守の章 不良が変わるとき 1
ときに手のつけられないほどの不良が劇的に変わっていくのを見るのは感動である。現主将の北沢信二がまさにそれであった。
北沢は幼いころ、父親の暴力によって育てられてきた。幼児虐待のことだ。虐待された子供というのは独特のおどおどした雰囲気というか、目のおびえがある。責められることに対して驚くほどに敏感で、被害者意識が強い。
大きくなると、どうせぼくなんか、どうせわたしなんか、どうせ、どうせ、どうせというのが口ぐせとなり、自分の内側に引きこもるようになっていく。抑圧されずにのびのびと育てられた子供は内にこもる必要はないのだ。自分という存在に自信が持てずに内面の世界に逃げこむのは、おもに親が厳しい子供たちなのである。
いじめられっこというのは、ついいじめたくなるような雰囲気があるわけだが、北沢の場合、それを形成したのは父親であった。小学生になると、北沢は他の子供たちによっていじめられるようになった。子供たちはさっと手を挙げただけでびくっと小さくなる北沢をおもしろがり、そうするうちに行為もエスカレートし、北沢は実際にたたかれたり蹴られたりするようになった。
彼は先生にもからかわれるようになったのだが、これは半分仕方がないことであった。というのも、その先生もやはり幼いころに虐待された経験があったからだ。たとえいったん潜伏したとしても、機会と相手さえおれば、自分がされたことはいずれ自分もするようになるものなのだ。それが法則というものである。
それは北沢とて例外ではなかった。彼が変貌を遂げるのは中学生になってからであった。彼は体格が大きくなり、力も増した。小学六年のときにはじめた空手も功を奏し、彼はいじめられることはなくなった。反面、北沢はいじめる側に寝返ったのだ。クラスに気に入らないやつがいると、なぜか無性にいらいらし、腹も立ち、つい相手をいじめずにはいられなかった。幼いころ父が自分にしてきたことを、北沢はそっくりそのまま他人にするようになったのだ。
やがて高校生になった。彼の運命が大きく変わることになる。少林寺拳法――というよりも有田先生と出会ったのだ。本当は空手部に入るつもりだったが、拳法部にたまたま中学時代の先輩がおり、北沢はその先輩に勧誘されるままに少林寺のほうに入部したのだった。その先輩も有田の魅力にふれた一人であり、先生であれば自分の後輩をいい方向に変えられるだろうと思ったのだ。
はたして北沢は変わりはじめた。拳法部がことのほか居心地がよかったのである。もちろん変化はすぐにあらわれることはなく、有田と福本はこのやんちゃ坊主に辛抱強く愛情を注ぎつづけた。
いや、北沢は本当にやんちゃだった。授業中に暴れては先生のじゃまをし、体育館の裏に隠れてはたばこを吸い、バイクで運動場に乗りいれては騒音をまきちらし、他の先生たちはそんな北沢のあまりにもの悪童ぶりにほとほと手を焼いていたが、有田と福本だけは彼と正面からぶつかっていき、大きな懐で彼を抱きとめた。
はじめこそ北沢はまじめに練習にくることはなかったが、有田と福本はどうやらほかの大人たちとは違うぞということがわかってくると、彼はぼちぼちと道場に姿を見せるようになった。そうするうちに、彼は純粋に少林寺の魅力に取りつかれていった。空手とはまた異なった武道は彼には新鮮に感じられ、とくに柔法というやつが彼の心を大きくとらえた。
そんなある日――。
「さあ、どこからでもつかみかかってくるがいい」
有田が北沢にいうと、この負けず嫌いな青年は有田の道着の襟元を取った――その瞬間、北沢は宙を舞っていた。背中をしたたかに打ち、天井を眺めていた。 |