第5話 彼
いったいどれくらいの時間が過ぎたのか――
「カエデ……」
「ん……」
「大丈夫? カエデ」
「うん……なんとか」
そんな会話も、いったい何度したことでしょう。それでもお互いの声を聞かなければ、二人は不安に押しつぶされそうでした。
ロープに縛られ、地面に無造作に転がされている二人。湿り気のある地面の上を幾度となく身動きしたために、すでに服も肌も泥だらけです。
ここで目を覚まして以来、土壁のこの部屋を照らすたった一本のろうそくは尽きることなく、また空気を揺らす新たな来訪者は誰もいませんでした。
モミジ姫は、姉姫の向こうに見える金色の山がずっと気になっていました。
天井につくのでは、というほどの山です。やや明かりに乏しい視界に、この距離ではよく分かりませんが、もし本物の金であるなら大変なことでした。
遺跡と図書館があること以外、ろくな名物がない小国フローディア。世界に意義を認められた場所ではありますが、自主生産性には乏しいのが現実です。遺跡発掘や学者業は、決して儲かる仕事ではないのですから。
古くから人の住む地だからこそ、銅や鉄の鉱山はすでに廃坑になっていることも珍しくありません。そんな中で、これほどの量の金が発見されたなら――
遺跡内の発掘物は、基本的に国が所有します。そこから、実際に発掘を行った団体へ分けられるのです。残りはあくまで国の財産です。
お父様が、喜ぶだろうな……
国王である父の顔を思い浮かべ、プリンセスはなおさらその金色の山を近くで見て確かめたいと思いました。
心配性の姉姫と違い、“思い立ったらまず行動”がモミジ姫のモットーでした。
モミジ姫はもう一度ロープがはずれないかどうかを確認しました。そしてどうしてもとれそうにないことを認めると、
「! モミジ!」
驚くカエデ姫の前で、ごろごろと自ら転がり始めました。
当然ながら、あまり格好のいい動作ではありません。服も腕も足も顔も髪も汚れ放題でしたが、プリンセスは我慢して転がりました。行動派の妹姫にしてみれば、ただ動かずにいるほうがずっと我慢ならないのです。
目指す山との間にあったカエデ姫の体をなんとか避けながら、モミジ姫は転がりました。目がまわりそうでした。しかしやめませんでした。
それにともなって、カエデ姫もくるっと後ろを向きました。そして姉姫もようやく、妹姫のやりたいことを察したのです。
プリンセスの体は、やがて何とか目的地にたどりつきました。
金色に浮かび上がる山のそば。転がり続けてくらくらする意識がなんとかまとまると、モミジ姫は改めて山を見上げました。
そして、しばらくの絶句。
「どう? モミジ」
後ろから姉姫の問う声。
「……金、にしか見えない……けど……」
答える口調は、自信なさげでした。それはまあ、一国の姫とは言え別に宝石だの金銀だののプロフェッショナルではないのですから、目で見ただけで鑑定などできるはずがありません。
「でも……本物だったら――すごすぎる」
モミジ姫はほうけたような声音でそう言って、じっと山を見つめました。どっしりとした重質感。思わず手を伸ばそうとして――くいこんだロープに、「あ、痛いっ!」と小さく悲鳴を上げます。両腕は後ろ手のため見えませんが、もはや怖くてロープのくいこんだ部分を見たいとは思えません。
「誰なの、こんなことしたの……」
心底悔しく思い、また悲しくもなって、モミジ姫は泣きそうな声でつぶやきました。
ロープなどという手を使うからには、モンスターではなく人間でしょう。犯人を推理したくても、二人は一国のプリンセスです。疑おうと思えば世界中すべての人間を疑えます。
モミジ姫は、自分の大切な人々の顔を思い浮かべました。父、母、教育係、召使、兵士――城の人々。
そして、大好きな友達。きっと今、心配してくれているに違いないみんな。
その誰よりも、恋しい存在。思い出すのが痛いほど――
「ミカド……」
自分の恋人の名を、モミジ姫は小さくつぶやきました。
黒の聖職者と呼ばれる彼は、王立教育機関の同級生でした。想いを通わせてはや二年……
スクールを卒業してからは、会うこともままなりません。彼の町での評判が、プリンセスの父、つまり国王を渋面にさせてしまったのです。
「………」
その場に沈黙が落ちました。
それを破ったのは――
「おやおや……困った姫だ。こんな所まで動かれたんですか」
聞き覚えのある、声。
視界の端に人の足が見えて、モミジ姫ははっと顔を上げました。
「あなた――」
後ろではカエデ姫の、愕然とした気配。
驚きは、モミジ姫も同じでした。
見上げた先にあったのは、よく知った顔――
その唇が紡ぐのは、やはりよく知った声で。
「なんなら、お答えしましょうか? あなたがたの疑問に、僕が」
白いローブを着た少年魔術士が、にっこりと微笑みました。
「レイヤくん――」
双子姫はどちらともなく、その名をつぶやきました。
*
「レイヤくん?」
図書館の中に意外な顔を見つけて、ミサオは名を呼びました。
“白の魔術士”レイヤが、他の利用者にまぎれて――と言うには少々目立ちすぎていましたが――窓に近い席に座っていました。なにやら分厚い本を広げていた彼は、ミサオの呼びかけに顔を上げ、微笑みます。
「やあ」
「……何をしているの、こんなところで」
「心外だな。図書館を利用しに来ちゃいけないってのかい?」
「そういう意味じゃないわ」
実際、彼は“珍しい客”ではありません。スクール時代にはれっきとした優等生であり、それなりに図書館も使う生徒でした。
ミサオはその涼やかな瞳を細めて、インテリ風の少年を見つめました。
彼が手にしているのは、彼らしい本――“高等魔術全書”。普通の人間なら触りもしない本ですが、彼が読むなら珍しくもなんともありません。
彼女の興味は、そこではありませんでした。
「……体調が悪いのに、安静にしていなくていいのかと言っているのよ」
「体調が悪い?」
驚いたように、レイヤが小首をかしげます。
「ごまかす気なの? あなた、第三遺跡で消耗した力がまだ回復していないんでしょう」
「……参ったな、君はそんなに鋭い人だったっけね」
「あれだけのモンスターを相手にしていながら、平気でいられるほうがおかしいのよ」
そう言われて、レイヤはくすくすと笑いました。のんびりとした様子で椅子の背もたれに体を預けます。
彼が南第三遺跡の調査に失敗してから、すでに二ヶ月が経っていました。しかし魔力を一度に扱いすぎると、体に変調をきたすこともしばしばなのです。
レイヤがこの二ヶ月、ほとんど仕事をとっていないことを、ミサオはハルミから聞いていました。
冒険者たちの中でも数少ない、仕事を選べる立場にいるレイヤが、仕事をとらない理由は……推して知るべしというところでしょうか。
けれど、そのことをミサオに指摘されても、レイヤは何ら頓着する様子はありません。
「別にいいさ、本を読むくらい。――にしても、例の非常識パーティにさえバレなかったのにな」
「……バレてないわけがないでしょう。少なくともミカドには」
「はは、やっぱりそう思うかい?」
「彼は……人の魔力やら体調やらに関しては、並じゃなく敏感だもの」
「ああそうだね。彼は……」
両手の指を軽く組んで、レイヤは遠くを見るような目をしました。ミカド。その名は彼にとって避けがたいライバルの名でした。
ミサオは、いえ、彼らを長年見てきた人間は皆知っています。レイヤがミカドに、妙な執着心を持っていることを。
そう、彼は……ただミカドへの興味ゆえに、その恋人たるプリンセスの片割れに、ちょっかいをかけたことがあるような人間です。
そのために、競争ごとにはとんと興味のないあのミカドが、この少年のことだけは忌み嫌っているのです。
「……彼は非常識だからね」
目を閉じて、レイヤは呟きました。
やがて彼がまぶたをあげた時、その顔は不敵に微笑んでいました。
ミサオは思いました。彼は、何かを知っているのかもしれない―― |