第10話 迫り来る危機
しん……
その一瞬、誰もが沈黙しました。
かすかに流れていたのは、“レイヤ”の言葉を聞いていても詠唱を中断しなかったミカドの、静やかな言の葉……
『それじゃあ、本物同士で戦ってくれるかな。もちろん分かっているね。プリンセスのことは、僕が一番知っているよ』
双子姫の命は、この複製少年に握られていることを。
たしかに認めて、ケンとトモカズはどちらからともなくため息をつきました。
それから、トモカズがにやりとして言いました。
「――そーいや、お前とはスクール卒業して以来手合わせしてねえよなあ、ケン」
「そうだったかな。お前とやると危なっかしくて――オレは自分の身がかわいいんでね」
「安心しろよ。顔にだけは傷つけねーから」
「へえ? お前もやっとでそういう最高の配慮をできるようになったのか?」
「あとでハルミに殺されたくないからな」
二人の口調は、いたってほがらかでした。まさしく友人同士の、日常会話的な調子でした。
そんな会話をしながら、二人は自身の剣を握り直しました……
「本気でやってくれよ。つまらないから」
広くなった場所の壁にもたれて、“レイヤ”がのんびりと言います。
「言われなくても」
「手加減できるほど……お互い弱くないからな」
向き合い、視線を交わし、そして。
カキィン!
空気を震わす金属音――
「この際だ! スクール時代の決着つけてやらぁ!」
「上等だな! 怪我人の身でオレに勝てるか……!?」
叫びあう二人は、こんな状況だというのに心なしか楽しそうでもありました。
左腕を負傷したままでありながら、勢いの衰えないトモカズの力に任せた剣筋。どこまでも軽やかに慎重にその隙を狙うケンの冷静な剣筋……
ぶつかりあい、火花を散らすほどに。
「ふうん……」
それを眺めて、“レイヤ”はあごに指をかけました。
「けっこう、遠慮なしにやるんだね。決断までの早さといい、さすが非常識な君ららしいというところかな――」
――混沌なる闇に、たゆたいし無限の力……――
ミカドは詠唱を止めません。それどころか、剣を交え始めた友人たちに視線をやることさえありません。
“レイヤ”はミカドのそばまでのんびりやってくると、
「……あの分だと、時間がかかればどっちかが本気で倒れるんじゃないのかな。君には、それが分かるだろう?」
――もって光と成し、もって生命と成し、もって世界と成し――
「完全無視かい? 薄情と言うべきかな。それとも」
――もって、心と成し。心ありて、力、発現す――
「――それとも、賢いねと言うべきか……」
くっ、とのどの奥で笑い。
それきり、“レイヤ”も口を閉ざしました。
キィン、カッ、ガキンッ!
二人の戦士の交わす金属音……
ミカドの魔術の言の葉が、それに重なって。
――邪気にあふれたその場の空気が、不気味に騒ぎ出そうとしていました。
*
「やっぱり本物みたい……」
立ち上がれるようになったモミジ姫がまっさきにしたことは、それを確かめることでした。
「信じられない。それに、あの……レイヤくんに似た人、もっと不思議なことを言ってたよね?」
「……『永遠に金を生み出せる』って……?」
モミジ姫より少し遅れて、立ち上がれるほど回復したカエデ姫が、妹姫の肩越しに金の山をのぞきました。
モミジ姫は、姉姫のほうに振り向きました。
「どっ、どういう意味かなぁ……?」
「分からない。――でも、お父様たちが泣いて喜びそうな……話なのは、たしかね……」
「そ、そうだよね。でも……」
国にとって喜ばしいこと。そんな話題なのに、モミジ姫の声はとても暗いものでした。
「……そんなの、まともな方法じゃないに決まってる……」
根拠などありませんでしたが、そんなにうまい話を頭から信じるほど、双子プリンセスはお子様ではありません。
「とにかく、ここから出なきゃ――それができないなら、何とかこの場所がミカドたちに分かるように、」
抜け道をさがして、モミジ姫は密室を駆け回りました。
カエデ姫は金の山のそばにたたずんで、暗い表情のまま空気を感じていました。
「この感じ……邪気……?」
実はカエデ姫にも魔術士の才があることは、れっきとした魔術士であるミカドや、魔術士ではありませんが博識のミサオによって前から分かっています。
一国のプリンセスが魔術士などという忌み嫌われる職業にはつけませんが、カエデ姫は邪気を邪気として認識できる数少ない人間でした。
邪気は――魔力は、集まると常識では考えられない状態を簡単に作り出します。術士がいなくてもです。
察するに、ここが密室でありながら呼吸ができるのはそのためかもしれません。たとえば、密室に見えているのは魔力による視界のゆがみであり、本当は出入り口があるのかもしれない――
「……ここから、出られる……?」
カエデ姫はつばをのみこみました。 魔術に関する知識だけは、豊富にもっていました。実践したことはありませんが。
うかつに手を出すことはできない――けれど、他に打開策はあるでしょうか?
そう考えた時、姫は決心しました。
「カエデ?」
姉姫の様子の変化を敏感に感じ取り、モミジ姫が振り向きます。
「モミジ、こっちへ来て」
言われるままに、妹姫は姉姫のところまで近づきました。
「腕につかまっていて」
うなずき、ぎゅっと姉姫の腕にしがみつき――
魔術とは、つまるところ魔力に“命令”をくだすことでした。それが詠唱です。詠唱内容は、人によりけりでしたが――
カエデ姫には、深く言葉を考えている余裕はありませんでした。
――お願い、私たちをつれていって――
この閉じられた空間から解放してと、強く念じ。
発動には、とても時間がかかりました。
カエデ姫の体を圧迫する何か。けれどその息苦しさが、逆に発動している証だと、姉姫は確信して術を中断しませんでした。
――だからこそ、姉姫は他のことには意識が回りませんでした。
そんな姉姫の腕にしがみついていたモミジ姫は、ふと頭上に目をやり――目を見開きました。
土の天井に、目玉がありました。そして口がありました。
大きなその口から、唾液のようなものが……今まさに垂れようとしていました。双子姫の、ちょうど頭上に!
カエデ姫の術が、完全に発動するのと、
「危ない!」
モミジ姫が姉姫を突き飛ばすのとは――
くしくも、まったく同時に起きた出来事でした。
「モミ……!」
突き飛ばされながらも術の発動は止まらず、カエデ姫は地面にくずれようとする姿勢のままその場から姿を消しました。最後まで呼びきれなかった妹姫の名が、空中に寂しく散ります。
「カエデ……!」
瞬間的な緊張によって、モミジ姫の体には汗がふき出していました。一瞬前まで姉姫がいた場所に垂れ落ちた“唾液”が地面に落ち、しゅうしゅうと不気味な煙を発していました。それを浴びた場所がみるみるうちにどす黒く変色していきます。
「毒……?」
ついその様に気をとられ、呟いたその時、
びちゃっ……
「あ――」
首筋の生暖かい感触に、とっさに手をやって、モミジ姫は青ざめました。手のひらについてきたのは、しゅうしゅうと煙を発する粘ついた液体……
ばっと天井を仰ぐと、目玉と口だけの“顔”はモミジ姫の真上へとわずかに場所を移動させていました。
にたりと笑うその唇――
モミジ姫はその場から動けませんでした。
「―――っ」
足ががくがくと震え、全身から力が抜けました。
追い討ちをかけるように、地面に崩れた姫の体に二度三度と毒液が降り――
肌から染み込む恐怖の毒が……姫の体を、あっという間にさいなんでゆきます。
ミカド……
――意識が沈む最後の瞬間に、モミジ姫はその名を呼ぼうとしました。
苦しみのその呼び声は、ついに音とはならずに……にごった空気にまじって、消えてゆきました。 |