破の章 お母さんの胸の中
つぎの日も失意のうちに過ぎていき、やっと気力を起こして外に出かけると、どの道をどう通ってきたのか、かりんはある家の前に立っていた。夕陽が西の空に沈むような時刻であった。
「かりんちゃん」
福本先生がいった。先生は白いブラウスに、ライトブルーのスカートという格好だった。門前で打ち水をしていたようである。
「お母さん……」
というかりんの声にはすでに涙が交じっていた。かりんは先生のほうへ走っていき、通夜と葬式のあいだじゅうこらえていた感情を一気に解放させた。それは信じられないほどのものすごいエネルギーだった。先生は全身でその悲しみを受けとめ、かりんをしっかりと腕の中で抱きしめた。
かりんはただひたすらに泣きつづけた。何度となく借りてきた福本先生――お母さんの胸である。かりんにとってこここそ世界でもっとも安心できる場所であった。背伸びをしたり虚勢を張ったりする必要もなく、非難されたり叱られたりする恐れもない、ありのままの自分でいられる唯一の場所――。
本来、親というのはそうあるべきだ。自分の子供が外で受けてきた傷を内で癒し、子供が元気を取り戻したところでまた外へ送りだしてあげる、そういう存在なのだが、かりんの場合は外も内も同じぐらいに緊張に満ちていて、どこにも逃げ道がなかった。母親は家事や妹の面倒を見るのに忙しく、父はいつも残業で遅く、家にいるときはかりんを叱りつけたり、たたいたりするばかりだった。
その父と母自身も仲がわるく、二人はたえずけんかをし、家のなかはつねにピリピリとした空気に支配されていた。あげくのはてに両親は離婚し、父は妹を連れて家を出ていってしまった。こうしてかりんは極度の愛情不足の環境で育つことになった。
離婚後、母親は働きに出るようになり、かりんは家の鍵を持って小学校に通わされた。その学校も終わり帰宅してもだれもおらず、かりんは母が仕事から戻ってくるまで一人で子供向けのテレビ番組を観て過ごすのであった。かりんが人の温もりと優しさを求めて援助交際に走るのは中学三年になってからである。とはいえ、もちろんそんなところに本物の愛はなかった。
そんな愛なき状態に一筋の光明が差しこんだのは、あの三宮の夜、有田先生との出会いによってであった。かりんは少林寺拳法へと導かれ、そこでやっと求めていた愛に近いものを見つけることができたというのに――それもあっけないぐらいにこの世から消えてしまった。
「わたし……これからいったい……」
どうすればいいのか、かりんにはまるでわからなかった。
だが、それは福本も同じであった。かりんは大切な人を亡くしたばかりだ。どれだけ適切は言葉を探したとしても、かりんの気持ちを完全に満たすことはないだろう。彼女の心の傷は想像するよりもはるかに深いにちがいない。
「大丈夫……きっと大丈夫よ……」
福本にいえるのはそれだけで、結局この日なんらかの答えが出ることもなく、かりんは来た道をとぼとぼと帰ることになった。 |