離の章 吉沢えり奈
この日、家に帰るとかりんはまっ先にパソコンに向かい、インターネットで『押忍! 空手少女』のオーディションの詳細について調べた。
主催者は業界最大手であるペガサス映画会社であった。わかったのはまずは書類による審査があることだった。ホームページから応募フォームをプリントアウトすると、かりんはさっそく必要事項を記入し、顔と全身の写真をつけて封筒に入れ、つぎの朝一番にそれをポストに投函した。
それからのかりんは、そわそわと落ちつかない毎日を過ごすことになった。帰宅するとなによりも先に郵便受けの中をのぞきこみ、オーディション事務局からの知らせが届いていないかどうか確認するのが習慣となった。ただし、通知は合格者にのみ郵送され、もしなんの知らせもなければ、それは落選を意味した。
一週間がたち、二週間がたった。そして三週間目にそれは来た。
「やったね!」
かりんは小さくガッツポーズをした。とりあえず書類選考には通った。といって先はまだ長く、手放しで喜ぶには早い。
応募総数は二万人以上にも達し、合格したのはわずか四百人にすぎなかった。これが一次審査となり、二次は全国各地で行なわれ、かりんはみごとに関西地区審査に参加する資格を手に入れたことになる。会場は大阪市内淀屋橋、ペガサス映画会社の関西支社ビル内だった。
その二次審査――。
受付も済ませて控え室で順番を待っているときに、かりんは突然、女の子に声をかけられた。彼女も受験者のようだった。
「ふーん、あんたもまあまあ可愛いやない?」
なんとも人を見下したいい方だった。
あとで知るところによると、彼女の名前は吉沢えり奈といった。大阪の芸能プロダクションに所属し、テレビコマーシャルにも出たことがあるという。
わずかに切れあがった二重の目は、勝ち気な性格を表しているようだった。口元には不敵な笑みが浮かべられ、かりんは見ているだけで不快になってきた。なによりも気に入らなかったのは彼女の高飛車な態度だった。
「あんたもまあまあ可愛いやない?」
とは、いったいどんなせりふなのだ。少なくともそれは初対面に向かって吐くような言葉ではないだろう。
かりんはえり奈を数秒ほど強く見つめた。が、結局彼女を無視することにした。
「なにこれ。ダサ〜い」
とえり奈がいってきたのは、テーブルに置いてあったかりんの携帯電話のストラップに対してだった。
「――――!」
かりんははっと顔を上げ、えり奈をにらみつけた。
なにをいわれてもよかったが、ストラップだけはわるくいわれたくなかった。これは亡き恋人の竜介にもらった物であったからだ。神戸北野異人館街でデートをしたときに、竜介が買ってくれたのだ。
ストラップにぶら下がっていたのはニワトリを模した小さな人形で、たしかにダサいといえなくもないが、だからといってそれをきょうはじめて会ういじわるな人にだけはいわれたくなかった。かりんは携帯電話を引っつかむと、ポケットにしまいこんだ。
「あんたもずいぶん余裕ね。それともたんにひまなの?」
かりんは挑むような目つきでえり奈をにらんだ。そもそもなんでえり奈が自分にからんでくるのかがわからなかった。自分にライバル意識を抱いているとでもいうのか。
だが、それは当のえり奈も同じだった。なぜ自分がこの女にちょっかいを出しているのか適当な理由が見つからなかった。ただなんとなく苛立ちをおぼえ、気がつくと口が動いていたといった具合である。
「そっちこそなに向きになってんのよ。アホみたい」
えり奈の挑発的な口調にかりんはむかっとしたが、かりんがなにかいいかえそうとしたまさにそのとき、控え室の扉が開いた。
「それではつぎの五名お願いします」
オーディション事務局のスタッフがいい、順番に名前を読み上げていった。すると、かりんに続いて呼ばれたのは、なんと吉沢えり奈であった。かりんはさっとえり奈のほうを見た。えり奈はふふんと鼻だけで笑い、さっさと控え室を出ていってしまった。
(もうっ、頭に来た!)
かりんは心を乱し、完全に平常心を失っていたといってもいい。とうていこれから審査に臨むような精神状態ではなかった。
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