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09「猫と虎とじゃ大違い」
美護(みもり)……?」

 主の呼び掛けにも応えず、美護は頭を垂れていた。
 怒りからか、羞恥からか、顔が真っ赤に染まっている。

 それが、彼女の意思で跪いているのではないという証拠だった。


永仁(ひさひと)さん、何をしたんですか?」

 ただならぬ事態に、声が上ずる。

 催眠術?
 気功?
 手品?

 様々な選択肢が駆け巡ったが、永仁の答えはどれでもなかった。苦笑とも自嘲ともつかない表情で、届睦(ゆきちか)に目をやる。


「《命令》だよ」

「《命令》?」

「《死近道(シキンドウ)》の直系血族にのみ与えられた力……でもないか……。
 何て言うんだろうな。 鎖? 
 下っ端は、上の《命令》に絶対服従。何があっても逆らえない。組織を保つために嵌められた、絶対に外れない首輪みたいなモンだよ」

 ポンポンと、美護の頭を叩く。髪に隠れていて窺うことはできないが、両眼には怒りの炎が滾っていることだろう。

(うた)坊も言ってたが、《護人》は《死近道》の末席――一番下っ端。
 誰の《命令》にも逆らえない。俺にも、もちろん主である大将にもな。
 試してみるか?」

 届睦は恐怖に首を横へ振りかけたが、思い直して縦に振る。

 永仁は、意外そうに眉を上げた。彼なら断ると思っていたのだ。


 届睦には、美護を服従させる気は毛頭ない。彼女は自分にとって、姉であり母である。
 確かに、美護の破天荒癖が治るのならば魅力的だが、それでは彼女自身を否定することになってしまう。いくら振り回されても、自由奔放な美護を見ていたかった。


 その為に、届睦が今下すべき《命令》は一つ。


「『従え』って、心の中で強く念じろ。そんで、《命令》を言葉にすりゃあ良い」

「わかりました」

 立ち上がり、服従の姿勢を崩さない美護の前に回る。前髪からチラリと見えた両眼には、明かなる怒り
が見て取れた。


 これから起こる惨事を思うと気が滅入るが、解放してやらなければ怒りの矛先は自分へと向かってくるのだ。
 弱り切った身体で彼女の攻撃を喰らったら、間違いなく黄泉へ旅立つことができる。


 貧血でふらつく身体を気力で制して、強く念じた。


 ――今、助けるからな。


 想いの強さが声の大きさに表れて、本人も驚く程の声量で《命令》が下された。


「俺以外の《命令》に従うなっ!」


「なッ……!」

 永仁が口を挟む隙もなく《命令》は執行され、美護は身体の自由を取り戻した。


 云わば、暴れ馬の縄が外れてしまったようなもので。

 バネ仕掛けのおもちゃの如く立ち上がると、猛々しい叫びと共に、ご自慢の右ストレートを繰り出す。


「うるあぁーっ!」



 ――そうだ、美護は格闘家になったら良い。


 届睦が将来の解決策を幸せそうに掴んだ所で、美護の拳は正確に敵の下顎を捕えた。


 漫画のワンシーンのように永仁が宙を舞い、クローゼットに突っ込む。
 いっそ気持ちの良い破壊音が鼓膜を乱打した。クローゼットの上に置かれていた箱やらファイルやらが、次々と永仁に降り注いでは床に散っていく。


 永仁を吹き飛ばした勢いそのままに、美護が思い切り届睦の方へ向き直る。びしっと差し出された指先から何か飛んでくるのではないかと本気で警戒し、彼は咄嗟に身を竦めた。


「よくやった届睦! 褒めて遣わす!」

「いや主は俺だし!」

「じゃあ《命令》しろ! 『俺の主は美護様です』だ!」

「この前俺に忠誠誓ったの誰だよ! 意味わからん!」

「下剋上じゃボケーッ!」

「はぁあ!?」


「どぅおらー! クソガキーッッ!」


 箱とファイルの海に溺れていた永仁が、突如噴火した。

 「どぅおらー」の意味する所は不明だが、恐らく本人もわかっていないのだろう。心からの叫びとは、そういうものだ。


 永仁が立ち上がったのに伴い、彼の上に被さっていた品々が更に散乱する。
 その内のいくつかが二人を襲ってきたが、怒髪天の騎士は見事に衰弱の姫君を護ってみせた。


「平成生まれのジャリが! なめんなよ! 昭和の恐ろしさを見せてくれるわ!」


 後ろに撫でつけてあった髪を振り乱し、額には青筋が浮いていた。鬼気迫る表情。吐いている台詞はどこか間が抜けて聞こえたが。

 気迫に押されて引きつる届睦を余所に、美護は好戦的な笑みで迎え撃つ。


「ふん、バブルに片足突っ込んだままのアナログ野郎が! できるもんならやってみやがれエロオヤジ!」

「上等だ、子娘が! 躾直してやらぁ!」

「部屋が壊れる……」


 頭を抱える家主を完全に視界の外へ押し出し、すでに何が目的なのかよく分からなくなっている戦いが始まった。


 腕が、脚が、空を切り、アクション映画張りの殺陣が繰り広げられる。


 届睦は身の安全を確保しようと、元いたベッドの上へと這い上がる。壁際に身を寄せ、布団に包まりながらショーを見物した。



 ……この頃、深見(ふかみ)家のお隣に住む老夫婦の間では「届睦ちゃん、元気になったようで良かったねぇ」と、何とも暖かい会話がなされていた。

 耳の遠くなったお二人には、昭和オヤジと平成子娘の大乱闘が、猫のじゃれあい程度にしか聞こえないのだった。


 知らないとは、幸福なことなのだ。

サブタイトルの由来は、老夫婦の段落より。
同じネコ科なんですけどね(=^・^=)家猫と猛虎を一緒にしちゃいかんですよ。

ブチ切れモードの永仁さんが口走った「ジャリ」ですが、「ガキ」と同語です。参考までに。
決してきれいな言葉ではないので、使わないようにして下さいね。特に女性の方、ダメですよ。知らなくて良いくらいです。
……ってアレ? 私の性別は確か……?(・_・;)

今日はあと一話更新です。いつものパターンです☆


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