見えない女王さま
「どうもありがとうございます。またのご利用を心よりお待ち申しております」
いつもいつも、バカ丁寧な挨拶、ご苦労さまとしか言いようがない。まったく振り込めサギなんて、普通に考えたら絶対に成功しそうにない犯罪が大蔓延するのだから世の中というのは分からないものだ。そしてそれが原因でいろいろと便利だったものが不便になった。
ちょっと大きな金を口座振り込みしようとするとATMではなく窓口の行列に並ばなければならないというのもその一つである。
月末近くになるとあちこちに買掛金を支払わないといけない。それも今まではすぐ近くのATMコーナーで済ませていたのだがそれがダメになった。おかげで月末の一日結構長い時間を銀行で過ごさないといけなくなった。大きなところなら銀行も営業を派遣してくれるのだろうが、うちのような零細ではこれより方法がない。だいたい金額がATM限度額をちょっと超えたぐらいのところばかりというでは頼むのも気が引ける。
バブルの後始末の結果なんだろうが、合併が続きかなり人が整理され昔に比べると窓口の向こう側にいる人間がかなり減ったように見える。しかも女だらけ。日本の金はすべて女に管理される時代なのだ。
それにしても僅かな振り込めサギグループの存在で、日本全国どれだけの人間が無駄に銀行で時間をつぶさなくてはならなくなったのだろう。よくみんな文句を言わないものだ。
というのが毎月のお決まりとなった私の感想である。それぐらい月末の窓口はひどくごった返しているのだ。
それは別にこちらが意識していたわけではなかった。ただ偶然が続いたのである。気がつけば相手となる窓口担当者がいつも同じ人物ということになっていた。抜群の美人というわけではないが、笑顔がきれいなことは確かだ。二十代後半、あるいは三十代に入ったぐらいかもしれない。独身かどうかは分からない。手を見ても指輪は一つもしていないし。
待たされる間見るものもないから結構細かいところまで観察してしまう。名札には宮下ほのかという名前があった。ほのかか、何から取った名前なんだろう。そんな疑問が湧いてその名前は結構はっきりと記憶に残ることになった。
とある週末、会社の連中と一緒に飲みに出ることになった。といっても会社のすぐ近くの庶民的な店だ。一番奥の席に四人で固まって座った。
と、隣の席に座っていた女が座ろうとした私に会釈をしてきた。
えっ、誰だっけ……
とりあえず笑顔で会釈を返しながら頭の中のデータに検索をかける。
ああ、そうか、宮下ほのかか、と結果が出た時には、彼女はとっくに職場の同僚らしい一緒に来ている女の方に顔を向けた後だった。
その翌週の月曜は奇しくも銀行へ行く日だった。先週末の出会いはいつもの型にはまったやりとり以外の会話を宮下とできる可能性を作った。そしてそれはその通りになった。 但し主導権は彼女に押さえられていたのだが。
「はい、こちらが伝票になります。ご確認下さい。……ところで相内様、この間は失礼いたしました、まさかあんなところでお会いすることになるなんて思わなかったものですから」
と用務が終わりかけたところでこう切り出されたのである。
「よく私の名前が相内と……あ、そうか……」
私が出している通帳も払い込み伝票も会社名だ、と思ったら、よく考えたら私は社内でやっているように首から顔写真入りの身分証明書をぶらさげたまま、いつもここに来ていた。会社への出入りが楽だし忘れると何かと厄介だから。
「ええ、それで毎回はっきりとお顔とお名前を見せて頂いておりましたので……、ところで相内様、あのちょっとよろしいでしょうか」
伝票を受け取り終わり、いつもならすぐに椅子から立ち上がるところなのだが、こう話しかけられては動くに動けない。
「私に? はあ、どんなことでしょう」
「実は折り入ってプライベートにお話ししたいことがありまして。あの今晩でもお仕事が終わってからということで結構なんですが、お時間を空けて頂くわけにはまいりませんでしょうか?」
「は、はあ、それは……、ただ結構遅くなりますけど」
「八時ぐらいではいかがです?」
「ええそれぐらいなら大丈夫です」
「それじゃ先週末のお店でお待ちしておりますわ」
ということで私は突然彼女に呼び出されることになった。それにしても全く心当たりと言えるものがない。宮下は私にいったい何の用があるというのだろう。
私の定時は六時半だが、たいていは七時ぐらいまではオフィスにいる。別にサービス残業というつもりではない。ただ夕方になると急にみんなリラックスして雑談なんかを始めたりするものだから、ずるずると遅くなることが多いのだ。故にこの分については私は残業申請をしていない。ということで宮下の示した八時というプランは私からするといつも通りにしていればいいという意味で受けやすい時間だった。いつも通りに机を片付けいつも通りに着替えていつも通りに外に出る。あの店までの歩きの時間を入れれば何も考えなくてもほぼ約束の時間通りに店に行けるはずだ。
私が店に入るともう宮下はこの間と全く同じ席に座っていた。但し今日は連れがいない。一人のようだ。そして入り口の私を見つけると大きく手を上げた。実のところ、そうしてもらわなかったら私にはその女が宮下だと確信がもてなかった。私も人のことは言えないが、OLのアフターファイブの服は制服姿からはなかなか想像しにくいものなのである。宮下は銀行の窓口に座ってるような感じの女には見えなかった。イメージとしてはもっとワイルドな、黒革のジャンパーにブラックレザーパンツという黒ずくめの姿だったのである。そしてそれは先週末の姿が普通の落ち着いたビジネススーツだったことからしてもかなり意外のものだった。
「ちょっと驚かれました? この格好」
「え、ええ、まあ」
私がその席に座ると真っ先にそのことを言ってきた。
「人は見かけによらない……、まさにその通りですわね、お互い」
「はあ? お互い……ですか?」
私には何故宮下がそんなことを言うのか全然分からない。私の格好なんて電車にでも乗ればまあ、確実に同じ車両に同じパターンの女が見つけられるぐらいありきたりだ。白いブラウスに紺のスカート、ベージュのパンスト、黒いヒール、何も意外性などないはずなのだが……。
宮下は私の質問口調のリアクションをまるでそれが演技であると断定しているかのように薄笑いを浮かべて全然取り合わない。
「うふふふ、意外ですわよ、相内さんだって。今の相内さんの格好も、昼間私の前で座ってらした制服姿の相内さんも」
「どういう意味です?」
私は素直にこう聞いた。だが……
「とあるサイトで相内さんのお写真をいつも拝見させて頂いております」
「サイトって、インターネットのサイトの意味です?」
「ええもちろん。実はそれを拝見してあなたに憧れていたんです。ですから初めてお客様として私の前にお座りになられた時は本当に驚きましたわ。絶対お目にかかれることなんかないだろうと思っていたら突然目の前に実物が現れたんですもの。ただいくらなんでもお客様にこういうお話をすることもできなくてお名前を覚えるということ以外何もできなかったんです」
「ちょ、ちょっと待ってください。私、自分の写真をインターネットのサイトにアップなど一度もしたことはありませんけど……」
「失礼します。ご注文の方はお決まりでしょうか?」
ボーイが注文を取りに割り込んできた。適当につまみとビールなど頼み、再び話題を戻す。
「それでさっきのお話ですけど、私の写真がサイトにあるって……」
「ええ。あるサイトの投稿掲示板なんですけど。当然ご存じでしょう。いえ、まあ私のことでしたらどうかご安心下さい。私もいわゆる同好の士ってやつで……」
「え?」
私もインターネットぐらいは使うが、パソコンを立ち上げてもメールとショッピング以外にはあまり利用していない。だから、掲示板とか投稿とか言われても言葉ぐらいしか知らない。そんなだから自分の写真がネット上にあると言われても何のことかさっぱりだ。さらに安心しろときた。もうお手上げである。
「でもさすがにあそこまで大胆な方には全然見えませんもんね。私以外の人だったらまず相内さんだとは絶対思いませんよ」
「はあ、と言われましても……」
「よろしいじゃありませんか、そんなにおとぼけになられなくても。ここは同好の女同士ということで、気楽にお話、しましょうよ」
「あ、あのちょっと……。私、宮下さんが何を話されてるのかさっぱり分からないんですが……、申し訳ありません」
やっとの思いで頭を下げながらこう言うとようやく宮下の口が止まった。そして先ほどまでのくだけた表情からまじめな顔に戻った。
「ま、まさか、私、人違いを……、いえ、そんなはずは……絶対見間違えるなんて……何度も見て確認したし……」
そして私の顔をまじまじと見つめる。
「何度見てもやはり相内さんだと思うんですけど……。そんなそっくりさんがいるなんてとても思えませんし。失礼ですけど、その左目の目尻近くの小さなほくろまで私は確認させてもらったんですよ……。そうだわ、お目に掛けましょう。そっちの方が話が早いでしょう。もし本当に相内さんの全く身に覚えのないことならそれこそ大問題でしょうし。急ですけどちょっとおつき合い下さい」
こう言うとすぐに立ち上がった。
「いったいどこへ?」
「この表通りにあるまんが喫茶です。あそこにはネットに繋がるパソコンがありますから……」
ということで私たちはすぐに注文をすべてキャンセルして、詫び代少々を置いて店を出た。宮下の話ではそもそも私が全く分かっていないとしたら大問題だというので付き合わないわけにはいかない。
ちょっと前まで普通の喫茶店だったのが店を閉じ改装工事が終わったと思ったら突然出現したのがそのまんが喫茶である。実は私は入ったことはない。従って中がどんなふうになっているのかを見るのも初めてだった。入り口を入ると図書館のように書架が並び夥しい数のまんがの単行本がある。そしてその奥に会社の打ち合わせブースのように仕切り壁だけで作った個室スペースがずらっと並んでいた。
「いらっしゃいませ」
「デュエット(二人用)のPCスペースを」
「かしこまりました。四十八番をどうぞ」
宮下はかなり慣れているらしい。店員から渡された伝票を挟んだレシートホルダーを受け取るとさっさと奥へ入っていく。
西部劇の酒場にありそうな目隠しだけのドアの横にある番号プレートを頼りに奥に進んでいくと、それまでのスペースよりかなり大きいスペースの並びが現れた。そしてその三番目が指定された四十八番だった。
「さ、奥へどうぞ」
宮下に薦められ私が先に中に入る。大きな机の上にパソコンが一台。そしてこっち側には二人がけのソファーだ。確かに二人用だが、どうやら恋人同士がいちゃいちゃするための空間にしか見えない。女二人で入るような場所ではなさそうだ。
私がそんな観察をしている間も宮下はてきぱきとPCを立ち上げブラウザを立ち上げ、検索サイトにつなげ、いくかの単語を入力してはネットサーフィンを始めた。そしていくつかのサイトを経由し、五分ほどでお目当てのサイトに行き着いたようだ。
「これです……」
私は指さされた画面を見て身を凍らすことになった。
そこには一枚の写真があった。「私」が椅子に座っているところを真横から撮ったものだ。少なくとも顔を見る限り「私」に見える。だがそれは私ではない。写されている部屋はどこかのオフィスのようなところだがそんなところに見覚えはないし、着ている服だって見知らぬものだ。そして何よりも私の常識からすればありえないことを写真の中の女はやっていた。尻の下、椅子の座面の上に座布団のように男の顔を敷いているのである。男は仰向けになった状態で顔は完全に尻の下で見えない。しかも全裸だ。もちろん局部はモザイクで隠されているのだが……。女は全くそこに男がいるなどとは思っていないような澄まし顔である。そう、顔は間違いなく私の顔だ、髪型も……。
「ど、どういうこと? 私、こんな写真知らない、場所も知らない、こんな服だって持ってないのに」
「違うんですか? でもお顔はそっくりですよ。こんなそっくりな人が世の中にいるなんて、まさか。まだありますから他のも見てください」
宮下が操作すると次々と新しい写真が現れた。どれもこれも全裸の男を責め嬲っている女としての「私」だった。鞭を持ち振っているもの、足で蹴飛ばしているもの、たばこの火を胸に押しつけているもの……。私はずっとそれらの写真を見ていてようやく冷静さを取り戻した。相手の男は顔が出ないように注意を払っているようで全くそれが誰かを特定できない。普段からその全裸を見慣れていれば誰かと分かるのかも知れないが、私にはそもそもふだんから裸を見慣れている関係にある男などいない。それに必ずしもいつも同じ男でもないようだ。そしてそれに気がついてからよーく見ると「私」についてもおかしな点があることに気がついた。私はごくありきたりの淡い色のマニュキュアしか使わない。ところがこの写真の「私」はかなり派手な赤だったり、淡いものだったりと一定しない。さらによく見れば爪の形も微妙に違う……。同じ人間じゃない。つまり顔の部分だけ私に差し替えられたもののような気がしたのである。
「宮下さん、これ、もしかして顔のところだけ私にされてるんじゃありません? CGか何かの技術でそういうこともできるんじゃ……」
「え、そんな、まさか……。ちょっと待ってください」
宮下はその写真を一度ダウンロードすると別なソフトから開き直した。そしてごちゃごちゃと沢山並んだアイコンをめまぐるしく操作して顔の部分のドットを拡大したものを丹念に見ていった。
「コラージュされてる……。間違いありませんね。これ合成されたものです」
「合成?」
「ええ、今相内さんが言われた通りです。これをいつも投稿してる『ぴょん吉』っていうハンドルネームのヤツがきっとやってるんでしょう。こいつ、よく大胆に自分の女王さまの顔出し写真をネットに出すな、と私も思ってたんですけど、何しろ美人だし、ご本人もきっと納得されているんだろうと……。けどまさかコラージュだったとは思いませんでした。ヌードとかのコラージュだったら肌のつなぎ目の不自然さで、きっとすぐに分かったんでしょうけど、着衣の女王様じゃなかなか分かりにくいですもの。でもヌードにされてるよりはマシですね……。ところでこのぴょん吉なんですが、こいつは相内さんのすぐ身近にいるんじゃありませんか? ゼロから顔をCGで似せて作るのはかなり難しいでしょうから、必ず相内さんの顔をかなり隠し撮りして取り溜めしてるんですよ。そしてそれを加工して自分の女王様の顔と差し替える。全く何でこんな手のこんだことを。この相手の女性にしたって、いい気持ちはしてないはずなのに……。そっか、元の写真も何かのパクリなのか……。そうなると写真の中の男はぴょん吉じゃないってことに……、あ、その、申し遅れましたけど、要するに私はその、こういう男苛め系が好きだったもので、それでこの写真を見て相内さんとお近づきになれたらいいなと思って……、どうもすみません。とんだ失礼なお誘いをかけてしまって……。どうかお許し下さい」
宮下は深々と頭を下げた。
「い、いえ、そんな謝って頂くようなことじゃありません。別にお気になさらずとも。それに自分の顔がとんでもないことに利用されてることが分かったわけですから、感謝しないといけませんわ。それにしても男苛めの写真を掲載するサイトなんてあるんですね。私初めてなんですけど、結構好きかも……なんて言ってる場合じゃないか。はははは」
「そう言って頂けると私もほっとします。ですけどこの写真は放置できませんよ。事情からすればとんでもない話です」
「そうですよねぇ、だけど私にはどうしていいか……。私、どうしたらいいんでしょう?」
「間違いなく肖像権侵害ですよね……、まずは何にしてもぴょん吉が誰かを突き止めないことには話にならないのと、今掲載されている写真をとにかく削除させることです。もっとも一度ネットに流出したものを完全に抹消ってのは不可能ですが……。失礼でお時間を取らせてしまったお詫びに私の方でやれることはやってみます。ただこのサイトオーナーが協力してくれてぴょん吉のIPをつかめたとしても、プロバイダーは、当局にしか接続記録は見せないだろうし、かと言ってコラージュ写真の肖像権侵害だけで当局がどこまで動いてくれるのかも甚だ疑問だし。相内さん、ストーカーっぽい男とかで思い当たるような男はいませんか?」
「さっきからいろいろ心当たりはないか考えてるんですけど、今のところさっぱり……」
「そうですか……」
こうして全くひょんなことから私は自分の肖像権侵害をしているマゾストーカー男を捜さねばならないことになってしまった。それにしても何でよりにもよって私が女王様なんだ?
「いや、それはやはり相内さんのお顔がきりっと引き締まった感じできっとマゾ男の心をくすぐるんだと思いますよ。かわいい系じゃ、やっぱ様にならないんですって」
というのが褒められているのかどうかよく分からない宮下の解説である。私は曲がりなりにもかわいい系を目指しているつもりだったのだが……。
その翌日から私は自分のまわりの空気が一変したような気がした。見えないストーカーが私に常にレンズを向けている。そういう意識が芽ばえたからだ。しかしいくら考えてもそんな人物は思い浮かばない。私の勤め先のオフィスは、おばあちゃんと言ってももう失礼にならないくらいの女性が二人とこれまたおじいちゃんと言っても全然問題のない社長しか昼間はいないのである。もちろんそれ以外の社員もいるが、少なくても私のいる部屋にはいない。そして滅多にそういう社員の出入りはない。だから隠し撮りどころか、隠しカメラをセットするのだって難しい場所なのだ。
会社以外でもつきあいはそう広くないし、アパートも一人暮らしだ。たぶん孤独に強いというかもともと寂しがりやではないことが災いし、彼氏にも恵まれていないのだが、そのことに不満も無い。社長が時折縁談を世話をすると言ってくる時もあるが全部断った。そういう気分じゃなかったから……。
なのでストーカーの心当たりは全く無いのである。
宮下から教わったそのサイト、「ミストレスラウンジ」をチェックするのはあの日以来、私の日課となった。新しい写真がアップされているかを確認するのと、今掲載中のものが削除してもらえたかの確認の両方をするためなのだが、新しく掲載されるものも無かったが、今掲載中のものもずっと残ったままである。宮下の言った通り顔の、それも一部だけの肖像権侵害では相手にしてもらえないのだろうか……。ただよくよく考えてみれば、私の受けた損害というか、精神的苦痛など多寡が知れてる。この写真のおかげで縁談がパーになったというような話でもあれば違うのだろうが、実際には生活に何の変化もない。だいたいあのサイトのアクセス件数はそれほど多いものでもないらしい。非常に特殊な趣味の世界だし、男を惹きつけるような女の裸の写真が少ないということもあるかも知れない。どっちにしても例の写真を見る人間は少ないのだ。
それにしても世の中知らないことが多いものだ、とつくづくそのサイトを見て思った。女性に尽くされたいと思うのが男だと思っていたのだが、苛めてもらいたいという男がまさかこんなにいるとは……。サイトの中にある募集掲示板をちらりと見てみると、女王様の男奴隷募集などより、女王様を募集する奴隷男の書き込みが圧倒的だ。男って生き物はつくづく謎の深い生き物だと実感することになった。
しかし宮下はただこのサイトを見ているだけで満足しているのだろうか? それとも実際に男を飼っている女王様なのだろうか? あの雰囲気からするともしかしたらという気がする。それに私を呼び出したのも女王さま仲間と勘違いしたと考えれば納得も行く。もしかしたら、いわゆる複数プレイの相手を探していたのかも知れない。人に言いにくい趣味だけに、同好の士というのはきっと貴重な存在なのだろう。
三日ほど経過し宮下から連絡があった。状況の確認と今後の対応を相談したいのでまた例のまんが喫茶で会って欲しいという。私はもちろん快諾し同じように二人用PCスペースで彼女と会った。
「じゃあやはり心当たりは無いんですか?」
「ええ全然……。だいたい男の人の知り合いってほとんどいないんです」
「そうですか。実は案の定サイトオーナーにメールを出してもまともな反応じゃなくて……。コラージュがどうしたこうしたじゃ、説得力がないというか、問題だと思われてない感じで……。実際芸能人のコラージュなんかいくらでもネット上に転がってますから」
「そうなんですか……。じゃあ、どうしようもありませんね。でも私それほどこれを苦痛にも思っていませんから」
「でも悔しくありません? 勝手に隠し撮りされて勝手に合成されてネットに流されるなんて」
「そう言われればそうですけど……」
「あのう、相内さん……、つかぬことを伺いますが……」
宮下は急に下を向き、小声になった。
「はぁ……、どんなことでしょう?」
「あのう、正直におっしゃっていただけると助かるんですが、その、いわゆる女王様っていうか、男を苛めて喜ぶ女に嫌悪感とか感じません? あるいは女に苛められて喜ぶ男に対してでもいいですけど……」
「……」
正直どう答えようか迷った。確かにこの間初めて自分のコラージュ写真を見た時は相当な嫌悪感を感じた。しかしこの数日、毎日あのサイトを見るようになったら全然そういう感じは無くなってしまった。ただ、そのことを素直に言うことが、何となく、自分も同じ性癖の人間にされるような気がして素直に口に出せないのだ。
「やっぱり……」
「い、いえ、そうじゃないんです……、」
「そうじゃない?」
私は宮下が既に自分の性癖を正直に告白している以上、そんな些細なことにこだわるのはおかしいと思い直した。
「最初は確かにびっくりしましたけど、もう平気です。ここのところ毎日このサイトを見てましたし、何とも思わなくなりました。ですがそれが何か?」
「実はぴょん吉をあぶり出せそうないいアイデアがあったもので」
「あぶり出す?」
「ええ、そうです。ただそのためには相内さんにかなりお願いしないといけないことがありまして……」
という言葉で始まった、宮下のアイデアとは、次のようなものだった。
私が実際に男を責め嬲るシーンをコラージュでない本物の写真にし、それをこの掲示板にアップするというのだ。
「どうなると思います? ぴょん吉はたぶんあなたの身近にいて毎日あなたを盗撮していた人間です。しかもこのサイトの常連でこんなコラージュ写真ばかり投稿している……、ということはまぎれもないかなりのマゾ男でしかもあなたを女王さまのあこがれのように見ていることは間違いないわけです。そんな男に、もしあなたが他の男を責め嬲っている合成でないリアルな写真を見せつけたら、彼に与えるショックっていうのは相当なものだと思いません? 一種の責めですわよ、これって。もう二度と相内さんのコラージュ写真が出てくることはないです」
絶句もののアイデアである。だがいやだという思いはあまり無かった。それよりも面白いという思いの方が強かった。それにコラージュだ、リアルだと言ったところで、私がそういうことをしている写真は既にネットにあるのだ。今更そのバリエーションが増えたところで何か変な影響が出るとも思えなかった。しかも掲載するサイトは星の数ほどあるサイトの中でも折り紙つきのマイナーサイトなのである……。
「……だけど、そんな写真撮れませんよ、私にはそんなことに協力してくれる男性の友人なんかおりませんし……」
という言葉を暫く考えてから私が洩らすと宮下は身を乗り出し、私にこうたたみ掛けてきた。
「もし相内さんにその気がおありでしたら、それぐらいのことは私が何とでもしますけど……」
結局私はこの宮下の提案に乗った。彼女はやはり本当にそういうプレイを楽しんでいたのだ。そして渡りに船、のようなもので私を折角だから同好の士にしてしまいたいという思いもあったらしい。で、自分が飼っているブタ男一匹と女王さま衣装を撮影のため貸してくれるという相談がすぐにまとまった。因みに撮影も彼女がやってくれるという。場所についてもいろいろと詳しいらしく、そういうムードばっちりのとあるSMショーパブを開店前に借りることになった。
約束の日、三人で待ち合わせしてその店に行く。宮下はいかにも辣腕銀行ウーマンという感じで完璧に段取りをしていた。店側は完全に宮下のリクエスト通りに店内をデコレーションしてくれていたのである。目にも眩しい暴力的な赤一色になった壁と床をバックにして、黒革づくしのブラ、コルセット、Tバックパンティ、ハイヒールブーツに身を包んだ私と首輪、全頭黒革マスクというブタ男くんが登場する。何故ホテルではなくこういう店にしたかというと、照明設備がばっちり整っているし、小道具はいろいろ揃っているし、余計なものが写りこむ心配は全く無いからだ。
「じゃ、今度はこっちの太い鞭を持って、その檻の前に立って……引き綱を持って……、お前はこっちよ……、じゃ、撮ります……」
「相内さん、顔が優しすぎ。もっと口を真一文字にして、カメラを睨み付けるようにして……、頬に力は入れない……、そうもう少しあご上げて……、目線だけ気持ち下げて……、少しだけ、目を細めて、はい、オーケー」
という具合におよそ一時間に渡るそのSMイメージ写真撮影会は終わった。写真撮影が目的だから私はポーズをつける以上のことは何もしていない。あくまでも男を苛めているような素振りをしているだけである。まるで学生時代にやった演劇みたいなものだ。
撮影終了で店のスタッフの人と機材を片付けるとお店の開店時間である。こういう流れではお疲れ様とさっさと帰るというわけにもいかない。店の人も何しろ女王さま姿の私を見ていたわけで、もう絶対その趣味の人と断定してかかっている。なので、三人でそのSMショーを見ていくことになった。
「こういうところは初めてですか?」
「ええ。私あんまりお酒を飲めないもので、飲みに出ないんです。それに田舎者なんで盛り場に出るのって、なんか気がひけて……」
「まあ、それじゃあいろいろストレスが溜まりませんか? 私なんか、この趣味に出会えたから、何とか銀行の窓口なんかやってられますけど、そうでなかったらきっと毎日どこかでヒステリーを起こしてましたわ」
窓口業務がそんな大変なものだとは思っていなかったが、確かに毎日どんなお客が自分の目の前に来るか分からないのだ。相当神経をすり減らしそうな気はする……。
「私の仕事はほとんどパソコンに数字を打ち込めばいいだけみたいな仕事ですから。宮下さんみたいに気をつかう仕事じゃないです」
「そうなんですか……でもそれじゃああんまりお仕事面白くないんじゃありません?」
結構キモっぽい言葉だ。実のところ私は毎日に飽き飽きしていた。来る日も来る日も同じ事の繰り返し。
「……少し……」
と返事をしかけたところでファンファーレが鳴った。どうやらお店のショーが始まるらしい。店の中を見回すといつの間にか結構人が入っていた。男女半々ぐらいだろうか。一見すれば普通のカップルに見える二人が多いが、もしかしたらその中のかなりは女王さまと奴隷ということなのかも知れない。また私たちのように女が多いグループも結構目に付く。逆に男だけというところは少ないようだ。ゲイは女王さまには興味がないということかな。ま、当たり前か。
ショーそのものは一種の無言劇である。セリフは無いが、筋書きとしては、下人と召使いが恋に落ち女主人に結婚の許可を求めるが女主人はそれを認めない。二人は駆け落ちしようとするがつかまり引き戻され、女主人から折檻を受けるという内容である。現実にはショーの時間のほとんどはこの折檻のシーンになっていることは言うまでもない。そして女を責めている時間の倍ぐらいの時間が男責めの時間に充てられていた。要するにそういう店だということだ。責めのほとんどは鞭打ちである。思ったよりはエロくはない。 ショーだからあまり過激なことは出来ないというのはあるのだろうが。後は家具代わりにされたり、吊されたり、体中に洗濯ばさみをつけられたりしていた。
「いかがでした?」
「ええ、そこそこ面白かったですよ」
「気持ち悪いとかは?」
「ああ、そういう嫌悪感は全然……」
「そうですか。それなら何よりです。お誘いした甲斐がありました。……それはそうと今日撮影した写真をネットに上げる時、どんな名前で出そうか考えてるんですけど、」
「名前ですか?」
「ええ、ハンドルネームですけど、こういう世界ですから、やっぱり女王さまっぽい名前が何かないかなって……。何かご希望ありません?」
そんなこと考えたことも無かった。そっか、女王さまっぽい名前ねぇ……。
「他の人はどんな名前を?」
「それはいろいろです。さすがに卑弥呼なんていう人はいないけど。ダイアナさんだってエリザベスさんだっているし、」
「向こうのお名前ですか……」
「いえそればかりじゃないですよ、普通の女性の名前のまんまの人も多いです。ただ当てる感じをちょっと凝ったものにしてますけどね、わざと難しい字を当てて女王さまの威厳を保つっていうところでしょうか」
そんな話をされたら私にはいよいよ分からない。で、結局こうなった。
「お任せします」
翌日の夜、私はアパートに戻るとすぐにパソコンを立ち上げた。携帯に宮下からのメールがあった。例のサイトに写真を投稿したというのである。出来映えも含め何から何まで任せっ放しなので当然と言えば当然だが、どんなものがどんなふうに上がっているのかはかなり気になっていた。
私は綾霧女王という名前にされていた。なるほど女王の格調の高さを確かに感じる名前だ。因みに投稿者の名前はポチ。そういえば撮影の時、時折宮下は彼をポチと呼んでいた。なるほど。とにかく知らない人が見れば、この男が自分の女王さまの写真を投稿したように見えるという寸法である。因みにイメージ写真だからいかにもムード重視の絵で女王さまと奴隷のポートレートという感じでそれほどエロくもグロくもない。彼はちゃんとパンツも穿いているのだ。
私は私自身思っていた以上にその格好が似合っていることに正直驚いてしまった。いつぞや宮下の語った通りだと思った。私はかわいい系の顔ではなくて、女王さま系の顔らしい。笑顔の写真なんかより、この澄ましてる顔や、きつく睨んだ顔の方がずっと美人に見える。そう考えるとぴょん吉っていうのはちゃんと私の魅力を本人以上に正しく見抜いたことになり、その眼力に多少なりとも敬意を払わないといけなくなるような気がするから不思議だ。
こういう自覚ができるとそれがいろいろな面で影響を及ぼさないわけがない。自分の着る服、小物、アクセサリーがだんだんそれっぽい匂いのするものを選ぶようになってきた。もちろんお化粧もそうである。輪郭を濃くし、きつめの顔を作るようになった。
例の写真はかなりの枚数がある。ポチはそれを週二回三枚ずつ投稿していた。
で、それが三週目を迎えた時、なんとぴょん吉が動いたのである。宮下の作戦は目論見通りにはならなかった。何と私を使ったコラージュの新作を発表してきた。しかもぬけぬけと宮下が私につけた名前、綾霧女王という名前まで使ってきたのである。
こうなると知らない人が見たら私が複数の男奴隷を飼っているようにしか見えない。しかもぴょん吉が今回上げて来たのは、従来のように普通の着衣ではなかった。
この間の撮影では、宮下がぴょん吉にショックを与えるため私には黒革のボンデージを着せたのだが、今回はまるで張り合うように露出度の高い乳房がかなり出て、パンティもほとんどバタフライだけというような姿の「私」にされていたのだ。しかも相手の男の性器を手で握りつぶすような仕草までしている……。もちろんその部分は荒いモザイクが入っているのだが一応それと分かる。
「まいったわね、まさかぴょん吉がこんな反攻をかけてくるなんて」
というのが宮下の言葉だ。ちなみにあれ以来、私と宮下は本当の友達になってしまった。だから言葉もお互いフランクなものに変わった。
「いったい何のつもりであんなコラージュを上げてきたのかしら。しかもコラージュだっていよいよはっきりわかるようなモノで」
裸の部分が増えたので、合成が以前のものよりずっと目立つのである。
「そうねぇ、何て言うか、こっちの写真が作り物だって見透かされた感じがするのよ」
「見透かされた?」
「うん、相内が実は本物の女王さまじゃないことぐらいとっくにお見通しだって暗に言ってる、って言ったらいいかな。やっぱ、作り物の女王さまか本物かはマニアにはすぐ分かるのかなぁ。こっちはコラージュだけどお前のだってフェイクじゃないかって言ってるのよ」
私は少々、いやかなりこの言葉にカチンときた。本物が出ているのは分かったが、お前はとんでもない嘘つきじゃないか、と名指しされて言われたような気がしたのだ。
「そんなのってないわ、図々しいにもほどがあるわよ」
「何て言うかな、マニアのプライドみたいなもんがあんのよね、私何となく分かる。別にこういうものだからってことじゃなくて、自分が好きでいろいろやってるところで全然何も知らない素人が形だけ真似て格好つけて闖入してくるのがそもそもうざいって感じ……」
まあそう言われれば分からんでもない。実際に私は女王さまでもなんでもないし、奴隷男を飼ったこともないことは事実で、そう言われれば形だけを作ったのは私の方ということになる。コラージュでもモザイクの代わりに私の顔を作っただけだから、写真としては確かに本物なのだ、ぴょん吉のものは。だけど、それにしたって……、何か納得いかない。
「ねえ、本当に女王さまやってみる気ない? このままじゃなんか気分的に悔しいわよね」
私の気持ちが言いようのない淀みに嵌っていた時に、宮下が洩らしたこの言葉は、私にはこれが正解と響いた。
宮下は私にとりあえずということでバイトのプロ女王さまをやってみることを勧めた。別に身体を売るわけじゃないし、様々なタイプのマゾ男を見ることができるし、それに何より店側が女王さまのイロハをいろいろ教えてくれるからというのがその理由だ。もっともマゾ女のバイトほどは金にならないそうである。ま、そりゃそうだろうな。
ということで私は週に三回ほど宮下の紹介してくれたクラブというところに通うことになった。ほとんどは電話でこちらが出張に行くというシステムだが、一応拠点としているラブホテルみたいなのがあって、私は当面はそこ専門ということになった。女王さま教育をちゃんと受けるためである。
衣装も揃っていてそういうものを着込むだけで気分が一新できるという面でもここは私にとっては都合がよかった。そして沢山の責め具をどのように使って男を責め嬲るのかという技術の習得という点においてもここは確かに都合が良かった。ここにはだいたい三人ほどの女王さまが常時待機しているとのこと。因みに宮下も一時期ここでバイトをしていたことがあったそうだ。
私は、私としては大いに意外なことにすぐに常連のお客さんがつくようになった。ただ出勤日が少ないから予約客だけで一杯になりご新規さんというのが思ったより少ないということになったが。ただその結果、本業であるOLで得る収入とバイト収入のバランスがおかしなことになった。収入面で言えばOLで得る収入など全然問題にならないのである。こうなると店からもそして宮下からもこう勧められることになった。
「一生今の会社に勤めるつもりがそもそも無いなら、いっそのことプロ女王さまになった方がいいんじゃない? かなり好きなんでしょ、女王さま。そうで無かったらこれだけ人気が出ることは絶対ないもの……。もしかしたらあなたの常連客の中にあのぴょん吉もいるのかもね。あなたがあそこに行くようになってからはちっとも投稿もしなくなったし」
女王さま業、確かに大好きだと認めないわけにはいかない。
最初はお客にサービスするつもりで責めていたのだが、いつのまにか、自分が心の底から苦しむ男を見るのが好きだったことを発見してしまった。わくわくするのである。どきどきするのである。楽しくてしょうがないのだ。残り時間をお客以上に気にしてしまう自分がいた。そして自分が責めている男の中にぴょん吉が混じっているかも知れないと指摘した宮下の言葉はそれに拍車をかけた。
「私、こっち一本にする……」
もう私にはネット上の写真のことなどどうでもよくなっていた。
しかし、宮下がパートナーのポチ、そう、実はこの店の経営者とこんな会話をしていたことは私には知る由も無かった。
「まったく今回ほど回収に冷や汗をかいたことはないわ。こんなにSMクラブが儲からないものだとは思わなかったもの。でも飛び切りの上玉女王さまを据えることができて、どうにか店の経営も安定しそうね。頼むわよ、あんたのところが不良債権に区分されたら、私の責任問題になるんだから。それにしても銀行のロビーの監視カメラの映像を使ってコラージュ写真作ったり、下手な芝居を打ったり、変なサイトに投稿したり。私はね、これでもれっきとしたバンカーなんだから、こういうことはもうさせないで。今回は相手がとてつもなくお人好しで助かったけどさ……」
了