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一日だけの店

作者:赤烏
 ――いらっしゃいませ。お客さま
 ――ごきげんよう。失礼だけど、あたしはあなたの友達かしら
 ――いえ、初めてお目にかかります





 私を迎えてくれたのは、肌寒い空気を退けてくれる、暖かさだった。
 老いた右手で玄関を閉めると、ドアの呼び鈴が乾いた音を立てる。誰もいない店内に寂しく響くそれは、私の孤独を引き立てて、いっそう強くする。……店員が来たようだ。調子の狂って長いこの躯を気遣ってか、私の手を取り、席まで案内してくれた。
 私は窓のない席に通された。ゆっくりと、この動かない体をソファに座らせる。どこからかテレビの音が流れてくる。もしかしたらラジオかもしれない。異国の言葉、銃声、戦争のあらましに遠い耳を傾けていたら、店員にメニューを手渡された。品名に写真が添えてあり、注文する客のことを配慮された造りだった。
 気づいてみると、店員はかなり個性的な風貌に思えた。まだ十三ほどの少年でありながら、落ち着きのなさは無学な幼児のようだ。対照的な大人らしい服装はこの店の制服か。髪の色は、我が国にはない独特のものである。私の汚らわしい、枯れた白髪ではなく、青気を挿した絵の具のような白だ。月白や藍白というのだろう。雪のような色質が、彼の赤銅色の眸を際立たせていた。
 酒をひとつ注文すると、店員は栗梅色のカップにそれを湛えて、持ってきた。透明なグラスはないのか、と指摘したところ、彼は店の奥から私の期待通りのものを持ち出し、それに同じ酒を注ぐ。私は彼にお礼を述べると、今度はそこに立ち尽くした。何か気になることでも? と私が問うと、彼はいえ、と否定する。しかし、なぜ何もないのに私の隣に立ち尽くすのか、さらに問うことを私はしなかった。
「君。あの戦争の音は何なのかね」
 私は彼に会話を求めた。すると店員は、急に慌てふためいて、また店の奥に引っ込んでいく。しばらくすると笑顔で現れ、テレビから流れていた番組の内容を、仔細に私に語り聞かせた。
 ……人と話すのは久しぶりのことだった。
 しかし、なんと居心地のよい場所だろうか。考えてみれば、この店には私の欲するすべてがある。弱り腐り、寒さに負けやすい私の躯は、この店ではなんの違和感もない。実に優しい暖房だ。私には躯にも心にも、暖かさが必要だったのだ。家ではいつも、焚き木の切れそうな暖炉の前に座って、本を読んでいる。孫はもう私を訪れなくなったし、妻は四十五の時に旅立った。あれからずっと独りの人生だ。
 彼の話に相槌を打ちながら、酒を口に運んだ。ああ、いつも酒を体に注ぎ、暖を得ていたのに、今日はそれが必要でないくらいに、人生に熱を感じる。
「ありがとう。また来るよ」
 しゃがれ声でそれだけ伝えると、店員のそばに小銭を置く。
 来た時と同じように、寂れた鈴の音の鳴るドアをくぐると、店員がやってきた。
 そして、私に不思議なことを呟いて、また店の奥に引っ込んだ。私もまた寒空のもとへ、非常に満たされた気分で歩んでいくのであった。





 あたしを出迎えたのは、妙に落ち着きのない、子供みたいな店員だったわ。一睨みしたら怖がって、震えながらあたしを窓際の席に通したの。よくもまあ、こんなのを雇おうなんて思ったわね、この店も。
 店内は前時代的で、音の悪いテレビなんか掛けちゃって。ラックには銀の食器や皿が並んでてお洒落だったわ。けどやっぱり、人が頻繁に訪れるようなお店じゃなさそうね。だって、テーブルやソファどころか、床のすみずみまで掃除が行き届いてるのだから、よっぽどヒマなのよ。さしずめあたしは、閑古鳥を驚かしにきたブロンドの猫かしら。
 さて。こんな上機嫌で可憐なあたしにも、心の悩みがないわけじゃないわ。生きてる限りはみんな悩まないと損だもの。
 店員を呼びつけ、写真つきのメニューを持ってこさせ、目を走らせた。あたしはその中からとびきり可愛い高価なケーキを注文した。店員が、少し時間がかかりますがよろしいですか、っておそるおそる聞いてきたから、構わないわ、って言ってあげた。そしたら、楽しそうに店の奥に引っ込んでいったわ。変なやつね。
 さて、これで一人の時間が作れたわ。思う存分悩みぬいて、あたしの答えを出してやるんだから。
 あたしの悩みとはずばり、生き方よ。誰だって人生は一度きり。一回しか使えない遊園地のチケットなんだから、使い方はじっくり考えたいわ。どんな乗り物に乗ろうかしら、どんな服を買おうかしら? 今あたしには、目の前にしてる仕事がひとつあって、それをお父様もお師匠様も喜んでくれた。
 けど、それは決してあたしが自ら望んだものじゃない。言ってみれば、そうね、別に行きたくもないサーカスに連れていかれる気分よ。あたしはライオンを見るよりも、ライオンの形をしたマシンに乗るのが好きなのに! でも、あたしには他に、仕事っていうものが思いつかなかった。このまま人生を歩んでいくと、絶対いつかは仕事に就かなくてはいけないのよ。なのに、自分の目指している仕事がないなんて、これじゃ不利だわ。他の友達はみんな、お花屋とかお嫁さんとか、綺麗な未来を思い描いてるわ。でもあたしだけそういう夢がないなんて、冗談じゃない。
 ふんわりいい香りがしたので隣を見ると、店員がいた。あたしの頼んだケーキを持ってきたんだわ。注文に無かったアイスティーまで持ってきてるから、何なのそれは? って聞いたら、サービスですよ、って答えたの。ありがたいから受け取ってやったわ。本当はいつもケーキと一緒にアイスティーを頼んでるけど、今日はケーキのお金しか持ってきてなかったから、ちょうどよかった。
「ねえあなた。あなたはどうして店員をしているの」
 あたしは彼に会話を求めた。一人で悩んでることに限界だったのかも。すると店員は、
「僕の仕事が、これなんです」
 って答えたわ。意味わからない。どうして店員をしているの? どういう経緯で、あなたは店員をすることになったのかしら。そういうお話を聞きたかったのに、まるで蛇が自分のしっぽに齧りつくような感じだわ。
 あたしはこの店員がなぜここで働いているのか、その理由を聞くことを諦めた。かわりに、彼の趣味なんかを尋ねてみた。すると、特に何も無いのだという。
 なんて幸せなんだろう、ってあたしは思ったわ。あたしは絵を描くことがとても好き。けれど、大人になって、お仕事やお勉強や、結婚のことを考えていたら、どうしても趣味をする時間なんて無いように思うのよ。きっと趣味を持つ子どもは、大人になっていくほどに不幸になるんだと、あたしは思っている。だから、仕事以外にしたいことを持っていないこの店員は、あたしにはとても羨ましかった。
 すると店員は、では絵を描くことをお仕事になさってはいかがです? と聞いてきた。あたしは、素敵ね、けれど退屈な答えだわと返した。あたしは自分の絵が、決して世間には通用しないと知っているの。あたしの絵は下手糞で誰も見てはくれないわ。けれど絵を描くことが好きで好きで、もっと素敵で上手な絵を描きたいって思っている。
 でもお仕事は、あたしが生きていくためのお金を稼ぐ、とても大切なことなのよ。だからそれをしっかりと悩んで悩んで、その末に決めないといけないの。でもお仕事を探す横で、価値もない絵を上達させる方法を探るのって、とても中途半端なことのように思えるわ。
 あたしは弱いのよ。絵を描くことをお仕事にして、生きていきたいわ。けれどそれじゃ駄目だって分かってる。ちゃんとしたお仕事をして、それと一緒に絵も上手くなりたいだなんて、貪欲だ。貪欲は怪我をするだけよ。二つとも探求しようとしたって、結局は両方とも潰れてしまうと知っているの。
 あたしはどうすればいいか知らない。ああ、何も考えたくない。悩むために一人になれる場所を探していたのに、あたしは考えることを放棄するのね。けどいいわ、美味しいケーキをうんと食べて、お茶を飲んで、頭を冷やしてから考えればいいもの。
「ありがとう。また来てあげてもいいわ」
 あたしは店員にお金を渡した。本当にアイスティーのぶんは払わなくていいのか心配だったけど、本当に払わなくってもよかったみたい。
 つまらない鈴の音の鳴るドアを開けると、帰り際に店員が不思議なことを呟いた。

「きっとまたお会いします。その時は、どうか僕を別人だと思って、お越しください」

 そういえば、どうしてあたしがアイスティーを好きだってこと知ってたのか、聞きそびれたわ。





 占いを終えた魔女は、自慢の水晶玉から手を離すと、唯一の使い魔に紙切れを渡した。
 写真と名前、性別、生まれの地と現在住んでいる場所。好きなものと嫌いなもの、生活事情。人間一人ぶんのデータが、余すところなく書き集められていた。
「おまえが今日、出迎える『お客さま』だ。丁重にな」
 魔女は、たったいま動き出したばかりの「店員」に話しかけると、すぐそっぽを向いた。
「店員」の、月白の色をした髪が揺れる。
 新生した少年は赤銅色の眸で、魔女を見つめた。





 少年は、十三の頃に死亡した。
 この世で最悪といわれる病に冒され、不幸のままにこの世を去った。西の国で大暴れしたこの病気は、少年以外にも多くの死者を出すも、そのうち病は沈静化し、時代の流れの中で消えていった。
 少年の両親は、この病によって命を落とした一員である。その両親の祖父母もすでに死んでおり、彼らには身元を引き取る家族がいなかった。
 特に少年は、血の繋がる者が少なすぎたため、葬儀が遅れ埋葬されず残されていた。少年の遺骸はこの世に寂しく、ずっと佇んでいたのだ。
 ……そこへ、魔女が現れた。新鮮な死肉、潤いのある生命の残り香につられた、獰猛で怠惰な魔女である。
 魔女はもう、魔女として生きることをやめていた。世界は魔女を認めようとはしないし、魔法に似たことなら人間がやってのける時代になった。産業の覚醒はすさまじく、古くから生きる魔女にとっても、それは人類の革命的進歩といえた。時代は魔女を敗北させたのである。
 魔女は、売れない喫茶店でも開いて、おとなしく余生を過ごそうと考えた。ふと、店員が必要なのではないかと思いたつ。魔女は自分で店を開くことに興味はあるものの、自分で働くことが好きではなかった。
 相応しいものを探しに人間の町を歩く――。
 そこで、魔女は少年を見つけた。

「おまえを生き返らせてやろう。ただし人間ではない。おまえは一日限りを生きる人形となって、わたしに従うのだ」

 魔女は少年を蘇らせた。魔法をかけて、少年の記憶を消した。魔女にだけ忠実な人形となって、少年は新生したのだ。
「わたしが分かるか」
 少年は力なく、坦々と答える。
 はい、魔女さま。
「おまえはわたしの人形だ」
 はい、魔女さま。
「だが、人形には余計な記憶など必要ない」
 はい、魔女さま。
「そこでおまえには、一日限りの命を与える。一日が終わればおまえはまた死に、一日が始まればおまえは生き返る。
 おまえは死ぬ時に、生きていた記憶をすべて失うだろう。しかし生き返った時、わたしのことだけは思い出すだろう。
 おまえは毎日、わたしに従って、この店で仕事をするのだ」

 一日の始めに生まれ、一日の暮れに死ぬ。
 その度に記憶は消滅し、次の「自分」が生まれる時、その脳は前世の何も憶えてはいない。
 一日ごとに新生する。奇妙な命を持った人形の、幾重もの人生が幕を開けた。

 ――はい、魔女さま。





「僕は魔女さまに生き返らせてもらった時、同時に名前もいただきました。畏れながら、僕の名前はグレイといいます」
 少年は――グレイは、『お客さま』である少女の前でそれを語り終えた。
 以前、この店を訪れた時、店員が退店際に呟いた言葉が気になって、少女はもう一度この喫茶店を訪れることにした。――今日は飛びぬけて寒いから、とっときのハニーミルクを出してもらおう。少女は晴れやかな気分でドアを開けた。さらさらと鳴る鈴が寂しげだった。
 前も訪れた時のように、白い髪の店員が現れた。少女は元気に挨拶しようとしたが、先に店員にいらっしゃいませを言われてしまった。少女は、ごきげんよう、と挨拶を返す。
 ふと、この間、言われたことが気になった。
「きっとまたお会いします。その時は、どうか僕を別人だと思って、お越しください」
 少女は店員に尋ねた。――失礼だけど、あなたはあたしを知ってる? あたしはあなたの友達かしら。と。
 すると少年は、いいえ、初めてお目にかかります、と否定したのだ。少女は驚いた。ショックのあまり、少女は取り乱して店員に掴みかかる。どうして自分を憶えていないのか、と捲くし立てた。少年は落ち着いた感じで、
 魔女の話を語り始めた。

 少年は、いやグレイは人形なのだ。素材ではなく存在が、すでに人のそれではなく、人形なのだ。
 一日ごとに生まれて死に、前世を忘れて新たな命を授かる。
 一年に三百六十五回の輪廻転生を果たし、齢もとらず、一日二十四時間の寿命を終えては、また生まれる。なんと奇妙な人だろうと少女は慄いた。
「グレイ、あなた、どうしてまともでいられるの? あたしはそんなの、冗談じゃないわ。一日しか生きられないなんてごめんよ」
 すると、グレイは落ち着いた雰囲気のまま答えた。
「何も変わりはしません。一日の人生も、百年の人生も。朝に仕事を覚え、時計が十回る間を仕事に費やし、残る四時間を余生に費やします。それが終わると、僕は死んでしまい、次の誕生を待つようになります。
 あなたたち人間も、人生のはじめは仕事を選ぶこと。そして仕事を覚えること。朝から夕方まで仕事に精を出して、残る時間で体を休めます。もう働けない体になると、福祉に頼って余生を過ごします。どこが違うのでしょう。僕はそれほどまでに可哀想でしょうか」
 少女は言い返した。
「一日しかないなんて嫌よ。たったの数時間で、どうやって仕事を選ぶの? どうやって、この世に無数の仕事があることを知ることができるの? どうやって、その仕事に就くことができるかを調べるの? どうやって、自分の生き方を決めるという覚悟ができるの? たったの数時間で?」
 少年は、瞳を閉じて、懐古するように答えた。
「僕は魔女さまに教わりました。この魔法はね、魔女さまのことだけは忘れないのです。魔女さまに言われたことは憶えているのです。
 僕は新しく生まれると、すぐに魔女さまに、今日の『お客さま』を教わります。どうすれば喜んでいただけるか、満足していただけるかを教わります。僕の人生はまず、それを覚えることから始まります。そして、『お客さま』に満足していただけることだけのために働きます。
 いかがでしょう。仕事を知らなければ、教わればいいのです。どのようにすればいいか分からなければ、教わればいいのです。なぜなら、仕事というものは何なのか、知っている人はすぐ身近にいるからです」
 少女は、あたしは……と言いかけて、口にすることができなかった。
 どうしてこの店員は平気で生きられるのだろう。寿命が残り一日と知れば、普通の人間なら慌てふためいて気絶するだろうに。彼の精神が鉄のように硬いのだろうか。それとも、とっくに精神など砕け散っていて、何かを考えることすら知らないのだろうか。
「僕は何も悩んだりはしません。だって、同じなんです。人生の始まりと、僕の夜明けは同じです。人は朝に、自分は何であるかを知り、自分の仕事を見つけ出し、それに就きます。僕にはこれすらも力の要ることです。だって、この世が何であるかも忘れたまま、ただ店員を務めなければならないのですから。
 でも、それはあなただってそうです。人間は皆そうです。人生の始まりに、自分は何であるかを知り、自分の仕事を見つけ出し、それに就きます。僕の夜明け、朝、昼、夕方、夜。人間の人生は一日のようなものです。昼に仕事だけを頑張り続け、夕方にやっと頑張ることから解放されて、夜に……次の誕生を待つために、死ぬんです」
「あたしは、一日じゃ死にたくないわ。何日も何ヶ月も生きて、この世にある楽しいことをいっぱい知りたいの」
「でも、この世のすべてを知ることができるわけじゃない。それはあなたも僕も一緒です。あなたはまだ、朝を迎えたばかりです。目をこすって、自分が何であるかを見極める段階なのです。
 就きたい仕事があるなら、それに就けるように頑張る段階です。そのための努力をするための時間です。あなたがどんな昼を迎えたいのか考える、朝とはそんな時間なのです」
 少女ははっとして、尋ねた。……どうして、少女が絵の仕事で悩んでいることを知っているのかと。でも、すぐに魔女の仕業だと気づいた。
「あなたは絵の仕事に就くための頑張りを無駄だと言います。なぜ無駄なのですか。それはこの朝を、精一杯頑張ったあかつきの答えですか。違うでしょう、あなたの人生はまだ、太陽は昇っていない」
 少女は、励まされていると気づいた。

 少女は涙ながらに、しかし明るい将来を思い描いて、その店を去った。
 ああ、もう夕暮れ――薄暗くなっていくその空を見て、今日もまた死んでいく、あの店員を思い浮かべた。

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