破の章 お父さんの温もり
かりんにとって有田の言葉は、ずっと父親にかけてほしかったような言葉だった。かりんは父への潜在的な怒りをいだきつづけ、それは有田や竜介をとおしてある程度までは解消されていたのだが、それはほんの一部であり、まだまだ根強く残っている部分があった。
今回の場合、有田は意図的に怒り、許しを請うことにより、父娘の緊張を緩和しようとしたのである。有田ははじめから二人を信じていたし、二人はみごとにその期待に応えた。
「お父さん……」
かりんは有田を見つめた。そもそも先生の厳しさがあったがためにかりんはかつての恋敵と演武をする気になり、そういうことから先生には腹を立てるような理由はなく、むしろ感謝をしたいぐらいであった。というよりも、かりんも朋美もすでに舞台裏の仕かけを知っていたのだ。二人の協調性が堅固なものになった時点で、福本が二人に種明かしをしたからだ。ちょうど五日前のことである。
「えっ、ほんまですか!?」
驚くべき事実を聞かされた二人は驚いたが、かといってもとの冷戦状態に戻るようなことはなく、逆に闘志を燃やした。
「お父さん、そしてお母さん、どうもありがとうございました」
かりんと朋美はお礼をいった。有田はそんな二人を大きな腕で懐に抱きしめた。
すうっと鼻で空気を吸いこみ、かりんはお父さんのにおいをかいだ。すこし汗が交じっていた が、それは不快なものではなく、どこかなつかしい感じがした。
本来、父と娘はこうあるべきである。性をこえた、深い愛情と信頼でつながれていることが理想であり、そうあってはじめて娘はほかの男性に愛情を注ぎ、信頼感をいだくことができるのだ。これは言葉によって学ぶものではなく、父の優しい抱擁によってのみ身につけられるのだ。つまり感覚である。
現に有田には娘がいたのだが、有田はこのことを意識して娘と接した。赤ん坊のころはよく抱っこしてやり、すこし大きくなると存分に遊んでやった。父親に尊重して育てられた娘は、他人からも尊重されるようになった。しょせん他人に大切にされない子供というのは、親によって大切にされてこなかったのだろう。
親がはじめに子供に示すこと――それは人を大切にし、人を尊重することなのだが、それにはまず親が子供を大切にし、尊重してやらなければならない。子は親の背中を見て育つからである。親が口でいくら立派なことをいったとしても、その態度が厳しく愛情に欠けたものであれば意味はないのだ。
有田とよき親子関係を築いた娘は、それを交際相手に反映し、いまでは円満な家庭を作りあげ、幸せに暮らしていた。彼女が自分の夫を尊重し子供を大切にできるのは、有田が身をもってそれを娘に示したからだ。もしかりんのように抑圧と暴力のなかで育てられていたならば、娘は男性を尊重することを知らず、子供もまた押さえつけて育てたであろう。
必要以上に干渉されることもなく、自由意思を最大限に認められた娘はじつにのびのびとまっすぐに成長し、緊張した愛情に欠けた人間関係に悩まされることもなかった。
道場では有田、そして福本の両先生は部員たちをわが子のようにあつかい、たっぷりのスキンシップと愛情を与えてやったので、いま有田がかりんと朋美という二人の娘を抱きしめる場合においても、そこに存在するのは純粋な親愛と信頼であった。
「あっはっはっ!」
どこか遠くのほうで豪快な笑い声が聞こえてきた。
かりんがほんのりと瞳を潤ませたのは、その笑い方があまりにも竜介に似ていたからだ。
(破の章・完) |