0026* 砂漠に浮かぶ月
真朝は見ている。
まだ恐怖は抜けきっておらず、上体は起こしているが、力なくその場に座りこんだまま。
その視線は、存在全てが胡散臭い『兎』に注がれていて、ずっと姿を追い続けている。
兎はハイエースのドアを二回ノックし、「失礼するネ」と言いながら、ガチャリと開けて、中の人と何やら話す。
しばらくして、キャリアウーマン風のスーツの女を外へ連れ出すと、彼女に肩を貸し、ゆっくりと真朝の元に歩いてきた。
スーツの女は、とても顔色が悪い。貧血を思わせる土色である。
大粒の汗を額に浮かべ、目は焦点があっておらず、ただひたすらうなだれている。
「お待たセ。キミはカノジョのように腰が抜けてないでしょウ? 自分で歩けるよネ?」
「あ…………歩けるけど……電車に遅れるわ……行かなくちゃ」
そう言いながらフラフラと立ち、真朝は黄色のビートルへと戻ろうとする。
「うーん、電車に乗れないのは、さすがにキミも分かるよネ?」
「それでも私はフランスに行かなくちゃ。……も、もう手続きだってしてあるし」
兎は「ちょっと座ってテ」と、女を地べたに座らせると、
「めんどうだから、キミがどういう世界にいるか、見せてあげるヨ」
と、真朝に顔をぐいと近付けながら言う。
「え……?」
真朝はじっと兎面の者を見る。
ヘナヘナと座り込んでいる、スーツの女――浅田ミチルも兎を見た。
「砂埃がすごいと思うから、目を閉じてたほうがいいと思うヨ」
そう告げると、ぴょんと飛び跳ね、後ずさりし、もぞもぞとマントの中で手を動かした。
やがて手を出すと、左手には見事な彩絵檜扇が。
上から下に腕を下ろすと、艶やかにザッと扇は華開く。
描かれるのは、見事な緑の松、朱赤の楓、下方にススキ。――絵には金銀箔がふんだんに散らされていて、キラキラと太陽を反射し、より一層雅びやかに目に映る。
さらに右手の中指をたてると、それに人指し指の先をのせ、帝釈天印に似た印を結んだ。
そのまま左足を前に上げると、舞を舞うようにくるりと三度優雅に回る。
「!?」
突然ゴオゴオと突風が吹き荒れて、砂塵が鋭く巻き上がり、視界をすべて奪っていく。
真朝とミチルは目を固く閉じ、状態を低くしながら身を守った。
次第に風も弱まってきて、
「もういいヨ〜」
と兎は言った。そして続ける。
「目を開けてごらン。これがボクらのいる世界だヨ」
二人は息を飲む。
「……う……うそでしょ……」
足元には砂。……もう、そこにはコンクリートはない。
周囲は砂の織りなす世界。影を作る建物群は、そこにはない。
――砂漠。
地平線の遥か向こうまで、延々と四方に広がっている。
その中に、ぽつんとある数台の車。バイク。――そして大鳥居。
それ以外はすべて砂。
ミチルはショックで意識が遠くなり、その場にドサリと倒れ込んだ。
一方、真朝は、
「うそよ! 何の冗談よっ! こんなの、絶対うそに決まってる!!」
大声を上げながら、兎の元によろよろと走っていく。
しかし、砂に足をとられて豪快に転んでしまう。
「うそじゃない、本当だヨ。今までのはすべて幻サ。キミらは『交差点』を曲った時から、ずっとココにいたんだヨ」
「イヤーーーーーーッ!!」
真朝は頭を抱えながら、泣き叫ぶ。
顔はもう砂でぐちゃぐちゃで、でもそんなものは彼女にとってどうでもよかった。
もう、それどころではない。
「なんでこうなっちゃうの? なんでこうなっちゃったのよ!! 真人、どこなの、どこにいるのよっ!!」
目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、頬をつたって顎から滴り落ちていく。
砂は薄い色から濃い色へと、ポタポタと変色した。
兎はかがんで真朝の肩に触れると、兎面をぐいと押し上げた。
――夜空に浮かぶ、満月のような印象的な瞳。
「ねえ、泣かないで……」
今までとは違う、やさしい、やさしい声。
真朝の頬を両手で包むと、兎は目を閉じ、その唇にキスをした。 |