離の章 リベンジ
場所は例年どおり、信州の志賀高原――。
バスを降りると、あたりにはすでに夕暮れの気配が漂い、かりんはなんとなくうら寂しくなっていた。かりんたち三年生はこの信州合宿と、夏休みが終わる直前の四国本部合宿で実質的に引退であった。練習日数はわずか十日ほどにすぎない。
その後も学校の練習に参加するのは自由であったが、受験を目前にしていることもあり、これまでのように拳法に身が入らないかもしれない。そう思うと、やはりこれからの二回の合宿に情熱を注ぎこんでおいたほうが、のちに不完全燃焼におちいらずに済むであろう。
実際、かりんはそういう姿勢で合宿に臨んだ。が、その合宿が終わっても彼女の中に釈然としないものが残り、それを解決してくれたのは有田と福本の両先生だった。
「リベンジをしてはどうだ」
と両先生がいったのは、去年につづいて少林寺拳法の夏季総会に出てみてはどうかということであった。先生たちがそう提案したのは、そろそろ竜介の一回忌になろうとしていたからだ。夏休みで練習からも遠ざかると、その空白を埋めようとかりんは亡くなった恋人のことを急に意識するようになるかもしれない。そうならないためにもお父さんとお母さんは彼女になにか目標を与えて、彼女の心を忙しくしておこうというのだった。
「先輩、せっかくやから出ましょうよ」
と後押しをしたのは朋美であり、少林寺に対する心残りを感じつつあったかりんは、それほど迷うこともなく大会に出場することに決めた。
前回より一年たち、二人のレベルは確実に上がっていた。そのうえ、二人は有田の弟子である。有田に教わると三年かかるところを一年で修得できるといわれるほどにその指導法は独創的で工夫にあふれていた。そういうことで拳法歴がわずか二年数か月のかりんの実力は、他の道場の四、五年にも匹敵した。
二人はふたたび有田道場に通うようになった。去年と違ったのは、今度は有田が直接二人の演武指導をしたことだった。前回はその作戦的な意味合いから有田は憎まれ役に徹し、かりんと朋美の反発心をあおることによって二人の意欲を高めたが、今回の場合、二人はすでにやる気になっていたのでそんな必要もなかった。
本気である二人を見てとってか、有田の指導はことのほか厳しかった。その中でも有田がもっとも徹底したのは基本練習だった。基本ができていない者はいくらすばらしい演武を考えたとしても、どこかあやふやでもろいからだ。逆にずっしりと重心が座って基本がしっかりしている拳士は、少々の乱れがあってもすぐにそれをカバーすることができる。
演武の内容はおもに二人が考案したが、それに有田が修正を加え、完成度の高いものに仕上げていった。二人は動きが体にしみこむまでくりかえし練習をし、気がつくと二人は無になって突いたり蹴ったりしている瞬間があった。だが、無心であればあるほど動作は基本に沿ったものとなり、演武は鋭く美しいものになった。腰がぐらぐらして基本ができてなければ、この鋭敏さは出せない。
単調な練習に飽きてくると、二人はたわむれに乱捕りをしたが、こんなところでも演武の成果があらわれてきた。いや、演武そのものというよりも、徹底した基本練習の効果である。基本のできていない乱捕りはただのけんかであるが、基本の上に確立された武道は芸術にさえなりうる。とにかく少林寺の真髄は基本にあるといえた。
大会の三週間前に竜介の一周忌を迎えたが、かりんが意外と冷静でいられたのは、気持ちが少林寺拳法に集中していたからだ。もし心を忙しくするものがなければ、あるいはかりんとて空虚さに耐えきれなかったかもしれない。
いよいよ大会に差しかかるころには、二人は心身ともに出来上がっていた。丹田に気力がみなぎり、二人に近づくとパチパチと電気を発しているかのようでもあった。
「かりん、がんばってね」
大会当日さゆりが励ました。両先生はもちろん、部員のほとんどが応援に駆けつけた。
「うん、去年の屈辱を果たして、今年こそ入賞してやる」
目にぐっと力をこめ、かりんはきっぱりといった。
出番になろうとしていた。二人はプレッシャーと戦いながら、演武の最終確認をした。それも済むと、ついに、二人が舞台に登場する時間となった。
不思議なもので、中央に進むと気持ちがすっと落ちていった。二人は有田流の長い合掌礼から気合いを入れて構えた。しばらくにらみあった状態から、朋美が上段への逆突きと中段の逆蹴りを同時に出し、かりんは左内受けと右下受けでそれをかわし、右の中段廻し蹴りで反撃した。その蹴りを朋美は受け流し、体を回転させられたかりんは裏拳をくりだしたが、朋美はタイミングよくその手首を取り、かりんを後ろに倒して床に押さえつけた。
かりんはさっと起きあがり、二人はぱっと離れて間合いを取った。かりんは気でじりじりと朋美に詰めより、勢いよく踏みこんだかと思うと朋美の手首をつかみに行った。一瞬反応が遅れた朋美は手首をつかまれてしまうが、小手抜きでかりんの手をふりほどき、突きと蹴りのコンビネーションを放った。かりんはそれを受け、反撃を返す。二人のあいだに剛法柔法を取りまぜた攻防戦がくりひろげられ、会場はその迫力と完成度、そして美しさに息を飲んだ。
二人の演武は始まったと同じぐらいに静かに終わり、二人は演武を合掌礼で締めくくった。会場内に割れんばかりの拍手が起こった。
「おめでとう!」
とさゆりがいったのは、結果が発表されると二人がみごとに一位を取ったからだ。
かりんと朋美は抱きあうように喜び、部員たちはそんな二人を囲み、口々に祝した。お父さんとお母さんも二人に満足のまなざしを向け、うれしそうにほほえみを浮かべていた。
が、この最高の状態の中で、かりんはなんともいえない寂寥感をいだきはじめていた。 |