第4話 嫉妬
次に目覚めたのは既に外が赤く染まっていた。先ほどまで研究室の仮眠用ベッドに寝ていたはずなのに、いつのまにか1階のいつも博士と志保が眠っているスペースで寝かされていた。壁にかけてある見慣れないデジタルカレンダーには2020年の文字。はぁ、と小さく溜息をつく。
夢であるかもしれないけれど、それでも自分は未だその奇妙な空間に取り残されていた。
一体いつになったらこの夢から醒めることができるのだろう。
志保はその赤茶けた髪をくしゃりと掻きあげた。じっとりと汗が額から頬に伝い落ちていく。
(・・・なんだったのかしら・・・)
汗をパジャマの裾で拭いながら、昨日から体験したことを考える。
これが夢というのなら、ずいぶん長い夢を見ているものだ。痛みだったり眠気だったり。神経がずいぶんリアルに表現されていて。もしかしたらこれが現実なのかもしれないという畏れがふつふつと沸いてきて。夏だというのに、冷房が効いているわけでもないのに、ぶるっとひとつ震えた。
そんな気持ちをごまかすかのように、志保は視線を外にずらす。この家は特別なガラスで一面全て覆われているから、外の様子がすぐわかるのだ。
真っ赤な紅の色の空の、今まで見たことのないほどの美しさに一瞬ココロを奪われた。こんな素敵な空を映すのは夕方だろうか、それとも明け方だろうか。
ベッドの脇にあるサイドボードの上の時計をいつものクセで見れば『6』という文字を短針が示していた。この時期でこの天気の明るさといえば、きっと夕方なのだろう。あれからほぼ1日が経過しているわけだ。
(それにしても・・・)
志保はそっとその時計を手にとった。少し変わったデザインの時計。変わってはいるけれど、自分はこんな時計の形が好きだった。この夢の中では自分が選んだのかしら。そしてそのプラスチックのような素材の画面に指が触れたとたん、アナログであったはずの針が全て消えて。
そこに映ったのは、中学生のころの自分。経験していないはずなのに。日本の制服を着て、卒業証書を手にして、自分は、自分たちはそこにいた。
まだメガネをかけていて。彼を挟んで、歩美と元太。その両端に光彦と哀。そして哀の肩に手を置くのは阿笠博士。ちょっと老けて、髪の毛もまた少し薄くなって。
ずきん、と頭が痛くなる。
再びあの痛み。
志保はそれに負けじとぶんぶんと首を横に振った。
(負けちゃダメ)
知らない記憶を『自分のモノ』にしたくない。こんな学生時代、自分は送ったことがない。送ったことがないのだ。
しかし、それなのに。既視感というものをどこかで感じている。体が反応している。憶えている。
「どういう、こと・・・」
震える、指先。
「・・・おはよ」
はっとして志保はその声に振り返る。彼、『工藤新一』・・・いや、『自分の知る工藤新一より一つ年上になった江戸川コナン』が決まり悪そうに部屋の隅に立っていた。
「おはよう」
にこり、ともせずに彼から目を逸らすと、彼女は再び遠くに映る紅の空を見つめた。
「・・・熱、でもあったのか?・・・ずっと魘されてた。それに・・・昨日から変だぞ、おまえ・・・」
彼の顔がそっと近づき、こつん、と額が志保の額に触れた。
どきんっ。
「ちょっ、何すっ・・・」
「何って、検温」
「そ、そ、・・・そんなっ。そんなこと彼女にだけやりなさいっ!!!た、体温くらい自分で計れるわ」
もう頭の中がどうにかなりそうで。沸騰しそうで。明らかに動揺を隠し切れずにいて。
そんな顔を彼に見られたくなくて、志保はばっと頭からタオルケットをかぶった。
「何それ。新手のプレイ?・・・つまんねーぞ」
「ぷっ・・・!?」
さらに顔を赤らめて志保はますますタオルケットから顔を出せなくなっていた。今自分の顔を見られたらおしまいだ。
ぺろり。タオルケットを無理やり捲られてしまう。目の前にあるのは、彼の呆れたような、いや、困ったような顔。
「そんなに逃げられたら、追いかけたくなるんだけど。オメー、俺をそういう風にしたいわけ?」
「っ!?」
志保は吃驚して彼の顔を見つめた。そんな表現、自分に向けて聞いたことない。あの探偵事務所の『彼女』に向けて、もしかしたら何度も口にしたかもしれないけど。
「顔、よく見せて」
「・・・」
頬、頭、唇。・・・医者が触診するようにゆっくりと指の腹で撫ぜられる。
じっと見つめるその視線。射すくめられるその視線。
思わずその視線に居心地が悪くなってさっと逸らした。が、顎をつかまれ、その太い節のついた指先で、強く元に戻される。再び彼の顔が自分の目の前に。
「・・・逃げるなよ」
「・・・逃げてない」
「逃げてる」
甘い、彼の声。・・・こんな彼の声、聴いたことない。
思わずどくどく、胸が騒ぎ、目がとろん、としてきてしまう。
こんなことあるはずないのに。現実だったらあるはずないのに。
『夢』の中ではきっと。
(・・・私、彼の『彼女』なんだ)
彼の唇が目の前に。
志保は思わずきゅっと目を瞑った。
「コナンくーん、哀くーん、今帰ったぞーい」
ガチャリ、という鍵を開けたときの音とともに玄関で響くもう一人の住人の声。おそるおそる目を開けると、ちっと『コナン』が小さく舌打ちをした。
「どーしてこういつもタイミング悪いんだよ、博士は」
なぁ?といたずらっぽく笑うコナンに対して、志保は思わず体を縮こませる。
「・・・灰原?」
怪訝に思ったのか、コナンは再び志保の顔をまじまじと見つめた。
「・・・ねぇ、工藤くん」
「・・だから俺は『江戸川』だって・・・。言っただろ、小学2年の夏休み、お前に。もう『工藤新一』に戻るつもりはねぇっ、て。納得してないようだったけど、それでも一応わかったって言ってくれたじゃねぇか。・・・それからずーっと、みんなの前でも、2人でも『江戸川』で通してくれたじゃねぇか。・・・一体どうしたんだよ、俺、おまえに何悪りぃことしたか?!」
「してないわ」
「じゃあ何でっ」
「だから。・・・私はあなたとそんな約束を、・・・してないの」
再び、ズキンと頭が痛くなる。・・・蘇りそうな新たな記憶。それでも。
それでも、彼女はそれを封印した。ぶんぶん、と頭を2,3度振ってそれを『なかったこと』にする。
「どういう、ことだ?」
「だから、・・・あなたが約束した『灰原哀』は私じゃない。残念だけど、・・・私は別人よ」
そう、たとえこれが本当に夢の中だとしても。あるいは、そうじゃなかったとしても。
私は、『私』の、記憶を信じているから。彼と『こういう仲』になるのは私ではありえないから。私では、ないから。
「・・・・・・イマイチ、話がつかめてねーんだけど」
「そうでしょうね」
「じゃあお前は誰なんだ?まさか12年前の組織の残党か?マスクか何かしたベルモットの仲間か?」
ベルモット。
自分の『本当の』記憶の中じゃ組織の『ボス』と一緒に、燃えさかる組織のアジト(ビルの廃屋)で運命をともにしたといわれている。
この『夢』の中ではどうなのだろうか。
いくら考えても、あのじゅくじゅくとした頭の痛みはやってはこなかった。
志保がふとその視線を感じ、彼を見ると、未だ彼はその返答を待っているようだった。
「答えろよ。・・・お前は誰なんだ。何のためにきた?まさか双子とは言わせねぇぞ。いや、それにしても似すぎるか・・・」
彼のぶつぶつとした声を聴きながら、志保は思わず口許に笑みを浮かべていた。
「・・・そうね。組織の残党。だけど、残念だけど『彼女』の双子でもないし、クローンでもない。私だって何のためにここにいるかがわからない・・・そんな答えじゃダメ?」
「!?」
その言葉に、彼は一瞬怯んだ顔をした。
「ちょーまて、おまえ、あいつの居場所知ってるんじゃねーのかっ・・・」
「・・・知らないわ。『彼女』がどこにいるか・・・私が知るわけないじゃない。逆に私が知りたいくらいよ」
彼の恋人である『灰原哀』という人物を。今まで彼とどんな恋愛をしてきたのか。自分でない『自分』に嫉妬に近い感情を覚えていた。
・・・それとも、やはり自分自身が『宮野志保』であり、『灰原哀』なのだろうか。そんなことを考えると、きっとまた頭が痛くなって。彼との秘め事が頭にいやらしく浮かんでくるのだろうか。リアルに『経験』として、『記憶』として浮かんでくるのだろうか。
そんなの、嫌だ。
思わず嫌悪感に、志保は身を震わせた。
「・・・ふざけんなっ!」
彼の動揺した言葉にそして浴びせるような怒りの視線に、志保は我に返り、そして彼を見据えた。
怒りに震えている彼の瞳。
「・・・灰原に何かあったら、ただじゃすまさねーからなっ!」
「好きに、しなさい」
彼にそんな言い方をされて胸がキリリと痛んだ。だけどそんなキモチを彼に気づかれないように、ゆっくりと背を向けた。
感じる、居心地の悪さ。何ともいえない気まずさがこの部屋いっぱいに広がっていく。
「くそっ・・・」
小さく呻くような彼の呟きが背中越しに聞こえた。焦っていてきっと何も考えられないのだ。
こんなに彼が愛している『自分』。
この世界ではどんな性格をしているのだろう。どんな女なのだろう。
現実世界で『彼女』に対する思いと別の感情を、この空間の『自分』に抱いていた。
(ねぇ、工藤くん。・・・あなたはどうしてあんな『私』を好きになったの?魅力的な彼女を差し置いてまで、私を・・・)
嫉妬。
現実世界で抑えていた感情が爆発しそうになる。
そんなキモチをどうにか抑えるために、志保はぎゅっと自分の体を抱きしめた。
「・・・なぁ・・・」
ぽそり、彼の声が再び自分に向けて発せられた。無言で彼の次の言葉を待つ。
「おまえ、そんな悪いやつじゃねーだろ。それに、きっと『組織』にももう全然関与してねぇ」
「・・・え?」
きょとん、として志保は思わず振り返り、彼を見つめた。
「わかるんだよ、おめーを見てっと。姿形だけじゃなく、性格もあいつとまるきり同じのようだ。・・・なぁ、おまえホントに」
「別人。・・・私はあなたの愛している『彼女』じゃないから。・・・期待を裏切ってごめんなさい」
「忘れてる、だけじゃねーのか?」
一瞬の沈黙。
(ウソ・・・)
「・・・思い、出させてやろうか?」
「え?」
ベッドの上、彼が志保の肩にそっと手を置いた。彼がベッドの上に膝を置き、乗ってきたため、キシキシとマットが音を立てる。
どくん。
胸が高鳴る。じっとり見つめる彼の視線。
「くど・・・くん」
「・・・あー・・・もう何でもイイけどな」
彼は思わず苦笑した。それから、そっと。
・・・そっと志保の唇に唇を重ねた。 |