第11話 そして……
突然、空気が大きく揺らぎました。
「!?」
その気配に、剣を交えていたケンとトモカズのみならず“レイヤ”までもが驚いたように、その原因へと視線をやり、そして「まさか……」と愕然として呟きます。
「カエデ!」
トモカズが叫びました。突然現れ、そのまま地面に倒れこんだプリンセスの片割れに、彼は駆け寄ろうとしました。が、
「近づくな! まずい……!」
ケンの制止にハッとして足を止めます。
カエデ姫はまさしくあの鏡の前に倒れていて――
彼女が倒れるその直前の姿を、鏡は映し取っていました。
カアッ!
レイヤの時と同じように、一瞬鏡は光を放ち、そして鏡からもう一人のカエデ姫がするりと抜け出てきました。
「え……?」
ちょうど、本物の――と思われる――姫が地面から顔をあげ、もう一人の自分に気づいて息をのみます。
二人目のカエデ姫は、人形のような表情のまま、足音も立てずにゆっくりと、鏡のほうへ近づこうとしていたトモカズに歩み寄ってきます。
「う……」
うめいて、トモカズは一歩あとずさりました。偽者と――分かっていても、たとえ人形のようでも、それはあまりに友でもあるプリンセスに似すぎていました。それに剣を向けるには、彼は情にあつすぎているのです。
偽プリンセスの整った唇が、何かを紡ごうとしています。先ほどのレイヤと同じように――
カエデ姫にも、魔術士の才能がある……!
そのことを思い出し、トモカズが全身を硬直させました。それと同時に――
「どけ!」
彼の背後から、彼を横に突き飛ばしながら偽プリンセスに肉薄したのは。
「……う、……」
二人目のカエデ姫が、無表情のままうめきました。
彼女の細い体を、ケンの刃が貫いていました。
「悪いな」
偽プリンセスの耳元で、ケンは囁きました。「フェミニストっていうのは――オレの母の故郷では、“男女平等主義者”って意味なんだ」
そしてケンは、根元まで突き刺したその剣を抜き去りました。
一撃で絶命した偽プリンセスは、地面に倒れるとともに霧となって消えてゆきます……
「……悪趣味だな」
ケンが、苦々しく吐き捨てました。それから鏡の目の前に倒れたままのカエデ姫に向かって、「そのまま這って鏡から離れて」と言いました。
言われて、カエデ姫は鏡の存在に気がついたようでした。這いつくばったまま鏡からがんばって離れると、ほうけていたトモカズがはっと我に返って、彼女を立ち上がらせにゆきます。
トモカズの手を借りながら、カエデ姫は呟きました。
「あの鏡は……」
「映ったモンを複製しやがるんだよ。まったく、趣味悪ぃ……」
「………」
やがて姫は、少し離れた場所でまったく動かずに状況を眺めている白い少年に気づきました。彼に向かって、
「……あなたが言っていたのは、こういうことだったのね……」
「――姉姫のほうは、少しは察しがいいみたいだね」
“レイヤ”はそれを返答としました。
「おい、何の話だ?」
「……私たちが、私とモミジがいた場所に……金の山があったわ」
カエデ姫はぽつりと呟きました。
「彼は、金を『永遠に生み出すことができる』と言ったの」
「……なるほど?」
ケンが、鏡に興味深げな視線を投げます。
「――使い方次第では、国を救う財産ってわけか……」
「……お父様が聞いたら……喜ぶわ」
「そりゃあなー。うちの国ってなんだかんだでけっこう苦しいもんな……」
トモカズが頭に手をやってため息をつきました。
彼らは、国ではかなり稼いでいるほうですが、悲しいかな貧富の差が激しいのが小国フローディアの実情です。町に冒険者があふれているのは……つまりは、まともに職にありつけないからなのですから。
――あの鏡は、とても物騒で趣味が悪いものです。
けれど、使い方次第では……。
「国王に認められるチャンス、か」
皮肉気に呟き、ケンは振り向きました。
「――ミカド、どうする?」
その刹那に、
――今、理を解し我力を欲す。すべてのものを無に帰せん――!
成立した言の葉が、あたりの邪気――魔力を動かし、
彼の命じに応えた力が、すべて鏡へと向かっていきました。
カシィンッ!
鏡がひび割れました。その破片が飛び散りました。飛び散ったかけらが空中で次々と砕かれました。次々と――
そして、やがて粉となり、煙となり……
完全なる“無”へと。
――怒りを募らせた若き魔術士が、滅多にない荒ぶった声を吐き出しました。
「モミジはどうした……っ」
びくっと、カエデ姫が体を震わせました。同時にトモカズが切羽つまった声で異変を告げました。
「あの偽モンがいねえ……!」
つい数旬前までそこにいた、白の魔術士の姿――
それを求めて辺りを見回すトモカズとは対照的に、
「あいつは放っておけ。それより今は」
冷静にそう答えたケンが、難しい顔をして一点を見つめていました。つい先ほどまで、鏡があった場所を。
「――道がない」
そこは、まっさらな土壁でした。
ミカドはその土壁をにらみやりました。彼の唇は、次の魔術を紡ぎ始めていました。
――惑わせし偽り。すべて真なる姿へ――
心なしか、リズムが乱暴となっていました。それに気づいたケンが、表情を険しくして彼に声をかけようとしました。
「ミカド、お前――」
ミカドはそれを無視しました。
魔術が発動し、空気がゆらめきました。少年たちは吐き気をもよおしました。が、それもわずかな間。
閉じられていた世界のどこかが崩れ、そして。
……何も無かった土壁に、道ができていました。
言葉を交わしあう必要もなく、全員が走り出しました。
そして、彼らがその場所にたどりついた時。
「――モミジ? モミジ!!」
迎えていた光景は、地面に倒れたプリンセスの姿。
ぴくりとも動かない姫の上に、ぴちゃぴちゃと垂れ落ちるしずくは……
「上だ!」
トモカズが叫びました。彼は力任せに、己の剣を天井に向かって投げつけました。
ドガッ!
天井に浮かんでいた顔の中心に刃は命中し、顔が消滅しました。垂れ落ちる唾液ごと。
しかし奇妙なモンスターを始末するだけした後、当然のことですが彼の剣は地に落ちてきました。モミジ姫の真上に!
「うわあっ!」
「バカかお前は!」
間一髪、ケンがトモカズの得物を剣で払い飛ばし、怒声をあげます。声も上げることができず凍り付いていたカエデ姫が、力がぬけたようにその場にへたりこみましたが――
「モミジ――!」
ミカドが横たわる姫に駆け寄ります。恋人たる娘に。
モミジ姫は真っ青になり、異常な汗をかいていました。その呼吸が細く定まらず、時々ひきつけを起こしたかのように全身が震えます。泥だらけになったその体に、さらに天井の魔物の毒の唾液の跡が多数残っていました。
「毒が……」
遅れて駆け寄ったケンとトモカズがのぞきこみ、青ざめました。二人とて、毒というものは見慣れています。姫の容態がどれほど悪いかは、一目見て分かります。
けれど、尋常でなかったのはむしろミカドのほうでした。
「ミカド! おい、治療しねえと……!」
友人たちに言われるまでもなく、黒髪の薬師は迅速に解毒作業に移っていました。
けれどその手つきのひとつひとつに……
にじみでる焦り。
治療するために触れる指先から、伝わってくるのは姫のか弱い生気。じょじょに薄れていくもの――
体の中に浸透した毒の中和には、解毒用薬水を直接飲ませる方法しか今はありません。
薬水の入った小さな筒の先を姫の口元に持っていっても、唇の端からこぼれるばかり。
少年は長い間考えることをしませんでした。
すぐさま自ら筒の中身をあおり――いえ、口に含み、直接姫の口へと……
――けれども、
唇を触れた瞬間に強く感じた、姫の冷えた体温。
その瞬間に、彼の中で何かが壊れ。
「――目を覚ませ! モミジ……!」
ミカドは気が狂ったかのように姫の体を揺さぶりました。彼の顔から血の気がひいていました。それこそ彼自身が病人かのように。
「落ち着け!」
後ろからケンが、ミカドの肩をつかみ強く揺さぶりました。
「落ち着くんだ! お前の得意分野だろう……!」
――得意?
若き薬師の唇から、その言葉が漏れ出ます。手につかんだままだった薬水の入った竹筒。その手にふいに、力がこもり、
次の瞬間には、それを遠くに投げつけて。
「――モミジィ!!」
響くのは、少年の絶叫――
――無理だ、もう間に合わない――
有能な薬師であり、医者であるがために分かる限界。
――あきらめるな、彼女はまだ生きている――
目の前には、今にも生命の灯火が消えていきそうな恋人。ひゅーひゅーと、か細い呼吸の音……
――自分に、何ができると?
瞬間、たえがたい苦痛を胸に感じ、少年は頭を抱えました。
彼の中で世界が一瞬の内に様変わりし、そこは暗い闇の中となりました。その中心に自分がいて、苦しむ恋人がいて、他に何もありません。友人たちの声さえ聞こえません。
ただ彼に聞こえていたのは――彼女の呼吸の音。自分の心臓の音。いえ……あるいは彼女の鼓動だったのでしょうか。重く乱れたその音が、世界を支配していました。
――彼は、病院の息子として生まれ、そうして育ちました。
父とのいさかい。長年それを繰り返していたとは言え、決してその職業が嫌いではなかったのです。
いえ、むしろその逆……
だからこそ彼は、基礎となる薬師としての訓練を怠りませんでした。だからこそ……最大の敵である教会に、みずから入り込んだのです。
人間自身の治癒力を、信じる者。神の奇跡には頼らぬ者……
――今、目の前に広がる光景は、自分が信じたものの限界――
モミジ……
プリンセスでありながら、何に頓着するでもなく、人に避けられていた自分に明るく声をかけてきた娘。
姫であることなど、どうでもいいことでした。
ただ、彼女が、彼女であることが、彼にはとても大切なことでした。
そのかけがえのない命の火が……目の前で消え行こうとしている――それも、毒という苦痛によって。
しめつけられる心。むきだしになった少年の弱い部分が、悲鳴をあげていました。
――いやだ! いやだ……
『――意地と誇りは、別物だ――』
……ふいに聞こえてきたのは、自分を教会に受け入れた不可思議な老司教の声。
『いざとなったら――』
――教会に入って以来、“神の奇跡”は何度も目にしました。やすやすと行われる奇跡ではありませんでしたが、たしかに……それは不思議な、かけがえのない力でした――
『お前も、すがってかまわないのだよ』
神に。
それは自分が信じてきたものに反するもの。自分が信じてきたものの意味を、無にするもの。
けれど……それを拒絶することが、どれほどの価値があることなのか。目の前に苦しむ大切な人がいる、この状況で。
――すがればいい。
耳元で、囁く声がしました。
――勘違いをするな。神とは何なのか――
少年は、目を閉じました。
その両手が――胸の前で、組み合わせられました。
そしてその唇が、紡ぐ言葉は。
「……我が……神よ……聖なる母よ……」
今まで幾度となく、人間の吐き出す“邪気”に命令を下してきた、その声で。
もう、葛藤などどうでもいいことでした。
「天の光となりて我らを照らし……、大地のぬくもりとなりて我らを守るその偉大なる力――」
思うことはたった一つ。
――ただ、救いたいと。
ミカドの祈りの言葉に、友人たちの声も重なり。
それは強い心となって……
彼らの祈りの声を、彼は聞いていました。
すでに密室ではなくなった部屋――祈る彼らからは死角となった位置の壁に、彼はもたれていました。ゆえに彼自身からも彼らの姿は見えませんでしたが――
目を閉じてその旋律を聴きながら。彼は、呟きました。
「……ついにプライドを捨てたわけか……彼は」
「プライドなんかじゃないわ」
返ってきた言葉に、彼がはっと顔をあげた時――
どすっ――
「――っ」
彼は体を震わせました。真正面から、体ごと自分にぶつかってきた娘。
そして自分の腹あたりから、鈍い痛みが広がっていきます――
「な……あ、なたが、」
「……ひどい人」
悲しげな姫君の瞳が、彼を見つめていました。全体重をかけて、とらえた彼の体を逃すまいと。
姫の唇が、その問いを投げかけました。
――あなたは、だれ?
「ぼ、く、は――」
彼は、最後まで言葉を発することができませんでした。
あるいは……答など、持っていなかったのかもしれません――
がくっと力が抜け、数秒たてば――白いローブをまとった少年の姿は、チリとなって消えました。
カランカラン……
「………」
カエデ姫は、地に取り落とした護身用の短剣を見下ろしました。
赤い血が……刀身を染めていました。
たしかに、肉を貫いた感触がありました。
たとえその最期が、人間とはかけ離れていても――
「――……」
プリンセスは両手に顔をうずめました。
彼女の耳に、友人たちが妹のために紡ぐ祈りの言葉が柔らかく流れこんできました。
モミジ……
かけがえのない妹姫のため。姉姫にできることは、ただ彼らとともに祈ることだけでした。 |