0045* 話しかけてもいいかい?
「待て!」
半ば叫ぶようにしてユン・テユは目を開けた。
横たわる彼の体はびっしりと汗で覆われている。
すぐに目を左右に動かし、“あいつ”の姿を探そうと試みたが、グレイがかった瞳がとらえることが出来たのは、漆黒と言っていいほどの一面の闇。――海はない。
「はぁ、夢か。……痛っ」
安堵も束の間、上体を起こそうとした瞬間、片手がひどく痺れていることを知り、テユはゆっくりと痺れていないほうで痺れた手をさすってみた。ビリビリとした感覚が伝わってくる。
彼は仰向けのままで目を閉じて、痺れが治るのを待つ事にした。
その間、自分のいる場所がなんとなく座敷のような所だと認識する。
(どこだ……? ここ)
ル・コルビュジェのサヴォア邸を模したつくりの彼の家には、畳は一枚もない。彼にとってあまり馴染みのないものである。
しかし畳独特のい草の匂い、そして京都で嗅いだ事のあるようなお香の匂いが鼻孔をつく。
彼は心当たりがなく、ひどく混乱した。その上自分の他にも人がいるのか、呼吸する音がそこかしこから耳に届き、それはますます不安を助長するものであった。
次第に鼓動は早くなり、頭を覆うヘルメットとゴーグルがひどく息苦しいものへと変化して、彼は恐る恐るそれらを脱いだ。ついでに首にぐるぐると巻きつけたチェックのストールをも外していく。
髪は汗で濡れており、少し伸びた長い髪を後ろにかきあげながら、テユは今置かれている現状を冷静に整理してみた。
(たしか俺はバイトに行ったはずだよな。でも行った覚えはない。……そういや、うぜぇ塚本を後ろに乗せたな。……で、それから……)
「やぁ、君、起きてる? 話しかけてもいいかい?」
突然話しかけられ、テユの体はびくりと飛び跳ねた。心臓はばくばくと早鐘を打っている。
声のする方向を見やったが、目はまだ暗闇に慣れておらず、何もわからない状態だ。
「……誰」
心臓に手を当てながら、問う。
「ああ、失礼。僕はArthur Guise Garrot。アーサーでいいよ。……で、君の名は?」
話しながら声の主は、ZIPPOライターに火をつけ、自らの顔を照らし出した。
暗闇にぼんやりと浮かび上がるのは、彫刻並みに顔の整った、美しい絵画を想わせる西洋人。
すぐに火は消え、辺りは再び黒く塗られた。
「俺はユン・テユ」
「そう、よろしくユン君。僕はね、君の少し前に目覚めたんだ。ここは、一体どこだろうね」
「さあ、知らない」
「僕はね、とてもワクワクしているんだ。そう、こんなにexciteするのは久しぶりさ!」
アーサーのワクワク感は今さら口に出されなくても、声のトーンで充分痛いほどテユにも伝わっていた。
彼は冷ややかにため息をつき、こんな状況でこいつアホかと心底思った。
「ユン君、この現状は感動せずにはいられないよ! まずあの歴史的建造物でもある大鳥居に出会うことが出来たのは特筆すべき素晴らしい点だけれど、大鳥居の他にもこんな素敵な部屋があるなんてね! 僕は感嘆せずにはいられない。実は先ほどこの部屋の内装を少し調べてみたんだ。そうしたらどうだい、僕は極上の幸せに包まれたんだ。生まれて初めてさ! こんな気持ちは。まさかこれほどまでに美しい彫刻や調度品をこの目で見る事が出来るなんてね。このようなSpecialな体験が出来た事に、僕は素直に感謝したい。この国、日本は最高の奇跡の国さ。声を大にして『有難う』と叫びたいね!」
(なんだこいつ、うぜぇ…………勝手に1人で叫んでろ)
テユは咳払いを一つすると、アーサーに背を向けるように寝返りを打ち、「……そうだね、よかったじゃん」と呟くように言った。
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