離の章 トラウマを癒す
自由演技の審査も終わり、かりんは妙にすがすがしい気持ちになっていた。すっきりしたというか、心がとても軽やかに感じられた。
一つ説明をすると、この世の中にはある法則がある。たとえば幼いころに衝撃的な出来事にあうとそれはトラウマとして残るわけだが、その心の傷が完全に癒えるまでは、その人の人生において似たような状況が何度も何度も現われることになる。
わかりやすく説明をすれば、かりんの場合、彼女が六歳のときに両親は離婚をし、父は突然家から出ていった。彼女にしてみれば父が急に消えたようなものであり、彼女の心に深い傷が残ってしまった。
この“突然の別れ”という状況が、竜介の死を通して再現されたのだ。ただし、すでに大人になっていたかりんは、六歳のときと比べると感情をうまく処理し、彼の死をそれなりに受け入れることができた。
とはいえ、それは完全ではなく、心の奥のほうにはまだ彼への寂しさが隠されていたようだ。今回の演技審査でかりんはそれとの対面を余儀なくされ、魂レベルから泣き叫ぶことによって残っていたものを根本から焼き払うことができた。これではじめてかりんは父親との別れを乗りこえられたことになる。これまではたんに父親との離別の気持ちを無理やりに抑圧していたにすぎなかったのだ。
もしこれでもトラウマをうまく処理しきれなかったならば、かりんはいずれまただれかとの突然の別れを体験することになり、彼女が突然の別れというものを完全に受け入れられるまではそういう状況が再現されつづけるであろう。ちなみに突然の別れの反対は当然、突然でない別れであり、それは緩やかで時間をかけた離別、もしくは死別である。
ついでに述べると、ドラマを見て人が涙を流すのは、それだけにその人の中に未処理の感情があるからであり、その泣き方が激しければ激しいほど抱えているトラウマが深いことを意味する。そういうことからドラマを見るのは有効的なのだ。ドラマを見終わってすっきりするのは心が浄化されて癒されたからであり、いまかりんが味わっていたのもそれである。
逆に悔しさに拳を握りしめていたのは、えり奈であった。えり奈はかりんのつぎに演技をしたのだが、場内はかりんに支配されたあとであり、芝居をしにくいことこのうえなかった。観衆はみな心ここにあらずという感じで、えり奈はなんだか無人の劇場で芝居をしているような気になっていた。それもこれもあの女のおかげだった。
(許せない……。絶対に許せない……)
えり奈は激しい憎悪の目でかりんを凝視した。
なんとか仕返しをしたい。なんとか彼女を困らせてやりたい。えり奈はそんな思いを心に秘めていたのだが、やがてそのチャンスがやってきた。
星野かりんが席を立ち、控え室から出ていった。どこかトイレにでも行くのだろう。つぎは演武審査だったが、ファイナリストたちは武道着に着替えはじめていた。えり奈はテーブルの上に置いてあったかりんの武道着をすばやく奪うと、それを自分のかばんの中に押しこんで隠した。それを見ていた女の子が何人かいたのだが、えり奈が彼女たちをきつくにらむと、結局みな目をそらすだけでなにもいわなかった。
「あれっ」
控え室に戻ってきたかりんは一瞬あせった。どこにも武道着が見当たらなかったからだ。
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