略の為に結婚するのは当たり前のことなのよ。どの家もそんなものなのよ」
「……しかし、」
「誰もがそう思いながら結婚するの。私だけじゃない、他の家もそうなんだって。私だけがこんな思いをしているわけではないってね。そうやって折り合いをつけるの」
「……折り合いをつけなければいけない何かが、あるのですか……?」

ふと、何かを思い立ったようにアルは膝を付いて、椅子に座っている私の顔を見上げる。

「辛いことがあるのなら、我慢すべきではありません。お嬢様がこれまでにどれほどの時間を費やしてソレイル様との結婚に備えてきたのかを知っています。言いたいことを口にする権利くらいあるはずです」

優しい双眸だ。その真摯な言葉が胸を突く。
だけど、言いたいことを口にしたその先に何があるかなんて嫌なほどに分かっている。
何を言ったって、何をやったって、ソレイルの心は既に妹の元にある。
私はそれを知っている。

「―――――お嬢様。今まではちゃんとそうしてきたではないですか。ソレイル様に近づく女性には厳しく言い含めて牽制していらっしゃった」

それが正しいやり方だったとは思わない。だけど、今の状態はどう考えても普通ではない。と、困惑の色を乗せて眉を寄せる。

「一体どうしてしまったというのですか」

そうだ。あの茶会まではそうしていたのだ。
身分が上であろうと下であろうと、婚約者であるということを傘に着て誰彼構わず牽制してきた。
―――――そうして失敗したのだ。

「……今までのようにはいかないわ。だって近づいているのはソレイル様の方だもの」
「……それは、確かに、そうですが……」

今度の人生では、ソレイルは人目を憚ることなく堂々と妹の元を訪れている。
婚約者の妹であれば見舞うのはおかしくないだろうと、周囲の人間が思わず肯いてしまうような建前で。
人目を忍んでひっそりと心を通わせていた前の二回が嘘みたいだ。
視線を交わすことにさえ罪悪感を募らせていたような二人は、もう、ここには居ない。

逢瀬を重ねる二人を許容している両親も含めて、ここに私の知っている人間はいないような気がする。

ひずみ、のようなものなのだろうか。

前の人生では、初めの人生をなぞるようだったのに。
今度の人生では、ソレイルもシルビアもまるで別人のような行動をとる。

―――――いや、別人、なのだろうか。
ここは全くの別世界なのだろうか。

……だとすれば。

だとすれば、なぜ、私は私のままなのだろうか。

向かい合ったアルの、かつての人生と変わらない澄んだ眼差しを受けながら思う。
この人は、本当に、私の知っている私の護衛なのだろうか。
それさえももう、分からない。

あの茶会までの人生は、私だけに関して言えば最初の人生とほとんど齟齬がない。
だからこそ、私はソレイルに恋をしたまま、ここに居る。
出会った瞬間に彼を好きになって、それほど多くないはずの交わした言葉や視線が想いを強くしていった。

何度となく思った。
もしも、もしも私に最初から記憶があれば。
私はソレイルに恋をしなかったのではないか。

例え恋に落ちてしまったとしても、その想いを手放せるように、その想いを育てないように、ソレイルやシルビアと適度な距離を保ちながら生きていくことができたのではないか。

そして、いずれは。

ソレイルではない他の誰かに恋ができたかもしれない。
例えその恋に傷つくことがあったとしても、やがて家庭を作り、誰かと想い想われるような夫婦になれたかもしれない。
そんな想いが過ぎる。

だけど、私は、懲りずに何度も何度も恋をする。
それもそうだ。私が私である限り、ソレイルに恋する自分を止めることはできないのだから。
出会った当初の私は、自分に待ち受けている運命を知らずにいる。
そして、あの茶会で二人を引き合わせるまでの私は、自分の恋が報われるものだと信じているのだ。

―――――記憶が戻れば、この想いを捨て去ることができる?
いや、そんなはずはない。

なぜなら私は、全てを覚えている人間だからだ。
彼に恋をする自分を、忘れることができない人間だからだ。
積み重ねた人生の分だけ、想いが募る。
忘れることのできない想いがこの身に重なっていく。

前の私も、その前の私も、今も、今このときが過去になったとしても、私はこの想いを忘れることができないのだ。























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