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草殺しのビャヒク

作者:栗田隆喬
 私の小屋の近くに、『草殺し』と呼ばれるビャヒクがいました。
 彼は指先で触れるだけで、太く大きく育った草を枯らす力を持っていました。
「俺が草を枯らさないとな、この星は死んじまうんだ、嬢ちゃん」
 ビャヒクはそう言いながら、私の肩にその大きな手を置くのです。なんだか私も草みたいに枯らされてしまいそうで、思わず肩に力をいれたまま、動けなくなってしまうのでした。
 ビャヒクは作物のなる草も枯らしてしまうので、村からだいぶ離れた、小屋に住んでいました。真っ赤な色をした大きな丘の近くです。丘の向こうには小さな池があって、乾季になるとみんなこの池に水汲みに来ます。
 ビャヒクはみんなが家の前を通り過ぎるのをじっと眺めているばかりで、自分で水汲みをしたことがありませんでした。
「どうして水汲みをしないの?」
「それはだな、嬢ちゃん」
 ビャヒクはゆっくりと顔をこちらに向けて、また、私の肩にそのごつごつとした手を置くのでした。
「水がみんな、俺の友達だからだよ」
「どう言うこと?」
「ちょっと嬢ちゃんには難しかったかな。水の方から勝手にやってくるんだよ。だから、俺は水を汲みに行く必要がない。黙っていてもやってくるものをわざわざ採りに行くのも、変なことだろう」
「それもそうね」
 私はビャヒクに水がやってくるところを見せてほしいと頼みました。
「それはとても難しい注文だな」
「どうして?」
「水はいつでも気まぐれだからな。いつの何時にくるか、正確に言うことはできない」
「じゃぁ、私がビャヒクの小屋で待っているのはどう?」
 笑いながらも眉根を寄せて、ビャヒクは困ったように禿げ上がった頭をかきました。
「そいつはやめておいた方がいい」
「どうして?」
「水はなんて言うか……。気まぐれだから。嬢ちゃんのことを気づかないで飲み込んでしまうかもしれない。危険だよ」
「そう……」
 よっぽどがっかりした顔をしていたのでしょうか。ビャヒクは腰をかがめて私の顔をじっと見つめて「……代わりに」と言葉を継ぎました。
「これから大きな草を枯らしに行くんだが。一緒に来るかね?」
 私が頷くと、ビャヒクは立ち上がり、岩のような手を差し出しました。その手につかまろうとすると、ビャヒクは私をまるで釣り糸に引っ掛かった魚のように、宙へ軽々と引き上げて、その大きくてがっしりとした肩にひょいと乗せてくれました。
 地面がいつもより、ずっと遠くに見えます。
 紫色の空と黄色く染まった雲が、ちょっとだけ頭に近づいたような気がしました。
 極彩色の光を放つ羽を震わせたアカリ虫が、つぃ、と顔の前を通り過ぎて行きます。珍しいことでした。
「しっかりつかまってな」
 腕をギュッとだき抱えるようにすると、大股でビャヒクは乾いた赤い大地を走り始めました。
 飛ぶように、翔ぶように。
 私の小屋もビャヒクの小屋も、あの丘の斜面も小さな池も、気が付くとはるか後ろに消えて見えなくなっていました。
 陽が沈むと、やがてあたりは霧のようなぼんやりとした空気に包まれて、昼間と違ってしっとりとした空気の粒が頬を撫でました。
 ビャヒクはずっと走り続けました。
 朝露に濡れた蜘蛛の巣のような傘を被った緑色の月が、真っ暗なあたりを照らし始めると、進む先に黒い陰が見えてきました。
 それは少しずつ少しずつ、大きくなってきます。
 最初は小さな豆粒のように見えた陰は、どんどん上へと伸びて行き、それが実は巨大な草であることに私は気づきました。
 大きく広がった草の葉にはキラキラと光るものが、まるで砂粒のようについていました。よくよく目をこらすとまるで動いているようです。
「ねぇ……」
「嬢ちゃん、舌を噛まないように気をつけな」
 でも、その心配はありませんでした。
 ビャヒクは大股でそれこそ飛んでいるように走っていても、ドスン、ドスンといった動きは全然なくて、本当に滑るような、流れるような走り方だったからです。
「大丈夫。あのキラキラしているのは何?」
「あれかい。アカリ虫だよ」
「本当? でも、あんなにたくさんいるけれど」
「全部アカリ虫だよ。あの草はアカリ虫の巣になっているんだ」
 アカリ虫はの光りは微かで、すぐ近くを飛んでいる時に目をこらしてみても、明るい時は気づかないくらいです。
 そんなアカリ虫が、星ぐらいの強さで光っているなんて。
「……あの草を枯らすの?」
「ああ、そうだ」
「どうして? せっかくアカリ虫が住んでいるのに」
「前にも話しただろう、嬢ちゃん」
 ビャヒクは足を速めました。
「この星が死んでしまうからな。そうするとアカリ虫だけじゃなくて、みんなが困る。だから俺は草を枯らさなきゃならないんだ」
 どんどん草の陰は大きくなって、私が首を上に向けてもてっぺんは見えないくらいになっていました。そのかわり、草のまわりはそこらじゅうを無数のアカリむしが飛んでいました。本当にキラキラと光る砂粒のようなものは、数千のアカリ虫達が、いっせいに羽根を震わせている光だったことが分かってきました。あんなにたくさんのアカリ虫はみたことがありません。
 ずっと上を見続けていたのでだんだん首が痛くなって、私はふぅ、とため息をついてビャヒクの顔をちらりとみました。
 ビャヒクと目が合いました。でも、いつもはにっこり笑ってくれるのに、そのときはすっと視線を前に向けただけでした。
「……いつか誰かが草を枯らさなきゃならない。その役が、たまたま俺だっただけさ」
 やがて目の前に、私の小屋の百倍ぐらいありそうな大きな草の茎が迫っていました。
 赤と緑が複雑に混ざりあった表面の色は、まるで複雑に絡み合った渦巻き模様になっています。
 よくみると、茎は光を放っていました。その光は風が強い時に星が瞬くように、強くなったり、弱くなったりを繰り返していました。
 私はもう一度、雲の向こうまで伸びる草の葉を眺めました。
 アカリ虫の巣も瞬いています。
 それは、思った通り、草の光の強弱とおなじリズムで変化しているのでした。
「草とアカリ虫は一緒なの?」
「アカリ虫だけじゃないさ」
 ビャヒクは私を両手で抱えるようにして、ゆっくりと肩から降ろしてくれました。
 乾季のはずなのに、ここの足の裏に感じる砂は、ひんやりと湿っています。
「この星のすべてが一緒なんだ、嬢ちゃん。胸に手をおいてごらん。ゆっくりな、ゆっくり」
「……こう?」
 胸に少しずつ手を近づけると、指先に小さな光が灯ったような気がしました。その光りは、手が胸に近づくにつれて、少しずつ強まっていきます。
 光りは強くなったり弱くなったりを繰り返していました。大きな大きな草の光りと、アカリ虫たちの輝きと一緒に。
 そして、リズムは私の胸の鼓動と同じでした。
「みんな本当は一つなんだ。普段は気づかないように、隠されているがな」
「どうして隠されてるの?」
「秘密だからな。これは、……秘密なんだ。この星にはまだいくつも秘密がある。秘密は秘密。みんなが知ったら秘密じゃなくなってしまうだろ? だから嬢ちゃん。約束しておくれ。誰にもこの秘密を話さないって」
 私がうなずくと、ビャヒクは満足そうにうなずき返しました。その時、大きな草も、空に浮かぶ月も、足元の砂も、一緒にうなずいたように感じました。
「よし……。草を枯らそう」
 ビャヒクは両の手をこすり合わせてから、ふっと息を吹きかけました。指先がぼんやりと輝き始め、やがて青の光がビャヒクの手を包みます。
「な。嬢ちゃん」
「なあに?」
「お願いがある。これから枯らすこの草を祈ってやってくれないか」
 どうやって祈ればいいのか、私は分かりませんでした。それでも私は頷きました。
 ビャヒクのまねをするのが良さそうだと感じた私は、両の手をゆっくりとこすり合わせてみました。
 光の粒が、指先からふわっと浮かび上がってきます。
 びっくりした私が手を止めると、光の粒はまるで小さなアカリ虫のように指先にとまっていました。
 私はまた、手をこすり合わせました。
 少しずつ、少しずつ。光が大きくなっていきます。
 その光を見つめていると、不思議な場面が見えてきました。
 岩だらけの大地に、小さな種がいくつも落ちてました。
 それは、やがて根を延ばし、芽を吹いて、少しずつ少しずつ大きくなっていきます。
 岩盤を割り、星の蓄えた水脈にまで根を延ばした草は、やがて巨大な草へと成長していきました。
 いつの間にか、あたりは草の生い茂る大森林になっていました。
 たくさんの虫と、たくさんの動物が草の周りで生活しています。
 やがて、草が地下の水を組み上げ過ぎて、水脈が切れてしまいました。
 草は一つ、また一つと枯れて、消えて行きます。
 最後に残ったのがこの草で、どんどん水を吸い上げて雲を突き抜けるほどの大きさになってしまいました。
 高すぎる葉には鳥もたどり着けず、アカリ虫しか住めません。
 そしてこの星のほとんどのアカリ虫が、いまこの草に集まっていました。
 水を吸い上げすぎて、今、星の水のすべてがこの草に取られてしまいそうになっているのでした。
 草は、星を枯らそうとしているのです。
 どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
 私は悲しくなりました。
 だけど、どうしてヒャビクが草を枯らさなくてはならないか、ちょっとだけ分かったような気がしました。
 目の前にあった光景が、消えて行きます。
 気づくと、私は泣いていました。
「……それから、嬢ちゃん。この星に、この草が今、この時まで生えていたことを、アカリ虫たちに囲まれて輝いていたことを覚えておいてくれ」
「うん……」
 指先には、強く輝く光の粒がさざめいています。
 私がふっと息を吹きかけると、光の粒は千にちぎれるようにして舞い上がって行きました。
「ありがとうな」
 ヒャビクはゆっくりと草の幹に近づくと、手を当てました。
 そこから草の輝きが消えました。
 消えた輝きは、そのままどんどん、上へ、上へと駆け上がるように広がっていきます。
 見上げると、輝きを失った草の葉から、アカリ虫が一斉に飛び立ち、そのまま散って夜の空に消えていきました。
 私たちはしばらく、光の消えた草を見上げていました。
「さぁ。帰るか」
 ヒャビクは私をそっと抱えて肩に乗せると、また走り始めます。
 私は後ろを振り返りました。
 光を失った巨大な草の陰が崩れていました。
(さよなら……)
 その陰も、あっと言う間に見えなくなってしまいました。


 小屋に戻って二日ぐらいすると、村の人が私の小屋にやってきました。
「とても大事なことなんだ。大きな草が枯れたと遠くの村から知らせが入った。君は『草殺し』のビャヒクはよく知ってるだろう? あの草を枯らしたのは……ヤツかね?」
 悲しいことでも、この星のためにはどうしてもやらなければならない仕事だったと言おうとしたのに、村の人は私を遮ります。
「そんなのはどうでもいい。あの草は、ビャヒクが枯らしたのかね? 答えろ!」
 私が小さくうなずくと、村の人はもう外に向かってました。
「待って。まだ話しが」
「それだけ聞けば十分さ」
 戸口も閉めずに行ってしまいました。
 私は怖くなってビャヒクの小屋に向かいました。
 ビャヒクは、からからになった真っ赤な砂に棒で穴をほり、そこに草の種をまいているところでした。
 泣きながら駆け寄ると、大きな腕がそっと包み込んでくれました。
「ビャヒク、私……、私……」
 ごつごつした手が私の髪をゆっくり、そっと梳いてくれました。
「心配しなくていいんだ、嬢ちゃん。そうやって自分を責めなさんな。いいかい、秘密は守られてる。すべてはちゃんと流れて行く。だから心配しなくていい。何が起きてもな。何が起きても……」


 次の日、ビャヒクの小屋をぐるりと村人が取り囲んでいました。
 長老が節くれた杖で扉を殴ります。
「『草殺し』のビャヒク。おまえは神聖な草を枯らした。罪人め。扉を開けろ」
 ビャヒクが静かに扉を開くと、屈強な男たちが次々に小屋へ入って行きました。
 そして縄で縛られたビャヒクを連れて、得意満面で村人たちは帰って行きました。


 ビャヒクが連れ去られてから、雨が降りました。
 私は外に出て、雨粒を浴びました。
 暖かな雨は、あの大きな草と同じ香りがしました。
 ふと、目の端を、いくつものいくつものアカリ虫が横切って行きました。
 それでもあの日から、私がビャヒクを見かけることは一度もありませんでした。


 今日も、外では雨が降っています。
 私の小屋からは、ビャヒクの小屋があったあたりに、うっすらと光を放ち輝いている草のしげみが見えました。
 アカリ虫がたくさん飛び交っているようです。
 だけど、本当は草に当たった雨が、霧のように散って、輝いて見えるだけなのかも知れません。
 雨も、乾季が終わったから、ただ降っているだけなのかも知れません。

 でも、私は知ってました。
 この星に、かつて大きな草が生えていたことを。
 その草をビャヒクがその手で、大切に枯らしたことも。
 胸に手をやれば、星全体が胸の鼓動と一緒に強まったり弱まったりして輝いているのを。
 そしてビャヒクが今、どこにいるのかも。

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