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七駅フレンド

作者: つちふる

あなたのSFコンテスト投稿作品です。

serifless fiction セリフレス・フィクション(セリフのない物語)で SF としてみました。

 


 結局、部活はやめることにした。

 

 顧問の佐伯先生は、一年からレギュラーになれる奴なんてそうはいない、もったいないと引き止めたけれど、私がレギュラーに選ばれることで始まった、先輩がたの特別指導を大学ノートいっぱいに書いて打ち明けると、佐伯先生は彼女たちを叱りつけることも、私をかばうこともなく、あっさりと退部を認めた。

 それが、自分にとって一番面倒のかからない対処法だと判断したのだろう。

 担任の猪井崎いのいざき先生は、とりあえず休部あつかいにしておいたほうがいいと提案した。休部ならいつでも部に復帰することができるし、在籍あつかいになるので内申書にも影響がでないから。と。

 私は首を振った。

 在籍あつかいにされているかぎり、親切な先輩がたは教室まで迎えにきて、むりやり部活に参加させようとするだろう。

 耐えきれなくなった私が、退部届けを提出するまで。

 結局、同じなのだ。

 それなら、始めから行きつく結果を受け入れて退部したほうがいい。

 それに。

 と、私はノートを一枚めくって書き加える。

 これからしばらく、カウンセリングに通うことになるので。


                       ※


 部活を辞めて朝練に出る必要のなくなった私は、苦手な早起きからも慌ただしい朝食からも解放されたので、今までよりも一時間以上おそい、八時三十分発の電車で通学することにした。

 驚いたのは、その人の多さだ。

 朝練のない学生の大半はこの電車に乗るらしく、どの車両にも制服があふれてかえっていた。さらに、仕事へ向かう会社員、平日デートらしいカップル、行き先不明のお年寄りなどが乗り合わせていたりするので、シートに座るどころか、つり革を確保することさえ難しい。

 始発駅より三つ目にあたるこの駅から終点までの約三十分間、よほど運が良くないかぎり立ちっぱなしになるため、学校に着くころの私はすっかり疲れきっていた。

 部活の疲れと違って、爽快感もまるでない。

 辟易して、試しにひとつ早い八時五分発の電車にかえてみたところ、車両の雰囲気はがらりと変わり、混雑することもなく、シートに座ることができた。

 それからは、この八時五分発の電車に乗ることにしている。

 シートに座れる利点はもちろんだけど、それ以上にありがたいのは、クラスメイトや友人たちと顔をあわせずにすむということだった。

 学校までの三十分間、相手に一方的にしゃべらせておいて、こちらは首をうごかすだけというのは―― 相手が私の状態を理解しているにしても―― かなり息苦しい。

 その点、シートに座れるこの時間帯なら知り合いが乗ってきても目を閉じるだけで会話を拒否できる。それはお互いにとって有益な対策だった。

 ちなみに学校での会話は、相手の声に対し、こちらは罫線のない真っ白なルーズリーフに言葉を書くことで対応している。いわゆる筆談だ。

 一対一だとテンポが合わず会話も途切れがちになるけれど、教室ではたいてい女子特有のグループ・トークになるため、ときどき言葉をはさむだけで会話に参加した気になれる。

 もともと積極的に話をするタイプではなかったので、周りも喋れない私に違和感を覚えることなく、雑多な会話で盛り上がっていた。

 家の中での会話も同じで、もっぱら口を動かすのは母と姉、聞くのが父と私という役割だったため、食卓が妙に暗くなったり深刻になったりすることはなかった。

 少なくとも表面上は。

 結局のところ、大きな変化といえば、部活を辞めたこととカウンセリングに通うようになったことぐらいで、日常の大半はこれまで通りに近い生活がおくれていた。

 ただ。

 いつになれば、私の声は戻るのだろう。

 本当に戻るのだろうか。

 ずっと、このままだったらどうしよう…

 そんな鈍い不安と恐怖が、心に大きな巣を作り上げていた。


                       ※


 失語症という言葉は聞いたことがあるけれど、失声症という言葉は初耳だった。

 失語症は脳梗塞のうこうそく脳溢血のういっけつなどで脳の言語野に障碍が起きて、言葉がでてこなくなる症状。

 たとえば、ジャガイモ。

 頭の中ではしっかりとイメージできているのに、その単語がでてこない。

 そのため、ものすごく遠回りな表現で―― 茶色でデコボコした、丸い形の。北海道で有名なやつ。ほら、伯爵だか男爵だかいうといったふうに―― 相手に伝えることになる。

 難しい単語がでてこなくなるというわけではなく、失語する言葉はランダムらしい。

 また、リハビリによる改善は見込めるものの、完治は難しいという。

 これに対して失声症は、脳に障碍があるわけでもなく発声器官に異常があるわけでもないのに、言葉が発せられなくなる症状のことをいう。

 原因はさまざまなことが考えられるが、過度なストレスや過去のトラウマによって引き起こされることが多く、思春期や更年期の女性に多いのも特徴としてあげられる。

 口を大きく開けて声をだそうとしても声帯がまったく震えず、息の漏れる音しかしない。

 機能的には何ひとつ損なわれていないため、周囲からは話せないふりをしていると思われがちだけど、当人は必死だ。

 ただ、必死になればなるほど声はますます喉から遠ざかり、呼吸音だけがむなしく漏れることになる。

 ほかにも、かすれ声程度ならだせる場合や、ある状況下でのみ声がだせなくなる場面失語も失声症に含まれるらしい。

 私がこの失声症と診断されたのは、声を失って三日ほど経ってからだった。

 というのも、声がでなくなる二日前に高熱を出して学校を休んでいたので、始めは喉がまだ荒れているせいだと思っていたからだ。

 ところが次の日も、その次の日も声はでないままだった。

 そこでようやく これはおかしいとなり、母に連れられて病院へ向かった。

 ところが、検査の結果は異常なし。脳も、喉も、発声器官も、いたって正常だったのだ。

 いい加減な―― あるいは普通の町医者だったら―― とりあえず喉の薬をだしてで様子を見てくださいということになっていたかもしれない。

 しかし、私のかかりつけのお医者さんは、良く言えば丁寧、悪く言えば大げさ―― 可能な限りネガティブな可能性を示唆して患者の不安を煽る―― タイプだった。

 あるいは ということで心療内科の紹介状をもらい、改めて診察を受けたところ、めでたく(不幸にも)失声症と診断されたのである。

 病名がわかれば、それに応じた治療が始まる。

 失声症の場合は基本的にカウンセリングをおこない、声がだせなくなった原因―― ストレスやトラウマ―― を解決することで治癒をめざす。

 私の担当カウンセラーは椎橋しいばしさんという、四十代半ばぐらいの女性だった。素朴・質素・簡素といった素系イメージで、穏やかな口調と控えめな笑顔はこちらを安心させてくれる。もともと身についていたものか、カウンセラーになることで身につけたものかは、わからないけれど。

 初診はたわいのない雑談(私はもちろん筆談だ)をしたあとで、これからの方針説明を受けた。

 薬は用いず、会話によるカウンセリングを中心に行うということ。

 問題解消のために、抱えている悩みやストレスは隠さずに話すこと(当然、プライバシーは守られ、家族にも情報は漏らさない)。

 リハビリとして、発声練習も併せて行うこと。

 椎橋さんは穏やかな口調で、声はすぐ戻ってくるよと励ましてくれた。もしかしたら、次にここに来たときは治ってるかもね。と、控えめな笑顔を浮かべて。

 

 もちろん、そんなに都合よくことが運ぶはずもなく、私は今もカウンセリングに通っている。

 週に一度。おおよそ一時間。

 声は相変わらずだせないままだけど、進展がまったくなかったわけでもない。

 少なくとも失声症の原因と思われるストレスは、取り去ることができた。

 つまりそれが、退部届けを提出した理由である。

 

 中学からバスケットボール部に所属していた私は、高校に入ってもごく自然にバスケット部を選んだ。

 実力は、一年生相応のレベル。

 上級生にはとてもかなわず、練習ではボール拾い、試合ではベンチのうしろで応援と、ほかの一年生とやることは一緒だった。

 ところが、ここでハプニングが起きてしまう。

 そのことによって、私は先輩をさしおいてレギュラーに抜擢されることになってしまったのである。

 ハプニングの名は、成長。

 私の身長は高校に入学してからみるみる伸びていき、気がつくと1メートル70センチほどにまで達していた。

 どんな名監督も、身長だけは鍛えられない。という言葉があるように、私は背が高いというだけで十分な戦力に―― 少し上手い程度の先輩よりも使える戦力に―― なってしまったのだ。

 ポジションは、必然的に背の高い選手がつとめるセンター。

 私のかわりに外れることになったのは、それまで一番背の高かった三年生の先輩だった。

 誰よりもバスケットが好きで練習熱心だった彼女は、まわりの同情する視線をよそに、自分を外した実力至上主義の顧問を表情なく見つめていた。

 そしてここから、わきあいあいとした部の雰囲気が私の中で狂い始めることになる。

 まずは会話。

 上下関係はありながらも冗談を言ったり笑いあったりしていた先輩たちの態度が、素っ気なくなった。

 それは日を追うごとに顕著になり、やがて無視という形をとるようになる。

 もちろん、私に対してだけだ。

 練習の時も私へのパスが激減し、たまに良いプレイをしても無反応。

 顧問が見ているときはまだましなほうで、不在の時は何もさせてもらえないこともあった。

 私のファールは厳しくとられ、私へのファールは甘くとる。

 故意の接触があっても、ホイッスルは鳴らない。

 この頃になると、私に対する無視の輪は三年生だけにとどまらず、二年生に及び、一年にまで浸透してきていた。

 ただ、この状況を解決する方法を私は知っていた。

 レギュラーを辞退すればいい。

 それが最善の判断だと思ったし、実際に辞退を申し出たのだ。

 だけど、顧問は―― 選んだのは自分なのだから当然だけど―― 納得しなかった。理由を聞いてくる。

 私はでも、先輩たちから嫌がらせを受けて孤立していることを打ち明けることができず、自分の実力不足を理由にしてしまった。

 それがいけなかった。

 顧問は笑顔で私の肩を叩き、お前は良いプレイヤーだと励ましだしたのだ。

 大丈夫。心配ない。と。

 レギュラー辞退の話は取り消された。

 

 部活内での孤立は深まり、先輩たちの嫌がらせは続き、気が重くなる毎日が繰り返されるなか――

 ある日、私は原因不明の高熱をだして寝込むことになる。

 処方された解熱剤を飲み、ベッドの中で寒気と頭痛に苛まされながら二日を過ごした。

 そして、ようやく熱が引けた三日目の朝。

 

 私は、声を失っていたのである。



                       ※



 抱えている悩みは隠さず話すように言われたものの、そう簡単に話せるわけもなく(そもそも簡単に話せたら悩みやストレスにならないだろう)、始めはカウンセラーの質問に対して首をかしげたり、曖昧なことを書いてごまかしたりしていた。

 聞き手が親や友人だったら、煮え切らない私に苛立って強引に聞き出そうとするか(そして、ますます話せなくなる)、匙を投げて放りだすかのどちらかになっていただろう。

 だけど、私を担当した椎橋さんは辛抱強く待ってくれた。

 そして、四度目のカウンセリングで、ようやくこの話を打ち明けることができたのである。

 部活での先輩たちの嫌がらせ。周りからの孤立。

 それらが失声症になった全ての原因とは断言できないけれど、大部分をしめる要因であることは間違いなかった。

 まずはそれを解決しましょうと椎橋さんは言い、それから、よく話してくれたねと控えめな笑顔を浮かべた。

 私が選んだ解決方法はとてもシンプルだった。

 退部届けを提出すること。

 こうすれば先輩たちの嫌がらせもなくなり、部内の孤立からも解消される。

 始めは引き留めようとした顧問も、私のおかれている状況(退部を決めたことで打ち明けることができた)を知ると、厄介ごとから逃げるように退部を認めてくれた。

 

 声を失ってから、一ヶ月と数日。

 私の抱える問題は、こうして解決した。



                       △



 部活をやめて一ヶ月も過ぎると、私はすっかり八時五分発の電車に乗ることが習慣になっていた。

 この時間だと少し早めに学校へ着いてしまうけれど、車内の混雑がなく、余裕をもってシートに座ることができる。一本あとの電車に乗って(こちらは始業時間に丁度いい)イス取りゲームや、つり革争奪戦を繰り広げるよりも、はるかに快適な通学時間を過ごせるのだ。

 今日もまた、いつものようにドア近くのシートに腰かけて、お気に入りの本を読むつもりで電車に乗り込んだ。

 ところが、どういうわけか妙に人が多い。

 つり革の数には余裕があるものの、シートはすでに満席だった。

 乗客の大半は紅白帽にリュックサックを背負った子供たちで、甲高い声がそこかしかに響いている。

 それで、どうやら今日は小学生の遠足日らしいと察した。

 引率の先生と思われる女性は、車内を歩き回りながら静かにしなさいと生徒たちに声をかけている。

 シートは子供たちがほとんど占領していたけれど、お年寄りにはちゃんと譲っていたことには感心させられた。

 どこへ行くの質問するお婆さんに、元気な声で平根山と答える子供たち。

私はつり革につかまって、騒がしくも楽しげな会話を聞いていた。

 一駅、二駅と過ぎ、三駅めで座っていたお年寄りが電車を降りた。

 ぽっかりとあいた一人分の空間。立っているお年寄りの姿もなく、子供たちが座る様子もない。

 私はすかさず席を確保しようとして――

 まったく同じ行動をとろうとしていた女性と目があった。

 シートに向かって足を一歩踏み出したところで、お互い固まっている。

 相手は私と同じくらいの年齢。私服姿だけど、たぶん高校生だろう。制服のない高校もいくつかある。

 見つめ合うこと、数秒。

 私たちは同時に、片手をシートの方へ差し出した。

 どうぞ。というジェスチャー。

 どうぞ。

 いえ、どうぞ。

 いえいえ、どうぞ。

 お互い手を動かして無言で席を譲りあうという、奇妙な光景。

 そんな異様な状況のなか、二人の手の間をすりぬけてシートに腰かけたのは、ドアが閉まる寸前で乗り込んできたおばさんだった。

 いかにもおばさんな雰囲気を漂わせたおばさんは、うまい具合に席が空いていたわと言わんばかりの満足顔。

 私たちは腰をおろしてくつろぐ彼女をポカンと見つめ、その表情のままお互いを見た。

 そして。

 同時に笑いだした。

 私は口元に手をあてて。

 彼女は右肩に顔をうずめて。

 声をだすことなく、笑う。

 おばさん風のおばさんは無言で身体を震わせる私たちを見上げて、気味悪そうに眉をひそめた。


                       ※

 

 私服姿の彼女は、私が降りるひとつ前の駅で降りた。

 このあたりの高校だとすると、優秀な生徒が通う矢野高か、超優秀な生徒が集う東聖院になる。

 どうりで品のある顔をしているわけだ。

 私は彼女の輪郭を思い出しながら、偏見そのものの感想をいだく。

 それにしても…… 不思議な時間だった。

 無言で席を譲りあい、無音で笑いあった後も、私たちは言葉を交わすことなく横に並び、とうとう最後まで一言も声をださなかった。

 駅に降りて、こちらに微笑をむけてから歩き去る姿は、さながらサイレント・フィルムのワンシーン―― …というには、周りが騒がしすぎたけれど。

 彼女がなぜ声をださなかったのかは、わからない。

 理由があるのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。

 ただ、私にはれっきとした理由がある。

 とてもシンプルで必然的な理由。

 声をだすことができないからだ。

 

 失声症はまだ続いていた。

 部活をやめることで原因は解消されたはずなのに、未だに声が戻らない。

 椎橋さん《カウンセラー》は、心の緊張がまだ解けていないせいだよと言い、時間が経てば少しずつ声はでるようになるからと励ましてくれた。

 念のためにと、脳と発声器官の再検査をしたけれど異常はなし。

 だから、きっとそういうことなのだろう。

 時間が経てば。

 そのうちに。

 焦らないで。

 私にできることは、待つことだけだった。

 あの子は、どうして喋らなかったのだろう。

 答えのでない疑問を、また考える。

 理由があるとすれば、どんな理由?

 ひょっとして。

 私と同じだったりして。

 

 だったら――


                       ※


 翌日になると、八時五分発の電車はいつもの静かな車両に戻っていた。

 私は安心してドア近くのシートに腰をおろし、閑散とした車内を見わたす。

 たいていの乗客はシートに座って思い思いにくつろいでいるけれど、何人かは健康を考えてのことか、つり革につかまって立っている。

 その中の一人に、彼女がいた。

 スカートをはいているせいか、昨日よりも大人びてみえるけれど、あの品の良い輪郭は間違えようがない。

 左手でつり革につかまりながら、右手でケイタイを操作している。指の動きからしてメールを打っているのだろう。今 流行はやりのラインかもしれない。

 いずれにしても、あまりスムーズではなかった。

 しばらくして、顔をあげる。ようやくメッセージを送り終えたらしい。

 彼女の視線は左・右・左と動き、さらに左へと動いて――

 こちらを見た。

 視線が接触する瞬間に目をそらしたので、私が見ていたことには気づいていないはずだ。

 自然な動きを意識しつつ―― 意識している時点で不自然だけど―― カバンから読みかけの本を取り出す。

 歩数にして三歩の距離から、彼女の視線を感じる。

 私は本の内容を理解しないまま、ページをめくる。

 なにも無視をすることはなかった。

 顔を上げて、彼女を見て、会釈ぐらいすればいい。

 そうできないのは、不安があったからだ。

 彼女がとても社交的で、三歩の距離をあっという間に踏み越えて話しかけてくるかもしれないという不安。

 失声症の私は受け答えができず、彼女に気まずい思いをさせてしまうだろう。

 そうとは知らずに障碍のある人に声をかけてしまったときの、あの気まずさだ。

 そうなることは避けたかったので、私は本を読むふりをつづける。

 乗り合わせてから七つ目の駅が、彼女の降りる駅だった。

 電車が止まり、ドアが開く。

 彼女が開いたドアへと歩き出す。

 私はそこで、ようやく顔をあげた。

 駅に降りる後ろ姿をぼんやり見送っていると、ふいに彼女がこちらを振り向いた。

 視線が接触する。

 私はそらすことができず、彼女はそらそうとせず、お互いを見る。

 発車のベルが鳴り響き、ドアがスライドを始めた。

 そして、完全に閉じる寸前。

 彼女は、私に微笑んだ。



                       ※



 今まで気づかなかっただけで、私たちはいつも同じ車両に乗り合わせていたらしい。

 こうして意識するようになると、いろいろなことに気づく。

彼女は私が乗る駅よりも前から乗っていること。

 私が降りるひとつ前の駅で降りること。

 シートには座らず、いつでも立っていること。

 私がドア近くのシートを指定席にしているように、彼女にも愛用のつり革があるらしいこと。

 ケイタイはスマートフォンで、取り出す頻度からメールの返信が主な使い道らしいこと。など。

 情報が増えていくにつれて、親しみもわいてくる。

 それは彼女も同じだったらしく、いつからか、私たちは目があうと微笑みあうぐらいには親しくなっていた。

 ただ、物理的な距離―― 歩数にして三歩の距離―― は、そのままだった。

 お互いに自分のお気に入りの場所があるということ。それから、この距離感が丁度よいということもあっただろう。

 声のでない私は、とくにその思いが強かった。

 だから。

 彼女が勇気をふり絞らなければ、関係はずっとこのままだったはずだ。


 その日も、私はいつもの電車にのり、いつもの場所に腰をおろして、いつものようにつり革につかまる彼女を見つけた。

 彼女も私に気がついた。

 私たちはいつものように小さく微笑みあい、いつものようにすぐ目をそらそうとして――

 でも、彼女は目をそらさなかった。

 真剣な眼差しで私を見つめたままつり革から手をはなすと、不思議な手仕草を始めた。

 

 右手を耳の近くまで持ち上げてこぶしを作り、

 次に、両手を人差し指だけ立てた形にして胸元へ持っていき、

 その指を軽く折り曲げる。

 

 それだけだった。

 私は何が起きたのかわからず、間の抜けた顔で彼女を見てしまう。頭の上にはいくつものクエッションマークが飛び出していたにちがいない。

 彼女は口を開けて目を丸くしている私を見て、もう一度微笑んだ。

 少し残念そうに目を細めて。

 

 彼女のそうした行動はそれきりで、次の日からはまた何事もなかったように微笑むだけになった。

 私もいつも通りに微笑みを返したけれど――

 何事もなかったことにはできなかった。

 今までのルールを破ってまで彼女がした行為なのだ。意味がないわけがない。

 何かのジェスチャー?

 耳のあたりでこぶしを作る仕草は…… 電話?

 両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草は…… クワガタ?

 電話とクワガタ。

 二つを合わせると 電話をかけてきたのはクワガタだったよ という意味になる。

 絶対にちがう。

 学校で友人に聞いてみても(もちろん筆談だ)、首をかしげるか、私と似たようなトンチンカンなことを言うばかり。

 家に帰って聞いてみても、姉は私と同じようなものだったし、母にいたっては、それよりもカウンセリングはちゃんと通っているのと、トゲのある質問をかえしてきた。なかなか回復しない私に苛立っているのだ。

 手っ取り早いのは彼女に直接聞くことだけど、その勇気はない。

 だいたい、この前のジェスチャーは何だったのですかと書いた大学ノートをいきなりつきつけたりしたら、驚かせる程度ではすまないだろう。

 結局、自分で答えを見つけるしかなかった。

 

 

 きっかけは、これといった目的もなくテレビを観ているときだった。

 民放の安っぽいバラエティ番組が終わると、次の番組までのつなぎに流れるニュースが始まった。

 男性キャスターがあいさつをして、今日の出来事を淡々と伝えていく。

 だけど私が注目したのは彼ではなく、画面の右端に映る女性だった。

 丸く切り取られた枠の中で、しきりに手を動かしている女性。

 それは、手話だった。

 女性は手話でニュースを伝えていたのだ。

 声がだせたなら、私はきっと叫んでいただろう。

 そうだ。手話だ!

 私は自分の部屋に急いで戻り、机の上のスマートフォンをつかみ取って動画サイトに接続した。

 検索ワードは 【動画 手話】。

 再生時間の短い、手話のワンフレーズ動画を手当たり次第に確認していく。

 目当ての手話はすぐに見つかった。

 耳のあたりでこぶしをつくり、次に、両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草。

 

 おはよう。

 

 私は両手で太ももを叩いた。

 そうだ。彼女はおはようと言ったのだ。

 それがわかっていたなら、私もおはようと―― 耳のあたりでこぶしをつくり、それから両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草で―― 返していたのに。

 叫びたかった。

 正解にたどりつけた喜びを表現したくて。

 口を大きく開け、お腹に力を入れて、喉から絞り出すように声を吐き出す。

 一度。二度。

 三度。

 私の口からでてきたのは、息が漏れる音だけだった。

 

 

                       ※



 いつもの電車の いつもの車両で。

 私はいつもの場所に腰をおろし、いつものようにつり革につかまる彼女を見つける。

 彼女も私に気づいた。

 私たちはいつものように小さく微笑みあい、いつものようにすぐ目をそらそうとして――

 今度は、私が目をそらさずに彼女を見た。

 そして。

 右手を耳の近くまで上げてこぶしを作り、

 次に、両手を人差し指だけ立てた形にして胸元へと持っていき、

 その指を軽く折り曲げた。


 おはよう。


 彼女は、大きく。

 品の良い輪郭が壊れそうなほど大きく、目と口を開いて私を見た。

 それから慌てたように同じ手話を返して、こちらへ――

 一歩。

 二歩。

 縮むことのなかった、歩幅にして三歩分の距離が――

 三歩。

 なくなった。


 今、私の目の前に彼女がいる。



                       ※


 こうなるシチュエーションを考えなかったわけではないけれど、実際に起こってしまうと、どうしていいのかわからない。

 私は彼女を見上げたまま固まっていた。

せめて声がだせれば。

 そう考えてすぐ、声がだせていたらそもそもこの状況になっていないことに気づく。

 そんな私の混乱をよそに、彼女は少し興奮しながら手を動かし始めた。

 私のほうに手を向けたり、両腕で何かを巻くような仕草をしたり、自分の両肩を順番に突いたり――

 理解できたのは、それらがおそらく手話であるということ。それから、彼女がどうやら難聴者らしいということだった。

 そうこうしている間にも、手話はどんどん進んでいく。

 私は慌てて彼女の手をおさえてストップをかけ、学生カバンから一冊のノートを取り出した。友人と話すときに使う、罫線のない真っ白なノートだ。

 未使用部分を広げて、ひとまず伝えるべきことをボールペンで書いていく。

 手話は おはよう しか知りません。ということ。

 今は病気で声がだせない状態です。ということ。

 少し迷ってから、失声症ですと書き加えてノートを渡した。

 彼女はノートを受取ってそれを読み、納得したように頷くと、自分のカバンからボールペンを取り出して何かを書きつけた。

 ノートを受け取って、その言葉を見る。

 彼女が書いたのは、わずか六文字だった。

 

 私は ろうです。

 耳が聞こえません。

 

 ろうは、聾。耳が不自由な人のこと。

 彼女は先天的な難聴者だった。



 私が手話をつかえないので、会話は友人たちと同じように筆談で行った。

 まずはお互いの自己紹介から。

 私がノートのすみに 仁科沙奈 と書くと、彼女はその隣に 立花詩織 と書いた。

 年齢。二人とも十八歳。今年は受験生。進路について悩み中。

 学校。私は高瀬高校で、彼女―― 詩織は矢野高校だった。思ったとおり、優秀な生徒だった。

 そこで知ったのだけど、難聴者でも多くの場合は普通学校に通うらしい。一般社会に出たときに少しでもハンデをなくすためだとか。

 詩織は、それに加えて手話学校へも通っているという。帰りはだから、いつも七時を過ぎてしまうと。

 まだまだ話したいことはあったけれど、車内アナウンスが流れて詩織が降りる駅を告げた。

 ちなみに彼女が乗る駅は、私が乗る駅のひとつ前。

 降りる駅は、私が降りるひとつ前。

 私と彼女が乗り合わせるのは、七つの駅の区間だけ。

 

 七駅間の友だちだね

 

 私がノートに書くと、彼女は少し考えてから、隣にこう書きそえた。


 七駅フレンドのほうが素敵じゃない?

 

                       ※


 私が失声症になってから三ヶ月、詩織と知りあってから一月が過ぎた。

 このころになると、楽観的だったカウンセラーの椎橋さんも首をかしげるようになっていた。

 一般的な失声症は早ければ一週間、長くても一ヶ月ぐらいで治るらしい。

 まれに半年、あるいはそれ以上かかることもあるけれど、それは鬱病などの精神的な病気を抱えている場合だという。

 私にそうした傾向はなかった。

 椎橋さんは、もうしばらく様子を見て、改善する気配がなければべつの方法を考えましょうと言い、その日のカウンセリングは終了した。

 声のでない私に苛立ったり不安がっていたりしていた両親も、最近ではずいぶん慣れてきたらしく、筆談のスピードにあわせて会話をするようになっていた。もちろん、苛立ちや不安が消えたわけではないだろうけど。

 声のでない学校生活も、当たり前の日常になりつつある。

 友人も教師も、私の失声症に(良くも悪くも)慣れて、気遣ってくれながらも、冗談を言ったり、喧嘩をしたり、怒られたりするようになった。

 そういえば、最近、新聞部からインタビューを受けた。

 内容はもちろん、失声症について。

 いつごろ発症したのか。

 原因はなんだったのか。

 声がだせないことの不便さ。

 コミニュケーションの仕方。

 今の気持ち。などなど。

 私は筆談で可能な限り答えた。さすがに原因については、曖昧にぼやかしたけれど…

 電車で知りあった難聴者の友人の話もした。

 彼女は耳が聞こえず話すこともできないけれど、私よりもずっと優秀だということ。

 将来は手話教室を開いて先生になるか、ニュースなどの通訳になりたいと思っていること。

 私も彼女から手話を教わっていること。など。

 詩織にそのことを伝えたら、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、私のノートを奪いとると、 許可をとってからにしてよ と書いて笑った。


 

 詩織との七駅フレンドの関係は続いていた。

 いつもの電車の、いつもの車両で。

 いつものようにドア近くのシートに腰をおろし、私たちはノートを広げる。

 ラインやメールで会話を試したこともあるけれど、お互い画面ばかり見て話が盛り上がらないのですぐに却下した。

 話題は、その日によってまったく違う。

 趣味の話に終始することもあれば、芸能人のうわさ話で勝手な勘ぐりを入れてみたり、友人への愚痴をこぼしてみたり、教師の悪口を書き連ねてみたり、気になる異性の話でノート一面が埋まったり、たまには真面目な話をしてみたり……

 詩織から教わることも多かった。

 難聴者が聾学校に通わず、あえて普通学校を選ぶ理由も教えてくれたし、普通学校に通うことの大変さも話してくれた。

 会話の大変さは失声症の私にも理解できるつもりだったけれど、実は全然ちがう。

 彼女の場合は耳が不自由なため、声が聞こえないという条件が加わるのだ。

 私は相手の話を聞くことができるので自分が書くだけでいいけれど、彼女の場合は相手にも筆談(もしくは手話。できる人はまずいない)を強制することになる。

 だから何かをするにしても、ちょっとした頼み事があっても、わざわざノートに書かなければならない。そうなると周りは、詩織よりも他の人に声をかけたほうが早いから、そちらへ話をする… ということになる。

 どうしても彼女は疎外されがちになってしまうのだ。

 孤立はしていないけれど、本当に馴染めているわけでもない。

 いつでも、まわりの人よりも少し下にいる感覚がつきまとう。

 だから。

 と、彼女は書きつくしたノートをめくって続ける。

 自分と同じ人たちが集まる手話教室のほうが、ずっとリラックスできるし、楽しい。と。

 それから少し間隔をあけて、こうやって私と出会えたことが本当にうれしいと書いてくれた。

 手話にすると、

 右手の人差し指で私を指し、その指と左手の人差し指を軽くあわせる。

 それから、胸のあたりで両手をひらき、手の甲をこちらにむけて交互に上下させる。

 

 あなたに 出会えて うれしい

 

 もちろん、私も同じ気持ちだったのでそう書いた。

 詩織は微笑むと、今度は右手の親指と人差し指で額のあたりをつまむようにして、その手を広げて何かを切る仕草をした。

 

 ごめんね。

 

 私は首をかしげた。

 意味はわかったけれど、理由がわからなくて。

 詩織は私から目をそらすと、手にしたボールペンでためらいながらもノートに書いていく。

 沙奈の声がでるようになったら、七駅フレンドはきっとおしまい。

 だから、沙奈の声がでることは嬉しいけれど、ちょっとだけ、でないでほしい気持ちもあるの。と。

 私はそれを読むと、憮然として彼女からボールペンを奪いとり、いつもより乱暴な文字で書いた。

 声がでるようになっても七駅フレンドは終わらない。と。

 私はこの電車に乗って、このノートと覚え始めた手話で話をする。と。

 詩織は私を見て微笑んだ。

 その泣きだしそうな笑顔を見つめながら。

 私は、もうしばらく声がでないままでいいと思った。



                       ※



 椎橋さんの考えでは、こういうことらしい。

 

 私が声をだせなかった原因は、声がだせないことそれ自体に極度の不安や焦りを感じていたから。

 早く声をださないと。周りと同じように話さないと。喋らないと。

 早くしないと、おいていかれてしまう。

 取り残されて、一人になってしまう。

 そうやって焦れば焦るほど心に負担がかかってストレスとなり、ますます声がだせなくなっていったのだろうと。

 説得力がありそうでなさそうな話だったけれど、そう考えることで納得できることはあった。 

 私が不安と焦りの螺旋から抜け出すことができたのは、声がでることを望まなくなったから。

 詩織の本音を聞き、声がだせないままでいることを望んだことで、逆に声をだしたいというストレスから解放されることになった。

 そう考えれば、確かに納得することができた。

 

 私の声が戻っていることに最初に気づいたのは、私自身ではなく母だった。

 いつものように朝食の支度をしている母に、私は寝ぼけた声でおはようと挨拶をしたらしい。

 母は私の声をかき消すほどの歓声をあげると、まだベッドの中にいる姉と父を叩き起こしに飛び出していった。

 四人でひとしきり喜んだあと、父が突然、学校にもさんざん迷惑をかけたのだから家族でお礼を言いに行こうと、いやがる私をむりやり引きずって車に乗り込んだ。

 職員室では担任を始め、習ったことのない先生がたからも拍手でお祝いをされた。

 それだけでも十分恥ずかしかったのに、なんと三人は教室にまでついてきた。

 教室に入り、担任に促されて教壇に立った私は、やっと声がでるようになりましたと、その声でクラスに報告した。

 途端に大きな拍手と歓声があがった。

 誰もが喜んでくれている。

 泣き出す友だちもいた。

 私もつられて泣き出すと、担任は、まるでお前が転校するみたいだなと言って、目元をぬぐった。

 家族は気を利かせたのか、場違いだと気づいたのか、いつのまにかいなくなっていた。

 ちなみに、その日はどの授業でも先生から指名されるという嫌がらせのような祝福を受けた。

 顔をしかめる私を見て、みんなが笑う。

 それはでも、嬉しいことだった。

 放課後になっても教室に残り、私は友だちと話をしていた。

 声がでなくなる前よりお喋りになったと、からかわれながら。



                       ※



 詩織に打ち明けたのは、翌朝のいつもの電車の中だった。

 声がでるようになったことをノートに書いて伝えると、彼女は目を大きく開いて私を見た。

 そして、嬉しそうに。

 本当に嬉しそうな笑顔で、おめでとうと手話で言ってくれた。

 いつか、ちょっとだけ声がでないでほしい気持ちがあると漏らしていた彼女だったけれど、そんなそぶりはまるで感じさせなかった。

 詩織は興奮した顔を私に向けて、試しに喋ってみて とノートに書く。

 耳が聞こえないのにわかるのかなと疑問に思ったけれど、彼女は振動を聞くから大丈夫と、私の喉に手をあてた。

 私は喉に触れる冷たい感触を意識しながら、彼女の名前を呼ぶ。

 

 し・お・り。

 

 私の口の動きで、言葉の意味を理解したらしい。

 詩織は優しく微笑むと、今度はノートいっぱいの文字で おめでとう と言ってくれた。

 私は手話で ありがとう と答えてから、ノートのページをめくり、これからも七駅フレンドは続くからね と書いた。

 彼女はその文字を読むと、目を細めて小さく頷いた。

 

                       ※


 声を取り戻してから、一月ほど過ぎた。

 私の日常にはそれほど大きな変化はなく、今日も、いつもの電車のいつもの車両で、いつものように詩織と並んで座っていた。

 彼女が他愛のない話題をノートに書き込む。

 私はそれに他愛のない返事を書いていく。

 いつもどおりの静かな会話。

 七駅間の友だち。

 七駅フレンド。

 ただ……

 大きな変化はないと言ったけれど、小さな変化はある。

 この頃、私は少し筆談に疲れてきていた。

 声がだせるようになると(当たり前のことだけど)声に頼るようになってしまい、いちいち言いたいことをノートに書くのが面倒になる。

 声がだせなかったときには思いもしなかったことだ。

 だから、ついつい短い言葉ですませてしまう。

 書く文字も雑になる。

 手話で会話をしようにも、私の手話はカタコトなので話が弾まない。

 私の書く文字は日を追うごとに少なくなり、ノートの大部分は詩織の文字で埋まるようになっていった。

 

 

 その日。

 私はいつもの電車に乗らなかった。

 

 寝坊をして間に合わなかったと詩織には言い訳したけれど、それは半分以上、嘘だった。

 寝坊をしたのは、そうするつもりでしたのだから。

 詩織に会わないようにするために。

 


 しばらくして、私は部活に入った。

 バスケットボール部ではなく、ほとんど活動していない文芸部に。

 担任から内申に響くと言われていたことも少しはあったけれど、本音は、朝の通学時間をずらす理由を作るためだった。

 私は詩織に、担任にむりやり運動部に入らされたと嘘をつき、朝練があるから今までのように毎日は一緒に通えないと告げた。

 怒るだろうか。

 泣かれたら困るな。

 嘘がばれたらどうしよう。

 不安と罪悪感におびえる私に詩織は小さく頷くと、ノートに ちょっと残念 と書いて微笑んだ。

 私は申し訳なさよりも、どうにか誤魔化せたことに安堵をおぼえていた。


 朝練があることにしたけれど、本当に乗る電車は始業時間にぎりぎり間に合う、あの混雑電車だった。

 相変わらずの混みぐあいにはうんざりするけれど、今は乗り合わせる友だちがいるのでそれなりに楽しい通学時間になっている。

 詩織と同じ電車に乗ることはほとんどなくなり、いつからか、私はその電車を避けるようになった。

 

 このごろの私は、みんなから明るくなったと言われる。

 よく喋るし、よく笑うし、前よりもずっと話しやすくなった。と。

 それは、なかなか嬉しい評価だった。

 

 

 私は、詩織のことを考えなくなっていた。

 

 

                       ※


 それから卒業までの日々は、忙しくも充実していた。

 私は大学受験に合格していたので、進路に憂うことなく高校最後の日を過ごした。

 体育館での卒業式を終え、教室で担任の最後の挨拶を聞き、卒業証書を受け取って、晴れて卒業。

 帰りは友人たちと打ち上げパーティをすることになっていたので、私は父の車にカバンと卒業証書を投げ込むと集合場所の喫茶店へと急いだ。

 高校最後のから騒ぎ。

 カロリーも値段も気にせず注文をして(アルコールに手をださなかったのは、大したものだったと思う)、お調子者の友人が冗談まじりの挨拶をして、乾杯。

 誰もが思い思いに喋ったり、笑ったり、歌ったりしている。

 気分が高揚していたせいだろう。

 私も慣れないカラオケに挑戦して、名音痴というありがたくない称号を手に入れたりした。

 

 時間を忘れるほど盛り上がったせいで、喫茶店を出たときはすでに七時が近かった。

 私は帰る方向が同じ友人といつもより一時間以上遅い電車に乗り込んだ。

 ドア近くのシートに腰をおろし、打ち上げパーティの延長線上のような他愛のない話をする。

一駅。二駅。三駅。

 駅に着くたびに、人が入れ替わっていく。

 私は横目でその光景を眺めながら、この電車に乗るのも最後かもしれないとボンヤリ考えている。

 四駅。ここで友人が降りた。手を振ってまたねと言ったけれど、次に会うのはいつだろう。

 五駅。六駅。

 そして、ようやく私の降りる七つ目の駅に着いた。

 シートから立ち上がり、いつものようにカバンを持とうとして、父の車に放り込んだことを思い出す。

 プラットホームに降りて、何だか手持ちぶさたな気持ちで電車を振り返る。

 私が降りたそのドアの前に。

 詩織が立っていた。

 

 

 最後に会ったのはいつだろう。

 あのとき変わらない、品の良い輪郭。

 私は詩織の顔を見つめたまま、動くことができない。

 声はだせるようになったはずなのに、まるで失声症が再発したかのように言葉がでない。

 自分が何をしたのか、わかっている。

 

 声がだせるようになったら、七駅フレンドはきっとおしまい。

 

 詩織の言う通りになった。

 声を知らない彼女だからこそ、声がだせるようになった私がどうなるのかわかっていたのだろう。

 七駅フレンドはずっと続く。

 そう言った私は、どうしようもない嘘つきで、手ひどい裏切り者だった。

 でも、謝るわけにはいかなかった。きっと詩織は、私を許してしまうから。

 だから。

 怒りをぶつけてほしかった。

 恨み言のひとつでもいいから、聞きたかった。

 侮蔑でもいいから。

 軽蔑でもいいから。

 私にふさわしい言葉をぶつけてほしい。

 彼女はでも…… 優しく笑っていた。

 私の裏切りを責めるような雰囲気などまるでなく、むしろ久しぶりに会えたことを喜んでいるようにさえ見えた。

 そして、ドアが閉まる寸前。

 彼女は静かに手を動かした。

 右手の人差し指で私を指し、その指と左手の人差し指を軽くあわせる。

 それから、胸のあたりで両手をひらき、手の甲をこちらにむけて交互に上下させて、

 最後に両手を上に向け、指をしぼませるようにしながら下におろした。



 あなたに


 であえて


 うれしかった 

 

 

 ドアが閉まり、電車がゆっくりと走り始めた。

 私は、

 ただ、

 ただ、

 プラットフォームに立ちつくしていた。

 

 

  

                       △



大学に入った私は、学業の傍らで障碍者の支援活動に参加するようになった。

 参加するのは主に難聴者のボランティアで、そのために手話教室にも通ったし、二年後には手話通訳士の資格もとった。

 これといった目的もなく入った大学だったけれど、今では聾学校の教師になるという、はっきりとした目標ができた。

 そのためには、専攻外のことも必死で学んだ。

 多分、このときが人生で一番努力をした時間だっただろう。

 聾学校の教師になるためにまず教員資格を取り、次に特別支援教免を取った。

 ただ、資格が取れれば即教師になれるわけではない。

 次に待っていたのは、きわめて倍率の高い採用試験だった。

 私は四度挑戦したけれど、結局、合格することはできなかった。

 人生で一番の挫折を味わったのも、このときだったと思う。


 年月は流れ。

 それでも難聴者と関わる仕事を諦めきれなかった私は、結婚をして生活に余裕がでてくると、ついに自分で手話教室を開くことにした。

 といっても限りなく趣味に近い小さなサークルのようなもので、場所は家の離れに建てた小さなホールを使うことにした。もちろん、始めからそのつもりで建てたものだ。

 生徒は十人に満たない程度。なかには健聴者も難聴者もいるし、子供もいる。

 講師は私。

 楽しく学べる手話をモットーに、色々な教材を作って試してみては成功したり失敗したりしている。さいわい生徒たちの受けは良く、楽しく学んでもらっているようだ。

 ただ、ひとつだけ。

 私のつけた教室名だけは、センスが悪い、意味不明と不評だった。もちろん、変更するつもりはない。

 最初は私一人でやっていくつもりだった教室だけど、最近、わけあって講師をもう一人雇うことにした。

 我が家の収入は減ってしまうけれど、そこは旦那様に甘えることにして。

 ちなみに、わけというのは……

 つまり、私のお腹が膨れてきたからだ。

 

                       ※

 

 さて。

 今日は講師希望の女性と会うことになっている。

 彼女は先天性の聾者であるものの、教師の資格も、手話通訳士の資格も持っているという。

 まだ手紙のやりとりしかしていないけれど、私は合格にするつもりだ。

 なかなか優秀そうな人のようだし、なによりも、生徒たちからはセンスがない、意味がわからないと大不評だった教室名を 最高に素敵ですね と手紙に書いてくれたからだ。

 

 インタホンが鳴る。

 どうやら到着したらしい。

 私は教室のドアをあけて、彼女を出迎える。

 伝える言葉は、もちろん手話で。

 

 ようこそ。

 七駅フレンドへ。

 


                     了

 

 


 

 


セリフがないというのは、「 」 がないという意味です。

会話でやりとりする場面のない作品を実験的に書いてみたかったので、これを機に挑戦してみました。

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[一言] 企画が終了しましたので、こちらに感想を書かせていただきます。 読み終えて、心を打つものがありました。 失声症と聾唖という、難しい物を扱いながらも、ゆっくりと、じっくりと丁寧に言葉を紡いでい…
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