破の章 若き佳代子の苦悩
まだ二十代、教師になって五、六年のころである。若き福本佳代子にはひそかに思いを寄せる男性がいた。
相手は坂口という体育の先生であった。三つほど年上であったが、スポーツマンらしく性格がからりとして笑顔がさわやかだった。ただ悲しいことに、坂口先生にはすでに交際している人がいた。つまり佳代子は片思いだったのだ。
かといってあきらめきれずに、佳代子はその恋心を胸に秘めたまま虚しい日々を過ごすばかりだった。
(ああ、苦しい……)
佳代子は眠れない夜を送っていた。
「えっ!?」
という表情を見せたのはかりんであった。
「なによその顔は? いまはこんなばあさんだけど、わたしにだって乙女の時代があったのよ。おかしい?」
福本は冗談っぽくこぼすと、かりんはあわてて否定した。そのようすに福本はぷっと噴きだし、かりんもつられて笑った。
先生――というよりも若き佳代子の話はつづく。
坂口先生の相手というのも、佳代子の苦悩の原因になっていた。同じ教師仲間であったが、その相手のほうは佳代子よりも二年先輩だった。才色兼備を絵に描いたような女性で、なにをするにおいても佳代子は引け目を感じた。どうにも勝ちようがなかったのだ。
「どうせわたしなんて……」
と彼女が管を巻いた相手は、同僚の男性教師だった。若き日の有田政二郎である。
政二郎はどこか変わっているというか、ものごとにとらわれない悠然としたところがあった。佳代子はその政二郎と屋台に陣取っては、よく教育について論じあうことがあった。
「ふんっ、アホらしい」
いつになく荒れている佳代子に、変わり者教師が吐きすてた。この男は歯に衣を着せずに、いつもずけずけと思ったことを口にした。このころはまだ後年の穏やかな性格は形成されてなかったようである。
「同じ土俵で勝負しようとするからいかんのだ」
自分と恋のライバルとを比べている佳代子に対して、政二郎はいった。
人はみな違う能力を持ち、それぞれにユニークな存在なのだ。自分と人を比較すること自体が間違っており、人は生まれた瞬間からそのままで尊い。なにも勝手に自分を人と比べて悲観することはないのだ。そんなひまがあるぐらいならば、早くみずからの良さを見つけて磨きをかけるがいい――政二郎はそう喝破した。
「ないもん……。わたしにはなにもないもん……」
佳代子の落ちこみは思ったよりも重症のようだった。そんな彼女を政二郎はあきれた表情で見つめた。
「おまえはアホかいな。探す努力をしたこともないくせに、バカなことをいうな」
「もうっ、人をアホとかバカとかいって――。酔ってるからって、なめるなよ」
目がすわり、臭い息を吐き、佳代子は政二郎にからんだ。
「えいっ、うっとうしいわ! そんなだから、いつまでも相手に勝てんのだ」
「く、悔しい! どうせわたしなんてなにをしてもあの女にはかなわないわよ」
「だから、そうやって自分を人と比べるなって!」
こうなると二人の会話はわけがわからなかった。それもそのはずで、政二郎も――佳代子ほどではないにせよ――それなりに酔っていたのだ。 |