0050* プリマ・バレリーナ
「なぁ、盆暗って何?」
予告もなく突然現れた女が発した言葉は、テユにとって初耳のものだった。
「……ユン君、本気で僕に聞くのかい? それはおかしいよ。なぜなら僕は外国人。日本人である君のほうがずっと詳しいはずじゃないか」
「日本人? 違うね。俺は半分日本だけど、半分は韓国人。ハーフなんだ。しかも日本人っつっても、祖母はイギリス人だから、日本の血は4分の1しかない。俺って正しくは……何人なんだろうな?」
「Inglezだって!? そうか、だから僕は君に親近感を覚えたんだね。これからも宜しく。僕達は良き友人だよ!」
アーサーはそう言うと、テユの肩に気安く触れてきた。テユは頬をひきつらせ、できるだけアーサーと離れようと上体をそらせる。しかしアーサーの力はなかなかに強く、離れるのは立たない限り無理だった。
ひどくうざいと思いながら、テユは開かれた扉に立ち尽くす女のほうを見る。あまりにも暗すぎる為シルエットしか確認する事は出来ないが、女の背後に恐ろしく長そうな和風の回廊を見、ますますここはどこなんだと頭を悩ませ髪をくしゃくしゃとかきあげた。心当たりはこれっぽっちもない。
「なぁ、アンタ。電気つけてよ」
テユは女に向って声をかける。
その声に反応し、女はぴくりと頭を動かした。
「……小僧、電気だと? なんだそれは」
テユは思わず苦笑する。小僧と呼ばれたのは、生まれて初めての事。
「は? 電気知らないの? 明かりだよ明かり。暗いから明るくして欲しいんだけど」
「明かり、か。……フン、電気などと言わずに初めからそう言え、たわけ」
「たわけって……」
女はひらひらと布を泳がせながら、浮かぶようにテユ達のもとへと歩む。
七色の生地はかすかに発光し、彼女の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
それはまるで天女のように美しく、テユは思わず幻影的な彼女に目を奪われた。
「小僧、そうジロジロ見るな。私は人に見られるのは好かん」
「う、うるせ、見てねーよ!」
女は祈るように両手を組むとするりと上へあげ、親指と小指をそれぞれ合わせて突き立てた。
――印である。それは孔雀明王が結ぶ孔雀明王印と良く似た印相。
それから彼女はテユを横目で睨み、
「……だから見るなと言っている」
「見てねぇし!」
テユはどいつもこいつもうぜぇ奴だと思いながら、深く息を吸い込んで、わざと大きくため息をついた。
羽衣は七色に輝きながら、女の背で羽のように広がり、鳥の飛翔を思わせるかのごとく、ゆったりと波打っている。
それは目にする者全てを魅了しそうな、神がかった美しさで、テユにCGで作り出された映画の世界を思わせた。
視覚的に十分すぎる程見事と言える彼女は、さらに魅惑的につま先のみでピンと立つと、踊るように優雅に回転し始める。
その上どこからともなく聞こえてくるいくつもの鈴の音が、強弱を伴ったリズムとなって、彼女の舞を暗闇の中、一層際立たせていた。
アーサーは感極まって、「Bravo!」と叫びながら、彼女に向けて激しく拍手をする。
盛大な拍手喝采は四方八方にこだまし、回廊の向こう側へと賑やかに伝わっていく。
「Pointe、それにGrand fouette' だね。君はPrima ballerinaなのかな。とても上手いよ!」
「黙れ気が散る! 渡来人、お前も見るな!」
女は回転しながら大声を張り上げ、厳しく注意する。そして、「かまびすしい奴め」と吐き捨てるように呟いた。
「Oh、これは失礼」
アーサーは一礼すると、目線に困り、とりあえずテユの方向を見た。
女が放つ微かな光から、テユが女に魅入っていることが確認できる。
「ユン君見ちゃいけない。彼女は気が散るそうだよ。Artistというものは、得てしてStoicなものさ」
「……は? み、見てねぇし!」
「それより僕と話をしよう」
テユは、まだコイツは話足りないのかよと、うんざり顔で舌を打つ。
「そういえば先程の話だけどね、以前習った事を思い出したんだ。たしか意味は、頭の働きが鈍くぼんやりしているさま、つまり『まぬけ』ってことだよ」
「は、何?」
「ユン君ひどいな。盆暗の意味さ。君は僕に質問しただろう?」
「ああ、盆暗ね。……って、俺らはこの見ず知らずの女にいきなりまぬけ呼ばわりされたっつーことか。マジ許せねぇ」
テユは女を睨み付けた。
女はそ知らぬ顔でまだグラン・フェッテ(回転)をし続けている。
いつまで回るつもりなのかとテユが疑問を感じた瞬間、女はふいにひたりと止まり、腕を優雅に動かした。まさに白鳥。指先からは、光がこぼれ落ちていく。
途端、四方に配置された朧銀枠の豪奢な行灯に、煌々とした火が灯る。
部屋はようやく夜明けとなった。
「うわ、何だこれ、すげぇ!!」
テユは目にしたものに思わず驚き、感嘆の声をあげた。
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