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ファイト! かりんの青春日誌
作:天野美里



破の章 途切れた青春 


 運命はあるのかないのか、かりんにはわからなかったが、ときに予期もしなかったことが起こるのが人生というものだ。
 準備ができていても、いや、むしろ心がまったく無防備なときに、往々にしてそういうことは起こり、いま、かりんは人生最大の悲しみに襲われようとしていた。はたして彼女はそれに耐えうるだろうか。
 その日、空はばかばかしくなるほどに青く、どこまでも澄みきっていた。自転車に乗った竜介が道を急いでいたのは、アルバイトの時間に遅れようとしていたからだ。はあはあと息せき切って、竜介は時計とにらめっこしながら懸命にペダルを踏んだ。
 さて、同じように先を慌てていたのは、運送業のトラックだった。運転手の若い男はちらちらと時計を気にしながら、何度もズボンで手の汗を拭いた。この仕事に就いてまだ間もなく、彼は上司を失望させないためにも必要以上にがんばってしまうところがあった。
 とはいえ、なにかが起こるときは起こるのであって、彼にとって不運であったのはこんなタイミングで携帯電話が鳴ったことである。
(上司からか? それとも先方からか?)
 と一瞬のうちに思いながら彼は携帯に手を伸ばした。
「はい、もしもし」
 彼は片手で携帯を、もう片手でハンドルを握った。
「はい、もう少しでそちらに着きます」
 と答えながらアクセルを踏みこんだのは、信号がまさに黄色から赤に変わろうとしていたからだ。
 左に曲がろうとハンドルを鋭く切った。が、同時にヒィィーと声を引きつらせたのは、自転車で横断歩道を渡ろうとしている男の子がいたからだ。運転手は急ブレーキを踏んだ。
 ガチャンと嫌な音がし、男の子は自転車ごと突き飛ばされた。
「お、おい! 大丈夫か!!」
 運転手はトラックからあわてて降り、男の子のほうへ駆け寄った。
「ああ……」
 と声をもらしたのは、いま災難に遭ったばかりの男の子――竜介であった。
「ああ……」
 竜介はもう一度うめき声をあげた。
 自転車が視界に入る。フレームがぐにゃりと変形しているのは、衝突の激しさを物語っていた。
「なんや……これ……」
 薄れていく意識の中で竜介は思った。目の前を赤い液体が流れていたからだ。もちろん自分の血である。血はドクドクと頭部の裂け目よりとめどなくあふれていた。
 ふいに涙が頬を伝った。
(かりん……どうやらおれはもうだめみたいや……)
 竜介は本能的に自分の死を悟った。ベータエンドルフィンという脳内物質が多量に分泌されていたために、痛みと恐怖心はいっさいなかった。
 が、そうでありながらも、竜介は強烈な悔しさを感じていた。
(おれはかりんを置いていくのか……。おれはかりんを置いていかなければならないのか……。おれは……おれは……)
 もうこの手で彼女を抱きしめることもできない。もう彼女の体の温もりを感じるもできない。彼女と楽しく笑いあうこともなければ、彼女とけんかをすることもできない。生きてこそいろんなことができるというのに、死んでしまってはもうなにもできないではないか。
 遠くのほうから聞こえてくるのは救急車のサイレンだろうか。そう認識したとたんに、なぜか竜介は安心感をいだいた。
 竜介はそっと目を閉じた。そして二度と開けることはなかった。

「かりんちゃん、驚かないで聞いてちょうだいね……」
 それはその日の夕方のことであった。かりんの携帯電話に一本の不吉を知らせる連絡が入ってきた。相手は竜介の母親だった。母のただならぬようすに、かりんは知らぬまに電話を持つ手に力を入れていた。
「竜介がね……竜介がね……」
 あとは涙ではっきりしなかったが、どうやら竜介は信号を渡ろうとしているときにトラックにはねられたというのだ。
 それだけであればまだよかったのだが、ときに運命はそれ以上に過酷であったりする。なんと、竜介は救急車で病院へ運ばれる途中で、そのまま息を引き取ってしまったのである。
 電話を切ると、かりんはしばらく呆然と立ちつくした。家の外で蝉時雨が激しく鼓膜をついた。
 かりんはすぐには信じられなかった。きのうだって二人で有田道場へ行き、いっしょに練習をしてきたばかりではないか。いつものように自転車で並んで走り、帰りもいつものように公園で缶ジュースを片手におしゃべりに花を咲かせたではないか。かりんは竜介が握ってくれた手の温もりを思いだすことができ、その彼がこの世を去ってしまったとはとうてい信じられなかった。嘘だ。そんなものは嘘に決まっている。人はそう簡単にいなくなるわけがないではないか。
 胸が詰まりそうだった。息苦しさに、かりんはがくりと膝を崩した。全身から力が抜けていくようで、かりんはなすすべもなくただうなだれた。
「おれはおまえと出会えてよかったと思ってるよ」
 それがきのう別れる前の竜介の最後の言葉だった。彼はそのあとかりんのおでこに軽くチュッとキスをし、二人はバイバイといって、別々の道を行ったのだった。
 あれからまだ二十四時間も経っていなかった。かりんにはまるで世界が引っくりかえってしまったかのように感じられた。絶望感に襲われ、ふいに涙がこぼれ落ちてきた。そしていったん泣きはじめると、今度はせきを切ったように涙が止まらなくなってしまった。
 あーんあーんとかりんは赤ん坊のように口を開け、無力に泣いた。これまであったものが急になくなるのは、これほどの空虚感がともなうものなのか。愛する人を亡くすとはこういうことなのか。彼がいない人生など、想像もできなかった。これからどうやって生きていけばいいのだろうか。
 かりんはまだ十七歳ではないか。青春まっただなかであり、恋に拳法にバイトに勉強に、人生はこれほどにないぐらいに充実していた。それが一瞬にして崩れ去ってしまったかのようであった。なぜわたしはこんな目にあっているのだろうかと、運命というものを恨みたくもあった。












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