#14葵・過去の傷
朝は澄んだ空気の中目を醒ました。
窮屈で、暑くて仕方なかったこのテント内。しかし、横になって暫くすると眠りに入ってしまったのだから不思議である。
お寺に有るお水を頂戴して、あたし達は歯磨きと、洗顔をした。まだ白んでいる空の下、さっぱりして気持ちが良くて仕方が無い。
「昨日はよく眠れた?」
あたしは、延光や隆に問いかけた。
「うん。よく寝れたわ。隣で凄いイビキかきよるんがいても平気やったもん」
「そうそう。ついでに寝言まで言うんだもんね?」
え?それって誰の事かな〜?あたしは二の句が告げなくなった。
「ま、でもすっきり快眠だよね。気持ち良く寝れたよ?誰かさんと同じくね?」
うっ。これは、よほどだったと言っても過言ではないのかも知れない……って思ってみても、詮方ないが、頭を不意に横から殴られた気分だったり……言葉が胸に刺さります。
「と言う事で、テントを畳んで直ぐに出発!朝御飯はもう少し待って貰う事になるけどええか?」
そりゃ、先にテント畳まないと、場所が無い。あのテントの中で食べるご飯なんて嫌だ〜っても思う。
なので、直ぐ様テントを畳み終えて、非常食のカロリーメイトを食べた。しかし、食べたって気がしないのは?何で?これだけで事足りる物なのに……
「それはやな?今旅をしていて、十分身体を使ってるからや!酷使した身体に、必要なご飯って物は有るんやからな!」
と、延光は応えた。そうなのね……今まで気が付かなかったあたしも間抜けだけど、こういう機会が無かったし?だから余り感じた事がなかったのかも知れない。
「さて、行くか?」
「は〜い」
「うん」
皆賛同して、自転車に荷物を詰め込むと、十一号線まで引き返し、そして、一先ず曼荼羅寺へと向かったのである。
過ぎ去っていく風景が、あたしの脳裏に焼きつく。全く知らない場所を走っている自転車。そして、乾燥している空気があたしの体を擦り抜けて行く。
香川県は、池が多い県として有名らしい。あたしはその光景を一目見たかった。淀む池に張った水。しかし、その水嵩は雨のないこの時期にはカラカラに乾いてしまいそうな気がした。 実際そう言う所も有るのかもしれない。
あたし達は、何も会話を交わさず、ひたすら自転車を漕ぐ。これは或る意味仏に仕える苦行僧の様にも見えるし、思える。
今日は、雲ひとつ無い空。それが心にどう響くのか?気持ち良いとも取れるし、また、真っ青な空が冷たくも感じる。
この空は、どの地方にも繋がっている。そう考えると、今、あたし達以外の人達もこの空の下、何かに打ち込んでいるのだろうなと励まされた。
三時間後、回りは田園地帯。そこにあたし達は、曼荼羅寺を拝した。
第七十二番札所『我拝師山 延命院 曼荼羅寺』西行法師も訪れたことが有ると言われているお寺。弘法大師の先祖を祀るお寺。それがここだった。
山門をくぐると、石橋があり、境内に入る。
三百七十枚の格天井と言う物は、内陣と、外陣の二つで構成されてて、まるで、この世の真理を荘厳に映し出しているようである。内陣は天空を意味する『二十八宿』の星座を描き、星座中央には、『法輪』を、四隅には『羯磨』が配されていた。外陣は、緑色を基調とし、仏の世界で言うところの荘厳花である『暈繝の花』が一面に描かれていて、それに見入ってしまった。あ、このガイドは、延光が持っている本で、知ったことだけど。
そして、このお寺には桜の木が沢山植えられていた。もし今の時期ではなく、桜が咲く春ならば、とても綺麗だろうな〜なんてことを考え、あたしは今見れない桜を想像して、目の前の桜の木を拝んだ。今は青々とした葉が荘厳と目に映っている。
ここでのお参りも無事終わり、あたし達はさらに先を急いだ。
何処までも続く道。
途中、昼ご飯を食べる時間を取らないといけなくて、標識に有る豊中町で、一時休憩した。 道端だけど、この旅で培ってきたことが役に立っているのかいないのか?恥をかき捨てて昼食の非常食を頬張る。
「凄く喉が渇くよね?自販機無いかなぁ〜?」
あたしは、お腹も減っていたけど、それより何より喉の渇きが気になっていた。
「あそこに自販機があるみたいだよ?買ってきたら?」
隆が見つけてくれたその場所に行き、あたしは小銭を取り出して、ペットボトルのお茶を購入した。
「延光君や隆君は喉渇かないの?」
帰って来た時に二人に問いかけた。だって二人とも喉を潤わそうなんて考えは無いようだったから。
「う〜ん。喉は渇かないなぁ〜その代わり、マジお腹が減った」
だとさ。汗として排出した水分を取り戻した方が良いのに?変なの!
あたしはそんな事を考えてしまった。
そして、食べ終わると、
「このまま愛媛県へと入るまで、突き進もうと思うんやけど、異存ないやろか?」
地図を片手に延光はそう言ってのけた。
「てことは、ここから二十七キロ弱だね。川之江と言う所に入ると言う事なのかな。このまま行くと、海岸線が見える行路だね?」
隆は、十一号線を手でなぞってそう言った。
「海が見えるの!素敵〜ねえ、泳いだら駄目?凄く泳ぎたい気分なんだけど〜」
あたしは、今、泳ぎたい気分に襲われていた。だって、本当に暑いんだもの……
「葵っち、水着持って来とるん?」
延光は、凄く用意周到だなぁ〜みたいな目であたしを見ていた。隆も、驚いてるような目で見ている。
「水着なんか持って来てないわよ!ただ、この格好で入ったって何も変わらないじゃない?汗でびしょびしょなんだもの〜」
「なんや。そう言う事か〜ええよ?海岸線で泳げる場所があるようやったら、泳ぎや〜昨日風呂も入れへんかったしな!オレらも泳ぎたいし〜」
皆考えてる事は一緒かも。
こんな感じで、またプランは立った。あと少しだ!県境まできたら、楽しみがまた増えると言うものさ。
あたしは非常食を鞄の中に仕舞うと、また、長く続く道を自転車で走り出したのである。
道をただただ進む。
真夏の太陽が照り付ける。慣れたはずの肌が、ジリジリと音を立てるかのように焼けていく。その肌に汗が流れ、まるで、サウナに入っているかの様な感覚を覚えてしまう。
さっき飲んだお茶の分だけ汗が流れた。
なるほど、汗をなるべくかかない為に、水分を採らないようにしていたのか。延光と、隆は……そう思い、あたしも必要以上は採らない様にしなくちゃと思った。
脚はもう、筋肉が痙攣を起こしそうなほどパンパンに張ってしまい、自分の脚の様に感じない。だから、漕いでいる感覚も希薄。
ただ、前に進むために勝手に脚が動いている感じである。
今しなくちゃいけないこと。それはペダルを踏み、前を見て走る事。それだけだ。
そうして、あたし達は三時間後位に、香川県と愛媛県の県境についに到着した。
潮の香りが鼻につく。港と変わらない潮の香り。時々右側をチラチラと見る。寄せては返す波が見える。
テトラポットが遠くに見えた。
「海だよ〜〜!」
あたしは思わず声を張り上げて、延光と、隆にこの喜びの気持ちを伝えようとした。
すると、延光が、キキ〜ッと、自転車を前方で止め、そしてそれに気がついた隆も止まった。
「うわっと、急になんで止めたのさ!」
「いや、どの辺りだと泳げるんやろか〜何て思ってやなぁ〜」
なんて言いながら、瞳はランランと輝いてる。気になってたのに、そう見せないで置こうって事だったのかな?なら、素直にそう言えば良いのに!あたしはクスクスと笑った。
「何笑っとるねん?あ、あの辺り砂浜あるで〜はよいこや〜!」
もう心が躍りまくってるようですね?っていうあたしも、はい。同じですが?
「早く走らせなさいよ〜!は・や・く!」
前方が詰っているものだから、あたしは思いっきり声を張り出して先を促した。
満潮では無い様子な海。
砂浜がとてもサクサクしていて、靴を履いているあたしの足音は、心地良かった。綺麗な砂浜。ちょっとだけ荒い石もあるけれど、それでもこの砂浜は綺麗だ。
そして、荒い波の無い海は穏やかで、寄せてくる波から逃げるように足を運ばせ、そして、返す波に向かって挑むように走る。
そんな遊びを子供みたいにしていたら、延光が、靴もジーパンのズボンも脱ぎ捨てて、ザバザバと波の中へと入って行った。あたしはモロに、延光のトランクス姿を見てしまった。
「ちょっと〜女の子の面前でそんな堂々と脱がないでよ〜!」
恥ずかしいなぁ〜もう!何て思ってると、
その後を続くかのように隆まで飛び込んで行く。まあ、隆の場合、半ズボンだから脱ぎはしなかったけど……
「葵っちもこんかいな〜!気持ち良いってよ〜!」
沖の方へ泳いで行く延光と、プカプカまるで波に身を委ねるかのように浮かんでいる隆を見てると、あたしだって入らいでか〜何て負けじと靴を脱ぐ。そして、パシャパシャと、波際から海へと入って行った。
あ、気持ちが良い!
膝丈まで入っただけでも判る。この海水の冷たさ。そして、焼けた肌に少しだけ沁みる。
でもそれが心地良い。
こんな良い天気に、そして、こんな旅の間に海水浴が出来るなんて思ってもいなかった。
あたしは、さらに沖へと足を運ぶ。
そして腰まで浸かった時、思いっきり腕を上げてクロールの体勢に入った。
「さて、鬼ごっこだよ〜あたしこれでも水泳得意なんだからね!」
あたしは、延光目掛けて言い放った。体が凄く軽い。これなら誰にも泳ぎ負け等しない気がする!なんて調子に乗ってしまった。
「おっと〜そうきたんかい!捕まえられてたまるかい!隆!鬼ごっこや、葵っちに捕まるなよ〜!岡山県民の意地にかけてや〜!」
なんて、罵声を上げて沖へ沖へと逃げてゆく。
ふっと笑いがこみ上げた。だって、こんな事言って、遊びに誘うのなんて、有っただろうか?無かったはず。あたしの記憶の中を探してみた。誘われた事はあった。だけど率先して行動に起こした事など無い。だから、凄く新鮮で、こんなに楽しいなんて思ってもいなかった。これって病み付きになりそう〜何て事を思う自分に、新しい自分を見つけた気がしたのであった。
時間は、遊んでいるあたし達を置き去りに過ぎていき、太陽はゆっくりと傾き始める。
こんな時間は直ぐに経つのだと知った。このまま時が止まればいいのに?なんて思う自分。過去に有った思い出が蘇った。もう忘れてしまったと思っていたこと。本当は心のどこかで忘れられてなかったのだとこの時痛感して、そしてふと我に返った。
まだ、忘れられないんだな……と。
「葵っち?そろそろ上るで〜このまま川之江の何処かで飯食わんと!」
既に砂浜に足を着けている延光の声で今に戻った。
「あ、うん。今行くよ〜」
あたしは振り切るように急いで、砂浜に戻った。
「あ〜あ、気持ち悪〜う」
延光は、ジーパンを履きながらそう言った。
下着が塗れたその上に乾いた服を着たからである。
「どうせなら、少し乾かしてから行く?少ししたらもう少し乾くと思うよ?」
隆はクスクス笑いながらそう言った。
あたしは、空笑いしか出来なかった。面白いんだけど、思い出してしまったことが頭から完全に離れなかったからだった。
そして太陽は、そんなあたしの心を知らぬ振りして、サンサンと照らし続けていた。 |