0041* 米はかく想う
「夜尊、お着けくだされ」
邇邇芸の命の言い付けどおり、兎面を拾ってきた猿田毘古は、夜尊に向けてそれを差し出した。
太陽を受けて面はますます妖しさを増し、きらびやかに陽光を反射する。
夜尊はだまってそれを受け取ると、素早く顔に装着する。そして視線は真朝のほうへ。
「ねぇ、マアサ。さっきの答え聞いてなイ」
詰め寄る夜尊を手で押し退けつつ、真朝は体の奥底から、思いきり息を吐く。
「……しつこいわね」
それを見ながら、ひと粒の米、ニニギはえも言われぬ寂しさを感じていた。のけものにされてしまったような、そんな気持ち。
その疎外感は徐々に大きくなり、やがて不安と歯がゆさが頭の中でどろどろと渦巻きはじめる。
彼は夜尊を一番理解できるのは自分だと信じていた。身近にいるのはこの私、と。だが、それも真朝という娘が現れるまで。
これまでの出来事で、その行動パターン、その考えはまったくもって読めたものではないことを痛いほどに知る。まさに夜尊は謎だらけの存在だ。
しかし、夜尊を御する事ができなければ、お祖母様との約束をとうてい果たす事ができない。
彼は夜尊がなぜ真朝にああも懐いているのか全く分からなかった。その魅力とは一体何なのか。
真朝は確かに美しい。しかしそれ以上でもそれ以下でもない。
遥かに美しい女など、高天原には腐るほど存在するのに……。
「はて? どうされました、ニニギ殿」
様子がおかしい事に気付いたのか、サルタヒコは米を静かに見下ろした。
米はすっぽりと天狗の形のシルエットの影となり、輝きを損ねる。
サルタヒコにはそのつもりはないが、ニニギは部下に対して相当な威圧感を感じてしまう。それは思わずたじろいでしまうほど。
ヒビ割れた天狗面は逆光となり、すさまじい迫力およびすさまじい重圧となって彼を襲う。
ニニギは舌打ちをし、「サルタヒコめ……」と、ぽつり誰にも聞こえぬように呟いた。
『……なんでもありません』
気を取り直して米は続ける。
『サルタヒコ、頼みがあります。あそこに倒れる女を担いでここに連れてきて下さい。それから……夜尊と娘もここに』
その言葉に反応し、サルタヒコは振り向いてミチルの姿を確認する。
目は固く閉じられ、あいかわらず砂漠にひっそりと横たわっている。
しかし、先程に比べ、いくばくか顔色も良い。
「ぬ……しかしニニギ殿、あの女は……。夜之食国および高天原にとって害を及ぼす存在となりましょう。この先、どうなるか分かったものではありませぬ。拙者はここに捨て置くことが一番と考えます」
『全て存じています。貴方が危惧するのは須佐之男の命の事でしょう。ですが、私には彼奴を祓う用意があります。心配は無用のこと』
「……御意」
言い残すと、サルタヒコはすぐさまミチルの元へ行き、彼女の姿を恐る恐る――見た。
規則正しい吐息、バラ色の唇。……目覚めるのは時間の問題かと思われる。
もう重いのは、もう蹴られるのは嫌だった。それは首をつたう冷汗、そして生唾をごくりと飲む仕種で表現されている。
しばし時をおいた後、意を決したように「えい」と声を発すると、同時に肩にかけるようにして女を担ぐ。
……ミチルは非常に軽かった。先程に比べれば、羽が生えているかのよう。
サルタヒコは拍子抜けし、よたよたと横に揺れた。
「サルタヒコ、そろそろ行くノ?」
夜尊は真朝の手を握り、ぶらぶらさせながら問う。
サルタヒコは黙ってこくりと頷いた。
「ニニギ殿が呼んでおります。どうぞあちらへ」
サルタヒコが飛ぶと、夜尊も真朝をひょいと抱き、後に続く。
「ぎゃあっ! ちょっ、ちょっと、飛ぶ時は心の準備が必要なんだから、前もって言いなさいよ! 私は高所恐怖症だって言ってるでしょ!!」
真朝は必死にしがみつきながら、鬼の形相で睨み付ける。
「ねぇマアサ。そんなにうるさくするなら、また「月の聖水」やるけド。……いいノ?」
「……つ、月の聖水……」
それ以降、真朝はぷっつりと静かになった。 |