0042* ボクの家
『皆さん、私の近くに寄って下さい』
そう、静かに米は告げた。
夜尊、真朝、そしてミチルを担いだ猿田毘古は、彼を見下ろすような形で言われたとおりに近くに寄る。
見下ろされているという事実に、にわかに屈辱を感じてしまった邇邇芸は、
(もう、二度とこの術はしない)
そう心に誓った。
『……では始めます。この場から動かないで下さい』
砂漠に大きくしなる一株の稲は、再びゆさゆさと穂を揺らし始める。
辺りには、カラカラと大きく音が響きわたり、稲は黄金の色を強めながらさらに輝きを増していく。
つられたように、下に座する大粒の米も、周囲に煌々と純白の光をもたらした。
真朝は何かを言いたげに、夜尊をじっと見た。その表情は不安という二文字が浮き上がっているかのよう。
夜尊の顔は面に覆われており、その表情をうかがい知る事は出来ないが、かわりに真朝の手をぎゅっと握りしめ、緊張感なくぶらぶらと揺らす。
その行動は、今の彼女にとってありがたいものだった。
やがて目を開けていられないくらいに光が満ちると、真朝は顔をそむけ、固く目を閉じた。
心臓は、ドキドキと鼓動を速め、うるさく体を駆け巡る。
これから一体何が起きてしまうの。――そう、考えていた。
しかし不思議と不安ではない。怖くなんかない。
それはずっと夜尊という存在を、手で感じていたからだった。
「マアサ、ついたヨ。目をあけてごらン」
夜尊の声で、真朝はおそるおそる目を開けた。
強い光とは一転、周囲は暗い。……あまりにも暗く、闇に閉ざされている。
その上肌寒い。
真朝は力が抜けて、へなへなとその場に座り込んだ。
何が起きたのかさっぱりわからず、目をぱちぱちとしばたかせる。
無意識に手を地につけると、ひんやりと固い材質が伝わってきた。
「えっ!?」
驚き、手を跳ね上げる。
そこはもう砂ではない。紫檀に覆われた、冷たくつややかな床。
「ねぇ、ここどこ?」
真朝は夜尊を見上げた。ぼんやりとそのシルエットが確認できる。
「ン? ボクの家だヨ」
その声は、嬉しいのかはずんでいた。そしてその手は真朝を軽々と抱き上げる。
「ボクの家、案内するネ!」
「お待ち下さい、夜尊。重要な話があります……!」
ニニギはあわてて制止するが、夜尊はおかまいなしに簾を跳ね上げ、仄暗い回廊へ飛び出していく。
真朝は目にする光景に驚きを隠せない。
巧妙に編み込まれた紅い簾は豪奢な金の刺繍で縁どられ、その上ではさまざまな色に光るうす絹が幾重にも重ねられ、風でそよぎ、幻想的に目に写る。
またそれ以上に、柱、天井に施された装飾の豪華なこと。
円柱の柱に塗り重ねられた漆はなめらかに黒光りし、所々に埋め込まれた金や真珠は鮮やかに虹光を放つ。
天井を覆いつくす彫刻は、気の遠くなるほど細かい文様、七宝つなぎの鳥襷。一体どのくらいの時を費やせばこれだけのものが造り上げられるのか、測りしれるものではない。
「なんなの、この家……」
真朝は小さく呟いた。
「……こ、これは夜尊、お久しゅうございます。ここでお逢いする無礼、なにとぞお許し下さいますよう……。物音がいたしましたので、勝手にこちらへ参りました」
突如聞こえる女の声。流れるようでいて、その声色はまさに甘い香りの花。
見ると、女は手を胸の部分で合わせ、深々と頭を下げている。
その頭上では七色に輝く羽衣がふわりと舞い、足元では細かなヒダのついた裳がゆらゆらと揺れている。
「天宇受賣、久しぶりだネ。中に入れバ? サルタヒコがいるヨ」
「夫が……?」
アメノウズメは顔を上げた。
真朝はその女の人間離れした美しさに、思わず息を飲む。かつてフランスの美術館で見た印象派の画家、ルノワールの絵画のよう。
透き通るような白肌、吸い込まれてしまいそうな闇色の瞳。
そして、その身にまとう衣裳に、目が釘付けとなってしまう。
繊細な刺繍が施された美しい衣はあまりにも薄く、彼女の体はうっすらと透けてしまっている。上衣はとくに、その意味をなしていない。
それは、本当にそれでいいの!? と聞きたくなってしまうほど。
「ところで……その御婦人は、どなたでございましょう」
問われて真朝はハッとして、あわててアメノウズメの形の良い胸から視線をそらす。
見ていた事がバレなければいいのだけれど。と内心焦りまくりである。
夜尊は真朝をひょいと抱え直し、
「今日からボクの奥さんになるヒト。よろしくネ〜」
と、歌うように言う。
「左様ですか。ようやくご結婚されるのですね。それはめでたき事。……慎んでお祝申し上げます」
アメノウズメは妖艶に微笑み、再び胸で手を合わせると、深々と頭を下げた。
彼女の黒髪は、さらさらと前に流れ落ちていく。
真朝は思わぬ言葉に身じろいだ。
「ちょ、ちょっと何なの。は? 今日? 奥さん? な、何なわけ? は?」
「言っとくけど拒否できないヨ? それにキミ、ボクの言う事、ちゃんと聞くって言ったもン」
額にはイヤな汗が浮かび、真朝はごくりと唾を飲んだ。
「ね、ねぇ……嘘でしょう?」
「嘘じゃなイ」
「……じ、じゃあ、本当に今日結婚……するの?」
「うん、本当に本当に今日結婚するノ」
真朝が受けた衝撃は、例えるならすべての髪が白髪になりそうなほどのもの。
それにかまわず、夜尊は真朝を抱えたまま軽やかにぴょんぴょんと飛び跳ね、西対に向かっていった。
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