その幽霊を見たのは、川沿いの柳の下だった。柳の下に幽霊だなんて、あまりにベタ過ぎやしないか? それに、その幽霊ときたら、白い着物を着て白い三角巾までしていた。もちろん、足はない。黒く長い髪をたらして、両手はお決まりの幽霊のポーズで、胸の前にダランと下げていた。これで『うらめしや〜』なんて言ったら、ぶん殴ってやろうかと思った。
あまりに人間を馬鹿にしている。
僕は今までに何度も幽霊を見ている。だから、幽霊を見たってちょっとやそっとじゃ驚かない。最近の幽霊は人間とほとんど変わりない。たまにゾッとするような幽霊を見たりもするけれど。そういう幽霊は、かなり怨念が強い。取り憑かれるとまずいから、なるべく近寄らないようにしている。
この幽霊は、今まで見た幽霊の中では最低レベルだ。ちっとも恐くない。
僕は彼女を無視して、柳の木を通り過ぎようとした。
『あ、あの……』
蚊の鳴くような声で、女の幽霊は僕を呼びとめた。
『あのー』
聞こえないふりをしてると、もう一度声をかけてきた。それでも無視して通り過ぎようとしたら、幽霊は僕の後にスッと近寄って来た。
「なんだよ!」
僕はムッとして振り返る。幽霊はヒェッと驚いて後ずさりした。幽霊の方がビックリしてどうする。
『……』
幽霊は黙って俯いた。泣きそうな顔をしている。
『私、恐くないでしょうか?……』
「は? 全然!」
僕は、キッパリ即答した。
「今時、そんな古めかしい幽霊っていないぜ。お化け屋敷にもいないんじゃないのか?」
『やっぱり……』
幽霊は、はぁーっと深くため息をついた。その暗さだけは、幽霊っぽい。
『私、死んでかれこれ二百年近いんですけど……誰も怖がってはくれないんです』
「だろうな」
僕は幾分軽蔑した眼差しで彼女を見る。二百年前というと江戸時代だ。随分長く幽霊やってるよな。
『あの、お願いです。私を見て怖がってもらえませんか?』
「は?」
『幽霊が見える人は少なくて、たまに見えたとしても誰も怖がってくれないんです』
「だって、恐くねぇもん」
幽霊だけにしつこいのは分かるけど、僕はちょっと苛ついてきた。
『困るんです……私もそろそろ成仏したくて、神様にお願いしているのですが、自分で自分の身をあやめた物は、成仏させてもらえないのです』
「しょうがねぇじゃん、自分でやったことだろ?」
『そんな……』
幽霊はシクシクと泣き出した。
『私だって、死にたくて死んだ訳じゃありません……家が貧しくて貧しくて、私が死ねば少しは家族がひもじい思いをしなくなると思い、命を絶ったのです……』
「はぁ……」
そんなこと言われてもなぁ。当時は今と違って苦労も多かったって思うけれど……。
『神様は約束してくださいました。もし、私が誰かをものすごく怖がらせることが出来たら、成仏させてやろうと』
「えっ? 神様が?」
神様もいい加減なこと言うよな……。僕が呆れていると、幽霊はススッと僕の方に迫ってくる。
『だから、お願いです! 私を見て怖がってください!』
幽霊は必死に懇願する。お岩さんみたいに顔の一部がつぶれているとか、口裂け女みたいな口をしてるとか、のっぺらぼうとかろくろく首とかだったら、少しは恐いかもしれない。でも、彼女普通の顔してるし……。幽霊特有の青白い顔をしているけれど、生きていた時は割と美人だったかも。
「はぁ、けど、恐くないんだよね」
僕は思ったままを口にする。それを聞いて、幽霊はまた声をあげて泣き出す。その泣き方がとても辛そうで、僕は少しだけ、幽霊に同情してきた。
「……じゃ、怖がってやるよ。驚きゃいいんだろ」
「本当ですか?……」
幽霊は泣くのをやめ、僕をじっと見つめる。
怖がってやるよ。これも幽霊助けだ。僕は幽霊を凝視すると、『ワーッ!』と叫んだ。自分でもわざとらしいと感じた。僕には俳優の素質はないらしい。
『……』
幽霊は恨めしそうな目をして僕を見つめる。
『ダメです……本気で怖がってくれないと』
「無理」
僕はフーとため息をつく。どこをどう見りゃ恐いって言うんだ? 人間の死体の方がよっぽど恐いぞ。僕は、じっくりと幽霊を見つめる。
と、柳の枝が風に揺れ、僕の方へなびく。しなっとした感触が首に走り、僕は手で首を触る。すると、何かが地面に落ちてきた。
「ギャーッ!!」
巨大な毛虫が、僕の首から地面に落ちて動いている。毒々しいオレンジと黒の毛虫がもぞもぞと地面を這う。僕は恐ろしさのあまり、もう一度凄まじい悲鳴を上げていた。
『……あ、ありがとう』
怖がる僕を後目に、幽霊は微かに微笑む。そして、ゆっくりと僕にお辞儀をすると、スッと消えていった。
僕の毛虫嫌いのお陰で、あの幽霊は成仏出来たようだ。良いことをした、と思いつつも僕は毛虫から逃れるために、一目散にその場を走り去って行った。幽霊よりも、僕は毛虫が恐い! 完
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