0037* 貴重なる月の聖水
(……ずいぶんと長いじゃないの)
次第に怒りが沸々と込み上げ、真朝は握りこぶしを作る。その目は二人を映したまま。
(コイツって、単なるキス魔ね。きっと相手は誰でもいいのよ。そうに決まってる。……なにが結婚よ! そんなの、その女とすればいいのよ。私はごめんだわ。絶対絶対お断りよ!)
そう思いながら下唇を噛みしめた時点で、彼女は自分の感情にふと疑問を抱く。
「…………あれ?」
(私、ひょっとしてムキになってる?)
あわててこぶしを開き胸元に乗せた。その心臓はドクドクと早鐘を打っている。
(何なのよ。……バカバカしいっ)
それから頭を冷やそうと、しっかりと目を閉じ深呼吸を繰り返す。
平常心はすぐに取り戻すことができた。
(我ながら、どうかしてたわ)
そしてゆっくりと目を開け、再び夜尊とミチルの姿を黙って眺める。
美男美女のキスはとても絵になっていて、衣裳は違えど、まるで「眠れる森の美女」のよう。
夜尊の髪はサラサラと下へ流れ、ちょうど互いの口元を隠しているが、二人の睫はうらやましい程に長く、その横顔も流れるような曲線で美しい。
特に夜尊の美しさは、須佐之男が執着するのも納得できるものであった。
「……あっ」
1人、呟く。
真朝はふと洋服のアイディアが湧いてきて、急遽スケッチしたくなり、踵を返し車へ向う。彼女はすでに去年卒業しているが、大学で服飾文化を専攻する学生であった。普段からアイディアを書きとめるようにしているのだ。
「マアサ、どこ行くノ〜?」
5歩ほど歩いた時点で、夜尊が声をかける。すでに聞き慣れた、独特な声。
真朝はなぜか急に虫の居所が悪くなり、
「関係ないでしょ、別に私なんかに構わなくてもいいわよ? 忙しいでしょ。……それよりあなたたち、とってもお似合いよ。絶対、私なんかよりもいいと思うの」
と、精一杯ニヤニヤしながら、刺々しく答えた。
夜尊はそっとミチルの頭を砂地に置くと、ぴょんと飛び跳ね真朝のもとに着地する。
そして彼女を力一杯抱きしめた。
「ちょっ、苦しい。な……なにすんのよ!」
突然の事に真朝は顔を強張らせ、棒のように立ち尽くす。
「マアサ、可愛イ。それってさぁ、あのさぁ、ヤキモチだよネ。ボクたち相思相愛だネ〜」
真朝は夜尊をはね除けようとするが無理であった。相変わらず強い力。
「……ヤキモチ!? 相思相愛?」
何で私が……と言いかけた時点で、真朝の口は夜尊に思いっきり塞がれてしまう。
「んーー!!」
夜尊は目を開けたままで、ずっと真朝の顔を見ていた。
そしてふいにその目は笑う。
やがて彼の口から真朝の口へと、生暖かい水は移動し始めた。ミチルの時と同じ水。
(……!! ぎゃあ、汚いっ!)
水は巡るように真朝の口内を満たしていく。
真朝はピンチとばかりに必死にのどで塞き止めようとするが、水は意志を持つかのようにごくごくと体内に受け入られてしまう。
(き、汚すぎ! 汚すぎる! っていうか苦しい!!)
のどに全意識を集中させている為、呼吸も忘れ、真朝の顔はだんだん赤くなっていく。
(死ぬーーーーっ!)
夜尊は全てを口移しし終えると、真朝の口元についた水を自分のマントで拭い、
「苦しかっタ?」
とあどけなく笑いながら告げた。
真朝は頭から湯気が出る程憤慨している。その顔は怒りに打ち震え、赤鬼のように真っ赤である。
「冗談じゃないわよっ。なんて事すんのよ、汚いわねっ! 苦しいに決まってるじゃないの!! っていうか、死ぬかと思ったわよ!!」
夜尊は目を伏せて、再び真朝に軽くキスをする。その際、真朝は顔をそむけ嫌がったが、全くの無駄であった。
「全然汚くないヨ。だって今の水は『月の聖水』だもン。だから、汚くなイ」
真朝は思わぬ言葉にただ呆気にとられるしかなかった。
「は? 月の聖水? ……アンタねぇ、なに自信満々に言っちゃってるのよ。何が月の聖水よ。単なる唾液まじりのすごくすごーく汚い水じゃないのよ! ほんと大迷惑」
「ちがうよ、ホントに汚くないもン。だってボクってさぁ、水を飲むと、もれなく月の聖水に代えることができちゃうノ。ねぇ、すごいでショ? それにコレってみんなが欲しがる貴重な水なんだヨ? だからキミもカノジョもツイてるネ〜」
「バカじゃないの? 「ツイてるネ〜」じゃないわよ! よく言うわ。もう、最っ悪よ!! っていうか、なんで私にまで口移しすんのよ。迷惑すぎて死にそうだわ!」
夜尊は真朝の顔を覗き込み、その薄ピンク色の頬に触れた。
真朝は不覚にもドキっとしてしまい、心臓が飛び出しそうになる。
「でも、もうヤキモチは治ったでショ?」
「…………だから、私がいつヤキモチ焼いたっていうのよ」 |