0052* その目を開けろ
目を閉じていた男は、激しい腹痛に小さく呻いて身体をよじる。
蹴られたのか踏まれたのか……それは男には分からない。
(痛……。俺っちお腹、痛いかも。つか痛すぎちゃうかも……)
男は腹痛の原因を、ぼんやり頭で考えた。しかしさっぱり分からない。それどころか考えれば考える程、頭の中は白で覆われていく。
やがてゆっくりと目を開けた瞬間、男は「うわ!」と大きく叫んだ。
彼が見たもの。それは、目から赤い光を放つ女。光は奇怪な二筋の帯を形成し、ビームのように宙を照らしている。男にとって大げさに言うなれば、まさに恐怖の地獄絵図。
「一人、起きたか」
女は男をいちべつすると、赤い瞳をまぶたで隠す。そして再び開けた時――。男はその早変わりのさまに思わず目を疑った。瞳は闇色、さながらブライス人形のからくりのよう。
「な、何だ、何が起きた? ホラー!?」
信じ難い出来事に、タクシー会社の制服に身を包む男は、頭を振りながら上体を起こした。腹部には未だ痛みが強く残っている。
(痛っ。なんで俺っち腹痛いんだ? 蹴られた? ……それよりこの女、綺麗すぎ。どうなってんだ? 人形みたい。っていうか女優?)
「佐伯」
女は男の制服の胸につく名札を読んだ。そしてクイと顎を上げ、
「起きたなら早く立て。ぐずぐずするな」
「ええっ!?」
麗しい顔をした女が言いそうもない言葉を発した事に彼は驚き、顔を前へと突き出してみせた。
「いきなりそんな……。何がなんだかさっぱり」
佐伯は腹をさすりつつ女を見上げる。女は冷ややかに見下ろしている。
「ああ、アンタも起きたのか」
女の後ろから、少し彫の深い顔した少年が現れる。彼もまた、人形のような人間離れした男と言えた。白いTシャツにブラックのスキニーデニム。これといって何の特徴もない格好だが、スタイルの良さも手伝って、印象に残るくらいにファッショナブルだ。
佐伯は女にも少年にも全く心当たりはなく、「えっと、君ら誰?」と首をひねりつつ問うた。
「俺はユン・テユ」
佐伯はユン・テユをまじまじと見、ふとある事に気がついた。
手に持つチェックのストール。そしてゴーグル、ヘルメット……。
先刻、ハーレーの上で天狗に羽交締めにされていたのは、この少年ではなかったか――
そして彼は思い出す。自分が、そして皆が大鳥居に吸い込まれた事。
「くっそー! あの天狗ジジィめ、どこだぁ!」
佐伯は勢い良く立ち上がる。が、すかさず腹を抱えて座り込む。
(うおっ、腹痛い! じ、尋常な痛みじゃないぞコレ。くそっ、さては天狗ジジィの仕業だな。奴め、見つけたらタダじゃおかねぇ!)
「アンタ……なにやってんの?」
テユは怪訝な顔して首を傾げた。その後馬鹿にしたように鼻で笑い、踵を返して去って行く。
佐伯はテユを目で追い、テユが触れた男を見――、とたんあまりの衝撃に狼狽えた。倒れているのは、遊び仲間でもある後輩。
「うおっ、真人!」
夢中で真人に近づいていく。彼にとって、お腹の痛みどころではない。
「ちょっとアンタ、何」
声に構わずテユをどかすようにして、佐伯は割り込み、真人を抱える。そして激しく揺り動かした。
「まーさーとー! 死ぬなーっ。目を開けろー!」
真人は反応する事なく、がくがくと頭を揺らしている。
「……アンタ、怖ぇよ」
テユは佐伯の気迫に押されながらもあきれ顔で言い、「つか、死んでねぇし。アンタさ、ちょっとは確認くらいしたら?」と付け足した。
佐伯はムッとしながらテユを見ると、
「なんだ、お前。真人の知り合い?」
「そうだけど。アンタも知り合いなんだね」
「知り合いっていうか、こいつは友達」
言い切ると、再び佐伯は真人を揺さぶり始め、彼の固く閉じたまぶたを、指で上下にこじあけようとし始めた。
「……佐伯、その男をそこまでして起こしたいのか
「えっ?」
「なら、貸せ」
女は背後からするすると強引に佐伯とテユの間に割り込んでくる。
「わ、何す……」
「いいからお前は黙ってろ」
佐伯に対してそう告げると、女は中腰になり、真人のトレーナーの首元をねじって掴んだ。それはまさに不良のする恐喝のよう。
「ちょっと、乱暴な……」
テユは女を止めようとしたが、遅かった。
一足先に、なめまかしく右手をあげた女は――
パン! パン!
「ええっ!?」
佐伯もテユも面喰らってしまった。
真人を襲うのは、力のこもった激しい往復ビンタ。徐々に彼の頬は桃色に変色していく。
「う……」
くぐもった声を上げながら、真人は渋い表情を浮かべた。それからみるみるうちにアーモンド型の目は開いていく。
「痛ぇー!!」
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