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第1話 はじまりさえ歌えない(1)
<1>

『美味しい! 安全! 明日も食べた〜い!』

 軽快なBGMをバックに、ハンバーグを口にしながら、顔をくしゃくしゃにして笑う幸せそうな子供たちの映像が、渋谷駅のホームにある、小さな蕎麦屋に掛けられた液晶テレビから流れていた。

「大〜きくなれよ〜♪」

 テレビから目を反らし、黙々と蕎麦を食べている赤木英二の横では、そのハンバーグのCMを眺めていた山下順平が、それを真似しながら、おどけて英二の頭をなでていた。

「ばーか。順平、お前も早く食えよ」

 英二は、うざそうに順平の手を払うと、食べ終わった蕎麦のどんぶりを両手で抱えて、最後の一滴まで汁を飲んだ。

 渋谷駅の構内にある小さな立ち食いの蕎麦屋には、周りにそびえるビルの合間から、暖かい春の日差しが煌めくように差し込んでいた。

「しっかし、英二。お前んとこの父ちゃんの会社すげぇよな。このCM、最近毎日観てるぜ。『丸日食品は、子供たちの明日を守ります!!』ってか、今や食の一流ブランドだぜ」

「何言ってんだよ」

「オレはさぁ、お前がホント羨ましんだよ。一流企業で役員やってる父ちゃんを持つお前がよぉ」

 順平は、蕎麦を食べていた手を休め、大きくため息をついた。

「今まで学校でバカばっかやってきた俺らだけど、お前は、オレと違い、確実に将来を約束されている……」

「何がだよぉ?」

「だって、いつかは入社できるんだろ、丸日食品に。あ〜ぁ、丸日なんかに就職できたら、一生安泰なんだろうな」

 英二は、自分の横で目を細める順平の胸元を、拳でぽんと叩く。

「ばか。一流企業に入ったからって幸せなもんか! 俺らヤダね。親父みたいな人生を歩くのは。仕事仕事で家にも帰って来ねぇアイツのせいで、死んだ母さんはどんなに苦しい思いしてたか……。例え社会から見たら成功者だとしても、俺は誰かを傷つけてまで、成功なんかしたくはねぇよっと」

 英二は、食べ終わった蕎麦のどんぶりをカウンターの上にあげ、「ごちそうさま」と小さなキッチンにいる老婆に渡した。

「一人の女さえ、幸せにできねぇ男なんてサイテーさ」

 英二は、そう呟くとブレザーのポケットからタバコを取り出して、口にくわえ火を点けようとする。

「な〜に、知った風な事言ってんのよ、このバカ男。駅の構内は禁煙。そして、あんたは未成年」

 くわえていたタバコをいきなり後ろから取り上げられた英二は、驚き振り返ると、そこには、英二らと同じ学校の制服を着た女の子が、両手を腰に当て、仁王立ちをしている姿があった。

「里美ちゃん……!!」

 その女の子に気づいた順平は、少し顔を赤くして驚く。

「なんだよテメー。返せよ、里美」

 一方、英二は、里美の華奢な腕を掴みタバコを取り返そうとする。

「きゃぁ、ヤメテよ。エッチ!」

 里美は英二をからかうように、嬉しそうに後ろへ跳ねる。

「英二!! 女の子を幸せにしたいんなら、ちゃんと、自分の進路を決めてからだね。将来が不安定な男についてゆく女の子なんていませんよ〜だ!!」

 里美は、英二に顔を近づけ舌を出し、無邪気に笑う。

「あんた学期末に、進路希望、提出してなかったんだって? 先生心配してたわよ。偉そうな事言う前に、もっと自分の将来ちゃんと考えたらぁ」

 そして里美は、人差し指で英二の鼻をはじき、からかうように言い放った。

「うっせ〜このブス! 犯すぞこのヤロー」

 里美にからかわれ、少しむっとした英二は、里美のスカートをめくり上げ、里美を抱き寄せようとする。

「きゃぁ! 何すんのよ、童貞のくせに!」

 しかし、英二は、里美にその言葉に、思わず動けなくなってしまった。

「 ……ったく、英二に順平!! いつまてこんなとこで、呑気に蕎麦食ってんのよ。もう始業式始まる時間なんだから、さっさと学校に行きなさいよね!!」

 まるで勝ち誇ったかのような表情を浮かべる里美は、二人にそう言い放つと、駅のホームを向こうの改札口へと、元気よく走っていった。

「ちくしょ〜! 覚えとけよ、里美〜っ!」

 新しい季節のはじまりの朝、ホームを行き交う沢山の人だかりにまじり、両手を振り上げて、悔しそうに叫ぶ英二の前を、暖かな春の風がそっと通り抜けた。

<2>

「あ〜むしゃくしゃする〜!!」

 蕎麦屋を出た英二と順平は、渋谷駅のホームを、高校があるハチ公口へと歩いていたが、里美にからかわれ怒りがおさまらない英二は、終始イライラしていた。

「いや〜。英二さぁ、オレはねぇ、ホントにつくづくお前が羨ましいと思うよ」

 しかし、そんな英二を横目に、順平はまたため息をついていた。

「なんなんだよ、お前はよぉ! 新学期そうそうさっきからため息ばっかつきやがって」

 英二は、順平のふくらはぎに、ふざけて小さく蹴りを入れる。

「だってよぉ、前から思ってたけど、里美ちゃん、絶対お前の事好きだぜ」

「……あぁ〜!?」

 英二は、立ち止まり、自分より背の高い順平を見上げる。

「あんな口うるせ―ヤツに好かれても嬉しくともなんともねぇよっ! 俺は、こぉ……、もっと大人っぽい女が好きなんだ!!」

「何が口うるさいんだよ! 試験前は、いつもオレらにノート見せてくれたり、さっきだって、お前の事心配してくれたり……、優しい子じゃねぇか」

 順平は、まるで英二を諭すかのように語りだす。しかし英二は、そんな順平の話を、まるで聞く耳も持たないかのように一掃する。

「……興味ないね」

「ホントか……?」

「……あぁホントだ」

 ホームを行き交う人々から見れば、くだらない事を話しているかのように見えるが、二人は、人混みの中で、真剣に互いを見つめ合い話していた。

 そして、英二の気持ちが分かった順平は、ほっと安心したような笑顔をもらし、英二と互いの拳をぽんと叩き合った。
 すると、なんだか可笑しくなった二人は、見つめ合ったまま、はにかんだように微笑んだ。

「あ〜ぁっ! もう高校生活も最後だってのによぉ、なんか面白れぇ事ねぇかなぁー!!」

 英二は、のけぞるように、後ろに大きく大きく背を伸ばした時だった。
 英二の視界に、自分たちと同じ制服を着た男子生徒が、何やらもめている様子が映った。

「おい、順平。アイツ……去年まで、俺らと一緒のクラスだったヤツじゃねぇか」

「……ん!? おぉっ、アイツは優等生のメガネくんじゃねぇか」

「……だろ」

「あぁ……」

 英二と順平は、目を合わせ、にやっと微笑んだ。

「面白れぇ事見っけたぁ……!!」


<3>

「……で、君の名前は? それから住所と電話番号も教えなさい。あっ、一応本人確認するから学生証も見せるんだよ」

 駅のホームの片隅では、ホームに差し込む朝の日差しが眩しいのか、一人の駅員が少し目をかすめながら、英二らと同じ制服を着た生徒に対して、少し偉そうな口調で何やら問いつめていた。

「ぼ、僕は……」

 そして、その生徒は、自分に詰め寄る駅員に対して、鞄を両手で握りしめたまま、先程からずっとおどおどしていた。

「君ねぇ、さっきから黙ってばかりじゃ困るんだよ。朝のラッシュで、僕も忙しいんだからね。さっさっと学生証見せなさい! なんなら、今から警察呼ぶよ」

「けっ……、警察ぅ!?」

 その生徒は、『警察』という言葉に、ピクンと身体を反応させ、額から流れる汗を必死にぬぐった。

「だって、君は、車内で、この子のお尻触ってたんだろ! それは、『痴漢』と言って犯罪なの……!!」

 呆れたような口調で生徒に話す駅員は、どこか投げやりで面倒くさそうな感じだった。
 そして、その横では、痴漢をされたと訴えていた20代前半くらいの女性が、冷ややかな眼差しで、その生徒を見つめていた。

「さ……、触ってなんかいません!」

 しかし、その生徒は、精一杯の勇気を振り絞り、駅員と女性に自分の無実を訴える。

「駅員さん、……彼、そうは言うけど、駅員さんも見たでしょ。私がその子を捕まえた時、確かに彼の股間は膨らんでたわよね。」

「こ、ここ股間――!?」

 いくらこう言う状況であったとしても、まだ若いキレイな顔立ちの女性から出たその言葉に、中年の駅員は思わず反応してしまう。

「き。きき君は何かい!? 朝からこんなキレイなお嬢さんのお尻をなでまわした挙句、アソコを、ぼ……ぼぼ勃起させてたのかっ!!」

 少し興奮気味に話す駅員は、その生徒ではなく、横にいる女性のお尻をなでまわすように見つめながら話していた。

「ち、違う。電車だ! 電車が揺れたせいで、その人とぶつかったんだ! 触ってなんかいない!」

 生徒は、目には涙をため、泣きそうになりながら女性に訴える。

「じゃぁ何かい! 君は、こ……、このお嬢さんとぶつかっただけで、勃起したって言うのか!? 一体どんな風に、このお嬢さんのどこにぶつかったんだ!?」

 さっきの若い女性からの言葉で、駅員は性的な興奮を覚えたのか、その生徒に注意する事なんかすっかり忘れ、横にいるスラリとスタイルの良いその女性の身体をを上から下まで見つめて、勃起の原因を必死に追求しようとしていた。すると、そんな時だった。

「さっきからエロいんだよ! おっさん」

「彼……、触ってないって言ってんじゃん」

 誰かに肩を思いっきり引っ張られた興奮状態の駅員が、後ろを振り返ると、そこには、鋭い眼差しで自分を睨みつける英二と、隣にいる女性に、優しい笑顔を向ける順平がいた。

「な……、なななん何だお前たちはぁ!? けけ警察呼ぶぞ――!!」

 英二に睨まれた駅員は、ますますヒステリックに声を張り上げる。一方で、痴漢の疑いをかけられていた生徒は、突然現れた二人にただ呆然と目を丸くしていた。

「あなた達には、関係ない話なの……。邪魔しないで」

 しかし、女性の方は、少しため息をもらしながらも、あくまでも冷静に、英二と順平に話しをする。すると、さっきまで駅員を睨みつけていた英二は、目線をその女性に移し、少しはにかんだように彼女に微笑んだ。

「関係ねぇだと……。んな事ね〜よ。だってコイツは……」

「俺たちの『トモダチ』だからよう!!」

 そして、英二と順平の二人は口を揃え、堂々とその女性と駅員に言い放ったのだ。

 その言葉に、一瞬、その場が静まりかえり少しの沈黙ができた。英二と順平を覗いて、もともと居合わせた三人は、英二らの言葉に唖然としてしまったのだ。すると、さっきまで痴漢の疑いをかけられていた生徒は、この場から逃げられるチャンスだと思ったのか、なんとその隙に、いきなり改札口の方へと思いっきり走り出した。

「あっ、ちょ……オイ待て! この勃起男!!」

「……つーか、オレらも始業式始まっちまうんで行くぞ、英二!!」

 突然の逃走に驚いた英二と順平だったが、時計を見ると、始業式まであと数分だったため、逃げ出した生徒の後を追い、二人も勢いよく走り出した。



「トモダチかぁ……」

 一方、痴漢の疑いをかけていた女性は、英二らのその言葉に、思わず過去の自分の甘酸っぱい記憶でも辿ってしまったのか、優しい微笑みを浮かべながら、走り出す英二らをじっと見つめた。そして、春の空をそっと見上げて、大きく深呼吸した後、駅員に軽く会釈すると、ベージュのトレンチコートの襟を立て、まるで何事もなかったかのように、英二らと反対方向にさっそうと歩いていった。

「あれっ、ちょっ……、お嬢さん。まままだ話かぁああ。その時、あの痴漢は、どんな風にあなたにぶつかったんですか?」

「……イヤ、それよりきき君たちだ! 待つんだ! 止まれ〜! 止まらないか〜!」

 そして、最後に一人取り残された駅員は、逃げ出す英二らを、ホームの人混みを必死に掻き分け追いかけた。
 しかし、英二は、ヒステリックに追いかけてくる駅員に向かい、振り返ると、精一杯の大きな声を張り上げた。

「待てっても、止まってなんかいられっかよぉ! 俺たちは、ただ……走り続ける事しかできねぇんだからさぁっ!!」

 春の日差しを身体いっぱいに浴び、まるで背中に大きな翼を広げたかのように、拳を突き上げ思いっきり空高くジャンプした英二の声は、渋谷駅のホームを爽やかに駆け抜けた。



――これから世の中で……
一体どんな風に
生きてゆけばいいのかなんか
あの頃の俺には
よく分かんなかった
だけどさぁ
手を伸ばせば
何か大切なもんが見つかる気がして
ただいつも
突っ走ってたんだ
それが……
社会の中ではまだ
はじまりさえ歌えない
俺たちだった

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