エピローグ〜物思いの終わり〜
「――第三遺跡、崩しちゃったんだってね?」
姿を現すなりそう言った白の魔術士に、ミカドは冷え切ったまなざしを送りました。
場所は王立図書館、管理人室――という名の、事実上ミサオの書斎。本だらけのそこで、ミカドはケンを巻きこみながら書類と格闘していました。
『あそこは珍しく図書館の管轄だったのよ。始末書は、もちろん書いてくれるのよね?』
淡々とミカドにそう告げた小柄な娘。ミサオは実は、仲良し組みの中で最強ではないかとひそかなうわさがあります。
――双子姫を救うため、南第三遺跡にミカドたちが入ってから、すでに半月。
彼は洞窟を出る際、その入り口を魔術によって閉じました。早い話がぶち壊したのです。
遺跡は重要な国の財産です。それを崩壊させてしまったのですから――
『ええもちろん、始末書さえ手伝ってくれるのならあとはどうにかするわ。一番面倒なのは始末書だもの。お城の連中に頭を下げるなんてこと、大したことじゃないわ。ええ、もちろんよ』
――何てことをにっこりと言われた日には、さしものミカドも従うしかありません。
もっとも、今回遺跡が崩壊した事件のそもそもの発端はプリンセスの誘拐――
少なからず城の警備の甘さに責任があると世間的には見られているため、実際にはそれほどお咎めを受ける予定はないのです。
「僕にも責任はあるよ。認める」
管理人室に現れたレイヤは、微笑みながら言いました。「僕の、複製が起こした事件らしいね? まったく、ひどい汚点だよ」
言いながら、本人はまったく気にした様子がありません。
ミカドは自分が書き連ねていた報告書に目を落としました。事件の原因。精霊のうつし鏡。それによって生まれた、第二のレイヤ――
「でも、良かったじゃないか。プリンセスも結局無事だったんだし。今回ばかりは、君らに負けたな――」
「お前も、けっこう素直なところがあるんだな」
ミカドの傍らにいたケンが、ゆっくりと部屋を横切りドアのところまで行くと、そこにもたれました。
「ライバルの実力を認められないようじゃプロじゃあない」
「なるほど?」
「何しろ僕は“公正な魔術士”だからね――」
「……なら」
ミカドはレイヤを見つめました。半眼の黒い瞳で。
「正直に言うべきだな」
「何をだい?」
「とぼけ通せると思っているのか?」
俺たちの実力を認めているのなら――
レイヤの言葉を逆手にとるミカドの視線に、レイヤもすっと目から表情を消しました。口元は笑みのままで。
「……どうして分かった?」
「演技が下手すぎたな」
ミカドは立ち上がりました。
「モミジたちの話では、あの複製は自身の名前を知らなかった。本当にあの鏡から生まれたならそれが当然だ――あの鏡は、記憶までも複製することができない」
記憶が複製できないからこそ――
たとえ疲れきった人間を映しても、生まれてくるのは万全な存在なのです。“疲れている”という記憶までは、鏡は映せないのですから。
あの鏡が映しとるのは、純粋に姿と、その能力のみ。
「だがあの複製は、俺たちを知っていた」
言動の端々に見えた、その矛盾。
「――そしてお前は、二ヶ月間かなりの消耗をしていた……」
そんなことが出来るもんなんだな、と部屋の戸口にもたれたケンが独り言のように呟きました。
「いくら魔術士でも、自分の分身なんて作れるものなのか……」
「高度中の高度な術だ。だが、不可能じゃない」
まさか完成させているとはな――言いながらミカドは、まぎれもなくこの国では随一の魔術士たる同級生を見つめました。さらに言葉を続けます。
「……ミフユの父親が、記憶を取り戻したそうだ。鏡から生まれた本当のお前の複製が挑発してきたときのことを」
調査隊のひとりを人質にとり、"本物同士で戦え"と挑発され。
「……お前は、すべて吹き飛ばしたそうだな。調査隊の人間ごと」
「忘れて欲しかったんだよ」
レイヤは何でもないことのように言いました。
「鏡から生まれてきた自分が面白いことを言い出すから――色々、試したいことが思いついてね。調査隊の連中には、"本物同士で戦う"なんてことはできなかったんだ。体が動かなかったんだろうな――まああんな状況ではそれが当然かもしれない」
そんなことはどうでも良かった――
レイヤは口元の笑みを消しません。消さないまま――囁きました。
「君があの鏡をどうするか……興味深かったんだ」
ミカドは目を細めました。レイヤは続けました。
「まさかあんなに簡単に砕くとはね――後悔はしていないのかい? あれを王に献上すれば、君はプリンセスとの仲を認められたかもしれない」
「戯言だな」
ミカドは吐き捨てました。「そんなことを試すために――二人をさらったのか」
「それを含めて。――君たちは見ていて面白いからね」
くつくつと、心底おかしそうな笑い。笑みの形にほころんでいながら、その実ひどく皮肉気な光の宿る目を、ミカドに向けて。
「――おかげで、最高に面白い場面が見られたよ。黒の聖職者さんによる祝福。あいにく、プリンセスの片割れに邪魔されて最後まで見られなかったけど……充分だね」
ガッ!
ミカドは机の上にあったカップを投げつけました。あっさりとかわされ、カップは向こう側にいたケンに受け止められました。
「おやおや、プライドを傷つけたかな?」
レイヤはどこまでも笑うだけでした。ミカドは彼に歩み寄り、その胸倉をつかみあげました。
「……そんなに、殺されたいか」
「物騒なせりふだな。プリンセスの恋人にしては」
「――よくものこのことここまでやってきたものだな」
「本当に。ただのこのことやってきたなら、ただのバカだね」
余裕ぶったその態度に、ミカドが訝しげに眉根を寄せます。
この広くはない管理人室に、窓はありません。唯一の出入り口であるドアは、すでにケンが封じています。レイヤの得手とする移動術も、詠唱が必要です。それが発動する前にいくらでも邪魔ができます。つまり、彼に逃げ場はないのです。――
「君らも、もう少し冷静に考えてみたら?」
レイヤはおかしそうに目を細めました。「ここに、君らといつも一緒にいる人物が一人いないこと。何も思わないのかい?」
「―――!」
トモカズ……!
「あいつを――」
「とりあえず、手をはなしてくれないかな」
のんびりと言ったレイヤの言葉に、逡巡したミカドは――やがて、いまいましそうに手をはなしました。
乱れた胸元を整え、レイヤは動きがとれなくなったミカドとケンに向かって一礼しました。
「ご心配なく。ここから逃がしてくれるなら彼には何もしないさ。ウソは言わない」
何と言ったって――
「――僕は、“潔白な魔術士”だからね」
不適な微笑み一つ――
詠唱が始まり、やがてレイヤは姿を消しました。
「くそっ……」
苦々しそうに、ケンが舌打ちしました。「トモカズは――」
と。ふと聞こえてきた音に、首をかしげます。
バタバタバタ。“静粛”を第一条件とする図書館には似つかわしくない足音が、ドアの外、廊下から聞こえてきます。だんだん大きくなり……やがて、
バタンッ!
「――おい二人とも! ハルミのやつが陣中見舞いっつってパン焼いてくれたぞっ! っても何で俺が使いっ走りなのかいまいち納得できねーけど、とにかく昼にしよーぜっ!」
………
「……? な、何だよ二人とも……?」
その場の空気にひるんだトモカズの前で、二人は呟きました。
「……はったりか」
「大した“潔白”もあったもんだな……」
「な、なに? 何の話?」
どことなくひきつった二人の友人の顔をかわるがわる見るトモカズは――
そののち“何となく腹いせに”と二人にたっぷりいじめられてしまったそうです。どうやっていじめられたのかは、あえて語らないことにして――
さらに半月が経ち。
国で一番大きい教会の裏庭で、ミカドは日光浴がてら本を読んでいました。ほどよく植えられた芝生に座り、大地の暖かさを感じながら。
第三遺跡に入って以来、彼は滅多に外に出なくなりました。教会に閉じこもり、人に会わずにただ一人で……
そんな彼を、ふいに訪れた人物がいました。
「ミカドッ!」
弾んだ明るい声。背後から飛んできたそれに、ミカドは幻聴かと思い、振り向きませんでした。
「ミカドってば! 無視することないじゃない」
たたたっと軽やかな足取りで近寄ってくる気配――
まさか。
ようやく本から顔を上げたミカドの顔を、のぞきこむ少女。
「……何読んでるの?」
「―――」
仕立てのいい服に顔を隠す帽子。病み上がりの細い体から、元気を発散させる明るい笑顔。あまりに意外なその人物の出現に、ミカドはその名を呼ぶことさえできませんでした。
モミジ姫は、ふふっと楽しそうに笑いました。
「教会に来るって言えばね、お父様お城から出るのを許してくれたのよ」
本当は私の目的に気づいてたかもしれないけど――といたずらっぽく舌を出し。
「――でも、ミカドは私の命の恩人だって知ってるもの。少しは、許してくれるようになったんだから」
心底嬉しそうに。
それはミカドには、まぶしすぎる笑顔でした。
「……体の具合は……」
気まずくそれだけを問う彼に、「大丈夫」と姫は大きくうなずきます。
「ミカドの薬、よく効くよ」
「………」
モミジ姫はすとんと彼の隣に腰を下ろしました。そしてもう一度顔をのぞきこんできます。
彼は目をそらしました。それに気づいて、モミジ姫の表情がかげりました。
「……どうして?」
「俺は……」
ミカドは目を伏せました。
「……お前を助けるために、神に祈ったんだ」
「………」
「絶対に……するつもりはないことだった。それをすれば医者としての自分がなくなる。それに、神の奇跡を信じきるつもりはなかった。なのに――」
彼の心に、あの瞬間の葛藤が戻ってきていました。
そして、決心をした時の思いも。
「……簡単に、神にすがった……」
ただ助けたかった。そのために、信じていたはず自分の技術ではなく、信じていなかったはずの奇跡に頼った。
その結果、奇跡はたしかに起きて、大切な人は甦った……
その時、ただ“嬉しい”と思った自分が、何よりも不安で。
「“あいまいな聖職者”、か……」
自嘲気味に、その呼び名を呟きます。
思えば自ら魔術士の道を選び取ったのも――医者であり、僧侶である自分の葛藤から逃げるため……だったのかもしれません。
そう、そんな自分を、彼は知っているのです。
「ぴったりだな……俺には」
「ミカド」
急に、モミジ姫が強く彼の名を呼びました。
はっと彼女を見た彼に、姫はにっこりと微笑みかけて、持っていた小袋から何かを取り出しました。
「――今日は、これを渡しに来たの」
「それは――」
ミカドは目を見張りました。
姫が大事そうに彼に見せたのは、一本の薬草でした。“十薬”――ドクダミです。中心に咲く黄色く細かい花弁を包むように、白い四枚の片が十字の形についています。長い茎に、緑色の葉。根っこまでちゃんと掘り起こしたようです。
その名の通りたくさんの効能がある優れた薬草ですが、独特の悪臭があるためある時代に排除され、現在この国では見られなくなっていました。
かつてこの国には、数々の草花が咲き乱れていました。
“香りの国”――
それらのほとんどが薬草であった時代を思い出させる、懐かしい白い色――
「お城のね、裏に……まだ残ってたの」
頬を紅潮させながら、姫は言いました。「これを採るために……いっぱい皆に迷惑かけちゃったけど」
でも――風のようにやさしく、彼女の言葉は続きました。
「どうしてもミカドに見せたかったの。あなたはお城には来られないから……わ、私はね。私は」
少し恥ずかしそうに目を伏せてから、次には目いっぱいの笑顔を見せて。
「私は、薬草とかの研究してるあなたが大好き。人間の力信じるって言ってたあなたが大好き。その力を補助するのが医者なんだって言ってたあなたが――」
大好き、と満足そうに。
「モミジ――しかし、俺は――」
それを裏切ったのではないか。
かげる彼の視線に、モミジ姫は大きく首を横に振りました。
「あなたは何も裏切ってないし、何も失ってない。たしかに神様の力はすごいよ。神様に頼ってたらお医者様いらないのかもしれない。でもね」
と、ドクダミをミカドに手渡してから元気よく立ち上がり、青空を仰いで。
「――人が祈らなかったら。思いをこめて祈らなかったら神様には声が届かないんだって! ねえ、それだけの思いを飛ばせるなんて、充分すごい力よね……?」
――勘違いするな、神の力を――
――それは、人の思いに他ならないのだから……
「――……」
ミカドは手のひらにあるドクダミの感触を確かめました。
その口元が、かすかに微笑んでいました。
やがて彼は立ち上がり、
「モミジ」
呼びかけに振り向いた最愛の娘に、そっと口づけました。
一瞬で赤くなるプリンセス。彼女の肩を抱いて、少年は空を仰ぎました。
何も、不安がることはないと……
自分が何より知っているのです。人間は、“奇跡”を起こすことができることを。誰より彼こそが、そう信じていたのですから――
*
これは小さな国のお話。
事件は解決しましたが、ミカドにレイヤ、若き二人の魔術士の確執は、まだまだこれからも続きそうです。
けれどもそれはまた別の話。今宵は若い恋人たちの幸福を祈りながら、幕を閉じることにいたしましょう……
<光、願いし者/了> |