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総武線フィクション

快速ノスタルジア

ギリギリ間に合いました。SF=総武線フィクション、です。

 この時期になると俺は、車両ごとに1枚ずつ、桜の写真を飾ることにしている。井の頭公園の池に映った満開の桜や新宿御苑の花見風景、神田川沿いに降り注ぐ花弁の雨に、ビル街の桜並木、夜桜。撮影場所が特定できるものも、できないものも、すべて三鷹・新宿・飯田橋・秋葉原・津田沼のどこかで撮影されたものだ。俺の停車駅。

 ――それは、俺から彼女に対しての精一杯のメッセージ。



 彼女は、小学校の同級生だった。おっとりとした性格で、語尾を伸ばして話す癖があった。口から出ていく言葉の尻尾を、放すまいと掴んでいるようだった。のろまだグズだとからかわれるたびに、いつも少し困ったように微笑んでいた。俺もご多分に漏れず囃したてる側の人間で、何度彼女をからかったことかしれない。彼女はあまり友達がいない子だったから、俺たちに構われるのはいいことだくらいに考えていた。

 もちろん俺たちには他意はなく、だから彼女が男に媚びているだとか色目を使っているだとかで女子から嫌がらせを受けているなんて、考えたこともなかった。卒業式の日、俺が下駄箱で泥にまみれた黄色いリボンを拾ったときには、彼女はもうとっくに下校したあとだったのだ。当然一緒に入学するものだと思っていた中学校の入学式に彼女は来ず、実はどこかの私立を受けたようだと人づてに聞いた。当時の俺たちにとって、学校が違うことは世界が違うことだ。


 高校で知らない男に睨まれるまで、そいつが彼女の幼馴染だと知るまで、俺は彼女のことをすっかり忘れてしまっていた。捨てられていた卒業アルバムで俺の顔を知っていたというそいつはしかし、彼女が俺を恨んでいるわけではないと言った。ただ、怖くてこの街には来られないのだと言った。別に俺一人の問題ではなかったわけだが、俺は逃げるように、地方大学の受験を決めた。合格して東京を離れる日が、待ち遠しくて仕方なかった。



 予備校と家との往復に使う総武線は、あの日見つけた彼女のスカーフと同じ色をしている。空いた社内の中から向かいのホームを眺めていると、いつだって中央線にはこれでもかというほど人が詰め込まれている。俺は、各駅停車でのんびり進む総武線のことを悪くないと思いはじめていた。

 その日、中野、高円寺、阿佐ヶ谷と来て荻窪に差し掛かったあたりで、すっと総武線が減速するのを感じた。窓の外を見ると、隣の線路を中央線が走っていた。オレンジの車両が並走し、こちらが追い抜かれていくのを見ながら、俺は知らず拳を握っていた。土曜の休日ダイヤでは、中央線は高円寺と阿佐ヶ谷を通過する。だけど、次は荻窪。中央線も停車する駅なのだから、先に走っていた総武線に譲ってくれてもいいではないか。悔しさが、胸の中にひたひたと注がれていく。

 理不尽だと思った。だけどその日の悔しさは、東京を離れてもなお俺の胸のなかにこびりついていたのだった。


 理不尽なのはわかっている。それでも、「中央線に勝てる電車を作りたい」。

 それが俺のJRへの志望動機だった。


 俺が東京を離れていた間に世の中は変わっていて、これからは総武線だけが、運転士が動かす電車になるのだという。同期の山中は、各駅停車こそが総武線のよさだと言った。そうかもしれない。俺と山中、二人がいれば面白い電車を作れると思った。

 どんな電車にするか、安全を担保しつつ、どこでオリジナリティを出すのか。俺と山中は、仕事帰りに飲みにいっては話し込んだ。普段無口な山中が、電車の話になると妙に饒舌となるのが新鮮で、同時に、もしかしたら彼女だって何か好きなものの話題であればもっとハキハキと話したのかもしれない、と思っては落ち込んだりもした。



 彼女は写真が趣味だった。いや、カメラが趣味だった。地元の芸術文化センターで子供向けの講習会をやっていて、そこで原始的なピンホールカメラの使い方を覚えたのがきっかけだという。

 それを知ったのも、東京に戻ってからだった。就活のネタになるかと思って読んだエリア情報誌の、小さなコラムに、控えめに微笑む彼女の顔を見つけた。彼女が撮りつづけた作品は、彼女が開いた小さな展覧会やネット上で誰かの記憶に残り、ついに一冊の写真集になった。薄赤色の花びらを掴む子どもが表紙の、花をモチーフにしたシリーズが収録されたその写真集には、彼女と同じ響きをもつ花の名前がつけられた。


 俺は今日も、満開の桜を思い浮かべながら走る。かつて俺たちが一緒だった三鷹から、彼女が越した中野、彼女は飯田橋で乗り換えて、あの大学へと通ったのだろうか。バイト終わりの新宿の街で羽目を外していたのかもしれない。今は秋葉原で勤めていると聞いた。最悪の初対面を果たした彼女の幼馴染のあいつと俺が、今でもつるんでいるなんて当時は思わなかった。そして、あいつと彼女が暮らす津田沼へ――。

 俺は忘れない。忘れたりはしない。いまや俺の車両が他のどの電車よりも早く、お客を目的地に運ぶことができたとしても、それが誇りなんじゃない。山中みたいなのがいて、俺みたいなのもいる。だから総武線は、誰かに勇気を与えられるんだ、と。


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