第3話 黒の聖職者と白の魔術師
ぴちゃん……ぴちゃん……
「――ん……冷たいっ……」
頬にしずくが落ちる気配に、モミジ姫は目を覚ましました。
「………?」
しばらくぼんやりと、見えるものを見つめます。そして――そこに見える人物が誰かに気づき、はっと起き上がろうとしました。
「カエデ!」
けれど、すぐに体が動かないことに気づきます。ロープできつく縛られていて、無造作に地面に転がされているのです。ロープの縛りかたはとても巧みで、動かなければ痛くはありませんが、どうやっても立つことはできません。
すこし離れた位置に、モミジ姫と同じようなかっこうでカエデ姫も転がされていました。モミジ姫が何度も名を呼ぶと、うっすらと目をあけて、
「……モミジ……?」
とかすれた声で妹の名をつぶやきます。
「カエデ! 大丈夫? どこもへんなところない?」
自分の状態はすっかり頭になく、モミジ姫はただ姉姫を心配します。もともと、体が弱いのはカエデ姫のほうです。
「だ、大――丈夫。ちょっと……ロープが痛いけど……」
姉姫は弱々しく微笑んで、それから顔を巡らせました。天井のほうへ。
天井は、土のようでした。ときどきパラリと砂が落ちてきます。少し視線をずらすと、壁も土のようです。ようするに二人は洞穴のような場所にいるのです。
「どこ……ここ? なんで土壁なのに崩れないの……?」
カエデ姫がぞっとしたようにつぶやきます。「ぜ、全体が土だなんて……粘土だとしても、こんな不安定な」
「ねえカエデ」
モミジ姫は口をはさみました。「ほら。……燭台があるの。ろうそくが……火が、ともってる」
そう、だからこそ周囲の様子が分かるのです。
二人は地面に転がっているので、その場所の広さがいまいちよく分かりません。けれど、そう狭くはありません。そんな部屋の中を――どうやら、たった一本のろうそくが……照らしきっているのです。
「普通のろうそくじゃない……」
束縛された体を無理やり動かし、自分の目でそれをたしかめたカエデ姫。離れた場所にいる姉姫の顔色がひどく青白く見えて、モミジ姫は再度声をあげました。
「カエデ……気分とか、悪いんじゃないの?」
「え? あ……」
言われて初めて気がついたかのように。姉姫は表情をゆがめました。
「……ここ、空気が悪いの……モミジこそ平気なの?」
「………」
モミジ姫も口をつぐみました。姉姫の言っていることは、本当でした。なぜ今の今まで自覚していなかったのかと言えば、混乱していたことと……
――今の状況は気持ち悪いことだらけだったので、“気持ち悪い”ことがかえって分からなかったのです。
意識してみれば、空気はもとより周囲の土の暗い黄土色も、自分が転がされている地面のしめり気も、すべてぞっとするほど心地悪いものばかりです。
カエデ姫が、不安気に問いを口にしました。
「一体どこなのここは? 誰が――」
言いかけて、口をつぐみます。
「カエデ?」
「……あの――ひと――どこかで……」
――いけませんね、プリンセス。お供もなしに、こんな所まで来ては……
森の木々のかげになって、よく見えなかった姿。声もひどく遠く感じました。だいいち声を少し作り変えることなど、不可能なことではありません。
けれど胸にひっかかって、カエデ姫は顔をくもらせました。
不安気にその様子を見ていたモミジ姫は、ふと姉姫の向こう側に目をやって――
呆然と、つぶやきました。
「――なに、あれ……」
そこに天井につくほどに積みあがった山――ろうそくのやや暗い明かりの中で、いままで壁のように思っていましたが、よく見れば色がぜんぜん違います。きらきらと、こんな場所には明らかに合わない黄金色――
「……金?」
ぴちょん……
静かすぎる洞穴に、モミジ姫のつぶやきとしずくの音が、不気味に響きました。
*
「南第三遺跡?」
話を聞いて、魔術士レイヤは小馬鹿にしたように唇の端をあげました。
「へえ。君ららしい命知らずな話じゃないか?」
「てめーも失敗したんだろうがっ!」
トモカズが顔を真っ赤にして、スクールでの同級生につかみかかります。けれどレイヤは余裕の表情を崩しません。
「失敗したよ。だから、君らは命知らずと言っているんだ」
インテリ風の銀縁眼鏡の位置をなおし、当たり前のことのように言います。トモカズがさらに罵声をあげようとしましたが、
「それはつまり」
――それより先に、ミカドの冷ややかな言葉がつむがれました。「お前にできなかったことが、俺たちにできるわけがない、と言いたいわけか」
「さすが理解が早いね。ダークプリーストさん?」
にっこりと、ミカドに笑みを向けるレイヤ。
二人の間に見えない火花が散ります。
――普段は無愛想なほどに他人とかかわりを持とうとしないミカドにとって、唯一の例外がこの目の前の少年です。
ミカドとレイヤ。二人はともに、魔術士用職服と呼ばれるスタイルをしていました。“魔力”と呼ばれる力を操る人間のために、魔力と相性のいい金や銀の糸によるししゅうがほどこされたマントと服。とくにレイヤは、護符と呼ばれる宝石の類をそのローブにたくさんあしらっています。決して派手には見えないのは、服職人のセンスのよさでしょうか。
二人の決定的な違いは、ミカドがやはり魔力と相性のいい黒基調のローブであるということ、
そして対するレイヤは、ウィザードにはきわめて珍しい――白のローブを着ているということでした。
いわく、“黒は体質的に合わないんだ”。そんな彼についた二つ名は、
「“白の魔術士”さん」
ケンが横から、軽く口をはさみます。「自分の部屋を壊したくなかったら、ミカドをあまり刺激しないでくれないか」
「おやおや。人の家で魔術ぶっぱなすほど君らの仲間は非常識だったかい?」
「言っちゃあなんだけどな。この国でミカド以上に“非常識”はいないんだ」
「ケン」
ミカドが顔をしかめて友人に見やります。ケンは苦笑して、肩をすくめました。
「――自覚してるだろう、ミカド?」
「……。今更つべこべ言われるいわれはない」
ミカドの右手首に、金でできた腕輪がはめられています。まぎれもなく、僧侶として洗礼をうけた証です。
クレリックは普通、黒を嫌います。だからこそ、教会以外の場所ではウィザードの黒服を着る彼を、人はこう呼ぶのでした。
――“黒の聖職者”と。
「ミカドは人の家壊すほど馬鹿じゃねえよ」
トモカズが、ぶっきらぼうに言い捨てます。
四人がいるのは、レイヤの自室。他に人がいないところを選んだらこうなったのです。屋敷の二階にあり、一人部屋とは思えないほどの広さがあります。
というのも、彼の家は国でも指折りの宿を営む“お金持ち”なのです。加えて、冒険者としての彼自身の稼ぎも、十七歳というその若さを考えれば並ではありません。
「そう、馬鹿じゃないことを願うね」
レイヤは自分の机に手をかけながら、微笑みました。「再建費も馬鹿にならないからな――。で、話を戻すと君らは命知らずにも、南第三遺跡に行こうというわけだ」
「ああ」
「理由は?」
「秘密事項だ。冒険者への依頼だからな」
「なるほどね」
机にもたれて、レイヤは三人を見比べます。「で、君らは僕に何が聞きたいんだい?」
「あの遺跡は、そもそも何なんだ?」
とケン。それを聞いて、白の魔術士はくすくすと笑います。
「それが分からないから、調査隊が入るんだろう?」
「……で、結果は」
「何も分からなかったから、失敗って言うのさ」
「……失敗したことを、隠そうとしねえんだな」
トモカズがいぶかります。
失敗。その言葉は冒険者にとって、時には致命的な汚点となります。たしかに失敗した事実は隠すのが難しいものですが、あれこれ理屈づけ――言い訳をして「だから失敗とは言わない」という人間が多いのです。
レイヤは平然と、トモカズに返します。
「冒険者の汚点だとか、そういう問題を通り越しているんだよ。なんせ僕が仕事をこなしきれなかった場所だからな」
こともなげにそんなことを言う魔術士の胸には、ケンやトモカズと同じ、一級と認められた冒険者に与えられる勲章。
「だから、あの遺跡――ほとんど洞窟だけど、危険区域にも指定されて、みごとに調査がとまってる。あそこに入ろうなんて考える冒険者はほとんどいなくなったからね」
「いっちいちムカつく野郎だなてめーは……」
トモカズが険悪にうめきました。しかし殴りかかることはしません――レイヤの言葉を否定できないからです。
「僕は遺跡のある場所で、ある敵に邪魔されてそれ以上先に進めなかった」
ひとりカッカしているトモカズを完全に無視し、レイヤは続けました。そしてふと言葉をきり、三人の顔を見てから、
やがてくすっと笑い、再度口を開きました。
「まあ、スクール時代の同級のよしみだね。――王立図書館のほうに行ってみるといい。君らの友達の、彼女のところに」
「――ミサオか?」
「そう。僕があの遺跡でとったデータはすべて彼女に預けた。もちろん本当は、企業秘密なんだよ――なんせあれも冒険者への依頼だったんだから」
いたずらっぽく言って、それから最後にレイヤは、明るい口調でつけたしました。
「僕が協力できるのはそれだけだね。――健闘を祈るよ、非常識なパーティさん」
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