第16話 友達から親友へ
志保が老女と別れたのは、昼の11時を少し回ったころだった。時計を見て少し驚いたが、そういえば1時間近く話していたのだから、まぁそんなものだろうとすぐに思い直した。
アパートへ戻ろうと地下用通路を駅とは反対側に抜けたとき、眼鏡をかけた黒髪の綺麗な女性とすれ違った。
一見イヤホンをつけて音楽を聴いているだけに見えたが、実際は誰かに電話をしているようで、周りを憚り、小声で何かコソコソと話していたようだった。何年か前に流行ったような形の服装。流行は、あるサイクルで回ってるというから、きっとこの時代の今の流行なのだろう。しかし、それに加えてもあの眼鏡はどうしても気になった。これもまた流行のひとつなのだろうか。普段ならそうは心の中で思っても、ただそれだけのことなのに。なのに、肩から15センチほど長めの黒くサラサラとした綺麗な髪を持つその人に何かを感じて、一瞬立ち止まる。
そうしてその女性も。先ほどまではこちらにそこまで注意をしていない様子だったが、志保が立ち止まったまま動かずずっと女性を見ていたから、その視線に流石に何かを感じたのだろう。視線をずらし、志保と目を合わせた瞬間、「あ!」と短く声を上げ、みるみるうちに表情を明るくした。
「いた!」
「…え?」
まるでずっと探していた猫を見つけた幼い少女のような表情をして。その女性は志保の手をぎゅっと握った。それから、黒ぶち眼鏡のレンズの奥から、黒目の多いかわいらしい瞳を自分に向けた。
「にげちゃだめっ!絶対ここから動いちゃだめなんだからっ!」
その口調は、ごくごく身近で感じたことのあるものだと瞬時に気づいた。そして、最近触れられなくなりつつある、この口調。
(まさか…。でも、彼女は眼鏡なんて…)
振り払うわけにもいかず、とりあえず手を掴まれたその状況のまま、志保は困惑してその眼鏡の女性を見つめていた。少女は、イヤホンに向けて声を上げる。
「光彦くん!哀ちゃん、捕まえたー!!!」
大人びた眼鏡をつけた外見とは裏腹に、その女性は幼い少女のような無邪気な嬌声を宙に響かせた。
けれどそんなことよりも、たった今彼女の口にしたその言葉自体に志保は驚きを隠せられなかったのだ。自分のよく知る、二つの名前。一つは、自分が子どもの姿をしていたとき名乗っていた仮の名前。もう一つは、その当時自分が一緒によく行動を共にしていたグループのメンバーで、昨日も会った少年の名前。そして、目の前にいる彼女も見かけ同年代とみえる。
と、いうことは―――。
「…あなた、…まさか」
眼鏡の奥の瞳は、確かに彼女が元に戻る前、約2年間一緒に小学校生活を過ごし、そうしてその純粋さの中にある強さを持っていて、密かに憧れていた、ある少女の面影が確かにあった。
「吉田さん」
「…え?よし、だ…?」
その女性は一瞬きょとんとした顔でしばし志保を見つめる。あぁ、他人の空似だったか、と志保は謝意の言葉を伝えようとすると、みるみるうちの女性の表情が曇り、ひどいなぁ、と小さく呟いた。
「哀ちゃん、酷いよ!私、哀ちゃんに何か悪いことでもした!?原因はもしかして私?!」
「…え?」
「それとも、私がコナンくんの眼鏡なんて今更取り出したりしてみたからっ!?ヤキモチ妬いて、それで怒ってるの!?」
「…はぁ?」
「なんで今更“吉田さん”なの!?あゆみ・・・私のこと、ずっと、哀ちゃんは“歩美ちゃん”って呼んでくれてたじゃない!余所余所しい言い方なんてしてほしくないっ!」
(あぁ・・・)
志保はその、目を潤んだ瞳でじっと自分を見つめる彼女を見ながら、確信した。やっぱり彼女は吉田歩美だ。間違いなかった。
その眼鏡の奥の表情は、自分の知っているまだ8歳の彼女と何も変わっていなかった。そしてこの性格も。
何回も何十回も見ているこのキッとした強い表情。けれどもその奥で、泣きそうな表情。
見かけは同年齢だが、本当は自分より遥かに幼い年齢の少女とずっとこの2年過ごしていたから、突然自分と外見も内面も同年代の、大人の女性に変わった彼女を脳が変換はできなかっただけで。
昨日円谷光彦と会ったときの衝撃とまた同じ、いや、それ以上かもしれない。眼鏡までつけて。一体、この世界では10年の間にどうしてこんなに変わったのか。
「…ごめんなさい。ちょっと頭がついてかなかったから…」
「…何で?あぁ、コナンくんと喧嘩してたって言ってたもんね」
「そういうのじゃなくて」
「え?」
「め・が・ね」
「あぁ、コレ。哀ちゃんに見せたことなかったっけ?」
何でもない、というように今までかけていたそのごつくて古い型の黒縁眼鏡を外し、その女性は志保の前に素顔を晒した。
…素顔の女性は、85パーセントのものを、99,9パーセントの確信に変えた。
とっても綺麗な顔立ちで、小学生のときの彼女も人気のあった方だったが、この容姿とその性格だったら、大層モテただろう。なのに、その美麗な顔をごつい男物の昔くさくてダサい眼鏡で隠しているなんて。なんでそんなもったいないことをしているのだろう。
「目でも悪いの?コンタクト?」
心から心配して、歩美に尋ねた。
「あぁ、これ伊達だよー!哀ちゃんだって持ってたでしょ、コナンくんと同じの。覚えてないかな?哀ちゃんを強く責めちゃったの。なんで哀ちゃんがコナンくんとお揃いの持ってるの!って。…すごく責めちゃった」
「え…」
そんなの、覚えてない。そう言おうとして口を開きかけた瞬間、また、きた。
あの頭痛が。けれど、迂闊にも突然すぎて何も守ることができなかった。
ズキン、ズキン、ズキン。
「ッ…つ」
「哀ちゃん!?」
歩美が志保の只ならぬ様子を察知し、心配そうに駆けつける様子が見えたが、頭痛のせいでフラリ眩暈を覚え、片手で顔を拭うように覆った。
そこで一瞬だけ。顔を覆った瞬間だけ視えた世界。聴こえた幼い声。
『哀ちゃんだけ、ずるいっ!なんで哀ちゃんだけお揃いのものを持ってるの?いつもいつも、コナンくんと哀ちゃんはどうしてっ…どうして歩美たちと離れたところにいるのぉ?』
あれは自分の部屋だ。そうして、そこに映るのは、泣きじゃくる幼い歩美の顔。あれは、多分小学1,2年。自分の知っている歩美と変わらぬ年代だ。彼女を自分の部屋になんて誘ったことなんて、自分の住んでいた世界ではなかったのに。この世界ではなんでそんなことをしたのだろう。
歩美は、宥めようと手を出した自分の手を振り切って、部屋を飛び出した―――。
「哀ちゃん?」
その声にはっと我に返り覆っていた手をのけると、歩美が心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの?具合悪い?」
「いいえ、そんなことはないわ」
心配かけまいと笑ってみせると、歩美はほっとした顔をした。
「それで、作ってもらったんだっけ」
「うん。少年探偵団全員分ね」
「そう」
世間的にはそれは妥当かもしれない、と志保は思った。
だけどそれは違うとも。
だって、彼女が求めてるのは、そういうことじゃなくて。
彼女は、
予備の眼鏡を欲しかったんじゃない。
彼と同じレベルの探偵ごっこがしたくて欲しかったんじゃない。
ただ、彼と『お揃いが欲しかった』だけ。
そして、お揃いのものを持ってて、一緒にいるときには使おうとしなかった、みせたこともない自分に嫉妬しただけなのだ。
実際、あの頃の自分だって別にお揃いのものが欲しくて博士強請ったわけでもないし、きっとこの世界の自分だってそう思ったはずだ―――。
もし彼女に頼まれたら、自分は歩美用に1つだけ作ってもらうようにする気がした。
「覚えて、ない?」
「……そんな、こと」
「…いいよ、大丈夫だから」
歩美は志保が覚えていないことを察し、小さく笑った。別に気にもしていない様子で。もう、傷は去ったのだろう。ホッとする気持ちもあったけれども、やっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「でも、ちょっとだけショックかな。…だって、私には大切な思い出なんだもん。…だってそれは…哀ちゃんと“友達”から“親友”に変われた日だから」
その言葉に、志保はぎゅっとこぶしを握り締めた。
どうして、こう、聞きたい情報は流してくれないのだろう。
思い出せ。
思い出せ。
思い出せ。
念じて、念じて、ようやく知恵熱の時に感じるときの頭痛のように、チクリチクリと痛み出す。でも、それはすぐに消えてしまった。また思い出そうとするのに、どうしても浮かんでこない。そうしているうちに、歩美がまた語りだしていた。
「私ね、あの時。部屋を飛び出したとき、ちょうど博士とコナンくんがいて。思わず叫んじゃった。哀ちゃん以上に、責めちゃった。甘えちゃった。わーんて、大泣きした。疑ってたんだよね、あのころから二人のこと。…それできっとコナンくんも哀ちゃんのことを好きだって気づいてたから。何とかその中に入りたかったんだ。お揃いなんてしないで欲しかった。2人の世界だけじゃなくて、私自身、入れてほしかったんだよね。どっちも好きだったから。コナンくんは、男の子として。そして、哀ちゃんは友達として、いちばん、好きだったんだ。だから、私も入れてもらいたかった」
「…そう」
「コナンくんも博士もオロオロしてた。だけど、わかった、作るよって約束してくれた」
「…」
「…けどね、それから1週間後。…できた眼鏡は3つ。私と、元太くんと、光彦くん。そしてそれをくれたのは、哀ちゃん、貴方だったよね?」
思い出したいのに、全く記憶が出てこない。『信号』は鳴らなかった。
本当に見えてこない。
自分のことがわからなくなった。『この世界の』自分が。
いったい、彼女に何がしたいのか疑いたくなって。
「そうする」ことで、歩美を傷つけることは一目瞭然なのに。
「…すごくショックだった。他の2人の手に渡されて、事情も知らない2人が『探偵団のアイテムがまた増えた』と手放しで喜んでいるのを見て、私だけ泣いてるわけにはいかないって思ってた。でも思ったんだぁ。やっぱり、そうなんだ、って。コナンくんにとっても、哀ちゃんにとっても、所詮私たち3人はいつでもセットなんだ、って。『セット』でしか考えてないんだ、って。…正直哀ちゃんのこと不信感でいっぱいだった。キライになりそうだった」
ズキン。
頭じゃなくて、胸が痛む。歩美の心の叫びが。
あのときの歩美たちもまた、此処にいる10年前の歩美のように、傷ついていたのだろうか。いや、少なからずは思っていたのだと思った。直接彼女たちから聞くことはなかったけれども。
「でもね、あのとき。哀ちゃんは眼鏡を私にくれながら、ちゃんと私の手首を握って、こう言ってくれたの」
「…え?」
そこで、ズキン、と痛むあの痛みを覚え、予兆を知り、初めてこの痛みがきたことを心の中で喜んだ。フラリ、フラリとまた眩暈を覚え、目を閉じると、聴こえてくるのが彼女の声と、そうして視えてくるもの。
目の前に映るのは、小学校の下駄箱で。2人はとっくに教室に向かって走り出していて、そこにいるのは、自分と歩美の二人だけだった。
今にも泣き出しそうな、潤んだ瞳で自分を見つめる歩美に対して、自分は緊張していた。
『…本当はね、あの眼鏡、1つだけ。江戸川くんのおさがりをあなたにあげるはずだったの。…彼、最近新型に変えたから。いらなくなっちゃって』
『え?』
『博士がね。壊れてないのならば彼のをあげたらどうかって言ってたのよ。そうすればあなたも喜ぶし、って』
『えー、そうして欲しかったよー。どうしてそうならなかったの?』
少し拗ねた表情で、歩美が口を尖らせる。
『それは、私が』
『え?』
『私が、嫌だったの。…あなたに彼のおさがりを使われるのが』
『え、それって…』
次の言葉を言うのが、すごく緊張して。
でも、言わなくちゃいけない。その時の自分は、そう思っていた。
どきん、どきん、どきん、どきん。
強く鼓動まで感じた気がして。
そのときの自分は、言った。
『江戸川くんが。…彼のことが、ずっと好きだったの。…だから、あなたにはあの眼鏡は渡せない』
視線をあげたら、歩美は自分を見つめたまま、にっこり笑っていて。
「よかった。…言ってくれた。そんな気がしたんだ』
と言って、自分の頭をそっと撫でた。まるで彼女の方が姉だったかのように。
けれども、歩美の目頭から涙が滲んでいたのを、自分は見逃すことはできなかった。
「疑っていたことが、ホントのことだって知って、やっぱりショックだったけど。…でもね、哀ちゃんの口から自然に言ってくれるとは思わなかったから、うれしかったな」
歩美のその言葉に、志保ははっと目を開けた。懐かしそうに少し遠い目をして、歩美はうっすら笑みを浮かべていた。
「でも、そのとき思ったんだ。やっぱり哀ちゃんは離れられないなぁ。って何があっても、私はこの子と友達でいたい。親友でいたいって」
「なんで?」
「なんでだろうね。何でも」
歩美は少しだけ照れた表情で笑った。
「さ、学校行こっか。…ちょっと早めだけど。…みんな待ってるよ?」
にっこり笑って歩美が促すから、志保も表情を緩めて、ゆっくりと駅に向かって歩きだした。が、すぐに我にかえる。…浮かんできたのはさっきのあの老女の言葉。
―――あんたはその工藤ってやつがあたしを見つけ出し、あたしが魔法を解くまであんまりここにいるやつらと接触しないこと―――
「ご、ごめんなさい。私…」
あわてて踵を返すと、アパートに向かって早足に歩き出した。
「え、ちょっと。哀ちゃん!?」
「…今日は、用事がっ。…皆にごめんなさいって伝えて」
「え、何で?!せっかく哀ちゃんに会ったらいろいろ聞きたいことがあったのに…」
がっかりしたような歩美を置いて、志保は、それから一度も、後ろを振り返ることはしなかった。
すでに未練が出始めている自分がいる。新一にそっくりの彼だけでなく。幼い歩美そのままに成長した彼女の姿に、癒されている自分が。
話したい。もっとずっとそこにいたい、けど。
「ごめんね」
すべては、もとの世界に戻れるために。
ども!こつぶです!快斗くん、青山センセ、はぴばー!
・・・じゃなくて!(笑)
歩美ちゃんと哀ちゃんの二人の話、大好きですっ。
今日はちょっと長いお話になり、恐縮です。今回、文章が下手だなぁ、とちょっと思ってます。ごめんなさい><!おかしいなぁ・・・。うまくまとまらない!
・・・全ぷれ最近ようやく見ました。・・・設定、ちょっと雨と老女に似てるかも!とひいきで思ってしまいました(笑)
えへ。
そ、それではここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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