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名前のない街
作:nico



0003* ドライビング★スタア


「なにこの田舎ー。ロケ地は大阪だったんじゃなかったのォ?」
「ごめんリオ。変更になったんだよ」
「ブゥ。とってもタコ焼食べるの楽しみにしてたのにィ。マッツーのバカ」

 最近テレビに出始めたアイドル、室生リオを乗せた車、ホンダ・オデッセイはひたすら真直ぐ1本道を走っている。
 右には山が広がり、左には広大な海が広がっている。
 窓を開け、海風に吹かれながらリオはひたすら海を見つめた。
 その顔には不満という文字が浮かんでいるのだが、やがて綺麗さっぱり消えることとなる。
 あまりにも、目に飛び込んでくる海は壮大で美しかったからだ。

「ねぇマッツー。リオの実家にもね、こうやってキレイな海が広がってるんだよ〜。帰ってないなぁ、帰りたいなぁ。……すごーーく、いいトコなんだよ?」
 得意げな顔でリオは言う。
 びっしりと長いエクステを付けた睫、こぼれ落ちそうなほどぱっちりとした平行二重の瞳、大きな黒目……。
 リオは誰にも負けないくらいの美少女である。
 もっとも、美少女じゃ無い限り、アイドルにはなれないのだが。

 マッツーこと松原真之介は、リオのマネージャーになって2年になる。
 自他ともに、有能なマネージャーとして知られている。

「へぇ、リオのとこにも海があるんだー。僕の地元にもあるよ。テトラポットにたまに伊勢海老が這い上がってくるんだ」
「え? 本当に? リオ、伊勢海老食べたい〜」
 笑いながらマッツーは、横目で右の車線を見て、追越し車線に移動する。
 前方に、速度の遅い軽トラが走っているからだ。

「この辺は海があるから、きっと海の幸が豊富だよ。今晩、うまいものでも食おう。リオの好きな海老もあると思うよ」
「やったぁー。マッツー大好き!」
 そう言って、リオはマッツーの首元にしがみつく。ふんわりと、ジル・スチュアートの香水の香りが彼の鼻に届いた。
 香水は、マッツーがリオにプレゼントしたものだ。リオの雰囲気に、香りもボトルデザインも合っていると思い、先日購入したのである。

「もう、危ないだろ? 大人しく座ってて」
 言いながら、マッツーはリオの手を振りほどく。その心臓は、秘かにドキドキと早鐘を打っている。
「ブゥ」
 リオは目をぱちくりとさせながら、大人しく助手席に座り直した。

 ふたたびリオは窓の外に視線を移す。
 海には、人を癒す力がある。まだ若いリオの心も、知らぬうちに癒されているであろう。
 つられてマッツーも、リオのほうへと視線を移した。
 やさしい潮風は、サラサラと長い栗色の巻き毛をゆらしている。
 微かに香るシャンプーの香りと香水、そして、輝く巻き毛と海の反射光が織り成す光の陰影に、マッツーの目はくらくらとくらんでしまった。
 それは、思わず生唾をごくりと飲み込んでしまうほど。
 
「ねーえ。見て見てマッツー。黄色のビートルだよ。リオ、あの車、免許とったら乗ろうと思ってるんだよね。やっぱりカワいいなぁ」

 隣の車線には、黄色のビートルが悠々と走っている。
 マッツーは気を取り直して、やれやれとため息をついた。
「リオは運転無理だよ。注意力散漫じゃないか。それに、筆記試験だってあるんだぞ。……知ってる?」
 その声を無視し、リオはいきなり大声で、
「きゃーっ! あの人、何? カッコイイ!!」
 同時にちぎれんばかりに、黄色のビートルに向かって大きく両手を振りはじめた。

 マッツーは驚いて隣の車の運転席を見ると、なるほど、美少年がけだるそうに運転している。
 おまけに、助手席に座る女も美少女だ。
「ちょっ、控えろよ。君はタレントなんだぞ?」
 厳しくたしなめるが、肝心のリオは全く聞く耳を持たない。
 そればかりか、目をハートに変える勢いで、うっとりとしている。
「素敵!! カン・ドンウォンに似てるー!」

(は? カン・ドンウォンって誰だよ……)

 マッツーには分からない。
 無理もない、現在彼女は完全に韓流にハマっているのだ。
 韓流を知らないマッツーにとって、全く未知の人物だ。

 挙げ句の果てに、「ねぇ、マッツー。隣の車にもっと近づいてよ!」と、無理なお願いまで平気でしてくる始末。
 マッツーは大人の対応で、無言でそれを却下した。




 坂下真人は車を運転しつつ、隣の車に向かって恥ずかしそうに手を振っている。
 若干顔も、少しだけ赤らんでいるようだ。
 それを横目で見つつ、助手席の真朝はあきれた顔で、
「アンタ、何やってんのよ?」
と、鼻で笑いながら言った。……いくらか眉間にシワも寄っている。
 眉間のシワは、『不幸ジワ』っていうんじゃなかったっけと思ったが、「うるさいわね!」と怒られそうなので、真人は言うのを止めておいた。

「いや、隣のオデッセイの女が、オレに向って手ェ振ってんの。……応えないと失礼だろ?」
「はぁ?」
 心底アホらしいと思い、真朝は一度軽くため息をつく。
「ホント、自意識過剰ね。んなことやってるヒマがあるなら、とっとと駅に行きなさいよね」
「…………ああ」

(……俺、自意識過剰なのかな……?)
 速やかに黄色のビートルはスピードを上げ、オデッセイをひき離し、先へと急いだ。




「あー、行っちゃったー。……ホントあの人カッコよかったぁ」
 リオは心から残念そうに言う。そしてしょんぼりうつむいた。
 しかし、マッツーの耳にはその言葉は届いていない。
 むしろその心は、ただひたすらビートルに追い抜かれた事実に対してムカついている。
 ――そう、マッツーは筋金入りのスピード狂であった。
 おまけに重度の負けず嫌いでもある。
 すかさずアクセルを踏み、前を走る黄色のビートルを追う。

「マッツー大好き! 彼を追ってくれるのね。さっすが有能マネージャー」
 リオは別な意味にとらえ、うっとりとマッツーの鼻筋が通る横顔を見つめているが、やはりその声も彼の耳には届かなかった。
 聞こえるのは、オデッセイの加速音のみ。
 見つめるのは、ビートルの後ろ姿、ただ一点のみ。
 彼は今、まさに男の意地をかけて、ビートルを追い越すつもりであった。

(くそっ、あの前のタクシー、死ぬほど邪魔だ!!)

 一台のタクシーが、ビートルと平走している。
 マッツーはタクシーを大いに憎んだ。
 平走されては、追い抜くことなど出来ないからだ。

(ぶっ殺す、あの親父……)

 親父とは、彼の持つ“タクシー運転手はおっさん”という偏見からくるものなのだが、まさかそのタクシーを運転するのが、マッツーの敬愛するプロのスノーボーダー『佐伯鉄二』であるという事実を知るのは、また後の話である。


 ……そして車はやがて、あの『緑が丘交差点』をむかえる事となるのであった。












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